物々交換の起源(2)・ネアンデルタール人論60

 たとえば氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人は、その極寒の環境にいたたまれない思いをさせられながら生きていた。寒さにほんろうされているみずからの身体、すなわち生きてあることを忘れていなければ生きられなかった。であれば意識は自然にみずからの身体の外の世界や他者に向かう。身体の外の世界や他者にときめいているかぎり、身体のことを忘れていられる。そうやって彼らは、みずからの身体の外の世界や他者を祝福しながら生きていた。そうやって他者を生かそうとしていった。
 人類にとっては、二本の足で立っていること自体が不安定でいたたまれないことであり、そこから他者にときめき他者を生かそうとしながら歴史を歩んできた。ネアンデルタール人は、その歴史の果てに登場してきた人々だった。
 他者を生きさせようとするのは、人類の本能のようなものです。自分が生き延びるためにそうするのではない。生きてあることはいたたまれないことであり、生きてあることを忘れようとして自然にそうしてしまう。
 生きてあることを忘れようとするとは、「もう死んでもいい」と思うことです。われわれのこの生には、そういう無意識の感慨がはたらいている。「もう死んでもいい」と思いながら、他者にときめき他者を生きさせようとしてゆく。
 つまり、自分の生のエネルギーを他者に向けて消費してゆく。自分を生きさせるためになんか使わない。これが原始人の生きる流儀であり、「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともにある人間性の普遍であるのでしょう。
 人は、どこかしらで自分が生き延びるために生のエネルギーを使うことに対する戸惑いやうしろめたさを持っている。まあ現代人のような、生き延びようとする制度的な観念のはたらきが希薄だった原始人はそうやって生きていた。したがって彼らは、生き延びるために物々交換という等価交換をするという習俗は持っていなかった。
原始人がのどかに物々交換をしていたなんて、嘘です。
彼らは、ひたすら他者を生かすために他者に贈りものをし合っていた。
 物々交換は、そんなのどかな行為ではない。それは、文明社会の損得勘定の意識によって成り立っている。
 親しいものどうしで、相手が自分の持っているものを欲しがっていれば、それを差し出そうとするのは人情でしょう。人は、自分が生き延びることを忘れて他者を生かそうとする。他者が生きて存在していることを祝福しようとする。それによって、自分が生きて存在していることを忘れられる。生きてあることはいたたまれないことであり、生きてあることを忘れなければ生きてあることができない。
 人類の文化は、生き延びるための生命賛歌として生まれてきたのではない。生きてあることのいたたまれなさを忘れて世界や他者にときめいてゆく体験が基礎になっている。


貨幣の起源だって、おそらく生き延びるための道具だったのではない。
 最初、そのきらきら光る石ころや貝殻は、首飾りなどの身につけるものとして愛着されていったのでしょう。しかしそれは、現代人のように身体を飾って見せびらかすためのものではなかった。原始人に「身体の美」などという観念はなかった。ただそれをまとっていると、身体の居心地の悪さが忘れられた。身体のことを忘れられた。つまりそれは、意識を身体から引きはがすためのものだった。
 人類の二本の足で立つ姿勢は、その不安定さゆえにつねに身体の居心地の悪さが付きまとっている。意識を身体から引きはがそうとするのは、人類の本能のようなものです。人類の直立二足歩行は、体の重心を前に倒しながら自動的に歩いてゆけるようになっているわけで、そうやって体のことを忘れて景色を眺めたり考え事をしたり、一緒に歩いているものとおしゃべりをしたりしている。
 お気に入りの首飾りをしていれば、身体の居心地の悪さのことを忘れていられる。それは、意識を身体から引きはがすためのものだった。そしてその引きはがす効果は、お気に入りであればあるほど大きかった。
 人類は、きらきら光るものものが好きな存在です。だから、現在でも金銀宝石がもっとも大きな価値を持っている。
原始人のきらきら光る石ころや貝殻の首飾りはすでに「貨幣」だった。現在でも金銀宝石にこそ「貨幣」の本質があり、紙幣やコインは「貨幣の代替」にすぎない。
 では、なぜきらきら光るものが好きなのかといえば、それが「消えてゆくもの」だからです。光とは、「消えてゆく」もの。「きらきら光る」ということは、点いたり消えたりしているということであり、「消え続けている」ということでもある。
 鴨長明方丈記では「行く川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず」などいっているが、そのきらきらしたさざ波の光は、たえず消え続けている。
人類の「消えてゆく」ことへの親しみ、それは、死に対する親しみでもある。消えない光はないし、消えない命もない。
 燃えているものは、きらきら輝きながらやがて消えてゆく。昼間が夜に変わってゆくとき、きらきら輝く夕焼けがやってくる。人類にとっては死もまたそのような現象としてイメージされている。そして、自分を忘れて世界や他者にときめいてゆくとき、心はきらきら輝いている。それは、「自分」という存在の死の体験でもある。実存哲学ではこれを「小さな死」といったりする。
 原始人がきらきら光る石ころや貝殻の首飾りをつけることも、ひとつの「小さな死」の体験だったのであり、自分を見せびらかして生き延びる体験をするためのものではなかった。
 その首飾りをつけていると、意識が身体から引きはがされて、世界や他者に対するときめきを豊かに体験することができた。お気に入りであればあるほど、豊かに体験することができた。その愛着が、貨幣価値の起源になった。
 それは、何と「交換」するためのものでもなかったが、確かにそこに「貨幣価値」の芽生えがあった。そしてその愛着深いものを、原始人は、死者の埋葬に惜しげもなく捧げていった。
 まずは、みずからの愛着深いものを「ときめき」の形見として「捧げる」という体験があった。
起源としての貨幣は、「交換」するものではなく、「捧げる」ものだった。


 もっとも原初的な物々交換は「沈黙交易」だったともいわれており、そういう習俗は、近代になっても一部の未開の民族に残っていた。
 たとえば、アフリカのある地域のことだが、海のものたちが山の集落にゆき、その入り口に塩が入った袋をいくつか並べて置いてくる。その場では、売り買いしない。翌日塩の袋を置いたところに戻るとその前にお金が置いてあり、それを持って帰ってくる。売るものと買うものは、けっして顔を合わせないし、言葉も交わさない。
 人は、どうしてこんなややこしいことをわざわざするのだろう。しかも、もっとも未開の民族がしている。彼らは、「交換」という行為に対するうしろめたさや戸惑いやはにかみを持っている。そうやっておたがいに一方的な「捧げる」という行為をしている。おそらくそれは、「交換」という意識がまだ成熟していない過渡期の習俗です。
「交換」ではない。ともに一方的な「贈与」をしているだけです。物々交換がはじまる過渡期の習俗、日本列島でも、江戸時代までは村と村のあいだの峠でそのような「沈黙交易」をしていたらしい。
 人類の歴史は、「贈与」はできるが「交換」はできない、という時代がずいぶん長く続いたのでしょう。それは、倫理の問題ではない。価値意識と所有(私有財産)の意識が希薄だから、どうしても「交換」という関係がイメージできないのです。
 原始人にとって物々交換をすることは、現代人が思うほど簡単なことではなかった。彼らはそれができなかったし、それをしたいという欲望もなかった。
 その塩の「沈黙交易」が「貨幣」によって行われているからという理由で、それが原始的な交易ではないという証拠にはならない。物々交換よりも「貨幣」の方が原始的であるのです。
 原始時代のきらきら光る石ころや貝殻の「貨幣」は、「もっとも大切なもの」だったから、どんなものとの交換も成り立たなかった。しかし「もっとも大切なもの」だったからこそ、一方的な贈りもの=捧げものになることができた。原始人は「交換」という発想はしなかった。彼らはそうやって「小さな死」を交歓し合っていた。
 それは、たがいに捧げ合う行為であり、「交換」という行為に対して沈黙する交易だった。
 まあ現代人のプレゼントをするという習俗だって、ひとつの「小さな死」という体験であるのかもしれない。


人類の原初的な「捧げもの=贈りもの」はまず、たがいのあいだに物を置く、という行為からはじまった。
 原初の人類が二本の足で立ち上がったのは、密集しすぎた群れの中でたがいの身体のあいだに「空間=すきま」を確保し合う行為だった。たがいの身体がぶつかり合ったりくっつき合ったりすることは身体の動きの自由が失われるひとつの身体の危機であり、生き物は本能的にこの事態を避けようとする。魚や鳥や昆虫の大群だって、この「空間=すきま」はちゃんと保たれている。
 そして人類が二本の足で立ち上がることは、たがいに向き合う関係になることでもあった。それによって相手の身体が心理的な壁になって、その不安定な姿勢が安定する。
 人類は、本能的に向き合おうとし、向き合いながらたがいの身体のあいだに「空間=すきま」をつくり合おうとする。であれば、たがいの身体のあいだに物を置くことは、そこに「空間=すきま」が確保されていることの担保になっている。そこに置かれたその物は、その「空間=すきま」のいわば形代です。
 たとえばトランプや花札をすることは、たがいの身体のあいだに物を置く遊びです。ベーゴマやお手玉やままごとだってそうだし、サッカーやテニスや野球のボールゲームだって、つまりはそういう行為であり、人間はもう、本能的にたがいの身体のあいだに物を置こうとする。
 貨幣だって、売るものと買うもののあいだに置かれる物であり、その「空間=すきま」の形見です。言葉だって本質的にはそのような機能の物であり、言葉はたがいの身体のあいだの「空間=すきま」で生成している。
 原始人は、まずそこに物を置いた。そしてそれは、相手が喜ぶ物かどうかはわからないが、とりあえず自分が相手にときめいていることの形見だったし、その「空間=すきま」は確保されていることがときめいていることの証しだった。たがいにそれを差し出し合うことによって、たがいの身体がその「空間=すきま」を越えてゆかない。そうやってたがいの身体のあいだの「空間=すきま」を確保し合っていった。
 それは、相手に渡されたものではない。相手の前の「空間=すきま」に差し出されたものである……これが「沈黙交易」のコンセプトであり、その歴史の果てに「物々交換」がはじまった。
自分の前の「空間=すきま」を確保することは、相手の前の「空間=すきま」を確保することでもある。
 人間は、本能的にみずからのときめきの形見を相手の前に差し出そうとする。これが「贈与」のはじまりでしょう。相手に「贈与」しようとしたのではない、相手の前に差し出しただけです。そうやってたがいの身体のあいだの「空間=すきま」にみずからのときめきの形見を差し出し合い、その「空間=すきま」を確保し合っていった。
 そしてその差し出されたものを受け取るということは、相手とそれを「共有」しているという意識であり、そこから文明社会の「所有=私有財産」という意識になってゆくことにも、それなりに長い歴史の時間を必要としたはずです。
私有財産」とは、先験的に自分のもとに存在しているものではなく、他者から差し出されたものであり、まあお金で買ったものです。自分がきらきら光る石ころや貝殻の「貨幣」をそこに差し出したのに対して、相手が衣食住のための「物」を差し出してくれば、それは相手にとって不要になったものであり、そのときはじめてそれが「共有」のものではなく「私有」のものになる。
「貨幣」と「物」との交換が生まれたことによって、はじめて「所有=私有財産」という意識が芽生え、そののちに「物々交換」が起こってきた。


 人と人がときめき合うことは、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」を確保し合うことです。「一心同体=共生関係」になることではない。たがいの身体のあいだに「空間=すきま」を確保し合う行為として「捧げもの=贈与」をするという関係が生まれてきた。
 では、この世でもっとも本質的にたがいの身体のあいだに「空間=すきま」が確保されている他者とは誰かといえば、それは「死者」です。その「死と生」というどうしようもない「空間=すきま」を挟んで人は死者にときめいてゆく。
 人は、死者に捧げものをせずにいられない。そうやって「埋葬」という儀礼が生まれ、捧げものとしての副葬品を添える習俗をいまだに続けている。
 ネアンデルタール人が埋葬に花を添えていたという説は、置換説の研究者たちから「それは嘘だ」という反論が盛んになされているが、それはありうることなのです。ロシアのスンギールのクロマニヨン人による埋葬の遺跡には無数のビーズの玉が副葬品として添えられているが、そんな習俗が生まれてくるためには、その前段階の習俗があるはずで、それが花を添えることだったのであれば、ちゃんとつじつまが合う。「死者の尊厳」として、何か死者の姿を飾りたてずにいられなかった。それはもう、起源の衝動であると同時に、現代でも行われている究極の衝動でもある。墓標を立てることだって、死者の尊厳を思い死者の姿を飾りたてる行為というか、死者の尊厳に対する「捧げもの」です。
 起源としての死者を埋葬することは、死者とのあいだのどうしようもない「空間=すきま」を思いながら、深く死者にときめいてゆく体験だった。そのとき原初の人類は、そうやって死者と向き合っていたかった。それは、死者に深くときめいてゆくという体験だった。そのときめきの形見として、人は死者の姿に花を添える。それは、とても原始的な行為のはずで、文明的な高度な観念によるのではない。幼い子供にだって死者の姿に花を添えようとする思いは浮かんでくる。彼らは、花でままごとをする。花は彼らの心の華やぎの形見であるらしい。その「花を添える」という行為に、文明的な知能や観念がどうのこうのといったってしょうがない。それは、人類のきわめて原初的な衝動のはずです。
 そして花だろうとビーズの玉だろうと、それを死者に捧げることは、死者とのあいだの「空間=すきま」に物を置く行為であり、人の心はその「空間=すきま」においてときめいている。


 まあ、ビーズがどのようにして生まれてきたかといえば、人間はキラキラ光るものが好きだし、それはときめきの形見であると同時に、かなしみの涙の輝きをあらわすものでもあった。
 だから、埋葬にはビーズの玉がよく似合う。それは、死者に対するときめきとかなしみの形見だった。
 花を添えることが進化して、ビーズの玉を死者に捧げるようになっていった。そのスンギールの埋葬遺跡には、集落中のビーズの玉が持ち寄られたのではないかと思えるほど大量に添えられてあった。
 そのときそれを大量に所有している身分の高いものがいたとか、そんな話ではない。そのビーズの玉で物を買ったりすることができるのなら、そこまで無駄なことはしない。もしそうなら、それはそのまま集団の運営能力の衰弱を意味する。原始時代の集団は基本的に自給自足であり、物々交換もそれを貨幣にして物を買うということもしなかった。ただもう、誰もがそれを精魂込めてつくり上げ、大切にしていただけの物であったはずです。象牙や石を削ってビーズの玉をつくることは、とても手間暇のかかる作業だった。そしてそれで何が買えるわけでもないが、それでもそれを作らずにいられなかった。それほどに大切なものだったが、死者に対しては惜しげもなくそれを捧げていった。それほどに死者に対する哀惜の思いが深かった。
 それは、死者に捧げるものであることによって、さらに愛着の深いものになっていった。生き延びるための食い物よりももっと大切なものだった。まあ、そうやってのちの時代にそれが貨幣になっていった。何かをプレゼントされたことの感謝(ときめき)の形見としてそれを捧げていった。
 それは、たがいの身体のあいだの「空間=すきま」に置かれた(捧げられた)ものであり、同時に他者に対するときめきの形見でもあった。原初においては、「交換」したのではなく、一方的に捧げられたものだった。だからこそ、のちの時代にそれが「価値」になっていった。 
「死者の尊厳」が、それに「価値」をもたらした。
「生き延びようとする欲望」がそれに「価値」をもたらしたのではない。
 ビーズの玉なんか、生き延びるためになんの役にも立たない。それでもそれが「貨幣」としての「価値」になっていった。人類はもともと生き延びようと欲望とともに価値意識を持つようになっていったのではない。原初の人類に生き延びようとする欲望などなかった。「この生=自分」を忘れた世界や他者に対する「ときめき」があっただけです。その「もう死んでもいい」という無意識の感慨から価値意識が生まれてきた。
 現代においても、この社会でもっとも価値がある物として流通しているのは金銀宝石などのきらきら光るもので、生き延びようとする欲望が衣食住とは何の関係もないそれらに価値をもたらすことは論理的にありえない。
「価値」は、この生からはぐれていったところから生まれてくる。原始人はそうやってひとつの「小さな死」としてきらきら光るビーズの玉に愛着していった。そして、さらに本格的この生からはぐれていった死者の尊厳が、それに価値をもたらした。
原始人のそのビーズの玉は、すでに「貨幣」だった。ただそれは、物を買うためのものではなく、他者=死者に対する「捧げもの」だった。
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