人間だって生き物である。
人間の行動だって、生き物としての本能に規定されている部分も多い。
人間の歴史は、住みにくいところ住みにくいところへと移動してゆきながら、地球の隅々まで拡散していった。
チンパンジーは、そんな物好きなことはしない。
では、人間の生き物しての本能は壊れているのか。
そうじゃない。
生き物は、ぎりぎりの状態で環境と調和して生きている。
しかし人間は、楽して生きることのできる文明を持ってしまった。
だからこそ、生き物としての条件で生きようとして、より過酷な環境へと移動していった。過酷な環境に立って、はじめて生き物としての条件に身を置くことができる。
人間は文明を生み出してしまう生き物だから、いったん生きられないほどの環境の中に身を置き、そこから文明を生み出しながら環境と調和できるレベルにたどり着いてゆく。
そのようにしてネアンデルタール人は、氷河期の北ヨーロッパに住み着いていった。
人間だって生き物としての条件の中でしか生きられないから、そういうより過酷な環境へと移動して住み着いてゆくという行動になっていったのだろう。
生き物だから、ぎりぎりの状態の中に身を置かないと生きた心地がしないのだ。つまり、そういう状態の中でこそ、生きてあることのカタルシスを汲み上げることができる。
人間だって自然から離れては生きられないし、生きた心地は得られない。
よくいう「人間は本能が壊れた生き物である」だなんて、あんなものは大嘘で、不自然な文明を持ってもなお本能に沿って生きようとするのが人間であり、生きた心地はそこにしかない。
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ホモ・サピエンスの遺伝子の有利なところは、ゆっくり成長して長生きするネオテニー幼形成熟)の性格にあるといわれている。
べつにほかの人類より知能が進化していたわけではない。「集団的置換説」の人類学者がそう言いたがるのは、ホモ・サピエンスの大集団がすべての先住民を凌駕し地球上を覆い尽くした、という前提でものを考えているからだ。
彼らはすぐに、ヨーロッパのクロマニヨンの知能がネアンデルタールよりも進化していたことはそれはそのままアフリカのホモ・サピエンスの知能の方が進化していた証拠だ、と言いだすのだが、クロマニヨンは、アフリカのホモ・サピエンスではない。ネアンデルタール人が進化してクロマニヨン人になっただけだから、クロマニヨンの方が進化しているのは当たり前なのだ。
ただもう、その長生きするネオテニーの遺伝子を持った女がひとりでも群れの中にまぎれこんでしまえば、いずれ群れのすべてがその遺伝子のキャリアになってしまう、というだけのこと。そのようにして世界中の人類がホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアになっていった。
そういう有利な性格の遺伝子を、アフリカのホモ・サピエンスはおよそ15万年前のあるときに持ってしまった。
ホモ・サピエンスという人種があるとき忽然と現れた、というわけではない。アフリカ人の遺伝子がだんだんそういう性格になっていったというだけのこと。
氷河期のアフリカは、1年中気温が20度前後のとても暮らしやすい温暖な気候になっていたらしい。そこで彼らはわが世の春を謳歌していったかといえばそうでもなく、その環境に合わせて体質もだんだん虚弱になっていった。虚弱でも生きてゆけるのなら、どんどん虚弱になってゆく。生き物の体は、環境に対して余裕を持った状態であることは決してできない。自然にぎりぎりの状態になっていってしまう。
虚弱な体でも生きていられるから、子供はなかなか成体にならなかった。そうやって「ゆっくり成長して長生きする」というネオテニーの体質ができていった。
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それに対して氷河期の北ヨーロッパという過酷な環境を生き抜いてきたネアンデルタールは、「早く成長して早く老化してしまう」という体質になっていた。
人間は、隣り合った集落どうしで女を交換するという習性を、直立二足歩行をはじめたときからすでに持っていた。いや、猿のときからそうだったともいえる。そのために、長いあいだには、人類の生息域すべてで血が混じり合ってしまう。有利な遺伝子は、いずれ端から端まで伝播してゆくことになる。
人類が熱帯から温帯域に生息しているかぎり、この法則は生き続ける。
しかし、50万年前にネアンデルタールの祖先たちが氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったころになると、北の端と南ではもう血が混じり合わなくなっていった。
南の「ゆっくり成長してゆく」という形質の赤ん坊はもう、北の地では生き残ることができなかった。
そのようにして50万年前以降、ネアンデルタール系の北の遺伝子とホモ・サピエンス系の南の遺伝子は混じり合わなくなり、それぞれ別々の進化の道をたどることになった。これは、遺伝子学のデータにも表れている。
ただ、両者の中間の地域では盛んに混じり合っていた。これも、考古学の骨格標本が証明している。
氷河期は北の遺伝子が有利になり、温暖期には南の遺伝子が優勢になる。
ゆっくり成長するという南の遺伝子の乳幼児でも生き残ることができるのなら、そのぶん長生きするのだからやがては南の遺伝子のキャリアばかりになってしまう。しかし50〜5万年前のネアンデルタールとその祖先たちのころは、温暖期でも南の遺伝子のキャリアの子供が北の地で生き残ることはなかった。
そして南の遺伝子はどんどん虚弱になっていったのだから、温暖期でも南の遺伝子の子供が生き残ることのできる北限はしだいに下がってゆき、20万年前ころになると、温暖期でも南の遺伝子がヨーロッパ大陸まで伝播してゆくことはなくなっていた。こうして、アフリカのホモ・サピエンスとヨーロッパのネアンデルタールの分化がより際立っていった。
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で、ネアンデルタールホモ・サピエンスは別の「種」だから交雑しても子供は生まれなかっただろう、というようなことを言う人類学者まであらわれてきた。この国にもたくさんいた。そういう連中は、今どんな顔をして学者づらしているのだろう。
僕はアカデミズムの世界というのはまったく知らないのだけれど、べつにみんながそう言っているのだからそう言っただけだ、と涼しい顔しているんだろうね。いやまあそれでもいいのだけれど、しかし彼らの思考力や想像力がいかに薄っぺらで、いかにえげつない差別意識の持ち主かということだけはすでに証明された。
同じ人間なのだもの、子供が生まれないはずなんかないさ。そして生まれた子供は奇形でもなんでもないけど、ホモ・サピエンスの子供が北ヨーロッパで生き残る体力はなかった、というだけのこと。
原始時代の人間はそれほど環境に影響されていた、というだけのこと。
おまえらの脳みそがそれだけ薄っぺらだったということ。文句があったら言ってこいよ。いくらでも相手になってやる。僕のようなど素人ひとりやっつけることもできないで集団的置換説を主張しようなんて、ちょっと厚かましいんじゃないの。あなたたちにインテリとしてのプライドと誠意があるのなら、僕みたいなど素人にアホ呼ばわりされて知らんぷりしているわけにもいかないだろう。
いずれは遺伝子学のデータも、「ヨーロッパに上陸していったホモ・サピエンスなどひとりもいない」というところに行き着くことだろう。それまではおまえらみたいな低脳が集団的置換説を振り回してのさばり続けることができるってか、けっこうな世の中だこと。
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とにかくアフリカのホモ・サピエンスネオテニーの遺伝子は、地球上でもっとも「ゆっくり成長して長生きできる」遺伝子になっていた。
それは、「進化の袋小路に入ってしまった」ことだといわれていたりする。
そうかもしれない。そのときアフリカのホモ・サピエンスは、氷河期の赤道直下という地球上でもっとも生きやすい環境でしか生きられない体質になってしまっていた。
そういう進化は、300万年前ころから徐々に起こりはじめていた。人間的な文明を持ったことによって、体が大きくなり知能が発達して楽に生きられるようになったからだ。しかし、それに合わせて、体の機能は退化していった。それが、「ネオテニー」の体質である。
そしてそういう遺伝子をまだ持っていない人類が、200万年前にアフリカを出て北の住みにくいところ住みにくいところへと移動していったのだ。住みやすいところでは、「文明という余剰」を活用することができない。べつにアフリカの人口が飽和状態になったからというわけではない。
言いかえれば、住みやすいところでは「文明という余剰」は生まれてこない、ということだ。
7万年前以降は、氷河期である。赤道直下のホモ・サピエンスネオテニーの形質は、さらに特化していったことだろう。
つまり、そのころアフリカのホモ・サピエンスの文明は停滞し、アフリカ以外の土地で暮らすことのできる体質もすでに失ってしまっていた。
だから、アフリカ北部から西アジアあたりまでネアンデルタールの体質になっていた。ヨーロッパのネアンデルタールがそのあたりまで進出してきていたというわけではない。ヨーロッパにはヨーロッパのネアンデルタールがいた。ネアンデルタールの遺伝子が伝播してきていたということであり、ネアンデルタールの体質でなければ生きていられなかった、ということだ。
それほどに赤道直下のホモ・サピエンスは、進化の袋小路に迷い込んでいた。
7万年前までは、ヨーロッパに負けないアフリカの文化があった。しかしそれ以後停滞していったのは、住みよくなって、文明を工夫してゆく必要がなかったからだろう。そして住みよいのなら、よその土地に移住してゆこうとする衝動は生まれてこないし、よその土地で生きてゆける体質もすでに失っていた。
アフリカには、近代に入ってもまだそのころの石器時代のままで暮らしている部族がたくさんいた。だから、欧米人の奴隷狩りに会わねばならなかった。
彼らにはもう、それ以後自力で文明を進化させてゆく力がなかった。住みにくかったからではない。住みやすかったから、そんな必要もなかったからだ。氷河期の赤道直下ほど住みやすいところはない。
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それに対して同じころ、北ヨーロッパネアンデルタールは、絶滅の危機にあえいでいた。
しかしだからこそ彼らは、次のクロマニヨンのステージへと着々と文化文明を進化させていっていた。それはもう、考古学の発掘調査でいくらでも出てきているはずだし、これからもっと確かになってくるだろう。
たとえば、現在クロマニヨン人と呼ばれている人種の骨は、3万3千年前以降のものしか出てきていない。しかし「オーリニャック文化」と呼ばれる新しい石器は、4万3千年前の地層から出てきている。そういう人骨は出てこないが石器だけが出てくる遺跡はすべてクロマニヨンのものだということになっている。もしこの石器がなければ、クロマニヨンが4万3千年前からヨーロッパにいたという証拠などないのであり、この石器がクロマニヨンのものだという証拠もないのである。
そして、4万3千年前から3万3千年前までのネアンデルタールの人骨はいくらでも出てきており、そこから同じ新しい石器も出てきているのだが、これは「シャテルペロン文化」といって「オーリニャック文化」とは区別している。しかもそれは、クロマニヨンのまねをしたのだろう、と言われている。
こんなアンフェアな説の立て方もないだろう。
普通にフェアに考えるなら、オーリニャック文化の石器もすべてネアンデルタールのものだということに落ち着いてしかるべきではないのか。さしあたって、そうとしか言いようがないではないか。
それがクロマニヨンのものだというのなら、それらの遺跡からクロマニヨンの骨が出てきてからにしてくれ。
また彼らは、ネアンデルタールかクロマニヨンかよくわからない紛らわしい骨は、すべてクロマニヨンにしてしまっている。
そういう紛らわしい骨が出てくるということ自体、ネアンデルタール人クロマニヨン人になっていったということの証拠ではないのか。
また、3万8千年前の洞窟壁画も見つかっているのだが、それも彼らはやっぱり平気でクロマニヨン人のものだと決めつけている。しかしその時代の骨はネアンデルタール人のものしか出てきていないのだから、ネアンデルタール人のものだということにするしかないはずである。
どうしてこんなアンフェアなことを平気でするのだろう。客観的な論理の道筋を大切にする理科系の世界なら、絶対通用しないに違いない。
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7万年前以降のアフリカのホモ・サピエンスネオテニーの形質を持っていたということは、彼らが北ヨーロッパに行っても生きてゆける体質ではなかったことを意味する。
その遺伝子は、ネアンデルタールの体の中に取り込んではじめて可能になった。
5万年前から2万5千年前ころまでは、寒さが少し緩んだ時期だった。もちろんそれでもアフリカのホモ・サピエンスは、ヨーロッパはおろか西アジアでも生きてゆくことはできなかった。西アジアから出土するそのころの骨も、すべてネアンデルタールの形質のものばかりである。
そのころアフリカを出ていったアフリカの純粋ホモ・サピエンスなどひとりもいない。彼らがアフリカを出てゆくことは不可能だったのだ。
文明が発達した現在なら、だれもが世界中のどこにでも住み着いてゆくことができるが、原始時代をそういう物差しで測るべきではない。
生き物は、環境と結び付いて環境に生かされて存在している。原始時代はまだそのレベルだったのであり、誰もが、環境=土地との密接な関係の中で生きていた。とくにアフリカのホモ・サピエンスは、文化的にも体質的にも、よその土地で生きてゆけるような人種ではなかったのだ。
赤道直下のアフリカの氷河期は、とても暮らしやすい。彼らは、何度かの氷河期を体験したことによって、すっかりやわな体質になってしまっていた。そうして7万年前以降の氷河期の暮らしやすさによって、文化的な進化も停滞していた。したがって、5万年前にアフリカを出てゆく余力などなかった。その住みやすいアフリカで暮らすので精いっぱいだったのだ。
原始時代に余力を持って生きている人類などどこにもいなかった。それが、生き物の自然であり、人間だって例外ではなかった。われわれはまず、そこから考えはじめる。
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