ゲノム遺伝子のこと・ネアンデルタール人論245

ネアンデルタール人は私たちと交配した(スヴァンテ・ペーポ著・文芸春秋)』という本の感想をちょっと書いておこうと思います。
ネアンデルタール人のゲノム遺伝子の解読に成功した人の苦労話が書いてある本で、僕はべつに科学者でもなんでもないからそんな苦労話などどうでもいいのだが、とにかくその研究成果はノーベル賞級のものであるらしい。
それによると、現在のアフリカ以外の人類の遺伝子のすべてにネアンデルタール人の遺伝子が混じっている、そしてアフリカ中央部以南のアフリカ人にはネアンデルタール人の遺伝子が混じっていない、ということなのだが、しかしねえ、だからといってそうかんたんに「ネアンデルタール人は現生人類と交配した」と結論付けられても困るわけですよ。
彼らのいう「現生人類」とは4〜3万年前にアフリカを出発してヨーロッパに移住していった人類すなわちクロマニヨン人のことで、それによってネアンデルタール人は滅び、その「現生人類=クロマニヨン人」の中にネアンデルタール人の遺伝子が残された、といっているわけです。
4〜3万年前のアフリカ人が大集団でヨーロッパに移住していっただなんて、三流の劇画や中学生の昼休みの雑談じゃあるまいし、どうしてそんな幼稚でそらぞらしい物語が成り立つのか、僕にはさっぱりわからない。
アフリカ人はけっして大集団を組織できる民族でも拡散してゆく生態を持った民族でもないということは現在の状況証拠としてちゃんと残っていることであり、そんなことができるのなら、その後の歴史において世界の文明から取り残されるということはない。
この遺伝子研究のデータそのものは画期的で素晴らしい達成であるのだろうが、このデータに対する歴史解釈は、どうしようもなく幼稚で陳腐だ。ようするに彼らは、ヨーロッパに移住していったアフリカ人があちこちでネアンデルタール人と交配していった結果だ、といっているわけです。
しかし、そうじゃないのですよ。状況証拠としては、そのころヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいないということを意味している。ネアンデルタール人の生息域の南端の北アフリカか中東に一人のアフリカ人(=ホモ・サピエンス)の女が紛れ込み、その遺伝子だけがネアンデルタール人の集落から集落へと手渡されながらヨーロッパ中に広がっていっただけなのだ。その遺伝子は遺伝力が強く長生きできる特性を持っているのなら、1万年もあればヨーロッパ中のネアンデルタール人のすべてがその遺伝子のキャリアになってしまう。
もしもそのときホモ・サピエンスの集団のほうが優勢であるのなら、ネアンデルタール人の男がホモ・サピエンスの女とセックスするチャンスはない。しかしその遺伝子データには、ネアンデルタール人の男がホモ・サピエンスの女と交配していたという結果が出ているらしい。そうでないと、ネアンデルタール人の集団で女親からしか伝わらないミトコンドリア遺伝子がホモ・サピエンス化してゆくということは起きない。ホモ。サピエンスの男がネアンデルタール人の女とやりまくりはらませていたのなら、ミトコンドリア遺伝子はどんどんネアンデルタール人化してゆくし、ネアンデルタール人が滅ぼされるほど劣勢であったのなら、そんなことが起きるはずがない。江戸時代の農民の女が武士や貴族の男からはらませられるということはあっても、農民の男たちが武士や貴族の女とやりまくってはらませていたということなどありえないだろう。それと同じことだ。

とにかくこの研究成果は画期的だと大いに称賛されたわけだが、とうぜん「多地域進化説」の古人類学者たちが納得するはずもない。そのデータそのものに異論はなくても、そのデータに対する歴史解釈は、まったく幼稚で陳腐なのだ。
そんな「多地域進化説」のひとりであるエリック・トリンカウスはこういっている。

「この論文の著者の多くは学識に欠け、化石データや、現存する人間の多様性を理解しておらず、人間の進化上の変化を行動学的、考古学的に見ることができていない。この論文は複雑極まりない、はなはだ費用のかかる分析の結果であり、現生人類の起源とネアンデルタール人に関する研究をほとんど前進させることなく、むしろ後退させたといわざるを得ない」

その通りだと思う。人間の歴史に対する思考がなっていない。中学生の雑談レベルなのだ。
いっちゃなんだけど僕は、「アフリカ以外の人類はすべてネアンデルタール人の血が混じっており、純粋なホモ・サピエンスはアフリカにしかいない」ということくらい、10年前からこのブログでいってきた。現在の状況証拠から見ればそう考えるしかないのであり、目新しい仮説だとはぜんぜん思っていない。そんなことくらい、わかっていたさ。そんなことよりも彼らは、「アフリカには純粋なホモ・サピエンスが残っている」ということが何を意味するかということを、どうしてちゃんと考えようとしないのか。それは、アフリカ人がいかに混血したがらないか、いかに拡散したがらない民族であるかということを意味しているのだ。そうやってアフリカでは、すらりとした高身長のマサイ族とか低身長のピグミーとか尻の大きなホッテントットとかチョコレートブラックのスーダン人とか、さまざまな形質に分かれていったし、ひとつの国でも部族どうしでまるで言葉が通じないということにもなっている。それに対してヨーロッパのネアンデルタール人は、すべての地域で同じような石器を使い、同じような生態の文化になっていた。彼らこそ混血したがり拡散したがる民族だったのであり、そういうネアンデルタール人の伝統は、現在のヨーロッパ人にも残っている。

とにかくわれわれは、ネアンデルタール人の伝統を引き継いでいるのだ。現在の人類の文化の基礎は4万年前のアフリカ人ではなくネアンデルタール人のところにある、という状況証拠はいくらでも挙げることができる。
4万年前のアフリカ人が現在の人類文化の基礎をつくったというのなら、なぜ現在のアフリカが文明の歴史から置き去りにされねばならないのか。もしそうなら、その後の人類の歴史はアフリカにリードされて歩んでこなければつじつまが合わない。けっきょくのところヨーロッパによってリードされてきたということは、ヨーロッパ人がネアンデルタール人の末裔だったことを意味する。
多くの人類学者たちは、4万年前はアフリカ人のほうが知能が高かったというが、知能などいうものは、4万年前だろうと現在だろうと世界中どこでもたいして変わりはないのだ。
アフリカ人のほうが繊細で高度な石器をつくっていたなどというが、そんな石器はネアンデルタール人だってすでに20万年からつくっていたのであり、ただ彼らの暮らしの流儀にそぐわなかったからそんな流行もすぐに廃れてしまった、というだけのこと。
また、アフリカ人は植物と動物の両方をバランスよく食べていたから知能が高く、ネアンデルタール人はほとんど動物の肉ばかり食べていたから知能が低かったなどというが、現在の北極近くのエスキモーと同じような条件で暮らしていたのだもの、植物なんか食べたくても食べられなかっただけのことさ。そこには、木の実がなる広葉樹などほとんどなかったのだ。
まあ知能というなら、この生やこの世界に対する感じ方は、生きられない極北の地で暮らしているものたちのほうがずっと豊かでなやましく狂おしいものであったに違いない。そして集団で狩りをする文化はネアンデルタール人のほうが発達していたという考古学の証拠もあるし、現在のアフリカには集団で狩りをするという伝統文化はない。4万年前のアフリカ人が、現在の家族的小集団で暮らしているブッシュマンよりも優れて集団的であったというはずがない。
とにかくその後の人類の歴史に照らし合わせて考えるなら、4万年前のアフリカのホモ・サピエンスは同時代のヨーロッパのネアンデルタール人よりも知能も集団性も拡散性も発達していたという状況証拠などどこにも残っていない。発達していたのなら、アフリカ人がその後の文明の歴史に乗り遅れるということはありえない。

ネアンデルタール人だって、最初からホモ・サピエンスと同じ遺伝子をたくさん持っていた。少し違う部分があったというだけのこと。同じ人間なのだもの、とうぜんだろう。ネアンデルタール人だってホモ・サピエンスだった、ともいえる。
50〜30万年前までは、アフリカのホモ・サピエンスの祖先もヨーロッパのネアンデルタール人の祖先も同じ遺伝子のキャリアだった。つまりそれまでは、アフリカの遺伝子が北ヨーロッパに伝播してゆくことも逆の場合も可能だったということを意味する。しかしそれ以後、アフリカの遺伝子が北ヨーロッパに伝播していっても、その遺伝子のキャリアでは生きられなかった。それは、人類が猿のような体毛を失ったということもそのひとつとしてあるのかもしれない。そしてそのとき北ヨーロッパでは、早く成長して体毛がなくてもなんとか生き残れるような体質になっていたが、ゆっくり成長してゆくアフリカの体質ではもはや生き残れなかった。アフリカではアフリカでしか生きられないような体質や生態の文化に特化していって「ホモ・サピエンス」が登場し、北ヨーロッパでは北ヨーロッパでもなんとか生き残れるような体質や生態の文化に特化していって「ネアンデルタール人」が登場してきた。こうなったらもう、アフリカの血と北ヨーロッパの血が混じり合うことはない。しかし4〜3万年前ころになると、生態の文化が発達し、ネアンデルタール人がアフリカのホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアになってもなんとか北ヨーロッパで生き残ってゆけるようになった。そうして氷河期の気候が一時的に緩んだ間氷期に、一気にホモ・サピエンスの遺伝子が北ヨーロッパに広まっていった。なにしろゆっくり成長してゆくホモ・サピエンスの遺伝子を持つと、それだけ長生きできるのだ。とはいえ今でもヨーロッパ人は、早く成長して早く老化する体質が残っている。それは、ネアンデルタール人の遺産にほかならない。アフリカ人の体質がまさっているのなら、そんな体質はすっかり消えているだろうし、消えていたら2〜1万年前の最後の厳しい氷河期は生き残れなかった。
ネアンデルタール人がアフリカのホモ・サピエンスの遺伝子を取り込んだだけなのだ。

これもこの本に書いてあったことなのだが……。
最近、シベリアあたりで発見された数万年前の人類の骨からゲノム遺伝子を調べたところ、ネアンデルタール人ともホモサピエンスとも違うという結果が出た。100〜60万年前くらいにネアンデルタール人と分岐していったとかで、ひとまず「デニソワ人」と呼ばれている。そしてこの人種は、不思議なことに同時代の遠く離れた南アジアのメラネシア人と一部の遺伝子が共通しているのだとか。そうすると、この本の著者のような遺伝子学者たちはすぐ、「両者は交配していたのか」とか、「どちらかがどちらかの地に移住していったのか」というような物語で考えたがるのだが、おそらくそんなことはありえない。
シベリアからそんなところまで移動して行こうとしても、千年二千年単位のことなら、ほとんど全員が途中のどこかの地域にまぎれ込んでゆくに決まっているし、集団および遺伝子の固有性を保ったまま何百年も何千年も移動し続けるなんて、あるはずがない。
まあ僕に考えられることは、たとえば、どちらもひどく寿命が短く、そのリミットが彼らの遺伝子の特殊なかたちを決定していたのかもしれないとか、そのようなことだ。どちらもそれくらい生存環境が厳しかったし、寿命を伸ばせるだけの文化も未発達だったのかもしれない。
その社会の平均寿命は文化の発達によっても伸ばせるわけだが、周辺社会との交流がなければ文化は発達しない。デニソワ人は厳しい寒さに閉じ込められ、メラネシア人は島に閉じ込められて孤立していた。そしてそのころ、シベリアまで移住してくる人間はほとんどいなかったし、メラネシアの島々もまたしかり、そうやって人が出てゆくことも入ってくることもないまま遺伝子が特殊化していったのではないだろうか。
アフリカのサバンナの民だって、どの部族も同じような生存条件だったから同じ「ホモ・サピエンス」の遺伝子になっていったが、周辺社会と交わりたがらない生態のためにそれぞれひどく身体形質が違ってゆき、さらには文化の発達が遅れてその後の文明の歴史から置き去りにされていった。アフリカ人を差別するつもりもないが、4〜3万年前のアフリカ人がとびぬけた知能を持っていたなんて、ただの幻想だ。この本の著者にしても、「ホモ・サピエンスの遺伝子は人類史上画期的な遺伝子だったから4〜3万年前のアフリカ人がヨーロッパを席巻することができた」といってみたり、科学者ぶって「遺伝子で知能が決定されるわけではない」といってみたり、妙にちぐはぐなところがある。
そのゲノム遺伝子の解析データは、4〜3万年前のアフリカ人が何百年も何千年も民族の純血を保ったまま移動していって、ヨーロッパに乗り込んだとたんにネアンデルタール人と交配しまくったという、そんな途方もないシナリオを描かないと成り立たないのか?そのときネアンデルタール人ホモ・サピエンス化してゆく現象は、南から北へ、東から西へと津波が押し寄せるように順番に起きていったのではないのですよ。むしろ逆に、北から南に向かって変異していった。ホモ・サピエンス化がいちばん最後になったのは、ヨーロッパの入り口であるバルカン半島や中東あたりだった。そこのところをどう説明するのか。科学者なら、「集団的置換説」というそんな愚劣な前提はひとまず白紙にして考えてみなさいよ。そのデータが純粋に意味するところは、「交配した」というようなことではないはずだ。
つまり、50〜30万年前まではアフリカ人とヨーロッパ人が同じ人種で、アフリカ人がその後にホモ・サピエンスになってゆくことができたのなら、ヨーロッパ人だってホモ・サピエンスになってゆく可能性は持っていたに違いない。デニソワ人とメラネシア人が同じ遺伝子のキャリアになっていったのは、「交配した」のでも「移住していった」のでもない。それぞれの生存条件のなりゆきで、それぞれが独自に「そうなっていった」だけなのだ。もともと同じ人間なのだから、そうなってゆく可能性はどちらにもあったのではないだろうか。遺伝子の変異というのは、どの人種にもいつの時代にも起きている。その変異が、残ってゆくか淘汰されてゆくかの「なりゆき」によって、分岐したり同じになったりしてゆく。
遺伝子のデータというのは、人類史のそういう玄妙な「なりゆき」を証明できるものであってほしい。くだらない「物語」にうつつを抜かしていていいはずがないではないか。