とりあえずテキストは、中西進氏の『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮文庫)です。
言葉は、共同体が存在しない時代に生まれた。それは、共同体など必要としない時代だった、ということです
言葉は、共同体を必要としない心の動きから生まれてきた。とくにやまとことばは、そういう成り立ち方をしている。
そうして、そんな共同体を必要としない心の動きを封じ込めるようにして、文字とともに共同体がつくられていった。
現代社会や共同体の論理で語源を類推してしまうことは避けなければならない。そういう現代人としての自分のカードをいったん捨てて古代人の心の動きに推参してゆくことによって、初めて語源のかたちが見えてくる。そこのところの態度において、中西氏の解釈では、まだまだ不満です。語源のところまで届いていない、と思う。
古代人の心は素朴であるとか、やまとことばは美しいとか、そういう価値意識は、いったん捨てるべきだ。そういう価値意識は、共同体の論理だ。社会的な地位のある人は、どこかしら共同体のスポークスマンになってしまっている部分がある。そこが、彼らの語源解釈の限界だと思う。
やまとことばが美しかろうと美しくなかろうと、そんなことはどうでもいいのです。この日本列島において、ことばはどのようにして生まれてきたか、われわれが知りたいのはそのことです。
ことばは、共同体(国家)が存在しないところで生まれてきた。そのことの意味を、もっと切実に受け止めるべきだ。彼らは、それができていない。それではまだ語源に届いていない、といいたいのです。
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共同体の論理でやまとことばの起源を語れるはずがない。
たとえば中西氏は、古代人は「永遠」を信じていた。という。
そうだろうか。それは、共同体の発生とともに生まれてきた世界観ではないのか。
やまとことばの「とこ」は「常」という漢字を当てる。「とこよ=常世」というように。
だから、「とこ」とは「永遠」のことだといわれても、われわれは納得できない。
中西氏は、さらにそこから派生した「とこ」のかたちとして、こんな言い方もしています。
「寝る場所を<ねどこ(寝床)>といいますが、これもやはり、堅牢な場所でこそ安眠できることから、<とこ>というのではないでしょうか」
「堅牢な場所で安眠できる」ことと「永遠」とどうつながりがあるのですか。安眠することは、「永遠」を獲得することですか。だいいち、古代人は、中西氏のようにふかふかのベッドで寝ていたわけではないのですよ。縄文人なんか、土の上にござのようなものを敷いて寝ていただけでしょう。
学者というのは、あんがい安直なこじつけをしたがる人種です。
中西氏は、まず「常=永遠」という意味があって、そこから「床」ということばが生まれてきたような言い方をしているが、そんな「永遠」という概念を持つ前から「寝床」はあったでしょう。
「床(とこ)」という言葉は、「常=永遠」などという概念を持つずっと前からあったはずです。
たぶん縄文人は、その竪穴式住居の床の部分を「とこ」といっていたのだ。
そして寝るときは、ここが世界のすべてだという思いで眠りに落ちていった。男と女が抱き合って眠るのなら、なおその思いが深かったでしょう。
「と」は、「戸」の「と」、すなわち家と外の境界にあるもの。「止まる」の「と」。ここでおしまい、という気分で「と」と発声される。「山と川」というときは、区切りとしての「と」。「とっくに終わってしまった」の「と」。「疾(と)き」の「と」は、あっという間に過ぎ去ってしまうことをいう。つまり、「おしまい」ということ。
「こ」は、「ここ」の「こ」。
「とこ」の語源は、「ここが世界のすべてだ」という感慨の表出にあったのであって、「永遠」という意味ではない。
1万年前に大陸から切り離された日本列島に取り残された縄文人たちは、ここが世界のすべてだ、と思い定めて生きていた。荒海を漕ぎ渡る大きな船もない彼らにとってはもう、そうとしか思いようがなかった。日本列島の歴史はそういう世界観で始まり、それが脈々と受け継がれて、江戸時代の鎖国にもなった。
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「とこ」とは、「ここが世界のすべてだ」という感慨からこぼれ出たことばのはずです。
粗末な竪穴式住居の床の上で男と女が抱き合って眠りに落ちてゆくときの感慨です。
「家床(いえどこ)」ということばがある。「苗床(なえどこ)」などともいう。古代人は、区切られたスペースのことを、すべて「とこ」といった。集落は「ところ」で、そこから「在所」という言い方になっていった。
「とこ」という言葉は、どう考えても「ここが世界のすべてだ」「ここでおしまい」という気分からしか生まれてきようがないのです。
それを「永遠」という意味に変えてしまったのは、共同体の制度性です。それは、「とこ」ということばの本来の意味から逆立している。
縄文人弥生人に、「永遠の国」とか「永遠の命」などというイメージはなかった。それは、仏教とともに「常世(とこよ)」という言い方で大陸から入ってきたものだ。しかしたぶん「とこ」という言葉は、そのずっと前からあった。
「常=永遠」という概念が先にあっただなんて、現代人の物指しで解釈し、共同体の論理を代弁しているだけのことだ。
「とこしえ=とこすえ」とは、「とこ(=今ここ)」が永遠に続くこと。「とこ」だけで「永遠」という意味があるのなら、わざわざそんな言い方をする必要もないでしょう。「とこ」にはそんな意味などなく、「今ここ」という気分だけだったからこそ、そのあとに「しえ=すえ(末)」という言葉をくっつけたのだ。
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「はな」ということばを生み出した感慨は、心もとなさ(=は)と愛着(=な)にある。中西氏のいうように「はじまり」という意味にあるのではない。
「話(はな)す」の「はな」だって同じだ。それは、「こと」に対する感慨を共有しようとすることの心もとなさと親愛の情がともなった行為であって、「もの」の意味を伝達して説得することを第一義とする行為ではない。だから「ことば=ことのは」というのだ。
やまとことばを成り立たせているのは、世界に対して感慨をもつという「こと」の体験にあるのであって、「もの」の意味を認識する体験ではない。そこのところの英語という論理的なことばとの違いは、たしかにあるのだ。
というわけで、中西氏による共同体の論理を代弁する安直な世界観や道徳観で語源を語られても、どうしてもわれわれは納得できない。
やまとことばは、感慨(ことだま)から生まれてきたのであって、つまらない意味を付与する目的で生まれてきたのではない。意味だけでやまとことばの語源に推参することはできない。
で、「ことだま」や「ことば」の「こと」と「とこ」は同じように「ここが世界のすべてだ」という感慨をあらわすことばだが、音声の並びの順番が逆になっている。それは、「こと」が「こ=ここ」にたいする感慨が第一義になっているのに対して、「とこ」は、「と=おしまい(世界のすべてだ)」という感慨に重点が置かれているからだ。
やまとことばは、感慨の表出が第一義だから、順序立てて論理を説明するよりも、言いたいことをまず先に言って「倒置法」になってしまうことが多い。それもまあ、やまとことばならではの味わいのひとつかもしれない。「きれいだね、この花」、そんな言い方は、日本人なら誰でもよくしている。
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中西氏が解説してくれる「このように<とこ>とは、永遠の命に関わるものに付くことばです」というていどの解釈が、やまとことばの語源解釈のスタンダードになってもらっては困るのです。
共同体が生まれて人々は「永遠の命」に憧れるようになったが、共同体などなくて明日のスケジュールも持たずに「今ここ」だけを生きていた縄文人は、「永遠の命」というイメージもまた必要なかったのです。そういう共同体の論理とは逆立した心映えから、やまとことばが生まれてきた。
そんな縄文時代が8千年も続いて、日本列島における共同体の発生が大陸に比べてずいぶん遅れてしまったのは、「今ここが世界のすべてだ」という感慨を持ってしまったからだ。この寝床が、この集落が世界のすべてだ、と思ってしまったら、共同体なんか生まれようがない。そういう非共同体的な心性がやまとことばを生み、そのことばの意味作用の希薄さが、さらに共同体の発生を遅らせてしまった。
邪馬台国レベルの共同体なら、大陸ではすでにその5千年前から存在していた。
やまとことばの語源に、「永遠の命」への憧れなどない。
「とこ」の語源は、竪穴式住居の床土のこと。それだけのことだがしかし、それだけのことに、日本列島一万年の歴史に流れる世界観がひそんでいる。
日本人は、世界を小さく区切りたがる。電車の中のギャルがすっかり自分だけの世界に入り込んで化粧に熱中できるのも、「ここが世界のすべてだ」という「とこ」の感覚なのだ。