2010-01-01から1年間の記事一覧

閑話休題・小沢一郎が負けた

僕のような政治オンチが扱うべき話題ではないのだが、ひとこといっておきたいことがあるのです。 政治のことに造詣が深い人たちのいっていたことが、今回の情勢をちゃんと射当てて見せたかというと、ぜんぜんだめだった。 もちろん僕は、よくわからなかった…

鬱の時代27・やまとことばの語源・「ふける」「たび」

むかし、村田秀雄という歌手が歌って大ヒットした「王将」という歌の出だしの文句はこうだった。 「吹けば飛ぶような将棋の駒に……」 「吹けば」というのはようするに「風が吹けば」というような意味なのだろうが、この「ふけば」の「ふけ」という音韻にはそ…

鬱の時代26・歴史という環境

僕のようなのうてんきな人間が鬱のことを書く柄でもないのだけれど。 いまや世界中の人間が鬱状態だ、ともいえるらしい。 鬱の人には魅力的な人が多い。だから、鬱の人にも届く言葉を紡ぎたいという思いがあってこんなものを試みに書いている、というわけで…

鬱の時代・25・どうでもいい

僕が生きることにあまり自信がないのは、生きることを一所懸命にしないタイプの人間だからだ。 たいていのことは「どうでもいい」と思って、面倒くさくなってしまうからだ。 しかし世の中は、こういって僕を強迫してくる。生きることはかけがえのない大切な…

雑感・武道とミラーニューロン

内田先生が、例によってまた、武道の心得をとくとくと語っておられた。 武道で肝要なのはミラーニューロンのはたらきであるのだとか。 ミラーニューロンのはたらきとは、たとえば赤ちゃんがお母さんのすることをまねるときの脳のはたらきだといわれている。 …

鬱の時代・24・基礎的なことが問いたい

僕はここで、鬱病の処方箋を提出しようとしているのではないし、そんな能力ももちろんない。 ただ、この心的現象の基礎的なところを考えたかっただけだ。 あるブログで、「鬱病とは環境である」という記事と出会い、「ああそのとおりだ」と感心してしまった…

雑感・民主党の代表選挙のこと

今朝、テレビを見ていて、ちょっとむかつくことがあった。 民主党の代表選挙のことで、「ミタゾノ」とかなんとかというそのテレビ局の解説委員かなんからしいコメンテーターが、「相手に対する批判とか、ネガティブキャンペーンみたいなことは不毛だからやめ…

閑話休題・この国の教育水準

内田樹先生によれば、嘆かわしいことに、この国の住民の知性はどんどん劣化しており、教育水準も落ちる一方になっているのだとか。 だから、経済的豊かさのレベルでも、教育に力を入れて国づくりをしてきたフィンランドやシンガポールから追い抜かれようとし…

鬱の時代・24・人間の心の「消える」というコンセプト

僕だって憂鬱だ。 僕が書いているものを、「奇をてらって逆転の発想をこねくっている」といってきた人がいる。まあ、知識人の範疇に入る人だ。 つまり、世の中は赤いりんごばかりだから青いりんごをつくれば売れるかもしれない、というような戦術で書いてい…

鬱の時代23・夢を持ちなさい、だってさ。大きなお世話だ

今や「鬱」というのは時代の気分で、世代を問わない。若者も、働き盛りの中年男も更年期の主婦も、お迎えを待っている老人たちも、誰もが明日はそんなところに落ちてしまうかもしれない身だ。 「夢を持ちなさい」という。そんなふうに人生の目的をつくってし…

鬱の時代22・この生の根源

自費出版のことで横道に逸れてしまいましたが、鬱のことにもう少しこだわってみるつもりです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ けっきょく、命の価値だの人生の夢や希望だのとばかりいっている社会だから、人を鬱へと追い込んでしまうのだろうと思う。 …

自費出版のこと 2

もう一度、自費出版のことを書いておきます。 今度、幻冬舎ルネッサンス新書というところから、自費出版します。 タイトルは『なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか』。山本博通著、838円。8月末、発売。 基本的にはアマゾンでの注文頼みですが、大…

自費出版のこと

自費出版することにしました。 今週末の8月27,8日ころが、発売日です。 タイトルは、『なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか』。 著者名は、山本博通。幻冬舎ルネッサンス新書。838円 たまに大きな本屋の幻冬舎新書の棚の隅に並ぶこともあるら…

加藤君のことなど

このところ僕は、つまらないことばかりやらかしている。 このブログは、じつは「友達の輪」をつくりたくてやっているつもりだが、じっさいにはよけいなことをいっては、どんどん友達をなくしていっている。それはたぶん、秋葉原事件を起こした加藤智大君がや…

閑話休題・いつも、すぐ余計なことをいってしまう

僕はこのところ「finalvent」という博識強記の人のブログにこだわっていて、政治オンチの僕としては教えられることがたくさんあるのだが、ところどころ気に入らないところもあり、とうとうこらえきれずになって抗議のコメントを送りつけてしまった…

鬱の時代21・鬼のいる場所

「命の大切さ」などといっても、いまや行方の知れないお年寄りはたくさんいるし、子供を虐待死させる事件はあとをたたない。 それは、人間が「命の大切さ」というスローガンだけで生きている存在ではないことを意味する。そんなものは「どうでもいい」という…

鬱の時代20・育児放棄の鬱と鬼

どんな母親でも、自分の分身である子供に対して、ふと「おまえが死ぬか、私が死ぬか」と無言のうちに問うてしまう瞬間はあるのだろう。問われた子供は、そのときは何のことかはもちろんわからないのだが、その体験がどこかに「トラウマ」となって残る。現代…

鬱の時代19・あんたにはやらへん

誰かがこういっていた。 「(行方不明の老人のことばかりじゃなく)子供が親の行方を知らないという状況を少しなりとも想像してみたらいいのに」と。 しかし、そんなふうにいい人ぶって「子供がかわいそうだ」と思えばそれですむのか。それをいいうなら、「…

鬱の時代18・魔物のことだま

あの育児放棄事件に対して、大阪の一部の人には、「自分たちの町がこういうことをさせてしまった」という思いがあるらしい。 そういう思いで事件現場に花や「コアラのマーチ」を置いてきた若い母親もいれば、ラーメン屋の店主に百万円の札束を渡し「これで子…

鬱の時代17・四日市の女が大阪に行ったら……

大阪は幼児虐待が多い、大阪には魔物が棲んでいる、と誰かがいっていた。 べつに大阪の文化は幼児虐待の文化だというつもりはさらさらないが、もともと「たてまえ」を排した現実的なところがある文化だから、どうしてもそういう突出したかたちを生み出してし…

鬱の時代16・彼女は育児放棄(ネグレクト)せずにいられなかった

袋小路に入り込んだみたいに、またこのことを書いてしまっている。 みなさん、さっさと前に進んでゆけばいい。 こちらはもう、単純に自分の問題として、喉に小骨が刺さって取れない。 この事件に対して、この国をどうすればいいかとか、地域の助け合いをどう…

鬱の時代15・さらにもう一度「育児放棄(ネグレクト)」のこと

どうもさっぱりしないから、もう一度育児放棄にまつわることを書いておきます。 ・・・・・・・・・・・・・・ ケネディの有名な大統領就任演説の一節。 「親愛なるアメリカ市民諸君。諸君はアメリカが諸君のために何をなしうるかを問いたもうな。諸君がアメ…

鬱の時代14・育児放棄と育児を可能たらしめているもの

もう一回だけ、大阪の育児放棄(ネグレクト)事件のことを書いておきます。 「その人」は、「市民の直接性」という。 育児放棄(ネグレクト)という問題は、制度の外に立った「市民の直接性」においてその「罪責」や「倫理」が問われなければならない、と。 …

鬱の時代13・女は艱難辛苦に憑依する

先日起きた大阪の育児放棄(ネグレクト)事件に対して、ある女性のブロガー(ちきりんさん)が犯人を擁護するような記事を書いておられた。 若い無名の女がひとりで二人の小さな子を育ててゆくのはほとんど不可能で、離婚した男や、彼女を育てた父親のデフォ…

鬱の時代12・育児放棄(ネグレクト)

ゆうべNHKで、母親による幼児殺害のニュースを延々とやっていて気が重くなった……と、あるブログで語っていた。 ひとこと「気が重くなった」それだけである。そのひとことですますところに、このブログの管理人の知性と人格の高潔さがにじみ出ているらしい…

鬱の時代11・日本的な鬱

運命を受け入れる、というのは、日本的な感性であるらしい。 西洋かぶれした内田樹先生は「運命は、幸せな未来を想像しながらつくりだしてゆくものだ」といっておられる。そんなこといったって先生、明日から秋になればいい、と思ったって、そうはいかないで…

鬱の時代10・生きにくい

したがって、生きにくいことが生きてあることの基本的なかたちなのだ。 生きてあることのダイナミズムは、そこにこそある。 追いつめられてあることそれ自体を生きることができなければならない。追いつめられなくなればそれですべてが解決するというわけで…

鬱の時代9・知性の活動

人間は、存在そのものにおいて、すでに追いつめられている。 原初の人類は、群れの密集状態に追いつめられて、二本の足で立ち上がっていった。そして二本の足で立っていることは、胸・腹・性器等の急所を外にさらし、他者の視線から追いつめられている姿勢に…

鬱の時代8・若者は家族という空間を怖がっている

今どきの若者たちが結婚したがらないのは、家族をつくることを怖がっているからだろう。 べつに、金がない若者だけが結婚しないのではない。金があってもできない若者がたくさんいる。 なぜ怖がるのか。 家族の価値を教えてやれば解決するというような問題で…

鬱の時代7・優越感と劣等感

現在の戦後世代の大人たちが子供時代にぬくぬくと自意識をふくらませてくることができたのは、おそらく幾重にも幸運が重なっているのだろう。社会そのものが自我の拡大を止揚する時代だったし、親も学校もむやみな監視をして抑圧することがなかった。とくに…