雑感・民主党の代表選挙のこと

今朝、テレビを見ていて、ちょっとむかつくことがあった。
民主党の代表選挙のことで、「ミタゾノ」とかなんとかというそのテレビ局の解説委員かなんからしいコメンテーターが、「相手に対する批判とか、ネガティブキャンペーンみたいなことは不毛だからやめていただきた」みたいなことをえらそげに語っていた。
ネガティブキャンペーンのどこが悪いのか。
彼らは、命を賭けて戦っているのだぞ。
二人とも「おまえが消えるか、俺が消えるか」というところで戦っているんだぞ。
「われわれ国民のために戦っていただきたい」だって?
冗談じゃない。われわれ国民のことなんかどうでもいいじゃないか。ひとまずあの二人が命を賭けて戦っているんだ。おまえらには、それを祭り上げてやろうという気持ちはないのか。
われわれは、「われわれ国民のこと」は、あいつら政治家に任せたのだ。生きるも死ぬも、あいつらを信用するしかないじゃないか。
菅氏は、今のところ立場上公務を優先するしかないのだろうが、ほったらかしにして戦いに奔走していただきたいくらいだ。そんなことくらい、官房長官はじめ、代行できる人間はいくらでもいるだろう。
小沢氏は、国民の7割から迷惑がられ嫌われていても、この戦いを選んだ。どうせ総理大臣になってしまえば国民なんかみんな祝福してくるんだ、ということをちゃんと知っている。たぶん、そのとおりだろう。
二人とも、政治家としてせっぱつまった命がけのところで戦っているんじゃないか。応援してやろうよ。
国民生活不在がどうのなんて、そんないじましくしみったれたようなことばかりいうなよ。
国民生活なんか、あの二人がほったらかしにしたって、とりあえずまわりのみんなでちゃんとやってくれるだろう。そういう政治システムになっているはずだ。
最低限の政治家に対する信用を持つのが、国民としてのたしなみだろう。
知識人とか、たかがテレビ局の解説委員ごときのジャーナリストたちが、寄ってたかって政治家を見下したような、軽薄でえらそげなコメントばかり発している。
おまえらがそんなふうだから、国民だって図に乗り、節操をなくして、「経済の安定を」とか「国民の暮らしを守って欲しい」みたいなエゴ丸出しのことばかりいっている。
おまえらの考えるていどのことくらい政治家自身だって考えている。彼らだって、国民の暮らしを守るために政治をやっているんじゃないか。何もかもおまえらの都合のいいようにはいかない。信じて任せるしかないじゃないか。
そして日本人なら誰だって、どちらが出てこようと、最後には信じてまかせる気になってしまうのだ。
どうせそうなるのなら、今は、彼らの命がけの戦いを見守ってやればいいじゃないか。
基本的に僕は、経済の安定のことも、消費税のことも、マニフェストのことも、どうでもいいと思っている。そんなことは、この国の政治に携わっている者たちがみんなして知恵を出し合い、時代の流れ(運命)とともに決まってゆくことだと思っている。
そんなことは、心配していない。なるようになるだけだし、二十四時間どこかで誰かが働いている社会なのだもの、なんとかなるさ。菅さんも小沢さんも、大臣たちも官僚たちも、道路工事の労働者も百姓も漁師もトラックの運転手も、みんな働いている。
なるようにならなくても、僕は、文句はいわない。しょうがない、とあきらめる。
そんなことより、知識人やジャーナリストたちの、政治家に対して人を上から見下したような知ったかぶりのコメントをすることのほうが百倍もむかつく。
おまえらと違って政治家は、一寸先は闇の世界で一日一日戦って生きている。とくに菅さん小沢さんにとってのこれからの2週間はそうだろう。そのことに、少しは敬意を払えよ。おまえらみたいに、安全なところでちゃらちゃらして生きているんじゃないんだぞ。
何が「ネガティブキャンペーンはやめていただきたい」だ。
二人とも、なんでもありの死に物狂いで戦えばいいんだ。