閑話休題・いつも、すぐ余計なことをいってしまう

僕はこのところ「finalvent」という博識強記の人のブログにこだわっていて、政治オンチの僕としては教えられることがたくさんあるのだが、ところどころ気に入らないところもあり、とうとうこらえきれずになって抗議のコメントを送りつけてしまった。
それなりに遠慮しいしい書いたつもりだが、僕のことだからどうしても耳障りな書きざまになっているはずだ。
それで今、怖くて、その返信のコメントは見ていない。その人はあまり長文の返信はしない人だから、軽くいなされているか、激しく切って捨てられているかのどちらかだろう。
どっちにしても、まあ、見てもしょうがない、という思いもある。
その人は「縄文人はすでに海の向こうの朝鮮半島と海洋交易をしていた」といった。
それが、気に入らなかった。
こんなふうに書いた。ちょっと支離滅裂で、恥さらしな書きざまだ。いつものことだけど。
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縄文人は、どっこい海洋交易をしていた…と彼がいったのは嫌味だった。
たとえば、縄文時代朝鮮半島のものが能登半島に流れ着いた。そのとき、それが朝鮮半島のものだと知っている人間なんかひとりもいなかった。みんな、日本列島のどこかから流れ着いたのだろう、と思った。でも、とにかくおもしろいものだったから、自分たちもまねしてつくってみた…。
古代ギリシアの船が地中海の対岸に行くような調子で、縄文人玄界灘を渡っていったのですか。玄界灘を渡るためには、古代ギリシアの船よりももっと大きく精巧な船をつくらないと渡れないですよ。玄界灘は、瀬戸内海とは違いますよ。それにまあ、「板」の文化は、鉄器をもたないとはじまらない。
古代ギリシア人はたぶん、船が沈まないためのコールタールを知っていた。縄文人がそれを知って使いこなしていたという証拠はあるのですか。それとも、丸木舟に毛が生えたような船で玄界灘は渡れたし、渡ろうという気にかんたんになれた、ということですか。
彼らにとって「沖合い」は、船が沈んでいくところだった。そういう体験の伝統が、古事記の、海幸山幸の「わたつみのいろこのみや」という海の底の宮殿の話や、浦島太郎の龍宮城の話になっていった。
7世紀になって国家がつくられても、庶民の心の動きはまだそのレベルだった、ということです。いや、江戸時代だってたいしてちがいない。加賀の住民にとって、実感としていちばん偉いのは前田の殿様だったのであって、江戸の将軍さまではなかった。そういう、どうしようもなく狭い世界観を日本列島の住民(=常民)は、伝統的な心性として持ってしまっている。
ようするに、「世界との関係」なんて、こじつけようと思えばいくらでもこじつけられるさ、そんなものは一種の「陰謀論」なんだよ、ということです。
縄文人は海洋交易していた、なんて、われわれ庶民をバカにしたどうしようもない嫌味だと思います。
あなたたちは、あの水平線の向こうはもうひとつ別の国がある、と思うのだろうが、僕は原始人だから、あの向こうは「何もない」という思いに浸されてしまう。
日本人が失恋の痛手を癒すために海を見にくるのは、水平線を眺めながら「何もない」という「断念」の気持ちを手繰り寄せているからでしょう。
さーよなら、あなた、連絡船に乗る〜
日本列島的な「無常感」は、水平線の向こうは「何もない」と思ってしまう心の動きから来ている。この島国には、そういう「断念の文化」の伝統がある。
たとえば、「とこ」というやまとことばは、「ここが世界のすべてだ」という感慨の表出です。そういう気持ちが心に現われ、そういう気持ちに浸されてゆくことによって「とこ」という音声がこぼれ出てきた。
昔の人々はそれほどの思いをこめて「苗床」を作り、「寝床」は、男と女がそういう気持ちで抱き合う場所だし、眠りにつくときはこの畳一枚が世界のすべてだという思いで一日が完結してゆく。縄文人はたぶん、自分の家の床土のことを「とこ」といっていた。彼らがなぜそういう感慨に浸されたかといえば、水平線の向こうは「何もない」と思ってしまう民族だったからでしょう。そして江戸時代の「床屋」は、世界(世間)を語り合い、世界(世間)が凝縮している場所だったからだ。
というわけで、中西進先生のやまとことば論なんか、あほじゃないか、と思ってしまいます。どの本を読めばいいか、で問題が解決できるわけでも問題に接近できるわけでもない。そんな「陰謀論」の類の歴史書物なんか読んでも、なんの足しにもならない。ひとまず自分が古代人になって、自分の頭で考えてみるしかない。中西先生の「ひらがなでよめば…」なんたらという、あんな本読んでも、いらいらするばかりだ。
戦後のA級戦犯の被告たちがこぞって「あの戦争はもうどうしようもない<成り行き>だった」と答えたのも、自分たちの議論の場を「とこ」として、誰もがその結論をすべてとして従ってゆくしかなかった、ということでしょう。日本人は、「今ここ」を、世界のすべてだ、思ってしまう傾向がある。あの山の向こうのことも水平線の向こうのことも、つい忘れてしまう。
僕がいま、どうしてもあなたにこだわってしまうのは、日本の知識人はあなた一人しかいない、というような心地になってしまっているからです。そういう日本列島的な「狭い世界観」は、いったいどこから来ているのだろう、といつも思います。
目の前にいる「あなた」こそ人間のすべてだ、と思ってときめいてゆく心性、そういう狭い世界観から、「とこ」や「こと」ということばが生まれてきた。
世界との関係で日本列島の歴史を語ってくれるのもけっこうだけど、「あの水平線の向こうは何もない」と思い定めて生きてきたわれわれ「常民」の歴史を、あなたたち知識人はいつも平気で置き去りにしてしまう。この国の歴史は、世界との関係を知っているエリートたちによってつくられてきたのであって、おまえら庶民がつくってきたわけではない、ということですか。
嫌味だなあ、とつくづく思います。
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この人はたぶん、こういいたいのだ。みんな縄文人をただの原始人だと思っているかもしれないが、けっこう進んだ文化を持っていたのだ、と。
その思考のかたちが気に食わない。
海洋交易していりゃえらいというものでもないだろう。こういう安直な文明史観というか進歩至上主義というか、そういうレベルで先史時代の歴史を語られると僕は、ほんとにむかつくのだ。
この人たちは有能だから、この世の中は能力のある賢いやつが勝ちだという意識が心の底にあって、いつも人間や歴史をそういうものさしで裁断してくる。
べつに海洋貿易なんかしなくても、縄文人は、そんな薄っぺらなスケベ根性よりももっと深い精神文化を持っていたのであり、それが、その後の日本列島の歴史の水脈になっているのだ。
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たとえば天皇制だって、「今ここが世界のすべてだ」と思い定める文化として生まれてきたはずだ。海洋交易してりゃ文明だというような安直なことを考えているかぎり、あなたたちの語る天皇制もたかが知れている。
戦後の日本人は、天皇の罪を裁かなかった。戦勝国である欧米人はとうぜん日本人の手で裁くものと思っていたらしいのだが、裁かなかった。欧米人なら、とうぜん裁く。しかし日本人は、裁かなかった。
あの水平線の向こうは何もないという思いとともにこの日本列島が世界のすべてだと思い定めて生きてきた日本人は、いまだかつて、天皇以外の王様のことなどイメージしたことがない民族だ。
天皇に罪があるかないかというようなことは、どうでもいいのだ。天皇には罪がないと思ったから裁かなかったのではなく、われわれはただ天皇以外の王様をイメージできないのだ。
良くも悪くも、天皇が唯一であり、万世一系なのだ。
この国には、「王殺し」の文化はない。戦後の昭和天皇だって、生き延びるための亡命なんて考えたこともないだろう。そりゃあそうさ、天皇こそ誰よりも、水平線の向こうは「何もない」と思い定めて生きてきた人なのだもの。
われわれ庶民は、そういう思いを天皇と共有している。
そして、知識人や政治家ばかりが、外国との関係がどうたらこうたらという歴史を歩んできた。
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「finalvent」氏は、日本も7世紀ころにようやく国家ができたフランスやイギリスと同じようなもので、同じような外国との関係の歴史を歩んできた国だ、といっておられる。
冗談じゃない。フランスやイギリスは「王殺し」の本場じゃないか。フランス人やイギリス人は、「別の王」をイメージできた。それは、水平線や地平線の向こうにはもうひとつの別の国があると思う歴史を歩んできた民族だからだ。
フランスやイギリスは、7世紀までローマ帝国の属領にされてきた。
しかし日本列島は、それまで「中華」の属領であったのではない。あれこれの文物を輸入していても、侵略され支配されていたのではない。だから「水平線の向こうには何もない」という精神文化をつむいでくることができた。
日本列島と、フランス・イギリスとのそういう国のかたちの違いを考えなければ、天皇制のかたちも明らかにならない。
同じだなんて、よくそんな大雑把なことがいえるものだ。
ただ交易するだけの関係と、属領にされ支配されてきた関係とでは、天と地ほどの違いがある。天皇制は、この国の精神文化であるはずだ。単純に国家体制の制度の問題だけのことではない。天皇制にこだわるその人が、よく同じような国だなんていえるものだ。
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フランス・イギリスは、どこよりも外国との関係にしたたかな国だ。それに比べてこの国は、いつまでたってもそいうことに関しては、どこよりも「おぼこい」ことばかりしている。
そして、「おぼこい」からと、すぐ知識人たちは知ったかぶりしてえらそうな批判をする。この国ほど知識人たちから政治がバカにされている国もない。
政治家は、理論だけで政治をしているのではない。この島国の精神文化の上に立った「運命」に身をゆだねて政治をしている。だから、どうしても「おぼこい」こともしてしまう。
われわれは、あんなに惨めな敗戦を味わっても、まだ天皇を裁くことも、アメリカを恨むこともできないおぼこい民族なのだ。
フランスの王もイギリスの王も、外からやってきて人民を支配していった。戦争に勝って、王になったのだ。中国もしかり、王自身がよその王を殺して王になったのだから、とうぜんそういうところでは「王殺し」の文化が生まれてくる。
しかしこの国の天皇は、たぶん、どこからやってきたのでもない。弥生時代以来奈良盆地に住み着いてきた人々のあいだから自然に生まれてきた存在だ。古事記日本書紀に書かれている「神武東征」なんか、おそらく嘘っぱちで、ほかの国にならってそういうことにしておけばこちらも国の体裁が整うというだけの話だろう。
天皇は、戦争に勝って天皇になったのではない。天皇以外の王を殺して天皇になったのではない。遠い昔、民衆どうしの連帯のために、民衆自身が祭り上げて生まれてきた存在なのだ。そうでなければ、つじつまが合わないことがいくらでもある。
だからこの国には、王殺しの文化が存在しない。だから天皇は、知識人や政治家のような、政治がどうの外国との関係がどうのというようなスケベったらしいことは考えていない。ひたすら民衆との関係を思うことをその本分としている。
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まったく、この国のおぼこい政治をおちょくっていい気になっているなんて、悪趣味もいいとこだ。そういう知ったかぶりの連中がうじゃうじゃいる。
歴史とは、抗することができないわれわれの運命だ。われわれが博識強記の人に語って欲しいのはそういう「今ここ」の「運命」であって、こうすればいい、というような絵空事ではない。そんな賢い良識をいくら並べてもその通りにならない「歴史の運命」というものがある。
歴史の運命は、受け入れるしかない。大阪の育児放棄事件はけしからんとおまえらの賢い良識が裁いて見せても、そういう事件が起きてしまったことはわれわれの時代の運命であり、歴史はもう戻らないし、「なるようにしかならん」のだ。
おまえらの、その安直な進歩至上主義が、この国で生きがたい人生を生きている人たちを追いつめていることはあるんだぞ。
海洋交易してりゃえらいというものでもない。縄文人は、そんな進歩とも共同体の制度とも無縁のまったく原始的な生活をしていたのかもしれない。しかしそれでも、この国の長い歴史の基礎となる精神文化を深いところではぐくんでいたのだ。
その精神に推参することは、「海洋交易をしていた」というような安直な持ち上げ方をすることではない。
縄文人が進んで海洋交易をするようなスケベったらしい連中であったのなら、天皇制だって生まれてこなかったのだ。
明治の近代化以来失われつつあった、あの水平線の向こうは「何もない」、という精神文化がよみがえろうとしている。近ごろのギャルが「かわいい」とときめいている小さな世界観も、若者があまり車を欲しがらなくなっていることも、まあそういう縄文時代以来の歴史の水脈だろうと僕は思っている。
今ここが世界のすべてだ、目の前にいるあなたが人間のすべてだ、というときめきの文化。
気取っていわせていただくなら、およばずながら僕は、大阪の育児放棄した彼女に対して、ひとまず「あなたこそ人間のすべてだ」という思いで考えてみたわけですよ。いいとか悪いとか、そんな裁きは、あなたたち賢い人にお任せします。