やまとことばと原始言語 16・「もがり」

<承前>
内田樹先生は、「人類の葬送儀礼は<死者との対話>としてはじまった。これが人間性の基礎である」といっておられる。
死者に、いかに生きるべきか、と問うんだってさ。
しかし死者は、すでに生きることをやめてしまった人たちだから、「いかに生きるべきか」という問題など持っていない。
みじめに生きて死んでいった人も、極悪非道に生きて死んでいった人も、死んでしまえば、みんな同じ「死者」にすぎない。死者には、身分の上下も、人格の上下もない、だからこの国では「死んだらみな仏になる」という。
死の世界には、生は存在しない。だから、死者にいかに生きるべきかと問うことなど、およそナンセンスなのだ。
死者とは、死について知っている人たちであり、彼らはすでに生のことなど忘れてしまっている。われわれだって、生まれる前のことなど忘れてしまっているだろう。そんなようなことだ。
僕は、冗談をいっているのではない。
日本列島の住民にとっての死の世界は、この生との絶対的な隔絶としてイメージされている。それが、何もないただ闇が広がるだけの「黄泉の国」というイメージだ。死んだら、そういう絶対的な隔絶の世界に旅立ってゆく、と古代人は信じていた。そしてわれわれ現代人もまた、この生にまつわるものなど「何もない」世界、すなわち何もない状態になってしまうことが死だ、という意識をどこかしらで疼かせている。
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死と生の絶対的な隔絶、これが、日本列島の住民の基礎的な死生観である。
縄文時代の人々は、水平線の向こうは「何もない」と思っていた。おそらくそこから、死んだら何もない「黄泉の国」に行く、というイメージが浮かんできた。
いいかえれば、彼らが「黄泉の国」というイメージを持っていたということは、水平線の向こうは「何もない」と思っていたことを意味する。
縄文人も海の向こうの大陸と海洋交易をしていた、といっている歴史家もいるらしいが、まったくばかげている。丸木舟に毛が生えたような小舟で、いったいどのように玄界灘を渡っていったというのか。
古代人は、われわれが考えるよりもずっと海を畏れていた。彼らにとって理想郷は、水平線の向こうではなく、海の底にあった。つまり彼らにとって沖合いは、船が沈んでゆくところだった、ということだ。そうして沈んでいった人々を、きっと竜宮城のようなところに行ったのだ、と想像しながら弔ったのだ。そういうことにして、悲しんでいる生き残った人を慰めたのだ。
日本列島の文化の基礎は、あの海の向こうは「何もない」という世界観の上に成り立っている。多くはいわないが、天皇制だってそういう世界観から生まれてきたし、やまとことばがいかに大陸のことばと隔絶しているかということも、つまりはそういう地理的条件に置かれていたからだ。
であれば、葬送儀礼もまた、この生と死との隔絶をいかに深く納得してゆくかという命題のもとに生まれてきたはずである。そうでなければ、死んだら何もない「黄泉の国」に行くだけだという死生観が定着するはずがない。
地平線の向こうの異民族と交易したり戦争をしたりしていた大陸の地域からは、絶対に生まれてくるはずがない死生観である。
この「何もない」という絶対的な隔絶の川を渡ってゆく人に対する別れの悲しみと餞別(はなむけ」として、「たむけ」ということばが生まれてきた。
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「たむけ」とは、死者との別れを果たすこと。
では、古代人は、具体的に死体をどのように取り扱っていたのか。
「もがり」という習俗は、日本列島のもっとも古い葬送儀礼のひとつであるといわれている。
ひとまずこれを、縄文時代から続いてきた習俗だとしよう。
死体が腐っていって骨だけになるまでそばにおいておき、そのあとにはじめて埋葬する、という習俗である。
いったん死体を埋めておき、一年か二年たってから掘り返して骨を洗い、あらためて埋葬する、という「洗骨」の習俗はわりと最近まで残っていて、これは「もがり」の名残だろうといわれている。
ともあれ縄文人弥生人は、そのようにして死者との別れを果たしていたのだ。
死体が骨になってしまうところまで見届けないと「死者はもう戻らない」「もう対話できない」という嘆きに決着をつけることができなかったからだ。
古代の日本列島住民は、死体が腐ってゆくという過程を、具体的なイメージとして誰もが持っていた。われわれの生は、この体が腐り果てて骨だけになったところではじめて完結する、と
古事記イザナギノミコトは、死んでしまった妻のイザナミノミコトのことがどうしても忘れられず、「黄泉の国」まで追いかけてゆく。そしてそこで見たのは、腐乱してうじ虫がたかっている妻の死体だった。で、恐ろしくなって逃げ帰る。そうして泣いて泣いて泣き果てたあとに「黄泉の国」の入り口を大きな岩でふさいでしまう……これは、そのころにもまだ「もがり」の習俗が残っていたことを意味する、といわれている。
日本列島で火葬をするようになったのは、奈良時代以降のことだ。
古代人は、「死者と対話をする」などというのんきなことをやっていたわけではないのである。対話ができないことをきちんと確かめずにいられないくらい、その別れを深く嘆いていたのだ。
それは、彼らにとって今ここで他者と交わす「音声」がどれほど切実なものであったか、ということでもある。「ことだま」は、今ここで語り合う「音声」にやどっているのであって、死者の霊魂にやどっているのではない。
今ここのこの生が切実なものだったからこそ、死体にうじ虫がたかってゆくのを確かめずにいられなかったのだ。それは、究極のリアルな死の取り扱い方にちがいない。
「死者と対話する」なんて、この生も死もリアルにとらえることができないやつの考えることだ。だから、インポになっちまうのだ。
日本列島の住民は、伝統的に死体と一緒に暮らすということにわりと平気なところがある。だから現在でも、押入れに置きっぱなしにして隠しておく、という事件がときどき起こるし、江戸時代の農民は、間引きした子供の死体を家の床下に埋めておいた。
それは、死者と対話をしない民族だからだ。それほどに今ここの「音声」を切実に感じている民族だからだ。
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「もがり」の「も」は、「盛る」「森」の「も」、「膨張」「増大」の語義。「も」と発声するとき、口の中に息と声が充満するような心地がする。胸の中が悲しみでいっぱいになっているから、「も」という。「喪中」の「喪(も)」は、「もがり」の「も」でもあるのだろう。「もがり」からきているのかもしれない。
悲しみで胸がいっぱいになることが古代の葬送儀礼だった。
「がり=かり」は、古語の「離(か)る=離れる」が名詞に転化したかたちだろう。「か」と発声するとき、息と声がスムーズに離れてゆく心地がする。
「もがり」とは、胸にあふれた悲しみを引き離して胸を軽くしてゆくこと。つまり、死者との別れを果たす喪に服する期間のこと。古代人はそれを、死体が腐って骨だけになってゆく期間としていた。
そして、骨だけになった死体を埋葬して最終的な別れをすることを「たむけ」といった。
現在でも、天皇を埋葬するときは、数ヶ月の「もがり」の期間がもうけられている。
古代人は、「もがり」の期間をもうけないと、親しい人の死に対する嘆きを晴らすことができなかった。それは、天国とか極楽浄土といった概念を持たなかったからだ。死んだら何もない「黄泉の国」に行くだけだ。生と死とのあいだには、絶対的な隔絶がある。そのことを、腐ってゆく死体を眺めながら確かめていった。
生きて年老いてゆくことは、すでに体が腐りはじめている現象である。そのことを自覚するなら、死んでなおたしかに腐ってゆくことは当然のことと受け入れるしかないし、それが生と死の絶対的な隔絶の証しである。
水平線の向こうは「何もない」という意識で生きていた縄文人は、生と死もそのような絶対的な隔絶として受け止めるしかなかった。それはもう、大陸との交流がなかった彼らの確信だった。日本列島では、そういう時代がおよそ1万年続いたのである。そのあと仏教による極楽浄土のイメージをもたらされたとしても、そこからはたかだか千数百年しかたっていない。この千数百年で、1万年の伝統がそうかんたんに消えるわけがない。
われわれは、どこかしらで生と死には絶対的な隔絶があると思っているし、この体がしだいに腐っていっていることも感じている。
自分が死んだあと、体がどんどん腐ってうじ虫が湧いてくるということ、それは、死者にとっても死という体験を果たすための通過儀礼であり、そういう過程があるからこそきっちり「死にきる」ことができるのだ、ということを意味する。
死んでもなおこの世の外で、身体を失った存在のまま生き残ったものたちを眺めて暮らさねばならないとしたら、それこそわけのわからない地獄だろう。まるで、目の玉だけが腐らないで残っているような、死ぬとはそんな姿になることなのか。そうではあるまい。しかしわれわれの観念は、死についてそんなイメージを持っている。だから、死ぬのが怖いのだ。「死者と対話する」といっているやつらなんか、じつは、みんなそんなふうに目の玉だけの存在になってしまっているのだ。
われわれだって、まあ、どこかしらでそんなイメージで死をとらえながら妙な怖がり方をしているわけで、それは払拭したほうがよい。そのためには、腐り果ててゆくことだ。
身体が腐り果てるからこそ、われわれは「死にきる」ことができるのだ。
僕は今、山姥さんの死体が腐り果ててゆくのをを想像しながら、急いでこの「たむけ」を書いている。
僕の体だって、腐りはじめている。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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