「けがれ」はどこから生まれてくるか・神道と天皇(32)

本居宣長は、「けがれ」は「黄泉の国=死の世界」から生まれてくる、といったが、それは違う。
古事記における「黄泉の国」は、真っ暗闇の世界ということになっている。
イザナギは、死んでしまった妻のイザナミのことが忘れられず、黄泉の国まで追いかけていった。そこで火を灯して見たイザナミの死体は、腐ってウジがたかり、体じゅうの騒々しい雷神がまとわりついていた。まあそれはひとつの「けがれ」として「姿」の清浄を失っている状態だから、「黄泉の国」の神はそれを闇で隠してくれている。べつに神が「黄泉の国」をつくったのではない。「黄泉の国」にも神がいる、というだけの話で、神は死体の「けがれ」を闇で隠してくれている。つまりそこは、「けがれ」を負った死体が骨だけの清浄な「姿」になるまでのあいだを闇で隠してくれているところなのだ。
なのにイザナギは、火を灯してそれを見てしまった。あれほど見てくれるなといったのに、といってイザナミは怒った。ほかの神も怒り、襲いかかってきた。イザナギは逃げてきて、黄泉の国の入り口を大きな岩で塞いでしまった。
とすればこのエピソードは、できることなら黄泉の国に行かないほうがいい、といっていることになる。それ以来、誰も黄泉の国に行けなくなってしまったのだ。
これはおそらく、当時の、「もがり」という死体を葬る習俗に由来している。死体をひとまず山の中に埋めておき、骨だけになってからそれを掘り出して洗い、あらためて墓に埋葬する……という習俗なのだが、それはつまり、この世で正常な体になってから死を全うするということであり、死ぬことは「今ここ」のこの世で「消えてゆく」ことだという死生観なのだ。
「黄泉の国」は「けがれ」を生み出す場所ではない。「けがれ」を闇で隠しているだけのこと。だから「けがれ」は死ぬ前にこの世でさっぱりと洗い流してゆかねばならない、と古代人は考えた。
「死後の世界」などというものはない。「けがれ」も「みそぎ」も、すべてはこの世で起きていることであり、すべてのことはこの世でけりをつけてゆかねばならない。
古代人のそうした世界観や死生観を想像してみるなら、本居宣長のいうことは納得できない。「けがれ」がこの世の外にあるとか、他人のもとにあるとか、古代人にはそんな今風のお気楽で得手勝手なことは考えていなかった。
「けがれ」は、みずからのこの身体やこの心に宿っている。そしてそれは、「死」を「今ここ」のこの生の問題としてとらえることでもある。神道は「生命賛歌」ではない。「もう死んでもいい」という心地にならなければ、祭りなんか盛り上がらない。

「祭り」の文化……古代人にとってのそれは、この生の「けがれ」にけりをつけてしまおうとするとするイベントだった。
生きたままけりをつけてしまうこと、それはからっぽの身体になってしまうことであり、それが「みそぎ」だった。「もう死んでもいい」という勢いに身をまかせること、そういう「祭り」の盛り上がりを守るためには、仏教にまるごと洗脳されてしまうわけにはいかなかったし、「神」という概念も大陸そのままのかたちで解釈するわけにはいかなかった。そのなやましさとくるおしさとともに「神道」が生まれ育ってきた。
仏教伝来のそのときの日本列島に宗教はなかったが、祭りの儀式はあったし、自分たちの生き方の流儀作法としての文化もそれなりに洗練発達したかたちで持っていた。祭りの文化にだって、思想や哲学というか、世界観や生命観はある。おそらくそのとき日本列島では、すでにそれが「宗教=仏教」に対抗できるレベルまで洗練発達していた。その証拠に、神道の世界観や生命観は、いまだに仏教のそれに吸収されてしまってはいない。根本的に異質だということもあるが、思想や哲学のレベルとしても負けてはいないのだ。
たとえば、「戒律」で人の生き方を縛ってゆくようなことは、日本列島の古代人の生き方の流儀作法にそぐわなかった。そういうそぐわないものがたくさんあったから、「仏」に変わる「神」という概念に興味を持ったのだし、その「神」という概念自体もそのままのかたちではなく、自分たちの思考を当てはめていった。
ともあれ、それまで宗教を知らなかった民族が宗教に染められて生きねばならなくなったのだもの、その解釈の仕方にはさまざまな混乱や戸惑いがあったに違いない。

しかし人類はみな、宗教を受け入れることができる素地を持っている。
人類は、「この生の外部」=「死」に対する視線を持っている。宗教はそこに「天国」や「極楽浄土」や「地獄」や「生まれ変わり」等の観念世界を思い描く。
それに対して仏教伝来までの日本列島の歴史においては、そこには「黄泉の国」という真っ暗闇の世界が広がっているだけだ、といわれてきた。つまり、死後の世界など「何もない」ということ。死んだって、どこにも行かない。だから、この生のことはこの生においてけりをつけてしまわねばならない。死ぬことは、どこに行くのでもなく、「今ここ」において「消えてゆく」ことだ。そういう流儀作法で歴史を歩んできたわけで、それが「みそぎ」を果たすということだった。
本居宣長はこういう。「黄泉の国」の話はイザナミの死のところでいきなり出てきて、それまで何も語られていないから、神がその世界がどのようにつくったかはよくわからない……と。
それはまあそうなのだが、何も説明されていないということは、そのころの人々にとっては説明する必要もないくらい誰もが承知しているイメージだった、ということを意味する。
古事記は、「神」という仏教からの借り物の概念を古代の人々が模索して語り合いながら生まれてきた物語だが、「黄泉の国」という言葉だけは借り物ではなく、日本列島の精神風土にしっかりと根付いているものだった。
「けがれは黄泉の国から生まれてくる」という本居宣長の説明は、古事記の解釈として甘すぎる。
「黄泉の国」は真っ暗闇の世界だということは、そこは「死体のけがれ」を隠すところだということを意味するのであって、べつにそこが死体をけがれたものにしてしまうわけでもあるまい。
死体はけがれを負った存在だからそこでけがれが消えるまでの期間を過ごさねばならない、といっているだけのこと。
死んだら極楽浄土に行くと考えることだってひとつのけがれだ、という思いも古代人にはあったかもしれない。彼らには、死後の世界を理想郷のように描こうとする趣味はさらさらなかった。

「死」はけがれではない、「死体」がけがれなのだ。「死」は、「死体」の「姿」であって「実体」ではない。「実体」としての「死体」が「けがれ」なのだ。
「死んだら仏になる」というではないか。「死者の尊厳」は人類普遍の認識であり、だから原始人は「埋葬」という行為をはじめた。
イザナギが「黄泉の国」で明かりをかざしてイザナミの死体を見てしまったことは「死者の尊厳」を冒す行為だった。だから、イザナミは怒った。ちゃんと筋が通っている。その身体は「けがれ」であっても、その態度は「けがれ」でもなんでもない。
本居宣長は、イザナギが大きな岩で黄泉の国の入り口をふさいでしまったことを「けがれがこの世にまで及ばないようにした」と解釈しているのだろうが、同時に彼は「けがれ」とは「悪事」のことだともいっている。しかしそれは江戸時代の勧善懲悪主義や合理主義による短絡的な発想であって、古代人のいう「けがれ」はそのようなことではない。
この生の停滞を「けがれ」という。
古事記の作者は、この生の「けがれ」はこの生でけりをつけてしまえ、といっているのだ。死んだからといってどこにも行かない、「今ここ」に消えてゆくだけだ、ということ。それが彼らの死生観だった。
死者は、骨だけの清らかな体になってから埋葬してやる(=もがり)、ということ。現代社会で火葬をすることだって、おそらくそういう伝統的な死生観の上に成り立っている。
「けがれ」は「身体=実体」に宿る。それは、「黄泉の国」からもたらされるのではない。生きてあることそれ自体に宿っている。その自覚こそが日本列島の文化の伝統を育ててきたのであり、その自覚において古代人は、仏教という宗教とは相容れない世界観や生命観を持っていた。