「かみ」というやまとことば・神道と天皇(31)

歴史について考えることは、われわれが生きてある「今ここ」について考えることでもある。「現在」という「今ここ」のこの世界に漂っている空気の気配には、縄文時代以来1万3千年の歴史が宿っている。
今ここと昔では違うし、今ここも昔も変わらない部分もある。そこがなやましいところで、今ここは昔よりも進化したといっても、昔の人のほうがずっと高度で複雑な思考をしていたという部分もあるに違いない。
神道の起源の世界観や生命観を古事記の中に探ろうとするなら、昔の人はそうとう高度でアクロバティックな思考をしていたのではないかとうかがわれる。われわれ現代人の思考のほうが、よほど平板なのではないか。気味悪いくらい平板だ。
ひとまず一般的には、神道のはじまりは7世紀の律令制が敷かれたころからだということになっているのだが、ここではそれを拡大解釈して「仏教伝来以降」だと考えることにしている。
日本列島の住民は、仏教伝来とともに「神」という概念を知った。
とはいえ、「かみ」という言葉は、それ以前から使われていたに違いない。
おそらく、深く心に腑に落ちたり感動したりする体験のことを「かみ=かむ」といったのだろう。「噛む」ことは、食い物の味に気づいてゆくこと。「咬む」は、ぴったりと合わさること。
仏教説話に出てくる「神」は、最初は邪悪な存在だったがやがて「仏」の徳のありがたさに気づいて改心し付き従っていったものたちのことをいう。「気づく」ことを「かむ=かみ」という。
「かみ」とは「深く気づいているもの」、あるいは「深く気づいてゆくはたらきそれ自体」のこと。
やまとことばの「かみ」という言葉の語源=本質をどう解釈するかということは、古代文学および古代史そして神道史の研究の大問題だろう。僕もこの言葉のことはこの十年くらいずっと考え続けてきて、上記の解釈は誰の受け売りでもないつもりだが、もしそうであるなら、仏教伝来以前の日本列島に「神」という概念はなかったことを意味する。
つまり、仏教的な「神」という概念を知る前からすでに「かみ」という言葉があり、その言葉を当てはめて勝手な解釈をしていった。したがってそれは、最初から仏教的な「神」の意味とは少なからずずれてしまっていたし、そういうかたちでしかその概念を受け入れることができなかった。

そのとき日本列島の住民は、「かみ」という言葉のニュアンスが示すように、それを「実体」ではなく「はたらき」だと解釈した。
「神」という存在を知らない歴史を歩んできたものが、いきなりそれを思い描けといわれても、そうかんたんにはできない。人間を超越した「something greate」な人格、といわれてもよくわからない。「超越性」というなら、自然の森羅万象のはたらきのその何やら不思議な気配に対する畏れや感動や憧れは、もとより人間性の自然として持っているわけで、その体験を当てはめてゆくかたちでしか、その概念にはたどり着けなかった。
森羅万象それ自体はあくまでこの世のものだが、その「はたらき」には、何やらこの世ならぬ気配を感じたりする。そりゃあもう、風が吹いたり花が咲いたりすることさえ、よく考えたらどうしようもなく不思議だ。「神(かみ)=something greate」はその「はたらき」に宿っているのだろうか、と古代人は考えた。
というわけで彼らは、「神」を実体のないからっぽの「姿=気配」としてとらえていった。そういうとらえ方しかできないような歴史を歩んできた。彼らにとって「実体」は「けがれ」であり、それをそそいでからっぽの「姿=気配」だけの存在になってゆくことが彼らの生きる流儀作法だった。そのような、この世界を「姿=気配」としてとらえてゆく世界観や美意識の文化を、すでに洗練発達させて持っていた。
彼らはもう、ごく自然に無意識的に、そのように考えた。

今どきは「カミってる」などという。変な言い方だけど、いかにも日本的だ。こんなふうに「神=かみ」という言葉を動詞のように扱うところにこそ、まさに日本人が伝統的にそれを「実体」ではなく「はたらき」として理解してきたことがあらわれている。キリスト教からしたら、それはとてもいいかげんな理解の仕方だろうし、「クール」な理解の仕方だともいえる。
宗教を受け入れつつ、受け入れない。神は存在しないことが、神の存在証明だ……われわれは歴史的にそういうアクロバティックな思考で神という概念を理解してきた。
この社会やこの人生の安定は、この社会やこの人生の停滞でもある。縄文人は、停滞することの「けがれ」に対するとても切実な感慨があった。そりゃあ、そうさ。山の中に閉じ込められながらどこにも行けないで暮らしていたら、どうしたってそういう感慨から逃れられない。まあ日本列島そのものが、四方を荒海に囲まれて、どこにも行けない環境でもあった。彼らの生のいとなみは、そういう「停滞=けがれ」にけりをつけて心を移ろい流れてゆくものにしてゆくことにあった。そしてそれこそがじつは、人類が地球の隅々まで拡散していったことの契機でもあったわけで、それこそが人の心の自然なはたらきだともいえる。
縄文時代の山の中には、男たちがいなくなった女子供だけの小集落がたくさんあった。そこに旅する男たちの小集団が訪ねていった。女たちはこの生の「けがれ」を受け入れるしかなかったし、男たちは受け入れることができずに旅に出た。そんな男と女の共同作業として縄文文化がつくられていった。彼らは、この生の「けがれ」に耐えられない心で耐えていた。そこから日本列島の「みそぎ」の文化が生まれ育ってきた。心は、そこから華やぎときめいてゆく。

縄文社会には、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が豊かに生成していた。そうやって彼らの心は、移ろい流れていった。そのようにして日本列島の住民の歴史的な世界観や生命観の基層がつくられていった。
移ろい流れてゆくということ、日本列島の住民は、基本的にこの生やこの社会の「安定・充足」を望んでいない。なんのかのといっても、「リア充」という言葉には批判的なニュアンスも含まれている。「リア充」の「幸せ」、そういう「自我の充足」に執着して追いかけまくったり浸りきったりしている人間なんか魅力的でもなんでもないし、現代人はそのあげくにインポテンツや痴呆老人になってゆく。
日本人は、うまく生きることができないし、うまく神のことをイメージすることができない。まあそういう人間ばかりの世の中ならそれなりに味わい深く動いてゆくこともできるわけだが、大陸文化に染められた現代においては、そこのところの格差がどんどん広がっているし、上手に「神との関係」を結んでしまったために心を病んでいる人もたくさんあらわれてきている。
いや、「現代は」というより、仏教を輸入したこと自体がすでに大陸文化に染められる体験だったわけで、そうした「格差」はそこらすでにはじまっている。最初の『古事記』のころは神の「はたらき」に驚きときめいているだけだったのに、時代を経るにしたがってだんだん神を「実体」として考え、神に祈願を立てるようになっていった。
というわけで、本居宣長だってしょせんは江戸時代の人だし、その影響下にある今どきの右翼の人たちもなんだかオタクじみて自意識過剰で、この国における神とは何かという根源の問題を見誤っているように僕には思える。
ましてや近ごろの神道信仰の教祖様のようにいわれている伊勢白山道をはじめとする人たちのように、神にご利益があるとか、災厄があるとか、神風が吹くとか、神の怒りがあるとか、そんなふうに考えるなんて、通俗的というだけでなく人としてどうしようもなく下品だと思う。
思い悩むことが何か人間として上等なことだと考えている人も多いらしいが、「悩む」ことと「嘆く」こととは違うわけで、その「救われたい」という「スケベ根性=自意識」それ自体が「けがれ」にほかならない。
「みそぎ」とは、心も体も「からっぽ」になって「救われたい」とも思わなくなることだ。