祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」43・ひつぎ

「かわいい」というときめきは、「消えてゆく」タッチである。
自分のことなど忘れて、すなわち自分が消えて世界や他者にときめいているとき、「かわいい」ということばがこぼれ出る。
「小さきもの」が愛されるのは、それが「消えてゆく」契機になるからだ。
年寄りの盆栽いじりは、そこに、この国の歴史的な心の動きである「消えてゆこうとする願い」が託されている。
われわれ日本列島の住民は、死んだらこの世の外の天国や極楽浄土に行けるのではない。
この世の外は、わけがわからない深い闇の「黄泉の国が」広がっているだけだ。
一万年前に大陸から切り離されて海に閉じ込められた日本列島の住民は、水平線の向こうにもうひとつの世界が広がっていることを知らなかった。そんなことを想像するのは不可能だった。だから、この世の外の天国や極楽浄土を想像する文化も持つことができなかった。
われわれはもう、今ここで消えてゆくしかない、と思っていた。
日本列島の歴史的な文化は、消えてゆくことが生きることの醍醐味として止揚されている。
だからわれわれは、深くお辞儀をする。
今でもわれわれは、どこかしらで「黄泉の国」をイメージしている。天国や極楽浄土を信じきることができない。
だから中世の民衆は、そんなことはいっさい当てにせず、もう阿弥陀如来にすべてお任せするしかない、と考えた。それは、天国や極楽浄土を信じることのできない民族による仏教の受け入れ方だった。
彼らはそういう詐術によってしか極楽浄土を信じることができなかったし、そうやって自分を消してしまうことは得意だった。
極楽浄土を信じることの不可能性が、極楽浄土の存在証明だった。
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棺おけのことを、古代人は「ひつぎ」といった。
日本列島で火葬が一般化したのは、死ぬことは今ここで消えて行くことだ、という合意があるからだろう。
西洋人は、骸骨など、死んで天国にいった人がこの世に残していった記念品だというくらいにしか思っていない。
だから西洋の寺院には、歴代の名僧の骸骨が大切に保管されて陳列されていたりするし、それを見る人もちっとも気味悪いとは思わない。
しかし日本列島の住民は、骸骨にだって魂が宿っている、と思う。消えてなくなって、はじめて成仏するのだ。だから骸骨を直視することに抵抗感があるし、中世には、骸骨から人間を再生させようとする呪術などもあったらしい。もちろんできるはずもないのだが、そういうイメージで遊ぶということを中世の人たちはしていた、ということだ。
死体を再生させるイメージなら世界中のどこにでもあるが、骸骨から再生させるというイメージは、おそらく西洋人にはもてまい。
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「ひつぎ」ということばは、おそらく、火葬が一般化する前の時代に生まれたことばであろう。
人はここで消えてなくなる、という願いを込めて「ひつぎ」と呼んだ。
「ひ」は、「秘(ひ)める」の「ひ」。
その死体は、世間から隠されている。
またハ行は、存在感の薄さをあらわす音韻である。
「ひつぎ=ひつき」ということばのもとのかたちを「H+ITUKI」と解釈するなら、この場合の「H」という子音は、消えてなくなることをあらわしている。
そして「ITUKI=いつき(斎)」という古語は、「身を清めて神に祈りをささげる」という意味がある。
身を清めてすっかり消えてしまうことを「ひつぎ=ひつき」という。古代人は、そういう祈りを込めて、死体をそこにおさめた。
つまり、「ひつぎ」とは、「斎(いつき)」ということばにハ行の音韻をかぶせて出来上がってきたのかもしれない。
「いつき」の「い」は、「いのいちばん」の「い」。ここでは、あとに続く「つき」ということばを強調する機能になっている。
「居丈高(いたけだか)」というときの「い」は、あとに続く「たけだか=たけだけしい」を強調している。
「つき」の「つ」は、「着(つ)く」「付(つ)く」「尽(つ)く」の「つ」。「ゴールにたどり着く」というようなニュアンス。
「き」は、「むかし男ありき」というときの過去完了をあらわす「き」と同じで、「完結」の語義。
「月(つき)」は、新月からはじまって最後に満月にたどり着く。あるいは、満月はやがて消えてなくなってゆくことによって完結する、というイメージだろうか。日本列島では、満月を過ぎた月はもう月の値打ちがない、などとは考えなかった。十六夜(いざよい)の月にはじまって、一日一日月を数え、24日や25日の消えそうな月にだって、祝うべき意味や感慨を持っていた。
「いつき」とは、神を前にして世界が完結していること。何もかも洗い流してさっぱりしていること。
「いつき」と「居(い)つく」は、同じ音韻が並んでいるのだから無縁ではない。やまとことばは、そういう構造になっている。「居つく」とは、いたたまれなさ(=けがれ)を忘れて、世界の完結に浸っているさま。
また「ひつぎ=ひつき」は、「引(ひ)っ付(つ)く」ということばと共通した語義を持っている。ぴったりと張り付いていることは、死体が「ひつぎ」の中からもうどこにも行かないことと同じである。
死体は「ひつぎ」に引っ付き、もうどこにもいかないで、そこで消えてゆく。日本列島においては、消えてなくなることが完成されたかたちだった。
人生の最後にたどり着いて死んだ人は、消えてなくなってしまうことによってその生を完結する。
この「消えてゆく」ことを強調して、「ひつぎ」という。
「ひつぎ」は、死者が消えてなくなってしまう空間(場所)である。
日本列島においては、消えてなくなってしまわねば成仏できない。
骨を野にさらしていると、よからぬ者の呪術によって、ゾンビ(妖怪)にさせられてしまう。
「山姥」などは、そのようなゾンビ(妖怪)であるというイメージがあったし、能などにも、野ざらしの骸骨と会話をしたりその骸骨が生きている人の姿をしてよみがえってくるというような話がいくつもある。
すべては消えてしまうことによって完結する。日本列島の住民は、縄文時代からそのようにこの生やこの世界をイメージして暮らしてきた。
古代人は、そのように生きて、そのように埋葬していた。
かわいい」とときめきことは、ひとつの消失感覚である。その感覚が、われわれの生の根源のかたちになっている。
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日本列島の葬式代は高すぎる、という。
そんなことをいっても、庶民がだめにだめを押すようにしつこく葬送儀礼を繰り返したがるのだもの。べつに強欲な坊主だけの責任だけではない。
庶民は、死体が消えてなくなるまで、しつこく葬送儀礼を繰り返すし、お寺に高い金を払えば、その分ちゃんと成仏して消えてゆき、迷ってこの世に舞い戻ってくることもないと思う。
日本列島の住民のそのような心の動きは、どこでどのようにつくられてきたのか。
べつに、坊主が操作したのではない。坊主は、そのようにしつこく葬送儀礼をしたがる庶民の心の動きにあわせたまでだ。
あわせてやらなければ、庶民はついてこない。というか、そのとき坊主は、そういう庶民の不安をしずめてやろうとしたのだ。これが、近世における葬式仏教のはじまりだろう。
死者は、きれいさっぱりと消えてしまわなければ、この世に舞い戻ってくる。
火葬にしただけでは、まだ足りない。
日本列島の住民は、仏教の世界観の影響や共同体の発展によって、きれいさっぱりと「消えてゆく」という心の動きのタッチをしだいに失ってきた。
とくに近世に入り、誰もがこの生にしがみつくようになってきたし、さらにはいつも共同体から監視されて「消えてゆく」という心の動きを失い、人々の心がこの生に幽閉されてしまうという状況が生まれてきた。
共同体は、人々から「消えてゆく」という遊び心を奪い、「生き延びる」ための労働に駆り立ててくる。
そのようにして、生きているものたちがこの生に幽閉されてしまう状況が生まれ、それと縄文時代以来の「死者はさっぱりと消えてしまわなければ成仏できない」という伝統があいまって、人々はもう、しつこく念入りに葬送儀礼をしないといられなくなっていった。
お寺からもらう「戒名」は、死者がいったんきれいさっぱりとなくなった、ということの証しである。もとの名前のままで葬っても、名前とともに魂も残っているようで、またこの世に舞い戻ってこられるような気持ちがしてくる。庶民のそういう不安を癒すために、坊主が「戒名」をつけてやった。最初は、べつに金儲けをするためでもなんでもなかった。生き残ったものたちの迷いをしずめるためには、それが必要だったのだ。
それが、いつのまにか坊主が丸儲けする仕組みになっていったからといって、何を坊主を恨む必要があろうか。
われわれ庶民がいつまでも現世にしがみつく生き方をするようになったから、そうなってしまっただけのこと。
「消えてゆく」という心の動きのタッチを持たないものは、死者が成仏できないでこの世に舞い戻ってくるのではないかという強迫観念を募らせる。その強迫観念が、葬式代を高くしているのだ。坊主のせいじゃない。
日本列島の住民が、この生の「裂け目」の中に消えてゆくカタルシスをくみ上げることができないで、いつまでたっても現世利益にしがみついて生きているかぎり、坊主丸儲けの葬式仏教は安泰だ。
そして、そういう状況に抵抗して今どきの若いギャルたちが「かわいい」とときめいているのであり、それは、「消えてゆく」という日本列島の歴史の水脈をくみ上げてゆく態度にほかならない。