鬱の時代31・無知であるということ

いまどき吉本隆明という人を持ち上げて喜んでいるなんて、ほんとにくだらないと思う。
おまえらの思考の薄っぺらなところが透けて見えるばかりだ。
僕はかつて、吉本さんを、神のようにも父のようにも慕っていた。でも今となってはもう、「一日でも長く生きてください」なんていいいませんよ。
僕は、人生のある時期(三十歳ころ)に、吉本さんの著書と出会った。それは僕にとって、とても大きな体験だった。
しかしだからといって僕が今、吉本さんに教えられたことをそのまま踏襲して生きねばならないいわれはない。
誰もが今なお吉本さんいうことにうなずき、吉本さんの次の言葉を待っているのだとしたら、吉本さんだって死ぬに死ねないだろう。
吉本さん自身だって、みんなから生き延びることを願われているのを感じ、それにしがみついていやがる。
だから僕は、こういう。「もういい、あなたが見つけられなかったことは僕が今探しはじめている。あなたが見つけたことなんか、僕にとってはもうどうでもいいんだ」と。
僕は、吉本さんがこれ以上生き延びることなんか願わない。もう、そんなことはどうでもいい。
何はともあれ僕は、吉本隆明の思考なんてくだらない、というところで思考している。僕の思考はもう、吉本さんからお墨付きをもらうことはできないし、吉本さんの思考を補強することもできない。
今なお吉本さんのお墨付きが必要なレベルで考えているやつらは、そうやって吉本さんが生き延びてくれることを願っていればいいさ。
僕はもう、自分の中で吉本さんに引導を渡した。
吉本隆明の思考なんてくだらない、全部だめだ。
僕は、吉本さんが生き延びることなんか願っていない。
ただ、自分の人生のある時期に吉本さんと出会ったことはとても貴重な体験だった、と思っている。
僕は、この世のすべての人に対して、「あなたが生き延びることなんか願っていない」という。生き延びるのも死ぬのも、あなたの勝手だ。そのことは、僕が支配できることではない。
一日でも長く生きてください、などという言い草は、ただの支配欲だ。そんな言い草が心やさしいなんて、ぜんぜん思わない。おまえら、他人の命をなんと思っているのか。おまえらには、そういうものに対するおそれがないのか。
命なんか、次の瞬間に消えてなくなるかもしれないものだ。その事実を僕はおそれているし、受け入れたいとも思う。
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僕は、吉本さんとは少々違う人間として、まったく違う人生を生きてきた。
それでもそこで出会い、僕は大いにときめいた。
そして、当然のように、やがて吉本さんから離れていった。
今にして思えば、、僕が吉本さんから学んだいちばん大きなものは、「悲憤慷慨」ということだったのかもしれない。
吉本さんは早くから知識に目覚め、世界に対する悲憤慷慨を持っていた。二十代のはじめのころの詩には「僕の怒りは無尽蔵だ」と表現している。
それに対して僕の十代二十代といえば、まったく無知だった。世の中は怖いばかりの対象で、怒りなど何もなかった。だから周囲の全共闘運動にも加わることができなかった。
あの永山則夫秋葉原事件の若者だって、無知だったのだ。無知なものは、怖がるしかない。彼らは、その「環境」ゆえに恐怖のかたまりになってしまい、その果てにあんな事件を起こしてしまった。
無知の悲しみは、恐怖を生み、それが怒りに変わる。彼らに対して僕の無知は、幸か不幸か、怒りまでたどり着くことができなかった。それだけのことで、彼らと違う人種ではなかった。
その悲憤慷慨は、無知の悲しみの上に成り立っている。
悲憤慷慨するものたちは、「無知の悲しみ」を共有している。そのとき知識人だって、「無知の悲しみ」を抱いている。つねに「未知」の前に立っているものは、「無知の悲しみ」を抱いている。
しかし吉本さんには、無知の悲しみはなかった。未知を解き明かすことのできる自分の能力に対する自尊感情(ナルシズム)だけがあった。だから、大衆自身もまたみずからの暮らしにプライドを持っていると解釈し、その暮らしやプライドを止揚していった。
たとえば、一世を風靡した吉本さんの「大衆の原像」という概念は、大衆はおいしいご飯を炊くすべを知っていてそのプライドで生きている、という論理だった。つまり、大衆には大衆の生活に密着した知識がある、という論理だった。
吉本さんは、大衆の「無知の悲しみ」に気づかなかったし、もちろん自分にもそんなものはなかった。
吉本さんは、大衆とのあいだに「無知の悲しみ」を組織することができなかった。それが、吉本さんの限界だ。しょせん、知識が自慢のインテリどうしがつるんでいるだけの論理だった。米を上手に炊く知識だって知識だ、というのが吉本さんの論理だった。
そうじゃないのですよ、吉本さん。「無知の悲しみ」を組織して人間の群れが成り立っているのですよ。「連帯」というなら、そういうところにこそある。
人間が原爆をつくってしまったのも、「未知」を前にした人間の「無知の悲しみ」だった。その「悲しみ=嘆き」が、原爆をつくらせてしまった。彼らが表面的にはただ無邪気な好奇心だけでその研究に熱中していったとしても、その行為は、人間存在の「無知の悲しみ(嘆き)」を背負っているのですよ。そういうところを、吉本隆明というナルシストにはわからなかった。
人間は、存在そのものにおいて、すでに「無知の悲しみ(嘆き)」を負っている。負っているから、未知に分け入ってゆこうとする。
われわれ大衆は、米の炊き方に満足して生きているのではない。米の炊き方がうまくなってしまうくらい未知に分け入っていこうとする存在であり、それは「無知の悲しみ(嘆き)」負っている存在だからだ、ということだ。
人間は「無知の悲しみ(嘆き)」を組織して群れをつくっている。「悲憤慷慨」は、そこから起きてくる。
吉本さんは、「無知の悲しみ(嘆き)」というものがよくわからなかったから、その後、社会に受け入れられ有名人になってゆくとともに、だんだん悲憤慷慨を喪失していった。
吉本さんの後期の代表作である「マスイメージ論」や「ハイイメージ論」は、大衆のサブカルチャーにも高度な知識が表現されている、という論理だった。つまり、大衆を知識人の地位に引き上げようとする戦略だった。それが、僕の癇に障った。なんのかのといってもあなたは、知識人をえらいと思っている人種ではないか。けっきょくのところ、一般社会のインテリ連中にまつり上げられていい気になって生きてきた人なんだよね。
そのとき僕は、大衆からも置き去りにされてしまったような心地になった。
そして、そんなことあるものか、と思った。知識人だって「無知の悲しみ(嘆き)」の上に立った大衆のひとりであり、それが人間存在のかたちなのだ、と。
知識を持っていることなんか、えらいことでもなんでもない。人間は、「無知の悲しみ(嘆き)」を携えて「未知」の前に立ち、そこに分け入ってゆこうとする存在なのだ。
「未知」に驚きときめく存在なのだ。
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僕は、五十歳を過ぎてから、これからはもう学問をして生きてゆこう、と思った。そうして学問が僕に与えてくれたのは、世界と和解できない悲しみと怒りだった。怖がっているだけではすまなくなった。
知るよろこびが僕に学問をさせているのではない。未知の前に立つおそれとときめきが、僕に考えることをさせている。
未知に向かって旅立ってゆくときの、自分が消えてゆくカタルシスがある。
僕は、吉本さんや内田先生とは逆向きの人生を歩んできた。若い頃、僕には悲憤慷慨なんか何もなかった。あの人たちがそれを喪失してゆくのと入れ替わるように、僕はそれに目覚めていった。
吉本さんは、大衆だって知識人だといい、内田先生は、大衆を知識人にしてやる、という。
どちらもくだらない。栄光とともに生きてきた彼らは、自己を確立して世界と和解してゆくのが人間のかたちだと思っている。
それに対して僕は、みじめな自分の人生のけがれを消去する手続きとして学問に目覚めていった。
大衆とは、「けがれ=無知」を自覚している存在なのだ。意識しようとするまいと、人間は、世界と和解できない「けがれ=無知」を負って存在している。知識人は、そういうことに無自覚な存在だ、というだけのこと。そりゃあね、知ることの喜びを知ってしまったら、そうなってしまうよね。
悪いけど僕は、そんなよろこびなど知らない。人間として、未知の前に立つおそれとときめきがあるだけだ。人間というのは、そういう生きものだと思っている。
人間がなぜ、道具を持ち、戦争をはじめ、共同体をつくるようになったのか。それは、知る喜びを持ったからではない。未知の前に立って畏れときめいてしまったからであり、それは「無知の嘆き=けがれ」を自覚する存在だったからだ。それほどに世界と和解していない存在だったからだ。人間は、そういう悲憤慷慨を、根源において抱えて存在している。