メモ・幼児の幸福

われわれの記憶の片隅にある「幼児期の幸福」とは、なんだろう。
乳幼児は、世界と自分との境界があいまいで、世界と自分が一体化している瞬間を体験することだろうか。
一般的には、そのように解釈されている。多くの哲学者や心理学者がそういっている。
そうだろうか。
結論を急げば、僕はこんなのは大嘘だろうと思っている。
それは、「生き物としての幸福」のことだろう。
生き物にとって、世界と自分との境界はあいまいで、世界と一体化してあるのだろうか。
そんなはずないじゃないか。
生き物における生きてあることの第一義的な機能は、身体が動くことにある。
身体が動くためには、世界と自分は、完全に分節化されてあらねばならない。まず、それを自覚するところからこの生がはじまる。
乳幼児にとって、世界は、不安や恐怖の対象である。それは、世界と自分が分節化されてあることに気づいているからだ。
とすれば、その幸福は、世界を解釈して世界と一体化してゆくことにあるのか。そうじゃない。そんなすれっからしの技術は、大人になってから覚えることだ。
身体が動く存在である生き物は、その基本的なかたちとして、みずからの身体の輪郭をよりクリアに自覚しておこうとする本能を持っている。
乳幼児の不安や恐怖は、世界のわからなさとともに、みずから身体の輪郭があいまいになってゆく不安や恐怖として起こっている。
そのとき乳幼児は、みずからの身体の輪郭をクリアにしようとする。
それは、たとえばカメラのレンズの焦点を絞ってゆくのと同じで、身体の輪郭が収縮してゆく心地として体験される。
これはたんなるメモである。だから、さらに結論を急ぐ。
身体の輪郭がさらに収縮し、どこまでも収縮して、ついには消えてしまう。この<消失感覚>こそが「幼児の幸福」であり、この感覚が、その後の人生で体験される「カタルシス(浄化作用)」あるいは「快楽」の基礎になっている。
「幼児は世界と一体化している」とか「原始人は自然と一体化している」とか、そんなよくある通説は大嘘なのだ。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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