やまとことばと原始言語 34・はじめに「献身」があった

今僕が考えていることは、すべて「献身」ということばに収れんしてゆく。
もともとすぐ必要以上にこだわりを持ってしまう悪い癖がある。
しかし、べつに道徳のことを考えているのではない。
それが、人間だけではなく、すべての生き物が生きてあることの実存のかたちではないかと思えるのだ。
ことばも、根源的にはそういう人と人の関係の上に成り立っている。
原初の人類の直立二足歩行の開始は、群れの中で他者に対する「献身」が共有されていったことの結果だったのであって、食い物を得るためとか敵と戦うためとか、そんな理由があったのではない。
その群れは、限度を超えて密集していた。で、誰もが他者と体をぶつけ合わないようにしていった結果として、いつのまにかみんな二本の足で立ち上がっていた。それは意識してそうしたわけではないが、身体をぶつけ合ううっとうしさを募らせているうちに自然にそういう姿勢になっていった。二本の足で立ち上がれば、身体の占めるスペースを狭く取ることができて、他者の身体とのあいだに「空間=すきま」が生まれる。
もともと四足歩行の動物が二本の足で立ち上がることは、きわめて不安定で危険な姿勢であり、動物としての身体能力を失うことだった。それでも人類は、立ち上がった。みずからの身体能力を失うことよりも、たがいの身体のあいだの「空間=すきま」を確保しあうことのほうがずっと大切だった。
この「空間=すきま」こそ、群れをつくる生き物にとっていちばん大切なものであり、そうした魚や鳥たちがいかに上手にこの「空間=すきま」を確保しあっているかは驚くばかりである。
生き物の身体が動くとは、身体が空間の中にあるということであり、この「空間=すきま」あってこその身体能力なのだ。そういう意味で、人類が二本の足で立ち上がっていったことは、ひとつの自然であるともいえる。その姿勢は、不自然であると同時に、自然でもあるのだ。
そのとき原初の人類は、誰もがみずからの身体能力を捨てて、この「空間=すきま」に奉仕していった。この「空間=すきま」に、わが身を捧げたのだ。
この行為の意味を表現するのに、僕は、「献身」という以外のことばを知らない。
人間の歴史は、ここからはじまっている。
人間は、根源において、「献身」する存在である。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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