やまとことばと原始言語 19・文節表現とアナログな類推思考

「言祝(ことほ)ぐ」=「寿(ことほ)ぐ」の「こと」は、「コトン」「コトリ」の「こと」、こぼれでること。「ほぐ」は「ほぐれる」の「ほぐ」、癒されること、心が自由になって浮き立つこと。「ことほぐ」とは、癒される心や浮き立つ心がこぼれ出ること。
縄文人や古代人は、土をほぐして土の「けがれ」を取り除くこと、すなわち畑を耕したたり家を建てるために整地したりすることを「ほぐ」といっていた。おそらく「ほぐ」ということばは、土を清める祭礼のことばとしてはじまったのではないかと思える。
まあ人類のことばそのものが、そういうめでたい心がこぼれ出る機能として生まれてきたはずである。「伝達」の機能としてではない。
べつに、石器のつくり方を若い者に伝達し教えるためのアイテムとして生まれてきたのではないのだ。いや、ことばがなければそのつくり方をあとの世代に伝えてゆくことはできない、と本気で考えてそういう実験をあれこれしていた人類学者のグループがほんとにいるのである。まったく、あほじゃなかろうか。
江戸時代の職人なんか、師匠から何も教えられずに見よう見まねだけで師匠の技術を引き継いでいったのである。五重塔の作り方だって引き継いでみせた。
それに比べたら、石器のつくり方を引き継ぐことくらい、なんでもないことだろう。おまえらは、原始人をバカにしているのか。
こういう愚かしい思考は、「ことばは伝達の機能として生まれてきた」という愚かしい通説にしばられているから生まれてくるのだろう。
原始人の暮らしに、ことばで「伝達」しなければならないものなどなかった。遠くに離れているものに何かを伝達するなら、太鼓の音やのろしのほうがずっと有効だったろう。
ことばは、そばにいて向き合っている者たちのあいだから生まれてきた。みんなで一緒にいることのよろこびを「ことほぐ」行為としてことばが生まれてきたのだ、世界中どこにおいても。
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生まれたばかりの赤ん坊がおぎゃあと泣くのは、みずからの身体がこの世界から分節された孤立した個体だと悟るからだ。生き物の生きるいとなみは、そこからはじまる。アメーバの身体だって、そういう前提に立って動いているのだ。
身体のまわりが何もない空間になっていること、この条件がなければ身体は動けない。
西洋の知識人の影響で、この国でも一般的には、「ことばは世界を分節する機能である」といわれている。
しかしそれは違うだろう。決定的に違う。世界は最初から分節されてあるのだ。そんなことはことばを知らない生まれたばかりの赤ん坊だって知っていることであり、そこからその分節されてあるものをアナログな類推関係としてつなげてゆく機能としてことばが生まれ育ってきたのだ。
ことばは、デジタルな二項対立の関係として「伝達」されるのではなく、アナログな類推関係として「共有」されるのだ。
知っているものと知らないもののデジタルな二項対立の関係、そこで「りんご」の意味を知らないものに向かって「りんご」といっても、通じるはずがない。すでにおたがい意味を知っているから、「りんご」ということばが成り立つのだ。
原始人がただ「りんご」といったって、意味の伝達もくそもないだろう。しかし、おたがい「りんご」ということばやその意味を「共有」していることのよろこびはある。ことばは、そのようにして生まれてきたのだ。
ことばを交わしあうよろこびは、伝達することにあるのではなく、ことばそれ自体を「共有」してゆくことにある。
人と人の関係は、「共有」するものがなければ成り立たない。
伝達の機能によっては、おしゃべりの花は咲かない。
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「あなた」と「わたし」という分節くらい、赤ん坊だって知っているだろう。その思いが切実になってきて、「あなた」と「わたし」ということばを覚えていくのだ。「あなた」と「わたし」ということばが、「あなた」と「わたし」を分節しているのではない。
そんな西洋人の思考が先導する一部の発達心理学では「赤ん坊は自他の区別がつかない」などとくだらないことをいっている。自他の区別がつかない生き物などいるものか。自他の区別がつかないで生きていられるものか。アメーバだって、障害物はよけてゆくのだぞ。アメーバにそんな意識などないだろうが、ひとまず命のはたらきとして、「自他の区別をする」というシステムは持っている。
世界が分節されてあることくらい、犬や猫だって知っているし、アメーバだって知っている。世界が分節されていない命のはたらきなどあるものか。
「あなた」と「わたし」という分節がなぜ切実になるかといえば、たくさんの人とひしめき合って暮らしていて、そういう分節があいまいになってしまいそうな体験をするからだろう。
なぜ乳幼児が「ひしめき合って暮らしている」と感じるかといえば、自分も人間の一員だと認識してくるからだろう。つまり、分節されてあるものをアナログな類推関係としてつなげてゆくことを覚えるからだ。
乳幼児にとって、ときにおもちゃとの関係だって「あなた」と「わたし」になる。それは、おもちゃと自分の関係を分節しているのではなく、アナログな類推関係としてつなげている思考である。そのとき、乳幼児とおもちゃは、ともに「個体としてここにいる」という存在の仕方を「共有」している。
赤ん坊がことばを覚えるのは、デジタルな二項対立としての「分節」を覚えるからではなく、何かを「共有」しながらアナログな類推関係が生まれてくることに気づくからである。
「分節」ではなく、「共有」を覚えてゆくことが、ことばの発生なのだ。
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「わたしは海を見た」という文節表現。たんなる単語だけの発語ではなく、こういう言い方が生まれてくるのも、「わたし」と「海」と「見た」というまったく異なるニュアンスの単語を、アナログな類推関係としてつなげてゆく思考をするからだ。
英語では「アイ・ソー・シー」と単語だけを並べるから、なんだか分節しているような感じだが、やまとことばでは、できるかぎり単語と単語を助詞でつなげてゆく。
本居宣長は、「てにをは」という助詞の使い方こそやまとことばの表現の真骨頂である、といっている。
やまとことばでも、最初は「わたし 海 見た」と単語だけを並べていたのだろうが、どうもそれだけではしっくりこなくて「わたしは海を見た」といういい方になってきた。なぜしっくりこないかといえば、単語と単語を類推関係でつなげているという意識があるからだ。これらの三つのことばは、そのときの私の体験を「共有」している。そういう気分で発したのだから、つなげないとどうもしっくりこない。
「わたしは海を見た」という文節表現は、「わたし」と「海」と「見た」という三つの単語を分節していない、それぞれが何かを「共有」してつながりあっている。
意味を伝えるためだけなら「わたし 海 見た」だけでいいのだが、この三つのことばが胸に浮かんできたことの感触とは、どうも違う。
英語だって、「アイ・アム」とか「ディス・イズ」という。「わたしは」というときの「は」は、「はかない」の「は」、「はあ?」と問うときの「は」、完結していない感じをあらわす音韻。このあとにことばが続きますよ、というニュアンス。あるいは、次のことばを探している気分で「は」という音声を洩らす。
日本語にとって主語は、ことばをつなげてゆくためのたんなる前置きのようなものだから、「は」という不確かなニュアンスの音韻がつくのだし、主語そのものが省略されてしまいがちにもなる。
それほどにやまとことばは、単語と単語を類推関係でつなげている。
そして世界中のことばの歴史においても、単語と単語をつなげる文節表現が生まれてくる契機は、「共有」という関係に目覚め、アナログな類推思考ができるようになっていったことにあるはずだ。
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やまとことばは、原初の文節表現をそのまま長い時間をかけて洗練させていった結果として、「わたしは海を見た」というような単語と単語を助詞でつなげる言い方がことに顕著になっていった。それは、ことばの流れとしては優雅ではあるが、意味伝達の機能としてはまだるっこしくもある。
1万3千年前の氷河期明け以降、人類の歴史は目まぐしく動いていった。人口爆発が起こり、異民族との交易や戦争が活発になり、国家という共同体も生まれてきた。それに対して海に囲まれた日本列島では、そういう動きがまったくない縄文時代が一万年も続いた。この無風状態が、おそらくことばを原初のまま洗練させてゆくといういとなみになったのだろう。
やまとことばは、原初の文節表現がアナログな類推関係のイメージから生まれてきたことを物語っている。
人類の文節表現は、デジタルな二項対立としての「分節」という思考から生まれてきたのではない。
世界が分節されてあることくらい、アメーバでも知っている。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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