反「日本辺境論」・神が降りてくる

この本に対して僕は、訳知り顔に「部分的には同意できるところもないではない」などというつもりはない。
全部だめだ。
こんないやらしく底の浅いへりくつにたぶらかされるほど僕は素直ではないし、部分的に認めてやれるほどの器量も持ち合わせていない。
こんなふうに、人間は「自意識=自己愛」の生きものであるという前提で歴史を語られても、肯けることなんか何もない。
時代=歴史はわれわれの「運命」であって、われわれの「自意識=自己愛」でつくり上げたものではない。
現在のこの国の大人たちが「自意識=自己愛」を共有して病んでいるとしても、それが縄文以来続いてきたこの国の歴史の水脈であるのではない。そんなものは、ただの「近代的自我」の病理的なかたちに過ぎない。
「日本人はそうやって歴史をつくってきた」と内田先生は語っておられる。
そうじゃない、「歴史がわれわれをつくってきた」のだ。
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内田先生は、こういっている。
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私はアメリカという国については……ちょっと羨ましくなります。それは政治システムがしっかりしているという意味ではなくて、「アメリカとは何か」という根本的な問いをアメリカ市民たちがまっすぐ自らに向けて、その問いに自らの責任で答えることを当然だと思っていること知れるからです。「アメリカとは何か、アメリカ人はいかにあるべきか」という問いに市民ひとりひとりが答える義務と権利がともにあるということについては、「アメリカというアイデア」に骨肉与えるのは私だという決意については、国民的合意が成立している。
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この人は、どうしてこんなことが羨ましいのだろう。
こういう自意識過剰な傾向のどこがすばらしいのだろう。僕は日本列島の住民だから、こんな思考形式を羨ましいともすばらしいとも思わない。
内田先生は何かとアメリカに対する批判的なことを言っておられるが、こういうことを羨ましがることじたいが、すでにアメリカに洗脳されていることの証しであり、これこそがまさに太平洋戦争の敗戦によってもたらされたものなのだ。
そりゃあ「アメリカとは何か」という問いに対する答えを彼らは持っているだろう。彼らは、自分たちがアメリカをつくったという記憶を、つい最近のこととして共有している。
われわれなら、「そのとき歴史の運命としてアメリカという国が出現した」と思うだけだが、アメリカ人は、何がなんでも「自分たちがつくった」と思っている。そうして「アメリカとは何か、アメリカ人はいかにあるべきか」と問う。
内田先生も「日本とは何か、日本人はいかにあるべきか」と問い、そのあり方を国民に示し、それを「国民的合意」にしてゆきたくて「日本辺境論」を書いたんだってさ。
まったくその自意識過剰は、アメリカそのものだよ。完全にアメリカに洗脳されてしまっている。
われわれは、日本という国など遠い昔にいつのまにか自然にできてしまったものだと思っているから、日本という国の何たるかということも日本人はいかにあるべきかということも、よくわからないし興味もない。
極端にいえば、国などというものは「お上」が勝手につくったものだから、国の運営もそんな問いも、「お上」に任せている。
「市民」だかなんだか知らないが、「お上」に任せておけない自意識過剰な人間は戦後の落とし子として登場してきたのであって、彼らの「人間が歴史=時代をつくっている」という意識など、この国の歴史の水脈ではない。
「日本というアイデア(=アイデンティティ)」に「骨肉」などないのだ。「空っぽ」であるのが、「日本というアイデア」なのだ。わかるかなあ、内田先生。われわれが「日本」をつくったのではない。
「日本」とはいつの間にかこの島国の歴史に出現したものであり、そんなものに「骨肉」などないのだ。そんなものは、われわれには関係ない。「お上」が勝手にやってくれればいい。それは、われわれの「運命」であって、われわれがどうこうできる「骨肉」ではない。
「<アメリカというアイデア>に骨肉与えるのは私だという決意については、国民的合意が成立している」んだってさ。そんなうっとうしくもはた迷惑な「決意」の、どこがすばらしいのか。つまり、私がアメリカをつくっている、というその過剰な自意識は、そのまま内田先生の「私が日本をつくっている」という意識でもある、ということだ。この人は、すっかりアメリカかぶれしてしまっている。
われわれ日本列島の住民には、われわれが「日本」をつくったという記憶などない。それは、われわれの「運命」として遠い昔にこの日本列島に出現したのだ。
だからわれわれは、「日本人はいかにあるべきか」ということなど問わない。少なくとも、「日本」という国のことなどよくわからない。そんなものがあるのかどうかということもよくわからない。だから、「日の丸」も「君が代」も、いまいちぴんとこないのだ。
僕は確かに日本列島の住民であるが、「日本」という国を実感するることはうまくできない。
「国」って、なんなのさ。少なくとも江戸時代までの日本列島の下々の住民には、そんな概念など頭になかった。
「自分」というアイデンティティ、「自国」というアイデンティティ、この国の人間は、いつからそんなアイデンティティの亡者になったのか。
われわれは、みずからの存在に対する「けがれ」の自覚を共有しつつ、アイデンティティ(自我)を確立することよりも、そこから解放されてゆく「みそぎ」とともに歴史を歩んできた。
われわれは、自分のことを忘れて、アメリカってすごいなあ、とときめくことはあっても、アメリカ人のように自意識に固執してゆく生き方なんかできないし、そういう生き方をうらやましいとも思わない。
われわれは、「けがれ」を負った自分から解放されたがっている。
われわれがうらやましいのは、自意識にけりをつけてそんなうっとうしさから解放されている人だ。
「けがれ」の自覚を負ったわれわれは、他者に対して、「他者は私ではない」というそのことにときめいてゆく。「けがれ」の自覚を持っているから、他者の存在そのものにときめくということができる。
この国には、他者にときめいてゆく文化はあっても、他者と駆け引きする文化はない。内田先生が止揚するような「辺境人の知恵」など、われわれは持ち合わせていない。そんな小ざかしい知恵が、この国のオリジナルな文化であるのではない。
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日本列島の住民のアイデンティティは、アイデンティティがないことにある。言い換えれば、アイデンティティを「けがれ」として嘆いていることにある。
内田先生の「われわれは<辺境人>であることをアイデンティティにしてうまく立ち回って生きてゆこう」という主張は、「そんなことをいう人は今のところ私のほかに誰もいないけれど、わたしはそう思う」という「教化」のメッセージなんだってさ。
しかしねえ、そんなことをいわれても、ありがたくもなんともない。われわれはその「アイデンティティ」というやつがうっとうしいのだ。
この国には「うまく立ち回って生きてゆく」という文化の伝統なんかない。
先生、あなたの歴史解釈なんか、ぜんぜん的外れだ。
アイデンティティを確立することが人間のまっとうな生き方だといわれても、われわれにとってそれは、みずからの「けがれ」を大切にして生きよといわれているのと同じなのだ。
「けがれ」は、そそがれねばならない。われわれにとって「自意識」は「けがれ」なのだ。自意識は、けりをつけてしまわねばならない。
われわれは、「日本人である」という自意識から解き放たれたい、と願っている。だから、「国」のことは「お上」に任せてしまう。「アイデンティティ(自我)に固執する」という「けがれ」をそそいでゆくことが、日本列島の住民の歴史的な生きる流儀だった。
内田先生、日本列島の住民は、「生き延びる」ことを恥じて暮らしてきたのですよ。あなたのように「辺境人」としてこずるく立ち回って生き延びようとする自己愛のかたまりみたいな人間は、戦後という時代が生み出した突然変異なのです。
自分こそはまっとうな日本人である、と思っている人間なんて、いつだって庶民から逸脱している権力者か権力の犬か、そういう人種ばかりだったのだ。「自分こそはまっとうな日本人である」というそのアイデンティティ固執した自覚こそが、日本列島の歴史の水脈から逸脱した意識なのだ。
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日本列島の住民は、「自分こそはまっとうな日本人である」となんか思っていない。われわれには、先験的に獲得してるアイデンティティなどというものはない。われわれは、「けがれ」をそそいで「日本人になる」のだ。つまり、「日本人である」ことから解放されて、「日本人になる」のだ。わかるかなあ、先生。
この「なる」という感覚は、アイデンティティ固執した内田先生にもアメリカ人にもわかるまい。
われわれに、「日本人」というアイデンティティなどない。そういうアイデンティティなど持たないのが、日本列島の歴史の水脈なのだ。
われわれは、アメリカ人が、アメリカ人であるというアイデンティティ固執する気持ちを不思議に思う。
他者に蹂躙されたトラウマを抱いているものは、アイデンティティ固執する。なんといってもアメリカは、ヨーロッパに蹂躙された人たちが逃げてきてうちたてた国であり、彼らは、その歴史のはじめからすでにトラウマを負っている。
そして内田先生の頭の中にも、おそらく「太平洋戦争の敗戦」というトラウマが刷り込まれている。
歴史的な日本列島の住民には、そういう「異質な他者=異民族」に蹂躙されたというトラウマがない。ひたすらみずからの身体にまとわりついた「けがれ」を嘆きながら生きてきた。われわれは、生き延びることを恥じている。生き延びるための策を弄することを恥じている。だから「無策の策」を生きようとする。
幕末から明治にかけての日本列島の住民は、欧米列強に対して、自分(=アイデンティティ)を捨てて受け入れ、そして薩摩や長州は自分を捨てて戦いを挑んでゆきもした。中国や朝鮮の、地方の一小藩が欧米列強の黒船の艦隊に戦いを挑んでゆく、というこなどありえないに違いない。
この国には、自分を捨てて客をもてなすという文化がある。また、明治になれば、自分を捨てて欧米列強からすべてを学ぼうとしていった。捨て身でもてなし、捨て身で向かってゆく。その「無策の策」の文化が欧米人の心を動かし、彼らの属国にされることを免れた。司馬遼太郎のことばを借りれば、それは「ひやりとする幸運」だった。
内田先生のいうように、「辺境人」として小ずるく立ち回ったからではない。
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人が、アイデンティティ固執するのは、みずからの生の時間を、過去から未来に向かって飴のように延びたものとしてとらえているからである。それに対して、この生の時間を一瞬一瞬の生成ととらえるなら、アイデンティティは成り立ちようがない。われわれは、一瞬一瞬消えては生起している存在なのだ。
われわれは、先験的に「日本人である」のではない、「けがれ」をそそいで「日本人になる」のだ。
日本列島の住民は、先験的に何ものかであるという自覚を持てない「不安=嘆き」とともに存在している。その「けがれ」をそそいでゆくのが、われわれにとっての生きるいとなみであり、それは「なる」という行為なのだ。
「けがれ」はそそがれねばならない。「みそぎ」とは、「なる」という行為である。
「なる」の「な」は、「親密」「必然性」の語義。「なあ」と呼びかけるときの「な」。「……だなあ」という詠嘆・確信の「な」。
「なる」とは、「生起する」ということ。「な」は、「なる」ことの「必然性」。誰がつくったわけでもないのに、「なる」のだ。そのスムーズな親密性を「な」という。
「なる」ということばにこめられた日本的な心性については、すでに多くの先人が語っているところである。
「日本というアイデア(=アイデンティティ)」に「骨肉」などない。われわれのアイデンティティは、空っぽなのだ。「空っぽ」は、つくりようがない。それは「なる」のだ。
その空っぽの空間に、「神」がやどる。「無策の策」に、「神」がやどる。この国の文化においては、自意識に固執していたら、「神」は降りてこない。
この「神」が降りてくる瞬間のことを、「なる」という。
ナイスプレーとは、「神」が降りてくる瞬間のことだ。
われわれが欧米列強の属国にさせられることを免れて明治維新を迎えることができたのも、日露戦争に勝てたのも、アイデンティティを捨てて、まあナイスプレーとしての「神が降りてきた」体験だったのだ。
アメリカとは何か」と問う自己愛的な自意識を、何がうらやましがる必要があろうか。
先生、自己愛なんか捨てないと神は降りてこないのですよ。そういうことができないから、鈍くさい運動オンチであるあなたのもとには神が降りてこないのだ。
あなたにもう少し自己愛を捨てる日本列島的なタッチがあれば、もう少しは武道が上達している。
欧米人は、自分を携えて神に接近してゆく。日本列島の住民は、自分を捨てて神を迎え入れる。
まあ、こういう比較文化論は興味深いのだが、考え出すときりがない。