反「日本辺境論」・日露戦争から

内田樹先生によれば、日露戦争の勝利から太平洋戦争にいたる侵略主義における日本人のスローガンは、「世界標準を追い抜くこと」だったのだとか。
でも猿真似の辺境人根性という限界を持っている日本人には、「世界標準」を超えるものをイメージする能力はないから、けっきょくそのときロシアが描いていたアジア戦略をそのまま引継ぎなぞっていっただけだ、という。
「ロシアがやりそうなこと」を忠実に実行していったんだってさ。
日本人は「自分たちの国はよその国よりなんとなく劣っている」という辺境人の意識が染み付いているから、つまり欧米列強を追い抜こうとしたロシアの戦略をそのまま模倣してゆくことによって世界標準を追い抜こうとしたんだってさ。
まあそれは、裏を返せばそれほどに「学ぶ」能力に長けているということだから、この際それを生かして「とことん辺境人で行こうではないか」と内田先生はいいたいらしい。
なんというこじつけ。
この、人を安く見積もるいやらしい視線はなんなのだ。
あの時代にアジア戦略を拡大してゆこうとするなら、べつにロシアでなくてもそういう方向に動いていっただろう。そのときロシアと日本が同じことを考えていたから日露戦争になったというだけのことで、べつにロシアに教えてもらわなくても、それくらいのことは日本人だって考えつくさ。そういう「成りゆき」だったのだ。
もしもあのとき張作霖と出会わなかったら、毛沢東が登場しなかったら……そういう歴史のめぐり合わせというのもあるではないか。何もかも計画どうりに遂行されていったわけではない。「成り行き」というのがあるのだ。
東京裁判の戦犯の中の誰かが「ロシアから学んだ」とでもいったのか。
いうはずないさ。
彼らはみんな、それを、「成り行き」だった、と思っている。だから、誰も責任を負おうとしなかった。
内田先生、あなたは、ロシアがそういう戦略を描かなかったら日本人はそういうことをしなかった(できなかった)はずだ、といっているのだぞ。そんなバカなことがあるか。日本の軍部は、そこまで無知で無能だったのか。
人をさげすむのもいい加減にしろ。さげすんで、自分がいかに賢いかということを確認してゆく。その自己愛の、なんと胡散臭いことか。
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東京裁判で、東郷茂徳は、みずからの戦争遂行の動機についてこう語った。
「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事には<成り行き>があります」
日本人論を語ろうとするなら、この「成り行き」ということばは大いに気になるところだが、内田先生は、この証言をただの言い訳というくらいにしか考えていない。
そのときアジアはそのように動いてゆく状況になっていたのであり、それはもう誰にも止めることはできなかった、と西郷はいいたかったのであり、きっとしんそこそう思っていたのだ。
それはわれわれの「運命」だった、と。
「成り行き」ということばは、もともと日本列島の住民にとっては、今よりもずっと重く切実なひびきがあった。そこのところ、内田先生、あなたはなんにもわかっていない。あなたのように意図的なスケベ根性ばかりで生きている人間にはわからない。戦後に、あなたのような自己愛に固執した人間ばかりの世の中になって、それはずいぶん軽いことばになってしまった。
「成り行き」とは、「運命」のことだった。
彼らは、自分がこの世に生まれてきたことは、ひとつの「成り行き」だと思っていた。
われわれは、この宇宙の永遠の歴史の中の、浜辺の砂粒よりももっと小さな偶然とともに同じ時代の同じこの島国に居合わせている。そういう運命の重さというのはあるだろう。その思いから「成り行き」ということばが生まれてきた。その思いがあったから「あはれ」とか「はかなし」ということばが生まれてきたのだ。
「私」が存在することの根拠(=アイデンティティ)は、私が何をなすことができるかという私の「可能性」にあるのではなく、そういう「成り行き」の重さと切実さの中にある……原初のことばは人々の生活実感から生まれてきたわけで、「なる」ということばも、自分やこの世界が存在することに対する彼らのそういう実感として交わされていたのだ。
それに対して、現代人のように、自分や国家が存在することの根拠を自分や国家の「可能性」にもとめるなら、そりゃあ「成り行き」ということばに重みも切実さもなくなってしまうだろう。
現在は、そんな自己愛に固執した人間ばかりの世の中になってしまっている。
だから現代人は、東京裁判の戦犯たちがそろいもそろって「成り行きだった」といっていた心の動きが汲み取れないのだ。
日本列島の住民は、誰も責めない、誰も責任を取らない。よかれ悪しかれわれわれはそういう心の動きの傾向を持っているのであり、そのことは、「日本人は辺境人である」というていどのへりくつでは説明がつかない。
それは、誰もが、みずからの存在の根拠を、みずからの「可能性」ではなく「運命」として自覚しているからだ。
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僕がアメリカという国を胡散臭いと思うのは、自分たちが存在することの根拠をつねに自分たちの「可能性」として考えていることにある。
そして「日本辺境論」もまた、日本人であることの根拠を、日本人の「可能性」として語っている。そのいやらしい視線が、僕は気に食わないのだ。まあ、内田先生だけじゃない。いまどきな大人たちなんて、みんなそうじゃないか。
かつての日本列島の住民は、そんな「可能性」など忘れて、存在すことそれ自体に対する切実な思いを持っていた。
内田先生は、「私は誰に対してもオープンマインドである」と、つねづねいっておられる。
しかしそれは、他人をなめている、ということだ。やさしくするのも軽くあしらうのもたらしこむのも、自由自在なのだろう。
そのくせ、たとえば上野千鶴子氏と対談することには「論争するのは好きじゃない」といって逃げてまわっている。「オープンマインド」であるのなら、仲良く話して見せろよ。責められるのなら、責められてあげればいいじゃないか。それでこそ「オープンマインド」だろう。
僕は、他人が怖いし、気味悪いとも思っている。でも、会って話をすれば、あんがい他愛なく心を許してしまう。人間なんてそんな生きものだと思っている。
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「日本辺境論」の語り口に説得されている人たちは、内田先生と自己愛を共有しながら癒されてゆく。
しかしそれは、自己愛をもてないで嘆いているものたちを排除してゆくかたちの連帯でもある。
彼らは「人間が歴史(時代)を動かしている」という前提で合意している。
「戦前の軍部は一丸となってロシアのアジア戦略をトレースしていった」という内田先生の分析は、軍部の人たちが歴史(時代)をつくっていった、といっていることになる。
つまり、そうやって「人」を裁いているのだ。
自己愛に固執し、人が歴史(時代)をつくっていると考えるものたちはもう、そうやって人を裁いて生きてゆくしかない。自分は正しいという認識をアイデンティティにして生きているものは、そのアイデンティティを確認するために、たえず他人を裁いて生きてゆかねばならない。
先生の生き方やいっていることの「正しさ」は、現在の状況によってではなく、未来において担保されているんだってさ。人の受け売りばっかりしておいてよくそんなあつかましいことがいえたものだと思うが、ともあれその「正しさ」の担保を欲しがるスケベ根性が、他人を裁く視線になっているのだ。未来であろうがあるまいが、「正しさ」は「正しくない」ことによってしか証明できない。あなたたちは、その自己愛をあたため育ててゆくために、他人の不正や愚かさを確認してゆく体験を必要としている。
「正しさ」なんか欲しがるなよ。
「正しさ」を欲しがり、しかも「人が歴史(時代)をつくっている」と思うのなら、もう人を裁いて生きてゆくしかないではないか。
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戦前の軍部は、ロシアのアジア戦略をなぞっていったのではない。ロシアがかつてどんなアジア戦略を立てていようといまいと、そのときアジアははもう、そういう方向に動いてゆく歴史の運命になっていたのだ。軍部がもし何かをなぞっていったとすれば、それは、歴史という運命をなぞっていったのだ。
そのとき誰もが、そういう歴史の運命に引きずられていった。
小林秀雄は、戦後の対談で、戦前の軍部の人間がいかに愚かで凶悪だったかをあげつらうものたちに対して、こんなようなことをいっている。
「君たち利口なものたちは、そうやって人間を裁いてたんと反省するがいい。僕はただ、歴史の恐ろしい運命と遭遇したことに嘆き悲しむだけだ」と。
「罪を憎んで人を憎まず」とはありふれた格言だが、そのとき小林秀雄はまさにそういう思考態度をとっていたわけで、日本列島には、そういう思考態度をとってしまうような歴史の水脈があるのだ。
われわれは、歴史(時代)はわれわれに与えられた運命だと思っている。だから、西郷茂徳だけでなく、彼ら戦犯たちはみな「成り行き」だといった。そこに、どれほどの自己保身がはたらいていたかはわからない、しかしともあれみんなが、しんそこそういう思いになっていたのだ。
もしも彼らが「私たちが計画し、わたしたちがそういう歴史をつくった」といったのなら、そのほうがずっと正直ではないのだ。
そしてそれは、彼らが「辺境人」としてロシアをまねしていたからではない。何はともあれ、歴史という運命に身をゆだねながら突っ走っていったのだ。
日本列島の歴史は、彼らを裁かない。そして彼らも、責任を引き受けない。彼らが武士の末裔だったにもかかわらず、いささかもそれを卑怯な態度だとは思わなかったことの不思議を、われわれは考えてみる必要がある。彼らは、死刑を免れるためだけの理由でそういったのではない。彼らは彼らなりに、日本列島の歴史と伝統を守ろうとしていた。
それは歴史の運命だった、と彼らはいった。そう思ってしまうのが、日本列島の歴史的な美意識であり不幸であり、それが、日本列島を覆っている「空気」なのだ。
「空気を読む」の「空気」、われわれは、そういう「空気」を共有している。
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日本列島の住民は、人を裁かない。そして、誰も責任を負わない。
歴史は、われわれの運命である。
われわれは、二十世紀の歴史において、そういう役割を負ってしまった。
それは、万死に値する罪深い行為であったが、同時に、われわれの不幸であり運命でもあった。
近ごろの「不二家」や「赤福」の事件だって、同じさ。内田先生は、日本人の心が崩壊してしまっている、といっておられたが、そうじゃない、歴史(時代)が崩壊し病んでいるだけで、日本人の心は大昔からずっとそうだったのだ。ずっとそうだったけど、今は歴史(時代)がちがう。
そういうことを心の崩壊だの病んでいるだのといって人を裁きたがるあなたたちの心のほうが病んでいるのだ。
歴史の運命に身を任せようとする日本列島の住民は、歴史が病んでいると、することも病んでしまう。不二家赤福のことも、秋葉原事件のことも、われわれが負っている歴史の運命なのだ。
日本列島の住民は、自我を「けがれ」として歴史を歩んできた。
われわれは、歴史に身をゆだねてしまう。たとえ支配者であっても、自分が歴史をつくっているという自意識は薄い。
この国では、天皇その人が、すでに歴史の「いけにえ」として存在している。