反「日本辺境論」・華夷秩序という階層意識

「日本辺境論」は、第一章で内田樹先生の主張のほとんどは言い尽くされている。
つまり、明治以降の歴史で、日本人論を語っておられる。
僕はそういう近代史については、知識も興味もほとんどないから、けっこう四苦八苦してこれを書いている。日本人論を語るのなら、日本列島一万三千年の歴史で語ってくれよ、という思いがないわけではない。
内田先生は、なぜ近代史だけで日本人論を語ってしまおうとしたのか。
史料がたくさんあってわかりやすいからというだけでは、おそらくあるまい。
それは、それまでの歴史とは違って他国との関係がリアルに生じてきて、日本人が日本人のままでいることが困難になり、いろいろとぼろが出てきた時代である。
その「ぼろ」をつついて、逆説的に日本人を止揚してゆこうとしたのが「日本辺境論」だ。
この人は、他人をさげすむということをしないでは生きられない人らしい。まずそのことをして、そこから論を立ててゆく。これがこの人のいつもの手法なのだ。
近代史なら、さげすむ材料がいくらでもある。いい人であるふりをしながら上手にさげすんでゆく。そういう語り口にかけては、天下一品だ。
まず庶民をさげすむ。そしてそこから逸脱してきた自分の正当性を確認してゆく。この人は、そんなことばかりやっている。君たちも、私のように庶民レベルから逸脱してこい、というメッセージを送り続けている。
そして庶民自身も、その立場から逸脱したがっているし、すでに逸脱していると思いたがっている。
今やこの国では、みんなして「庶民」をさげすんでいる。自分の正当性を確認したいのなら、さげすむ対象は必要だ。そういう自己愛を、みんなして共有している。
われわれは、「庶民」をさげすむうまい言い方・考え方を欲しがっており、それを内田先生が提供してくれている。
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東大とは、庶民をさげすむ言い方・考え方を培養する機関なのだろうか。
日本列島の庶民とはみずからの「けがれ」を自覚して生きているものたちだから、歴史の必然ととして、そういう機関が生まれてくる風土がある。庶民自身が庶民をさげすんでいるのだから。
庶民自身が、庶民から逸脱してゆく機関を欲しがっていた。それが最初に現われたのは、江戸時代だろうか。徳川家康が、湯島にそういう幕府の御用機関としての朱子学の学校をつくった。東大の歴史は、そこからはじまっている。それは、庶民をさげすむ思想を培養する機関だったのであり、その権威は、庶民が庶民自身をさげすむ心の動きの上に成り立っていた。
徳川家康は、庶民のそうした心の動きを利用し、権威に弱い庶民を徹底的につくっていった。
東大が庶民をさげすむ思想を培養する機関であるということは、それほどに庶民自身が庶民をさげすんでいることを意味している。その「権威」は、庶民をさげすむことの上に成り立っている。
日本列島の住民は、みんなして庶民をさげすんでいる。だから、われわれは「権威」に弱い。権威とは庶民をさげすむことであり、われわれ自身がその庶民をさげすむ「権威」を止揚している。
東大が庶民をさげすむ思想を培養する機関であるのは、われわれ庶民の要請でもある。言い換えれば、われわれ庶民の要請だから、彼らはいつまでたっても庶民をさげすむ視線から脱却できない。
内田先生の庶民をさげすむその視線が、内田先生の言説を「権威」たらしめている。
下流志向」だろうと「街場の現代思想」だろうと「日本辺境論」だろうと、ぜんぶそんな視線で語られているじゃないか。そういう語り口にたらしこまれて、自分も庶民から逸脱した何ものかになったつもりでいる読者だって、そうとうグロテスクな存在かもしれない。そうやって自分に酔いしれて、何がうれしいのか。彼らの生きる目的は、自分を愛し自分に酔いしれることらしい。
僕は、そういうことが悪いといっているのではない。ただ、そんなことは僕の趣味ではないし、そんなことが日本列島の歴史の水脈だとも思わない、といいたいだけだ。
僕には、庶民から逸脱して庶民をさげすもうというような趣味はない。さげすむなら、そういう趣味の連中をさげすむ。そういう趣味の代表選手が、内田先生だ。
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「庶民」ということばを歴史的なことばに言い換えるなら、「常民」ということになるのだろうか。
日本列島の「常民」の心性を、「辺境人」などということばで語ってもらいたくないのだ。そんな薄っぺらな思考で「常民」の心性を語ってもらいたくないのだ。
「常民」の心性は、日本列島一万三千年の歴史の上に形成されている。これが、僕の思考の立ち位置だ。庶民をさげすむ近代的庶民として語ろうという趣味など持ち合わせていない。あくまで、この一万三千年の歴史に浸された「常民」として語りたいのだ。
われわれ庶民が庶民をさげすもうとするのは、われわれが「常民」として、どこかしらでみずからの「けがれ」を自覚しているからだ。
「近代的庶民」の「自己愛」と、「常民」としての「けがれの自覚」、われわれの心は、この二つの方向に引き裂かれている。
太平洋戦争の敗戦によってこの二つの方向に引き裂かれた、と言い換えてもよい。僕は今、「現在」という問題を、そういうパラダイムで考えている。
まあ、自己愛という砦を守って生きてゆきたい人がたくさんいる世の中だから、内田先生の説法が広く流布してゆくのも当然のことだろうし、それはそれで存在意義もあるのだろう。
しかし僕は、あくまで「常民」としての立場で発信してゆく。「常民」としての立場に立てば、「日本辺境論」などしんそこくだらないとしか思えないのだ。
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日本列島は中華の辺境である、という意識は、そのまま、われわれ庶民は支配者や知識人の「辺境」である、という意識にもなる。そうやって世界の「秩序」というか「ヒエラルキー」というのか、そんなかたちを設定してゆく思想は、江戸時代の朱子学からはじまっている。というか、朱子学によって、徹底的に強化されていった。江戸時代以降、そうやってわれわれは、いじましい庶民根性を徹底的に植えつけられていった。そうやって支配者や知識人は、その「秩序=ヒエラルキー」の上に居座ってきた。
なんのかのといっても内田先生はこの「秩序=ヒエラルキー」を壊したくないのであり、その戦術にころりとしてやられる庶民がたくさんいるということは、われわれはそれほどにそうしたいじましい庶民根性が頭にしみついている、ということだ。
いじましい「辺境人根性」は、かんたんに「中華意識」に変わる。庶民から逸脱した気になって庶民をさげすめば、その瞬間からあなたも「中華」だ。そうやって戦前の日本も中国や朝鮮を侵略していった、と内田先生もいっておられる。
中国大陸が「華」で、辺境は「夷(い)」あるいは「蛮夷」、このヒエラルキーを「華夷秩序」といい、東アジア人は等しくこの「華夷秩序」を共有していたから、強い武力を持った部族は、たとえ辺境人でも、自分たちが「中華」の立場を奪いにいこうとするのだとか。
まあ、日本列島の歴史において、ごく一部の支配階級や知識人にはそういう意識はあったとしても、それが、日本列島1万3千年を通じての「常民」の意識だったのではない。
少なくとも「常民」という立場においては、一度も異民族に侵略されたことのないこの絶海の孤島で、「華夷秩序」などというものはまったく念頭にない歴史を歩んできたのだ。
内田先生がなぜそんなことをいうのかといえば、東大出のエリートとして江戸時代以来の朱子学によるヒエラルキー意識が頭にしみ付いているからであり、太平洋戦争の敗戦によって日本が「華夷秩序」の辺境であることを世界レベルで思い知らされたという時代状況に他愛なくすり寄っていったからであり、さらには、父親が旧満鉄の社員だったこともあって「中華」という概念がすんなりと受けいられるような家庭環境にあった、ということも起因しているのかもしれない。
しかし、「華夷秩序」など、日本列島の「常民」の意識ではない。
だって僕は、そんなものはちっともピンとこないし、そんなヒエラルキー意識で生きてきたつもりもない。
僕はいつだって自分を「庶民=常民」だと思って生きてきたし、そういう人たちとは仲良くしてきた。そして、庶民をさげすみ庶民から逸脱しているつもりの人間からは大いに対抗心を燃やされたり嫌われたりすることが少なからずあった。彼らからすると、僕の無秩序な常民意識が、ひどく目障りであったらしい。
悪いけど先生、あなたとちがって僕の中には「華夷秩序」などないのですよ。
古代以来日本人が「華夷秩序」の中で生きてきただなんて、それは、あなたがみずからの知識人としての立場や自己愛を守ろうとするためにでっち上げているプロパガンダに過ぎないのですよ。
現在、この国では貧富の階層化が進んでいるといわれている状況にあって、それでもあなたはなおそうした「階層意識」を煽り立てようというわけですか。