反「日本辺境論」・中心と周縁

「日本辺境論」においては、人間は「中心と周縁」というコスモロジー宇宙論)で世界を考える、という前提で語っておられる。
先生は、売れっ子の文筆業者の大学教授、というかたちでこの社会の「中心」に位置しておられる。そのことが先生のアイデンティティであり、読者に対しても、おまえらもそのことはもう認めるほかあるまい、という意識で向き合っておられる。この「中心と周縁」の構図をおまえら読者も私と共有せよ、と扇動してくる。私をうらやましいと思え、私に憧れよ、と扇動してくる。まあ、先生自身が、現在のこうした立場に憧れて生きてこられたのだから、読者だって同じように憧れるのがとうぜんだ、と思っておられる。君たち読者は、私という「中心」の「周縁」の存在である、と。
ここまでなめられて、それでも先生に憧れる読者がたくさんいるのだから、日本人というのは、まったくお人よしな民族である。「辺境人の狡知」のかけらもない。
内田先生のいう「辺境人の狡知」などというずるがしこい知恵は、相手をなめている人間にしか持てない。内田先生はそうかもしれないが、それは日本列島の歴史的な水脈ではない。
先生の中には、こうした「中心と周縁」のコスモロジーが厳として存在している。だから、人をなめたような物言いができるのだ。そこから、「日本辺境論」が発想されていった。この、いわば儒教的・近代合理主義的、ヨーロッパ中心主義的コスモロジーこそ、先生の生きる張り合いであり、思考のパターンになっている。
先生の頭の中には、「中華思想」がしみ付いておられる。そして、われわれ日本人の歴史はこの「中華思想」を中国大陸の人間から骨の髄まで叩きこまれたところからはじまっている、という。そうやってみずからの「中華思想=エリート意識」を正当化してゆく。
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「日本辺境論」から。
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「辺境人であること」は日本人全員が共通している前提であって、これを否定することは私たちにはできません。というのは、このコスモロジーを否定するためには、それと同程度のスケールを持つ別のコスモロジーを対置するしかなく、現に日本人は東アジア全域を収めるような自前の宇宙論を持っていないからです。過去も現在も日本人は、一度として自前の宇宙論を持ったことがない(そしてたぶんこれからも持つことができない)。
 もちろんそれは日本人が「わが国こそが世界の中心である」という夜郎自大な名乗りをしたことがなかったという意味ではありません(何度もしました)。けれども、その名乗りはつねに中華思想を逆転したかたちでしか成されなかった。
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冗談じゃない。「自前の宇宙論」を持っていない民族などこの世にいるものか。人をさげすむのもいいかげんにしろ。それくらい、アマゾンやボルネオの奥地の原住民だって持っている。人間が共同体をいとなんで暮らしていれば、自然にそんなことを考えるのだ。この地球のどこの場所にも空があり、太陽が輝き、星や月が瞬き、大地が広がっているのだぞ。そういうところで暮らしていれば、人間なら誰だって「宇宙論コスモロジー)」を考えるだろう。
宇宙論を持つ」ことは、人間の自然なのだ。先生あなたは、文化人類学の基礎中の基礎のこともわからないのか。
まったくあなたは、思考のていどが、薄っぺらすぎるのですよ。
そして先生のこんなくだらないへりくつに感心しきりのあなた、文句があるならいってきてくださいよ。無限に反論して差し上げる。
また「このコスモロジーを否定するためには、それと同程度のスケールを持つ別のコスモロジーを対置するしかなく」だなんて、人間ならそうやって「中心と周縁」の宇宙論を持つに決まっている、と考えているからだ。先生、持つに決まっているのは、あなたのような思い上がった自意識過剰な人間ばかりだ。
「このコスモロジーを否定するためには」、わざわざべつに「それと同程度のスケールを持つ別のコスモロジーを対置する」までもなく、われわれにはそんな「中心と周縁」のコスモジーなどない、といえばいいだけのことさ。
「中心と周縁」のヒエラルキーをつくることだけが宇宙論ではない。
じっさい、絶海の孤島であるこの日本列島には、そんなコスモロジーなどなかった。「中心と周縁」がないコスモロジーがあっただけだ。
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中華思想とは、「中心=中華」と「周縁=蛮夷」によって世界が構成されている、という思想だとすれば、日本列島の世界観においては、「中心」も「周縁」もない。なぜなら、この孤立した島国においては、「周縁=他国」がないからであり、したがって、ここが中心だという自覚も持ちようがない。つまり「中心と周縁」という二項対立の世界観は、この国にはないのである。
縄文人は、水平線の向こうは「何もない」と思って生きていた。すなわち「周縁はない」、ということだ。
日本列島1万3千年の歴史は、まず最初の1万年の縄文時代をそういう世界観で過ごしてきたわけで、われわれは、そういう世界観を歴史的無意識としていまだに引きずっている。これが、日本列島1万3千年を通じての「常民」の基礎的な世界観なのだ。
日本列島には、「中心と周縁」という「秩序」の文化がない。
西洋では集落(都市)の中心に寺院や祭りの広場がある。
それに対して日本列島の神社は集落のはずれにあり、そこで祭りが催される。集落の中心に、なんの意味もない。
つまり西洋の集落は、集落の者たちが集まってくるのに一番便利な集落の中心に祭りの場が設けられている。それは、集落が自己完結して、集落のアイデンティティが確認されるというかたちで祭りが成り立っている、ということだ。
一方日本列島の集落は、外部からの客を迎える集落のはずれに祭りの場がある。それは、集落が完結していないために外部との出会いや連携によって完結させていこうとしているからだ。
西洋の集落は、自己完結した中心と周縁を持っている。
日本列島の集落は、中心を持たず、自己完結できないために、外部からやってくる旅人(あるいは他の集落)との「間(ま)=すきま」における出会いや連携が模索されている。言い換えれば、西洋では他者(=外部)との関係によって自己完結してゆくが、日本列島では自己完結しないで、他者とたがいの「間(ま)=すきま」を「共有」してゆく。
日本列島には、「中心と周縁」という「秩序=コスモロジー」が存在しない。
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縄文人の集落は女子供だけのものだったから、自己完結できなかった。その集落は、旅する男たちの集団を迎え入れることによって完結した。そこでは、出会いという「間=すきま」がつねに意識されていた。男たちも女たちも、ともに「自己完結できない嘆き」を「共有」していた。
大陸では、たがいの関係を契機として、ともに「自己完結」を獲得してゆく。これは、国と国の関係でも個人と個人の関係でも同じである。
しかし日本列島における関係意識は、「自己完結できない嘆き」を「共有」し「連携」してゆく、というかたちになっている。
中心と周縁、すなわち日本列島においては、「中華」という意識も「辺境」という意識もない、ということだ。
自己を「中心」とし、他者を「周縁」と意識してゆくことによって自己完結してゆく。つまり、アイデンティティを確立する。それは、ひっくり返して自己を「周縁」と意識し他者を「中心」と意識しても同じことだ。とにかくそうやって「自己」を確認している。
しかし日本列島では、自己を「中心」だとも「周縁」だとも思わない。意識が、自己を確認することに向かっていない。他者も確認しない。あの水平線の向こうは「何もない」、と思うように、日本列島の住民は「何もない」というそのことに憑依してゆく心の動きを持っている。すなわち、他者と自分とのあいだの「何もない空間=すきま」におたがいが憑依し、その「何もない空間=すきま」を「共有」してゆくという関係になっている。これが「空気を読む」という関係だ。
われわれは「中心(中華)」にも「周縁(辺境)」にも憑依しない。そのどちらでもない「何もない空間=すきま」に憑依し、その「何もない空間=すきま」を「共有」してゆく。
われわれは、「共生している」のではない、「出会っている」のだ。たがいのあいだのこの「何もない空間=すきま」が、われわれの「出会い」を保証している。言い換えればこの「空間=すきま」は、「あなた」の確認にも「私」の確認にもならない。ただもう、われわれが「出会っている」ということだけを証明している。
日本列島の他者との関係の文化は、「共生」の文化ではない、「出会い」の文化なのだ。縄文時代はこの関係の文化としてはじまっているし、いまだにこの関係の文化の上に「空気を読め」だのなんだのといっているのだ。
日本列島の住民の意識に「中心と周縁」のコスモロジーなどというものはない。
われわれは「中華」などというものは知らないし、みずからを「辺境」と意識したこともない。
「自分を愛するように他者を愛せ」なんて、われわれの知ったことではない。われわれは自分も他者も愛さない。あくまであなたと私が出会っているこの「空間=すきま」を祝福してゆく。この「空間=すきま」を愛する。それは、人と人の関係においても、国と国の関係においても同じである。
われわれにとってこの世界は、「中心と周縁」のコスモロジーとして成り立っているのではない。そうした「秩序」として完結しているのではない。われわれは、世界が自己完結できない不条理として存在していることの嘆きを共有しながらときめきあっている。
じっさい縄文人はそのようなかたちの社会をつくっていたのであり、これが、われわれの心の底に流れている歴史の水脈にほかならない。