反「日本辺境論」・「今ここ」という現実

ある絵描きが「現実は精巧につくられた夢である」といったそうな。
「現実は夢のようだ」というような言い方は、誰でもする。
とすれば、「精巧につくられた」というところがみそだ。この表現に、画家の万感の思いがこめられている。
われわれ日本列島の住民は、景色を眺めるとき、「中心と周縁」とか「自我の確立」といった観念作用の手続きを経ないで、直感のままに、一挙に全体をつかまえてしまう。
そのとき、蟻の穴も堂々とした大木も等価としてとらえられている。
だから、日本画には、遠近法がない。
現実は、「精巧」につくられている。蟻の穴だって、じつに「精巧」である。
しかしそれらは、すべて夢である。夢であるのに、どうしてこんなにも「精巧」なのだ、というくるおしさが画家にはある。
茶碗を描いていても、茶碗のへりの小さな欠損が、どうしようもなく「精巧」な「現実」に見えてしまう。
それは、この絵描きの性であると同時に、人間の目は世界をそのようにとらえてしまうという普遍的な「現実」でもある。
いわしの頭だって、「神」になる。いわしの頭だって、これ以上ないほどに「精巧」な「現実」であると同時に「夢」でもある。
目の前のこの世界をまるごと一挙にとらえてしまうとき、世界の外は何もない。
子供や原始人は、そのように世界を見ている。
だから、あの山の向こうは「何もない」と思う。水平線の向こうは「何もない」と思う。
だから、死ねば何にもない闇が広がる「黄泉の国」に行くだけだと思う。
あの山や水平線の向こうに「もうひとつの現実」などないのだから、こちらがわだって、「現実」であると同時に「夢」でもある。
死後の世界が「夢」であるのなら、この生もまた「夢」にちがいない。
日本列島の住民は、「水平線」や「あの山」の向こうに「世界」を描かない。「今ここ」がすべてだと思い、「今ここ」をまるごと一挙にとらえてしまう。
だから、いわしの頭も、小さな盆栽も、世界そのものになり、神にもなる。
この、「現実は精巧につくられた夢である」という感覚こそ、内田先生のように「中心と周縁」や「自我の確立」という観念の手続きを通してしか世界を見ることのできない人間にはついにわかることのできない日本列島の「常民」の心であり、人間存在の根源的な心のありようなのだ。
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日本列島に住み着いた原初の人類は、北海道の北の樺太からも、九州の南の奄美沖縄諸島沿いに東南アジアからも、そして朝鮮半島からもやって来た。
そういう意味で、東アジア全体が、日本人の祖先の地かもしれない。
日本人は、そういう原初の祖先のことにあまりこだわりがない。千島・樺太から降りてきたという説もあれば、天皇家の祖先は南方諸島沿いに上がってきた、といっている歴史家もいる。また戦前の朝鮮併合のころは、弥生人のほとんどは朝鮮半島からやって来た人々だった、といわれていた。つまり、朝鮮人も日本人も祖先は同じだ、という理屈によって、併合が進んでいった。
けっきょく、どこから来てもいいのだ。そのときいちばん都合のいい説を採用すればいい、と考えているらしい。
日本人の日本人たるゆえんは、この日本列島に住みついて暮らしてきたことにある。それ以前にどこから来ようと、たいした問題ではない。われわれは目の前の景色をまるごと一挙にとらえてしまう能力を持っているがゆえに、見えない向こうがわは「何もない」と認識してしまう。大陸から切り離されて日本列島が生まれた以前の、「向こうがわ」のことなど、「何もない」と同時に「なんでもいい」のだ。
ナチスは、ゲルマン民族という血にひどくこだわった。朝鮮半島の人々も、「血」にこだわる。だから朝鮮併合のとき、血筋のことは朝鮮に全部譲り、日本人の祖先は朝鮮人である、ということにした。
日本人は昔から、祖先の名乗り方がじつにいいかげんだった。
ある山奥の村が、平家の落人を二、三人かくまったとする。すると、いつのまにか村人全員の祖先が平家になってしまう。いや、もしかしたらその落人を殺して身ぐるみ剥いでしまったのかもしれないのだが、それでもその遺品が平家の末裔であることの証しになる。
戦国時代の武将の中にはただの百姓や足軽から成り上がったものがたくさんいたらしいが、みんな平気で、祖先は源氏だの平家だの朝鮮貴族だのと名乗った。家系図なんか、適当にでっち上げればいいと思っていた。
そもそも、「日本人である」という自覚そのものがあやふやだ。
日本列島の中だけで、戦争に勝っただの負けただのということをしてきた民族なのだ。日本人であるということなんか、なんの値打ちも実感もない。
日本人であるという自覚は、外国と戦争をして、初めて生まれてくる。
江戸時代までは、日本人であるという自覚持っていた日本人なんか、ほとんどいない。
われわれの国家(国民)意識など、じつにいいかげんなのである。
それは、「現実は精巧につくられた夢である」と思っているからであり、あの山や水平線の向こうは「何もない」と思っている民族だからだ。
現実は夢なのだから、国家という概念だって、夢のまた夢に過ぎない。われわれは、自分たちの祖先の地だろうと血だろうと、国家という概念だろうと、どうでもいい民族なのだ。そんな「アイデンティティ」などというものにこだわる意識は、明治以後か太平洋戦争のみじめな敗戦によってもたらされた、ただの西洋かぶれなのだ。
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内田先生が「日本は、辺境人の狡知によって生き延びてきた、だからとことん辺境人でいこう」というとき、「日本とは何か、日本人はいかにあるべきか」という問いの答えを提出しているつもりでいるらしい。
しかしわれわれは、そんなアイデンティティなどどうでもいいと思っている。われわれにそんな問いなどない。そんなことを問うのは、「中心と周縁」とか「自我の確立」という観念の手続きを通してしか世界と向き合えない、西洋かぶれした連中ばかりだ。明治維新と太平洋戦争の敗戦はそういう人間をたくさん生み出したのだが、因果なことにそういう連中が知識階層をつくり、この国のオピニオンを決定してしまっている。われわれは、そういう連中から「歴史」を取り戻さなければならない。
内田先生、あなたが「日本人の辺境意識はかんたんに中華思想に変わってしまう」といっているのはつまり、日本人には中華思想という「からごころ」だけがあって、「やまとごころ」など存在しない、といっているのと同じなのですよ。
かんたんに中華思想に変わってしまわない「やまとごころ」というのも、たしかにあるのだ。
われわれは、国家意識など持たない国民である。国家意識を持つことができない国民、というべきだろうか。
歴史的には、一部の支配者にそんな意識があっただけで、江戸時代以前には国歌も国旗もなかったし、いまだにそれらが国民のあいだに定着しているとはいいがたい状況がある。それは、われわれの国家意識そのものが希薄だからだ。
「日本人」といっても、「国家」を意識しているわけではない。日本列島を意識しているだけだ。
「日本人」を、「国民」として語ること自体、文化的歴史的にはナンセンスなのだ。
たとえ支配者であろうと、「国家」という意識が希薄であるのが、絶海の孤島である日本列島の歴史文化なのだ。
国家という意識など希薄だったから、「大東亜共栄圏」などというスローガンを大真面目でイメージしてゆくことができたのだ。それは、現在の「ユーロ」のさきがけとなったイメージで、みんなが「国家」という意識をできるだけ小さくしてゆこうとするコンセプトだった。絶海の孤島である日本列島の住民は、生まれながらにしてというか、歴史的にそんな心の動きを持っている。
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「中華の辺境」というなら、朝鮮やベトナムやウィグルやチベットまでのことで、日本列島は「辺境」ですらない絶海の孤島だった。
中華の漢民族は、歴史的に何度もそれらの地域を侵略している。侵略しておかないと、逆に侵略されて、国土の端っこを削られてしまう。そういう心配があるから、つねに侵略しておこうとした。
大陸の民と、この絶海の孤島の民の、自分たちの共同体に対する意識は違う。大陸では、中華の漢民族さえ、つねに辺境から「侵略されるかもしれない」という心配を抱えていた。中華も辺境も、そういう心配を国民上げて抱えていた。彼らは、実際に侵略し侵略されるという応酬をずっと繰り返してきたわけで、国民だって、そのつど難民になったり奴隷にされたりしてきた。そうやって「国家」という意識を持つほかない歴史を歩んできた。そういう大陸の民の心の動きを、やまとことばでは「からごころ」といった。
そういう艱難辛苦の歴史とは無縁だった日本列島の民が、どうして「国家」という意識など持つことがあろうか。この絶海の孤島の心の動きを「やまとごころ」という。
この国の「常民」には、国家意識がない。だから、国歌や国旗が定着しない。
上から押し付ければ、それは定着するか。かたちとして定着するかもしれないが、それによってわれわれの心の中に国家意識が定着するかどうかはわからない。
われわれの心の中に定着させたかったら、押し付けないで辛抱強く待て。永久に待て。
われわれは、それができた明治以降に日本列島の住民になったのではない。大陸から切り離された1万3千年前から日本列島の住民だったのだ。
昨日今日日本人になったような薄汚い成り上がり根性でわれわれにそれを押し付けてくるな。そんなことは、歴史の運命が決定するのだ。おまえたち、ではない。
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明治以来日本列島の住民はけんめいに生き延びようとしてきた、と内田先生はおっしゃる。
くだらない。そんな卑しいものの見方をするなよ。お里が知れる。
東京裁判の戦犯たちに、「生き延びようとしてきた」という自覚があったのなら、「歴史の運命だった」というようなことばは生まれてこない。あの日本人として最低の連中だって、「生き延びようとしてきた」という自覚などなかったのだ。それは、彼らが卑怯だったからそういったのではない。しんそこそう思っていたからだ。他人からどのような行為に見えようと、彼らは彼らなりに、アジアの民を祭り上げていったのだ。やつらだって、「今ここ」が「現実」のすべてだったのであり、生き延びる「向こう」なんかなかったのだ。
たがいに相手を祭り上げる、これが、日本列島の人と人の関係の文化である。「現実は精巧につくられた夢である」と観じ、目の前にいる「あなた」こそ人間のすべてである、と祭り上げてゆく。これが、日本列島の歴史の水脈になっている。
われわれは、水平線の向こうは「何もない」と思って歴史を歩んできた民族である。だからこそ、「現実は精巧につくられた夢である」と、目の前のものに深く豊かに驚きときめいてゆくことができる。つまり、「今ここ」という現実の向こうは、「何もない」のである。われわれに、「生き延びようとする衝動」などない。「今ここ」を味わい尽くそうとする心の動きがあるだけだ。
われわれは「生き延びようとする」態度を恥じる民族である。それは、儒教道徳でもなんでもない。「今ここ」の現実を、まるごと一挙にとらえてしまう心の動きを持っているからだ。このほかには何もないというくらいまるごと一挙にとらえてなお、「夢」と感じてしまうからだ。
善か悪かという問題ではない。生き延びようとするなんてそんなの変だ、と思ってしまうからだ。そんなの変だと思ってしまうくらい、「今ここ」を一挙にまるごととらえてしまう視線を持っているからだ。
日本画に遠近法がないということは、そういうことを意味するのですよ、内田先生。あなたみたいに生き延びようとばかりしている鈍くさい人間にはわかるはずもないが。
つまり、生きてあることを「今ここ」でけりをつけてしまう、われわれは、そういう歴史を歩んできた。「あなた」と出会えば、「あなた」が人間のすべてだと思ってしまう、そういう人は「現実は精巧につくられた夢である」という。