反「日本辺境論」・生き延びようとする狡知

「日本辺境論の」の内田樹先生は、こんなことをいっておられる。
「<非現実>を技巧した<現実主義>、<無知>を装った<狡知>というものがありうる。それをこれほど無意識的に操作できる国民が日本人の他にあるでしょうか。」
「知らないふりをする小ずるさ」こそ日本人の特質である、といっておられるわけだ。
ようするに、自分の中の小ずるさをそうやって正当化しているのだ。
あんたと一緒にしてくれるなよ。
われわれ「常民」は、ほんとに知らないのだ。そしてそれは、「無知」だからではなく、あんたのような「生き延びようとする」スケベ根性が希薄だから興味がないだけのこと。
この日本列島の歴史的な精神風土は、良くも悪くも「生き延びようとする」スケベ根性を恥じて断念してゆくことにある。「腹切り」も「神風特攻隊」も、そういう精神風土から生まれてきたのだ。この国には、そういう強制を拒否できない精神風土があった。
生き延びようとする「狡知」があったのなら、「知らないふり」をしてそんな制度などすぐになくしてしまうさ。
日本人が「空気を読む」民族であるということは、いかに「知らないふり」をすることが下手な民族であるかを意味している。
そしてわれわれがなぜ「生き延びようとする狡知」を恥じるかといえば、生きてあることの「嘆き=けがれの自覚」を共有している民族だからだ。
内田先生は、日本列島に覆われている歴史的なそういう空気=風土を一掃して、誰もが「生き延びようとする狡知」が満々の民族に扇動してしまおうとされている。そうなれば、内田先生も、そのトップランナーとして立場が磐石なものになる。
いいかげんみんな気づけよ。この先生は、ヒットラーと同じことをしようとしているんだぜ。内田先生のその「狡知」な言いまわしにすがりついて安心を得ようとする、そのいじましさはいったいなんなのか。これこそ、太平洋戦争のみじめな敗戦によってもたらされた「歴史の反動」なのだ。
ドイツが、第一次世界大戦のみじめな敗戦のあとにヒットラーを登場させたように。
日本列島の住民は、他国との「駆け引き」で生き延びてきたのではない。「駆け引き」する必要のない絶海の孤島に置かれていたから生き延びてきただけのことであり、この日本列島には「生き延びようとする駆け引き」の「狡知」が育まれるような風土はなかったのだ。少なくとも太平洋戦争の敗戦のあとまでは。少なくとも歴史的な「常民」の心性においては。