「日本辺境論」の欺瞞

菅直人代表誕生の日にこんなどうでもいいことをわめいているのもなんだか気が引けるのだが、政治向きのことはよくわかりません。
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日本列島の住民が「国」というものを意識しはじめたのはいつごろからだろう。
幕末から明治維新にかけてのことだろうか。
本格的に庶民階層まで「外国」を意識しだしたのは、おそらく日清戦争あたりからだろう。
しかしそれだって負けたわけではないから、内田先生のいわれるように、「外国と比較して自分の国はなんとなく劣っている」、という意識になったわけではない。
われわれがそういう意識から逃れられなくなったのは、太平洋戦争で惨めな敗戦を喫してからのことだ。われわれは、打ちひしがれた。何しろ日本列島一万三千年の歴史を通じて、はじめての体験だったのだから。
われわれの自我は打ち砕かれ、多くの政治家や知識人は、「外国と比較して自分の国はなんとなく劣っている」という意識から逃れられなくなっていった。
そしてその意識は、しだいに多くの庶民層まで浸透していった。
日本列島の住民が実質的に自分の国のことを考えるようになったのは、じつはついこのあいだの終戦後からのことなのだ。だから、「日の丸」とか「君が代」に、いまいちなじむことができていない。
われわれは、もともと「国」のことなんか考える民族ではなかった。それは、よその国のことなど頭になかった、ということだ。よその国など頭になかったから、「自分の国」という意識もなかった。
太平洋戦争の敗戦によってわれわれは、自我を打ち砕かれ、自分の国のことを考えない明治以前の歴史の水脈に遡行していったと同時に、さかんに外国と比較して自分の国について考えるようにもなった。
そういうかたちで「庶民と知識人」の意識が、あるいは「若者と大人」の意識が二極化していった。
つまり、庶民のレベルにおいても、はじめて本格的に「国」について考えようという態度が生まれてきた。しかもそれについて考えると、上から下までつい「外国と比較してこの国はなんとなく劣っている」というかたちになってしまう。そういう傾向は、戦後になって著しくなってきたのであって、この島国の伝統であるのではない。
あの惨めな敗戦とそののちの経済成長や情報文化の発達によって、われわれは、避けがたく「外国」を意識してしまうほかない立場におかれてしまった。
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外国のことを知らず、外国に蹂躙された体験もない日本列島の住民は、もともと外国と出会えば他愛なくときめいてしまう傾向を持っている。
庶民はただ他愛なく外国にときめいているだけでも、政治家や知識人の意識が伝染して、ついそういうレトリックになってしまう。
意識が江戸時代以前に戻るということは、「他愛なくときめいてしまう」ということである。その意識に、惨めな敗戦のトラウマが重なっていった。
戦後、外国の情報が、ますます身近なものになっていった。そして情報が入ってくれば他愛なくときめいてしまうのが、この国の歴史的な感情である。絶海の孤島に置かれたこの国の人間は、世間知らずだから、つい他愛なくときめいてしまう。少なくとも江戸時代までは、他愛なくときめいてしまうだけで、「なんとなく劣っている」という意識で歴史を歩んできたのではない。
われわれ庶民は、外国に対して「劣っている」という意識も「すぐれている」意識も持っていないから、「劣っている」という言説にも「すぐれている」という言説にも流されてしまうのだ。
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内田先生を批判することは、この国の「現在」の病理を告発することだと僕は思っている。べつに、内田先生に対する個人的な恨みがあるのではない。
自意識に固執する=自己愛、という病理。
自己愛ののかたまりみたいな人が、その自己愛を正当化するためにあれこれ強引なこじ付けをして見せてくれているのが、「日本辺境論」だ。
そして巷には、みずからの自己愛を正当化したい人がわんさかいるから、こういうこじつけのレトリックが歓迎されている。
辺境だろうとなんだろうと、もともと日本列島の住民は、内田先生のいうほど自意識過剰な民族ではない。
「日本辺境論」とは、ようするに日本列島の住民の自意識をでっち上げる著作なのだ。
自己愛は、他者に蹂躙された、というトラウマから生まれてくる。
旧約聖書が「自分を愛するように他者を愛せ」というのは、彼らユダヤ人の思考が、他者=神によって蹂躙されたところからはじまっているからだ。
他者に蹂躙されたトラウマを引きずっているところから、自己愛が生まれてくる。
日本列島は、太平洋戦争の敗戦によって手ひどい蹂躙を受け、そのトラウマから内田先生のような自意識の固執する人々が続々登場してきた。
内田先生は、自意識=自己愛で人間を語る。内田先生によれば、日本列島の住民は、自己愛のかたまりのような民族なんだってさ。その自己愛で日本列島は生き延びてきたんだってさ。
「日本辺境論」は、この語り口によって大向こう受けし、一方では多くの人に大いに幻滅もされている。われわれは、この語り口の、みずからの自己愛を正当化して恥じないえげつなさに我慢がならない。そんなふうに語られても、日本列島の住民の意識のかたちを正確にとらえているとはぜんぜん思えない。
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「自意識にけりをつける」ことが生涯の課題だと語った知識人がいる。
「人間とは自己意識である」といっても、それだけでは人間は語れない。「自意識にけりをつけようとする自意識」もある。
つまり、自意識を抑制してしまう自意識もある。それが、日本列島一万三千年の歴史の底に流れている「けがれ」の意識だ。
「けがれ」の自覚とは、「自意識にけりをつけようとする自意識」であり、日本列島の住民は、無意識的には誰も国を動かしているとは思っていない。国を動かしているのは時代(歴史)であり、それはわれわれの「運命」だと思っている。
日本列島の住民は、その歴史を通じて、内田先生のいうように辺境意識に立って生き延びるためにあれこれ画策してきたのではない。あれこれ画策するまいという自意識とともに、歴史に殉じようとしてきたのだ。
けっきょくは「無策の策」に殉じてしまうところがあって、そうやって太平洋戦争が遂行されていったのだ。
だから、誰もその責任を自覚できないし、問うこともできない。
日本列島の住民は、「けがれ」の意識を持っているから、「生き延びようとする」自意識を恥じて抑制してしまう。「生き延びよう」としてしたわけではないから、責任を自覚できないし、責任を問えない。
あのとき日本列島の住民は、まるで生き延びようとすることを恥じているかのように、あの無謀な戦争を遂行していった。
特攻隊の「散華の精神」とは、そういうものではなかったのか。あのとき、この国の誰もがそういう気分になっていった。
内田先生は、日本列島の歴史の底に流れている「辺境人としての<索>」をあぶりだして見せたつもりだろうが、「索」が無化されてゆくところにこそ日本列島の住民の自意識の伝統があるのだ。
日本列島の住民は、内田先生のいうように、「策」を弄してこの一万三千年の歴史を生き延びてきたのではない。絶海の孤島にあるという地理的条件によって「無策の策」が通じる幸運を生きてきただけであり、その幸運もついに太平洋戦争で尽きてしまったのだ。