欝の時代6・監視する装置

自意識がなぜうっとうしいかといえば、自分で自分を監視し検閲してゆく心の動きだからだ。たとえばそれは、鏡に写った自分から自分が見られているようなうっとうしさであり、そうやって自意識過剰になって体がうまく動かなくなってしまうし、キャリアウーマンのOLは肩こりが取れないと嘆いている。彼女らは、その過剰な自意識のぶんだけ体の動きがぎこちない。自分を意識しすぎるのだ。それは、自分から監視されている、ということであれば、彼女らもまたすでに「鬱」の予備軍になっている。
その点「やらせ女」のバカギャルは、もうちょっと体の動きがスムーズで、そうそうむやみに肩なんか凝らない。
「鬱」とは、自意識をうまく処理できなくなってしまう病のことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
心中していった太宰治は、最後の避難場所として「家族」を選ばなかった。家族はむしろ、彼を監視し追いつめる空間として機能していた。
家族はほんらい、共同体の監視から逃れる避難場所として生まれてきたはずである。なのに戦後の核家族は、彼を監視し追いつめた。「家にいたら(女房の監視がうっとうしくて)仕事ができない」といつもこぼしていた。
彼がなぜそれをそんなにもうっとうしがったかといえば、彼自身がたえずみずからをを監視し検閲して生きていたからだ。その上さらに監視されたら、もう身動きできなくなってしまう。
現在の若者が結婚できなくなっているのも、おそらく監視されることに耐えられないからであり、社会そのものが監視の構造を強く持ってしまっているからだ。彼らは生まれてからずっと、家族からも学校からも監視されて育ってきたし、みずからを監視する傾向(自意識)も強い。みずからを監視せよ、と監視されて育ってきた。
人間は、先験的に自分自身を監視し検閲して存在している。人間には、自分自身を監視する自意識にけりをつけ、そして外部の監視から逃れる避難場所が必要だ。
われわれは追いつめられている。この「鬱の時代」は、監視のシステムに覆われている社会によってもたらされている。
自分を監視し追いつめているのは、社会であり家族であり自分自身だ。
自分を監視し検閲することによって自分にうっとりと耽溺してゆく。もちろん自意識には、そういう効用もある。しかしそれが果たして根本的な解決になるか。そのためには、この社会も家族も自分自身も自分を肯定し賞賛している状況をつねに保ち続けなければならない。彼は、自分が否定され非難されることに耐えられない。そういうかたちで監視されることに耐えられない。そういうことにはもう、知らんぷりすることによってしか、耐えられない。自分に対する賞賛を、社会からも家族からも自分自分自身からも得られているあいだは、それでもいいだろう。しかし、誰もがそんな恵まれた状況を得られるとはかぎらないし、誰の人生においても、追いつめられる状況は必ずやってくる。死ぬまでそんな立場だけで生きてゆけるものではない。生きてゆけると勘違いしている人はたくさんいるし、無理してそのようなかたちに糊塗し続けている人もたくさんいる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たとえば、内田樹先生は、前の奥さんに逃げられてことに対して、女房が何か勘違いをして軽はずみなことをしただけだ、と無理やり解釈して済ませてしまっている。
しかし、やっぱりそれだけで済ませてしまうのは、無理がある。普通の人間なら、俺に男としての魅力がなくて幻滅されたのだろうな、という思いと、いやでも向き合わねばならない。先生は果たして、向き合うことのできない人間としてこの先も人生をまっとうできるだろうか。もちろんまっとうできた幸せな人は、いくらでもいるだろう。しかしそれが、人間としての真実を深く見つめた人生といえるだろうか。先生は、知識人である。そういう人が、この「鬱の時代」の処方箋を提出しても、どれだけ人間としての真実に迫っている内容を持たせることができるだろうか。
自分に男としての魅力がなかったからだ、という無念の思いを持たないで済ませることが、果たして誰にもできるだろうか。それが誠実な生き方だと、果たしていえるだろうか。そんなふうに知らんぷりばかりしていたら、見えない部分はいくらでも出てくるだろう。
それで、人生を味わいつくしている、といえるだろうか。
太宰治も、内田先生と同じように自意識に耽溺して生きた。しかしその代わり「生まれてきてしまってごめんなさい。いずれ必ず自分で死んでゆきます」という誓いをけっして手放さなかった。だから、あんな小説が書けた。
内田先生は鈍感だから、そんな「誓い」などなしに、お気楽に人格者としての生きる権利を主張しながら生きてゆけるのだろう。しかしだからこそ、あんな、口先だけで人をたぶらかすような薄っぺらなことしか書けない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人類の歴史で、共同体という個人を監視し検閲する制度が生まれてきたのは、およそ8千年くらい前で、国家というかたちになってきたのは6千年くらい前からだといわれている。この動きが最初に起きてきたのは西アジアメソポタミア地方で、ナイル川流域のエジプト文明がそのあとに続いた。そしてこの監視の制度から追いつめられた人々の避難場所として、一夫一婦制の「家族」が生まれてきた。
海に囲まれた孤島であった日本列島でははるかに遅れて、2千年前からようやく共同体らしくなってきて、国家といえるようになったの1千5百年前からである。そうして、一夫一婦制の家族制度が定着したのは、さらにそのあとの1千年前くらいからだ。
西洋や西アジアがおよそ5千年くらいの一夫一婦制の歴史があるとすれば、日本列島は1千年に過ぎない。しかし、そのぶん文化が遅れていたともいえない。1万年前の石器は、日本列島が世界でいちばん進んでいたのだ。
日本列島では、あえて共同体も文字も持たない文化の歴史を歩んできた。
この孤島では、異民族との出会いがなかった。だから、共同体(国歌)をつくって異民族と対抗してゆく必要がなかった。その代わり、意識が自家中毒を起こしてしまう傾向があった。つまり、大陸では異民族と対抗する「自意識」が早くから発達したが、この国における「自意識」は自家中毒であり、それを「けがれ」といった。そしてその自意識の「けがれ」にけりをつけてゆくことを、「みそぎ」といった。
そういう文化の歴史を歩んできたから、自意識を守り育てる家族制度がなかなか生まれてこなかった。古代以前の日本列島は乱婚社会だったのであり、それはまた、人類誕生以来の数百万年の社会形態でもあった。われわれの先祖は、そういう人類のもっともプリミティブな社会形態を守り洗練させてゆく文化を育んできたのだ。
また、アジア的な家父長制度とは、家族の成員(とくに女子供)の自意識を抑制する機能を持っていた。そしてその家父長たる父親だって、そのまた両親や先祖をうやまううというかたちで自意識を抑制していた。自意識を抑制するのが、この国の歴史的な文化のかたちだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戦後の父親が自意識の温床である核家族に戸惑ったのは、そういう歴史の水脈があったからだろう。
太平洋戦争の敗戦は、明治以来の日本的な近代意識をいったん清算し、西洋の自意識の文化をまるごと受け入れてゆく傾向と、明治以前の古い歴史の水脈がよみがえってきた時代でもあった。その古い歴史の水脈の上に立って、お父さんたちは、新しい西洋的な核家族に戸惑った。それは、自意識を無際限に膨らませながら「監視」したりされたりすることへの戸惑いでもあった。
日本列島の歴史的な家族制度には、自意識を抑制する装置がはたらいていた。われわれはほんらい、そういうかたちでしか家族制度をいとなむことのできない民族なのだ。
だから、戦後の核家族が破綻しかけているのであり、その中で育てられた若者たちが結婚をためらう傾向にもなってきた。
そして現在の、「ジャパン・クール」という呼称で世界の若者から注目されはじめている「かわいい」のムーブメントは、日本列島の歴史の水脈である「自意識にけりをつける」文化を水源としている。