祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」62・ことばと儀礼

内田樹先生が「家族の本質は儀礼にある」といい「そこでの愛や共感はおまけみたいなものである」というとき、「儀礼」さえしっかりとりおこなっていれば「愛や共感」は自然についてくる、といいたいのだろう。
これは、ことばの問題でもある。儀礼=ことば、そういうスタンスで先生は語っておられる。
われわれは、自分が発したことばによって、自分の心に気づく。だから「はじめにことばありき」というような考え方が生まれてくるのだが、ことばが心の動きをつくるのではない、ことばによって、ことば以前にその心の動きがはたらいていたことに気づかされるだけのこと。
「はじめに心ありき」なのだ。
「はじめに儀礼ありき」でも「はじめにことばありき」でもない。
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人類の歴史で最初に「埋葬という儀礼」を始めたのは、ネアンデルタールだ。
そのとき彼らは、「儀礼」をしようとしたのか。
それは、「死者をあの世に送る」という意図を持った行為だったのか。
「あの世」という概念を持ったから人類は、「埋葬」をはじめたのか。
そうではないだろう。
死者に対するかなしみがあったからだ。
そしてそういう行為を繰り返すうちに、「死者と対話する」という体験が生まれ、さらには「あの世」という概念が生まれてきた。
内田樹先生は、「死者との対話」や「あの世」という概念を持ったから埋葬をはじめた、といっているのだが、まあ先生だけでなく多くの古人類学者もそういっているし、「はじめにことばありき」という宗教者たちもきっとそう思っているのだろう。
しかし、そういうことではない、死者との別れのかなしみがきわまって「埋葬」という行為が生まれてきたのだ。
それだけのことさ。それだけのことを、あなたたちはなぜイメージできない。
身を低くして原始人の心の動きや暮らしに推参しようとする感慨をもっていないからだ。
情けない、どいつもこいつも、これは、おまえらみたいな知ったかぶりの俗物にはわからない話なのだ。
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僕は、倫理道徳の問題として「身を低くして」といっているのではない。
身を低くすることは日本列島の歴史の水脈であり、それは、この生から逸脱していこうとする姿勢である。
人間であることの基本的な姿勢は、二本の足で直立しているかたちである。しかし意識は、そこから逸脱して身を低くし、やがて寝転んで眠りに就こうとする。それは、この生からの逸脱であり、この生から逸脱してゆくことが生きるかたちなのだ。
二本の足で直立している姿勢から歩き出してゆくことも、この生から逸脱してゆく行為にほかならない。歩きながらわれわれは、身体のことを忘れて考えごとをしたり、外の景色を眺めてたのしんだりしている。
それは、この生から逸脱して、この生の「裂け目」を見出してゆく行為である。
意識とは、ひとつのストレスである。意識は、ストレスとして発生する。したがって意識は、根源的にこの生から逸脱していこうとする衝動を持っている。
息苦しくて息をすることも、空腹のうっとうしさから逃れて飯を食うことも、この生からの逸脱である。そうやって身体のことを忘れてしまう(=この生から逸脱してゆく)ことこそ、生きるいとなみである。
そして、この生からの逸脱は、「死」でもある。
意識は、この生から逸脱して「死」を見出してゆく。
身を低くすることなんか、人間であることの基本的なかたちである。倫理でも道徳でもない。この生から逸脱してゆこうとする姿勢なのだ。
われわれは、現在のこの生から逸脱して、原始時代に思いをはせる。
現在のこの生の「裂け目」の向こうに原始時代があり、「死」がある。
原始時代に思いをはせることは、「死」に思いをはせることだ。それは、この生の裂け目の向こうに思いをはせることである。そして人間は、死に思いをはせてしまう生きものであり、死者に対して深く悲しんでしまう生きものである。
「埋葬という儀礼」は、そこから生まれてきた。
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原初の人類は、赤道付近のアフリカで生まれた。そこから、数百万年かけてより住みにくい土地へより住みにくい土地へと拡散してゆき、50万年前には氷河期の極北の地である北ヨーロッパにたどり着いた。
これが、ネアンデルタールの祖先である。
彼らの生存は、この生から逸脱してゆこうとする衝動の上に成り立っていた。
人類の地球拡散は、この生から逸脱してゆこうとする衝動の上に成り立っており、ネアンデルタールは、当時の地球上でもっと強くこの生から逸脱してゆこうとする衝動の強い人々だったのであり、逸脱してゆけば不可避的に「死」と出会うわけで、地球上でもっとも深く「死」をかなしむ人々でもあった。
ろくな防寒の手立ても持たない原始人が、氷河期の極北の地で暮らせばどうなるか?彼らは、十人のうち七人か八人は大人になる前に死んでしまうというような、そんなむちゃくちゃな暮らしをしていたのである。
そういう状況のそういうメンタリティから「死者を埋葬する」という習俗が生まれてきたのだ。
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この生から逸脱して、生き延びる能力を喪失しているのが、人間であることのかたちである。
生き延びる能力を喪失する、というかたちで原初の人類は直立二足歩行をはじめた。
生き延びる能力を喪失している存在だから、ネアンデルタールは「死者を埋葬する」という行為をはじめた。
生き延びる能力を喪失している存在だから、死を深くかなしむのだ。
われわれが生きてあるのは、生き延びようとしているからではなく、死を深くかなしむ存在だからだ。
現代人のスケベったらしい「死の恐怖」などではなく、原始人の純粋な「死に対するかなしみ」によって「埋葬」がはじまったのだ。
「死者と対話する」ことも「あの世」という概念を持ったことも、埋葬したことの「結果」であって「原因」ではない。
その「かなしみ」は、この生の「裂け目」を見ていた。
「裂け目」の向こうに、死者を見ていた。
ネアンデルタールは、自分たちの住居である洞穴の土の下に死者を埋めていた。それは、彼らにとっての死が、どこか遠いところに行くことではなく、今ここの裂け目の中に消えてゆく現象だったことを意味している。
彼らは、死者とともに暮らしていた。
そういう体験を繰り返しているうちに、やがて「死者と対話する」という習俗が生まれてきたのだ。
最初は、死者と対話ができなくなったことの悲しみとして埋葬をはじめたのだ。だからこそ住居の土の下に埋めたのだが、それによって死者と対話をするという倒錯した観念へとねじれていった。死者と対話ができないかなしみがあったからこそ、死者と対話をするという制度が生まれてきたのだ。
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ことばは、他者とのコミュニケーションという「儀礼」として生まれてきたのか。
そうではない。
原初の埋葬が死者に対するかなしみがきわまって生まれてきたように、原初のことばもまた、他者とともに存在するという感慨がきわまって自然に口からこぼれ出ただけのこと。
そこに、りんごがある。
りんごが赤い果物であることなんか、誰もが知っている。いまさらりんごの意味を伝える必要などどこにもない。
原始人が、みんなでりんごを見つめながら誰かが「りんご」という音声を発したとき、りんごという音声とりんごに対する感慨を共有していることのよろこびがあった。
そのとき彼らは、「意味」を共有したのではない、「りんご」という音声によって同じ「感慨」を共有していたことに気づいたのであり、そこによろこびがあった。
はじめに心の動きがあった。
人がたくさん集まっていれば、うっとうしいし、気まずい心地もある。
そのうっとうしさを抱えていたたまれなくなっている心がりんごを見つけてときめいたとき、思わず「りんご」という音声がこぼれ出た。
思わず音声がこぼれ出るような「ときめき」があった。
その「ときめき」は、人がたくさん集まっていることのうっとうしさ、すなわち存在することのいたたまれなさを身体から引きはがすようにして生まれてきた。
いたたまれなさを身体から引きはがすとは、この生(=身体)から逸脱しこの生の「裂け目」に気づくことであり、それが「ときめく」という心の動きだ。
そうやってことばが生まれてきたのであり、ことばは、この生の「裂け目」で生成している。
ことばは、たくさんの人間が寄り集まって暮らしていることのいたたまれなさ(=穢れ)をカタルシス(浄化作用)に変える装置として生まれてきた。
コミュニケーションの道具だったのではない。
ネアンデルタールは、当時の人類でもっとも深くいきてあることのいたたまれなさを抱えて暮らしている人々だった。ことばは、そこから生まれてきた。
はじめに「心」があったのだ。「ことば」ではない。
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ことばの本質は、「意味」にあるのではない。
日本列島の縄文時代は、海の向こうの「他者」との交流がなかった。
意味は、すでに共有されていた。したがって、「意味を伝える」機能は必要がなかった。やまとことばはそういう状況から育ってきたのであり、それはまた、原初の人類が体験したことばの発生の状況を反芻するいとなみだった。
そのとき人々が共有していたのは、「意味」ではなく「感慨」だった。そこを問わなければ、やまとことばの語原にはたどり着けない。
ことばは、意味が意識されて発せられるのではなく、ことばによって意味が発生する……これは現在の言語学の常識らしいが、このことはつまり、ことばは発せられた当事者においても、みずからのその音声を「聞く」という体験によってことばになっている、ということを意味する。
したがって、ことばの本質が「コミュニケーション」にあるということは、原理的に成り立たない。
誰もが「聞くもの」になることが、「語り合う」という行為なのだ。
つまり、「起源としてのことば」は、「あなた」に向かって発せられたのではなく、あくまでみずからの身体存在のいたたまれなさを引きはがすという個人的な体験だったのであり、その体験をみんなで共有してゆくことによって「ことば」になっていった、ということだ。
発せられた音声としてのことばは、私の身体からはがれ出て、あなたと私の「裂け目=すきま」で生成している。
ことばは、身体存在に張り付いたいたたまれなさ(=意識)が引きはがされて、この生の裂け目を見出してゆく体験として生まれてきた。
人類の歴史におけることばの発生も、儀礼の発生も、この生の「裂け目」に気づく体験として生まれてきた。
存在そのもののいたたまれなさとともにある人間にとって、この生の「裂け目」に気づく意識こそ「生きられる意識」であり、それはまた「死」という体験でもある。
ことばの発生や儀礼の発生は、人類の歴史における最初の「美的体験」であったのかもしれないが、それは、内田先生がいうような、「未来の死を思う」という体験ではない。
それは、今ここの死、すなわち「今ここ」のこの生の裂け目に気づく体験としてもたらされた。