「みそぎ」の作法・ネアンデルタール人論137

人類がはじめた「埋葬」という行為は、死体を土の下に埋めて一件落着、ということではない。土の下に埋めた死者のことをよりいっそうの親密な感慨で想うという体験が生まれてきたから、それが習俗として定着していったのだ。
古事記イザナギという神は、泣いて泣いて泣き果てながら、千引石(せんびきいわ)で黄泉の国との通路の穴を塞ぎ、愛しい妻の死体を「埋葬」した。
埋葬とは人類普遍の「みそぎ」の作法であり、おそらくそれは、北ヨーロッパネアンデルタール人のところからはじまった。彼らは、死に対する親密な感慨を持たなければ、人がかんたんに死んでゆくその苛酷な地で暮らしてゆくことはできなかった。
霊魂が天国に昇ってゆくとか、死者の生まれ変わりを信じたとか、そんなことではない。それは純粋な死者との「別れ」の儀式であり、彼らは、死んだら命のはたらきが消えてなくなってしまうと思っていただけだろう。彼らのように、その苛酷な地で生き難い生を生きていたものにとっては、命のはたらきが消えてなくなってしまうことこそ、いたたまれないこの生からの解放であり救済だった。そうやって、純粋により一層の親密な感慨で「そこにいる」死者を想っていったのだ。
それは、死者との「別れ」を果たすための猶予期間だったのかもしれない。「かなしみ」がきわまって、すぐにはあきらめがつかなかった。どんどん人が死んでいって次々に赤ん坊を産んでゆく社会だったのであれば、「あきらめる」ということをしなければ、新しい子を産むという心の準備ができない。おそらく最初は、死んだ乳幼児をふだんの生活の場である洞窟の土の下に埋めたのがはじまりだったのだろう。土の下で骨だけになってしまうことによってその死が完結する、という認識、骨になるまでそばに置いといてやる、ということ、そうやって死者のことをひたすら想い、あきらめていった。


日本列島の古代以前には、「もがり」という葬送儀礼の習俗があった。死体を骨になるまでひとまず山の中などに埋めておき、骨だけになってから掘り返して取り出し、その骨を洗い清めてあらためて埋葬する、という習俗で、死は骨だけになることによって完結する、という死生観があった。ネアンデルタール人もおそらくそのように考えていたらしく、死体の頭部の皮と肉を剥いで埋葬していたという考古学の証拠がある。ただ、このことを多くの人類学者は「罪人もしくは敵対する部族の人間を殺してそのような残酷で呪術的なことをした」と解釈しているのだが、もしそうならそんな死体をわざわざ丁重に埋葬するということはしない。遠くに捨てに行って野ざらしにしておくだけだろう。ネアンデルタール人の骨がたくさん発掘されるのはそれが丁重に埋葬されたものだからであり、野ざらしの骨が数万年後まで残ることは物理的にありえない。
その行為を、現代人の物差しというか色眼鏡で勝手に解釈するべきではない。ネアンデルタール人にとってそれは「残酷」なことでも「呪術」でもなんでもなかった。死者の尊厳を想いながら、余分な肉や皮を取り除いてやっただけなのだ。まあそのころは今どきのナイフのような気の利いたものはなく、石器でごしごしそぎ落としてゆくだけだから骨にもたくさんの傷がついてしまうわけだが、彼らにとってそんなことは問題ではなかったし、それほどに苦労してそぎ落としていたという証拠なのだ。罪人や敵の死体に、わざわざそんな手間暇をかけた扱いはしない。
彼らはきっと、泣きながらその頭骨の肉や皮をそぎ落としていったのだ。かなしみが深すぎてその死を信じたくないという気持ちを吹っ切るために、そうするしかなかったのだろう。どんなに嘆いても死者はもう帰らない、そのことはもう認めるしかないし、死ぬことはこの生のいたたまれなさから解放されるというめでたいことではないか……という感慨ともにそうした習俗が生まれてくる。しゃれこうべの尊厳はヨーロッパの伝統であり、歴代の高僧のそれを飾っている教会もある。ともあれネアンデルタール人のその嘆きと死に対する親密な感慨が、そうした習俗を生み出したのだ。
べつに天国や生まれ変わりを信じていたわけではないが、死ぬことはひとまずめでたいことだった。それが、人類普遍の原始的な心模様だった。ネアンデルタール人であれ縄文人であれ、その葬送儀礼の本質的なコンセプトは、「死者との別れを果たす」ということと「死者の死を完結させてやる」ということにあった。天国に送ってやるためでも、生まれ変わりを願ったのでもない。
天国に送るためなら高い山の頂上に運んでゆくし、生まれ変わりを願ったのなら、土の下に閉じ込めてしまうわけにはいかない。すでに霊魂が死体から離れていると思ったのなら、死体を埋葬することなんか、なんの意味もない。ただの「抜け殻」として、そのへんに捨ててくればいいだけだろう。
死体そのものに対する純粋で切実な思いがあったから埋葬したのであり、「天国」も「霊魂」も「生まれ変わり」もまったく意識していなかったからその習俗が生まれてきたのだ。
ただもう、そのあきらめきれない思いをなだめ断ち切るために土の下に埋めただけのこと。
土の下に埋めてそのいっそうの親密な感慨とともに泣いて泣いて泣ききれば、「あきらめる」こともできる。そうして「死者の死が完結した」と納得してゆく。
ネアンデルタール人にとっては、死んで天国に行ったり生まれ変わったりすることよりも、「死が完結する」というそのことこそが救いだった。「これでもう生きなくてもすむ」ということ。彼らは、それほどに苛酷な生の状況に置かれていたし、この生のエネルギーを燃焼し尽くせば、天国に行く必要も生まれ変わる必要もない。
まあ現代においても、「生きられないこの世のもっとも弱いもの」たちはみな、「死んだらもう生きなくてもすむ」と思っている。べつにこの世の最下層の存在ではない普通の人でも、心に「生きられないこの世のもっとも弱いもの」としての感慨を携えて生きている人はいるのであり、「死んだらもう生きなくてもすむ」という思いは、けっして人間離れしているのではない。むしろそれこそが人としての自然であるのかもしれない。きっちり生ききってしまえば、そういう思いになるのかもしれない。「生きられないこの世のもっとも弱いもの」だけが、きっちり生ききることができる。「生きられない」と身もだえして生きれば、疲れ果てる。生きることなんかこれでもうじゅうぶんだ、と思う。
学問であれ芸術であれ恋であれ、本格的であればあるほど、じつは「生きられない」と嘆き身もだえして生きるいとなみなのだ。人が生きてあることそれ自体がすでに、「生きられない」と嘆き身もだえして生きるいとなみなのだ。
大切なのは「満足する」ことではなく、「疲れ果てる」ことなのだ。「疲れ果てる」ことのカタルシス(浄化作用)……原始人は、そうやって生きて、そうやって死んでいった。
現代人のように自己の正当性や幸せとやらに満足して生きていて、はたして人間性の自然としての「カタルシス(浄化作用)」という「官能」を汲み上げることができるか?


ネアンデルタール人にとって土の下の死者を想うことは、死者が土の下という「非日常の世界」で骨だけの存在になってゆくのを想うことであり、死者の死は完結したかと問うことだった。
「答え」はこの生の外の「非日常」の世界に隠されてある。この生の外の「非日常」の世界に対する「遠い憧れ」こそ人間的な知能の本質のかたちであり、人が人を想うことの原点でもある。
縄文人は、この生の「けがれ」の象徴として「土偶」をつくり、必ずその一部を壊して土の下に埋めた。これも一種の「埋葬」であり、そうやって土の下の「非日常」の世界に想いを馳せながらみずからの身体の「けがれ」がそそがれることを願った。必ず一部を壊したということは、それによって死者と同じように日常の外の存在になったことを意味したのだろう。そして土偶の頭頂や足の裏に穴が開けられていたりするのも、そこから「けがれ」が抜け出てゆくことをイメージしているのだろう。彼らは、そうやって「土偶=けがれ」を「埋葬」した。
また、土偶には目がなかったり「遮光器土偶」のようにサングラスふうのもので目が隠されていたりするのは、世界の輝きにときめかなくなっている状態をあらわしているのだろう。
縄文時代の土器はすべて、女の夜なべ仕事としてつくられた。土偶には、女ならではの造形感覚が色濃く表れている。女ならではのみずからの身体に対する幻滅やなやましさが表現されている。それは、女による「自分=身体に張り付いた鬱陶しい意識を引きはがそうとする、いわば「祈り」の表現だった。
ともあれ、この「一部を壊して埋める」ことが何を意味するのかと多くの歴史家によってさまざまに議論されているのだが、まだ説得力のある解釈は提出されていない。
おそらくこれはとても日本的な伝統の作法で、弥生時代には使わなくなった銅鐸も壊して埋めていたし、現在の日本人が死体を火葬にするのも「壊す」という作法に違いない。
ネアンデルタール人が死者の頭部の肉や皮をそぎ落として埋葬していたこともまた、それをこの生の外の「非日常」の存在として崇めてゆく心模様があったに違いなく、そうやって彼らは「死者の尊厳」を実感していったのだ。死者の体は「壊れて」骨だけになってゆく、骨だけになってしまうことの尊厳があり、人の心はそうやってこの生のいたたたまれなさが救済されてゆく。これが、普遍的な原始の死生観だったのだ。多くの人類学者はそれを「呪術」か何かのように解釈しているのだが、ばかばかしい、何がアニミズムか、原始人はそんな通俗的な死生観や世界観には毒されていなかった。
土偶は部屋に飾っておくために作ったのではないし、それらはみな、狂おしくなやましいかたちにデフォルメされている。そうやって土の下の存在にふさわしい「非日常性」を表現しようとしているのだし、ネアンデルタール人もまた、死者の頭部の肉や皮をそぎ落とすというかたちで「非日常」に向かって死体の頭部をデフォルメしていった。
人は、「非日常の世界」に対する「遠い憧れ」を持っている。それが「埋葬」の起源になった。死者の体は、肉や皮がなくなってゆくというかたちでデフォルメされてゆく。デフォルメすることは、「非日常の世界」に超出してゆくこと。
縄文人は、リアルな表現ができなかったのではない。土偶は、意識的にデフォルメしていったのであり、縄文時代に一世を風靡したらしい「遮光器土偶」や「火焔土器」などには、そうとう高度なデフォルメ性と、女ならではの生きてあることに対するなやましさやくるおしさが表現されている。
デフォルメするとは、「展開する」ということ。この生の外(非日常)に向かって展開してゆくということ。人間的な知性や感性とは、答えにたどり着く(=知る)ことではなく、ようするに答えを展開してゆくはたらきなのだ。ひとつの答えに出会えば、そこからさらに三つに疑問が湧いてくる。そうやって人類は地球の隅々まで拡散してゆき、そうやってその知性や感性がとどまることなく進化発展していったわけで、ネアンデルタール人とはその歴史のスタートラインに立った人々だった。
ネアンデルタール人が丁重に死者の頭部の肉や皮をそぎ落としたことは、この生の外の「非日常の世界」の発見であり、「デフォルメ=展開」する知性や感性の目覚めでもあった。「遠い憧れ」とともに「答え」を「非日常の世界」に向かって問うてゆくこと、人類の知性や感性はそこから爆発的に進化発展していった。
縄文人ネアンデルタール人も、死に対する親密な感慨を豊かに持っていた。「死んだらもう生きなくてもすむ」ということ、その生きてあることのいたたまれなさの「嘆き」とともに、意識を自分=身体から引きはがし、「世界の輝き」になやましくくるおしくときめいていった。現代社会にだって、そのように「生きられないこの世のもっとも弱いものとして生きる」というタッチを持っている人はたくさんいる。彼らは、そうやって「世界の輝き」にときめている。まあ、女とはもともとそういう存在であり、根源的には、その「ときめき=官能性」が人を生かしている。