別れのかなしみと遠いあこがれ・ネアンデルタール人論・209

人類史において最初に「埋葬」という葬送儀礼をはじめたのは、おそらくネアンデルタール人だった。
ネアンデルタール人の洞窟からは、たくさんの彼らの遺骨が出土する。それは、彼らが死者を洞窟の土の下に埋めていたことを意味するのであって、ストリンガーをはじめとする世のバカな集団的置換説の研究者がいうように、洞窟の中に捨て置いたのではない。そんなことをしたら、洞窟中に異臭が立ち込めるし、肉食獣が寄ってきたり、ハエやウジ虫やバイ菌などが大繁殖して大いに不衛生でもある。誰が好き好んでふだんの寝起きの場である洞窟に死体を放置しておいたりするものか。
洞窟の土の中からネアンデルタール人の骨が出土するという考古学の証拠に照らし合わせれば、彼らはもう30万年以上前から「埋葬」という行為をはじめていたことになる。そこに埋めないかぎり、そこから骨が出土することはありえないのだ。
そのころのアフリカ中央部では、一定の地域内の小さな森から森へと移動しながら暮らしていたから、移動の際に放置していっても問題はなかった。
そしてネアンデルタール人がなぜ埋葬という行為をはじめたかといえば、「霊魂」とか「生まれ変わり」というような概念に目覚めたからではない。人類がそういう観念を持つようになったのは葬送儀礼を繰り返してきたことの「結果」であって「原因」ではない。
親しい他者が死ねば、かなしいに決まっている。それは、永遠の別れだ。その「別れ」を受け入れるために、その「かなしみ」に耐えるためにはじめた。それだけのことさ。
しかし、人類史においてそのかなしみがきわまってくるまでには、長い長い年月を要した。
アフリカのホモ・サピエンスのように移動生活をしていれば、物理的にもわざわざ埋める必要がないし、彼らはサバンナを横切る際に誰かが肉食獣の餌食なってしまうということをいつも体験しており、それはもう見殺しにするしかなかった。助けようとしていれば自分も餌食になってしまうし、誰かが餌食になることによってほかのみんなは逃げ切ることができる。そういう歴史を歩んできた人々だったのであればもう、自分の命は自分で守るしかないという意識になってゆく。そういうミーイズムとともに「見殺しにする」という歴史を歩んできたのであれば、「埋葬」という発想が生まれてくる歴史段階には、なかなかならない。彼らにとって死は、放置するものだった。埋葬しないことこそサバンナの歴史の無意識だった、ともいえる。
洞窟の中で一緒に暮らして「けっして見殺しにはしない」という態度と意識が育っていったことによって、「別れのかなしみ」がきわまり、「埋葬」という行為がはじまった。
氷河期の北ヨーロッパという苛酷な環境においては、乳幼児は、けんめいに介護しないことには育たたない。けんめいに介護しても、半数以上は死んでゆく。
子供の死ほどかなしい体験もない。ネアンデルタール人の埋葬は、おそらく乳幼児を対象としてはじまった。無数の子供の死を体験しながら「別れのかなしみ」がきわまっていった。
「別れ」を受け入れること。そのときネアンデルタール人は、受け入れることができない「別れ」と遭遇し、それでも受け入れるほかないくるおしさとかなしみとともに「埋葬」をはじめた。
もしも「天国」や「生まれ変わり」ということが信じられるなら、なにも普段の生活の場である洞窟の土の下に埋める必要はない。どこか遠いところに捨ててきてもかまわない。
西洋人は、基本的に死体は「霊魂のぬけがら」だと思っているから、無理に埋葬しなくてもかまわない。レーニンの死体は永久保存して飾っているし、歴代の高僧のミイラやしゃれこうべを陳列している教会もたくさんある。
「霊魂」や「生まれ変わり」という概念を持ってしまったら、埋葬の契機は生まれてこないのだ。
その「別れ」は耐えがたかった。しかし洞窟に置いておけば悪臭を放ってくるし、腐ってうじ虫がたかってきたりするから、一緒にいたかったらもう埋めてしまうしかなかった。
そうやって「今でも一緒にいる」という気持ちを残しながら、同時に「別れ」を果たしていった。
彼らは、「別れ」を果たすことができる人たちだったからこそ土の下に埋めることができたし、別れることができないほどに深くかなしんだから、洞窟の中に置いておこうとした。

親しい他者の死はほんとにかなしく、なかなか別れを果たすことができない。どうしても、別れを果たすための猶予期間が必要になる。そのための通夜であり、初七日であり、一周忌であり、三回忌七回忌へと続いてゆく。盆になれば死者の霊魂が返ってくるという風習だっって同じで、残されたものたちは、なかなかあきらめきれない。
現代人は、自分が死んだら天国や極楽浄土に行くということを確認しようとする自意識もこめてそうした死後の儀礼をしているきらいもあるが、ネアンデルタール人はひたすら死者に対するあきらめきれない「かなしみ」ととともに「埋葬」をはじめた。
葬送儀礼の本質は、あくまで「別れのかなしみ」にある。それはもう、今でもそうなのだ。
日本列島のもっとも古い葬送儀礼のひとつに「もがり」という習俗がある。死体をいったん森の中に放置しておき、すっかり骨になってからその骨を洗ってあらためて埋葬する。
死は骨だけになることによって完結する、という死生観。人の心は、どうしても死者との「別れ」を果たすための猶予期間を必要とする。
コンドルに死体を食べさせるというチベットの「鳥葬」だって同じだろう。
ネアンデルタール人は、死者の頭部の皮を剥いで埋葬するということをしていた。これを一部の人類学者は「食人(カニバリズム)」の証拠だといっているが、その真偽はともかくとして、「骨だけになることによって死が完結する」という思いはあったに違いない。洞窟に埋めた死体をあとになって掘り出せば、必ず骨だけになっている。死体を埋めるために土を掘った際にほかの死体の骨があらわれてくるということは、頻繁にあったに違いない。しゃれこうべのそばに動物の生首などを添えて祭壇のようなものをつくっていた、という発掘例もある。彼らは、埋葬という行為を繰り返すことによって「死は骨だけになることによって完結する」という死生観に目覚めていった。
人類は、死者との別れを果たすために葬送儀礼をはじめた。
カニバリズムの習俗は中国においてもっとも盛んだったらしいが、その最初は権力階級で行われていたものだったらしく、人類は文明国家発祥以降にそうした習俗を持つようになったのではないかと思える。
原始人、ことにネアンデルタール人は、文明人よりもずっと死と和解しており、生き延びるために食人をするというような発想はなかったのではないだろうか。死者の霊魂を授かるとか、いろんな意味で生き延びるために食人をするのだ。食人をして骨はどこかに捨ててくる、というようなことをしていたら、埋葬など生まれてくるはずがない。肉よりも骨のほうが大切だったのだ。彼らは、ひたすら親しい他者の死をかなしんだし、死に対する「遠い憧れ」があった。死は、生きられない生を生きている彼らにとってのひとつの救済だった。文明人のような「生き延びる」という欲望は希薄な人たちだった。
「霊魂」とか「生まれ変わり」というような概念を持っていたら、「埋葬」という行為はけっして生まれてこない。論理的にそれはありえないのだ。
ただもう、純粋な死に対する「遠い憧れ」があった。
生まれ変わらせるためでも天国に送ってやるためだったのでもない。
人類は、死者の死を完結させて死者との別れを果たすために「埋葬」という行為をはじめた。
骨が持つ完結性とともにその習俗が定着していった。人肉に対する興味など持っていたら、「埋葬」という行為など生まれてこない。彼らは、生きることに執着などしていなかった。生きることを嘆き、死に対する親密さと、死者と対話することの不可能性にひたすらかなしみつつ、その行為をはじめた。

親しい他者に死なれることは、そりゃあつらい。今どきは、そうした死者との対話に熱心なあまり心を病んでしまう人がいるらしいが、それだけ心が「霊魂」や「生まれ変わり」という概念に冒されてしまっているからだし、人と人の関係が密着してなれなれしくなってしまっている世の中だからということもあるのだろう。
死者に対してであれ、生きているものどうしであれ、ネアンデルタール人のように「遠い憧れ」を抱いて関係してゆくということがなぜできないのか。そういう「イノセント」をなぜ持つことができないのか。
今どきは、人に対してなれなれしく付きまとうことがやさしさとか心の温かさのようにいわれ、そのようにして「家族」とか「絆」というものが称揚されてゆくのだが、人に付きまとわれることなんか鬱陶しいばかりではないか。
人類が死者に対する葬送儀礼を持っているということ、すなわち死を意識する存在であるということは、心のはたらきの基礎が「遠い憧れ」にあるということを意味する。それに対して文明社会の政治経済は、人と人の関係をより接近させることによって効率的に機能する。政治経済は、人と人を一体化させてしまう。政治経済が人のいとなみの自然であり本質であるというのなら、「遠い憧れ」はどんどん心の底に封じ込められてゆく。
人と人の関係は、接近してしまうからややこしく息苦しいものになってくる。離れて向き合うことによって、はじめてときめき合うことができる。
今どきは、大人になればなるほど思考が政治経済的になってゆく。庶民のおばちゃんの井戸端会議だって、「遠い憧れ」がなくて、現実的で通俗的な話ばかりしている。もちろん男たちはなお俗っぽいわけで、だから、「アベノミクス」とやらの掛け声にしてやられるのだろうか。
政治経済の世の中だ。自意識過剰な人間ほど政治経済のことを語りたがる。意識が「自我の安定・充足」という目的ばかりに向いていれば、思考はどんどん政治経済的になってゆく。人々の「自我の安定・充足」のために政治経済が機能している。
そうして原始時代の歴史だって、政治経済の問題として語られている。「未来に対する計画性」が人類の知能を発達させたとかなんとか、やめてくれよと思う。原始人にとっては「生き延びる」とか「自我の安定・充足」などということは、それほど大切な問題ではなかったのですよ。そんな問題意識で。人類の知能が進化発展してきたのではない。現代人だって、心の中の「イノセント=遠い憧れ」とともに純粋に深く豊かにときめいてゆくことができる人は、そんな問題を第一義として生きているわけではない。
原始人が「未来に対する計画性」としての「生まれ変わり」を信じていたということなどありえないのだ。そんな自意識過剰の妄想は、今どきの「スピリチュアル」中毒患者たちが寄ってたかって大騒ぎしているだけの問題ではないか。それだって、どうしようもなく通俗的な政治経済の問題にすぎない。「スピリチュアル」でよりよく生きたいとかよりよい社会をつくりたとか、原始人にはそんな自意識過剰のスケベ根性どなかった。彼らはひたすら「今ここ」の世界や他者の輝きにときめき反応しながら生きていたし、今だってそれが人の心の動きの自然なかたちではないかと思える。
今どきの大人たちは、わかったような顔をしてえらそうなことをいうばかりで、人間性の自然としての「イノセント」というものがなさすぎる。