さよならだけが人生だ・ネアンデルタール人論242

ネアンデルタール人の洞窟集団においては、毎晩のように新しいパートナーと抱き合ってセックスし、眠りに就いていた。そういう「フリーセックス」の集団だった。しかしフリーセックスといっても、乱交パーティのようなことをしていたのではない。氷河期の北ヨーロッパという極寒の季節のもとでは、たとえ洞窟内といえども、大型草食獣の毛皮でつくった寝床から抜け出すことはできない。その寝床の中で裸になって抱き合い、たがいの体を温め合う。そうして、セックスをして「もう死んでもいい」という心地になりながら眠りに堕ちてゆく。そうしないと眠りにつけなかったし、そうするためには毎晩のように新しいパートナーになっていたほうがよかった。屈強な狩りの名人の男がそのままセックスの名人ともかぎらないし、原始時代の真っ暗闇の中で美人かどうかということなど問いようもない。彼らはもう、男が男であること女が女であることそれ自体にときめいていった。つまり、新しいパートナーであるというそのことにときめいていった。

新しいものの出現に気づくことは、既成のものを喪失する体験であり、その「別れのかなしみ」は「出会いのときめき」でもある。ネアンデルタール人の社会は、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が豊かに生成している社会だった。
冬の終わりは、春の出現でもある。まあ、そのようなことだ。「別れのかなしみ」を生きているから、「出会いのときめき」も豊かに体験される。ネアンデルタール人がフリーセックスの社会をつくっていたということは、それほどに「別れのかなしみ」を深く体にしみこませている人々だったことを意味する。人類は、そういう体験を無限に繰り返しながら、地球の隅々まで拡散していった。比喩的な意味だが、氷河期の北ヨーロッパにたどり着いたネアンデルタール人には、「別れのかなしみ」が遺伝子の中に刻まれている。
「出会いのときめき」が豊かに生成している社会では、避けがたく「別れのかなしみ」もまた深く体験されている。
この世のもっとも深い「別れのかなしみ」は、親しかった死者との別れとして体験される。
人類史における「埋葬の起源」すなわち「葬送儀礼の起源」は、「別れのかなしみ」を深く体験してゆくことによって生まれてきたのであって、「あの世」がどうとか「生まれ変わり」がどうとか「霊魂」がどうとかというような問題ではない。そういうオカルト趣味というかアニミズムという概念にもたれかかった俗っぽい問題設定で「埋葬の起源」を語る歴史家なんてみんなアホだと、僕は思っている。
人類が「あの世」とか「生まれ変わり」とか「霊魂」という概念を持つようになることは、そんな簡単なことではないのですよ。その概念は、文明発祥とともに国家という共同体が生まれてきてから見い出されていったというか捏造されていったものであって、原始人があたりまえのようにそんな物差しでこの生やこの世界を認識していたのではない。人間は自然にそのような死生観や世界観を持つようになってゆくというものではない。この世のほとんどの人はそんなことを本気で信じているわけではないし、逆の見方をすれば、現代社会こそそういう問題に色濃く覆われているともいえる。人類は、時代を経るにしたがって迷信深くなってきた。まあ、そういう迷信深さがなければ貨幣経済は成り立たないわけで、貨幣価値に対する盲目的な信仰が貨幣経済を成り立たせている。ただの紙切れで、贅沢な食事やおしゃれな衣装を得ることができる。電子マネーなんかまさにそうした盲目的な信仰の上に成り立っているのであり、何はともあれお金の世の中だ。原始人よりも現代人のほうがずっと迷信深いのだし、迷信深い人のほうが社会的に成功する仕組みになっている。

人は、自然状態において、「あの世」とか「生まれ変わり」とか「霊魂」などというものは意識しない。自然の不思議な現象に出会ったら、そこに神がいると認識し納得するのではなく、「わけがわからない」と畏れおののくだけだ。雷が鳴ったら、神に畏れおののいているのではなく、じつは誰だってその天が鳴動する現象そのものに畏れおののいているだけだろう。
(神という)何ものかがその現象を起こさせている……などという発想は、人が「支配」とか「権力」というものに目覚めていなければ生まれてこない。したがってそれは、国家(共同体)の発祥にともなって生まれてきた発想なのだ。今どきのスピリチュアルブームしかり、彼らの心は、「支配」とか「権力」という意識に深く浸されている。
霊魂が人の心や命を支配しているだなんて、やめてくれよ、と思う。この生もこの世界も、なるようになってゆく仕組みになっているだけのこと。日本列島に「神」という概念が入ってきたのは仏教伝来以降のことで、そのとき日本人は、その「なるようになってゆく」ことをひとまず神のしわざだと解釈したが、それでも「神」を忘れた「なるようになってゆく」という諦観というか覚悟のような気分は共有されてきた。だから神道の神は、あくまで「隠れている」存在であって姿を現す存在ではない、ということになっている。それは、神が人や世界に対して何かをする存在だとは思っていない、ということでもある。神に祈願をするといっても、神を祝福しているだけで、神が何かをしてくれるとも思っていない。それはもう「なるようになってゆく」ことだと思っているだけだ。
日本人は「神」という概念を輸入したのであって、もともと「神」とか「霊魂」というようなものを自前で発想できる民族ではなかった。だから、国家=共同体の発生が大陸よりも何千年も遅れた。
人は自然に神や霊魂の存在に気づいてゆくだなんて、そんなことはありえない。本気でそれを信じ切っている人など、ごく少数だ。ただ、その概念が現在の人間社会を覆い尽くしてしまっている、というだけのこと。誰だって、そんなものがあるのだろうか、と思いつつ、信じ切れてはいない。
日本列島の国家=共同体の歴史は、2000年しかない。それは、文明制度とともに神や霊魂という概念が流通する社会になってからまだ2000年しかたっていない、ということでもある。
エジプトやメソポタミアや中国ではすでに5000年前から神や霊魂という概念を持っていたが、日本人はべつに彼らよりも知能が劣っていたわけでもないのにどうしても持てず、3000年も遅れてようやくそれを彼らから知らされた。それは文明制度としての国家という共同体を持っていなかったからだ。
人類史における神や霊魂という概念は、「支配」とか「権力」というものに目覚めた国家という共同体から生まれてきた。そこから、地球上の全人類に伝播していった。現在の未開の民族だってそうやって知らされたのであり、彼らもまたすでに文明人であって、原始人ではない。
人が自然に神や霊魂という概念を持つようになってゆくということはありえない。だから、スピリチュアルの教祖様の商売が繁盛する。

ずいぶん遠回りしてしまったが、ようするに、ネアンデルタール人は「あの世」とか「生まれ変わり」とか「霊魂」というような発想で「埋葬」という葬送儀礼をはじめたわけではない、ということだ。
死者との「別れのかなしみ」がきわまって洞窟内に埋葬をするようになっていっただけのこと。それ以上でも以下でもない。そのことのほかに、いったいどんな契機があるというのか。死者と別れるにせよ、自分が死んでゆくにせよ、「別れのかなしみ」に浸されてしまうところにこそ、死を知ってしまった存在である人の心の自然がある。
原初の人類が二本の足で立ち上がったことにしても、たがいの身体がくっつき合いひしめき合っている状態からたがいの身体のあいだに「空間=すきま」をつくり合う関係になることだったのであり、それ自体すでに「別れ」の体験だったともいえる。
人類は、「別れのかなしみ」を携えて歴史を歩みはじめたのだ。「別れのかなしみ」に浸される心性を基礎にして、人と人が出会ってときめき合う関係が豊かになっていった。人間的な知性や感性は、古いものと別れて新しいものとの出会いにときめいてゆくことによって進化発展してきた。
はじめに「別れのかなしみ」があった。どんな生きものにおいても生きてあることは「今ここ」との別れを繰り返してゆく体験であるのだが、人が人であることのゆえんは、「別れ」を自覚することにある。そうして「別れ」を受け入れてゆくことにって社会を活性化させ、知性や感性を進化発展させてきた。人の世はつねに「別れ」の体験がついてまわるし、古いものを脱ぎ捨てて知性や感性が育ってゆくのだ。冬の次に春が来るように、冬の中にすでに春が隠れているように、人の心は、「別れのかなしみ」に浸されながら、新しいものとの出会いにときめいてゆく。
人間性の自然は、「別れ」の体験を受け入れ「別れのかなしみ」に浸されてゆくことにある。ネアンデルタール人は、死んでしまったわが子との「別れ」を受け入れようとして洞窟の土の下に埋めた。それが最初であり、成人した大人はどこか遠いところに捨ててくるだけでもよかったが、子供の死はどうしても耐え難かったし、それでもその「別れ」を受け入れようとして、ひとまずふだんの寝起きの場である洞窟の土の下に埋めることにした。それは、今なお子供と一緒にいることであると同時に、「別れのかなしみ」に浸され続けることだった。
人は、「別れのかなしみ」を生きてしまう。そのかなしみを基礎にして「出会いのときめき」を体験してゆく。ネアンデルタール人のフリーセックスの社会は、そういう心の動きのバイブレーションの上に成り立っていた。戦争などない自然状態において彼らほど人の死をたくさん体験した人類もいないし、彼らほどたくさんの子を産み続けた集団もない。そうやって彼らは、氷河期の北ヨーロッパという厳しい環境を潜り抜けていった。
フリーセックスの文化は、「別れのかなしみ」の上に成り立っている。人類の文化の基礎は、そこにこそある。
この国の縄文時代も、フリーセックスの社会だった。そして縄文人もまた生まれてすぐに死んだ子を玄関の土の下に埋めていたし、江戸時代の農民だって家の土間の土の下に埋めていた。俗っぽい歴史家は、そのことの動機を「生まれ変わりを願って」などと説明しているわけだが、そんなところに閉じ込めてしまったら生まれ変わることもできないではないか。そんな理由なら、川に流してやる方が、よほど気が利いている。それは、そんなこと以前に、「別れのかなしみ」を生きてしまう人間性の自然がはたらいて生まれてきた習俗なのだ。
「生まれ変わるように」だなんて、ひとつの作為であり、そんなことは、人類が「支配」とか「権力」ということに目覚めることによって生まれてきた発想なのだ。そういう作為的な発想は現代人ほど強いのであり、昔の人のそれではない。

いやまあ、昔の人だろうと現代人だろうと、人は根源において「別れのかなしみ」に浸されながら生きて死んでゆく存在であるのではないだろうか。
「別れ」を受け入れることができないと、心はどんどん停滞・衰弱してゆくし、生きてあることの味わいも希薄になってゆく。別れを受け入れることができる人は、むやみに人になれなれしくしないし、つねに一方的にときめいており、ときめかれることを当てにしていない。また、ときめかれている人は、ときめかれることを当てにする必要がない。こんなことも、フリーセックスの文化の問題かもしれない。ネアンデルタール人縄文人はそうやって生きていたわけで、レヴィ=ストロースのいう「贈与と返礼」なんて、原始社会の本質的な「構造」でも人間性の基礎でもなんでもない。フリーセックスの文化においては、誰もが一方的にときめいているし、誰もがすでにときめかれている。「返礼」なんか当てにするなよ、ということ。
この国の戦後社会はひとまずフリーセックスの文化で爆発的な人口増加が起きたのだが、高度経済成長とともに、しだいにセックスの相手を一部のものが占有するような構造になってきた。つまり、「贈与と返礼」の上に成り立った社会になってしまった。そうして現在の少子化とか家族の崩壊とかいじめとか発達障害とか鬱病とか認知症とかインポテンツとか、いろいろややこしい社会問題が生まれてきている。
この国はもう、縄文時代以来の伝統であるフリーセックスの文化に軟着陸してゆくことはできないのだろうか。おそらくこれは、政治とか経済で解決されるような問題ではないし、それで解決されると思っているから、ますます泥沼にはまってゆく。