森羅万象のリズム・ネアンデルタール人論120

人と人の関係において、心があるなら、心のぶんだけ表現すればいい。いや、表現しょうとしなくても、心があるなら知らず知らずあらわれてしまう。
ときめく心がないから、わざとらしく大げさに表現しなければならなくなる。
心は、そのときその場で出現しては消えてゆくはたらきであって、過去から未来へ伸びる一本の線のようにはたらき続けているのではない。心も命のはたらきもそういう「出現」と「消滅」の「リズム」を持っているわけで、そこから人類の世界観や死生観が生まれ育ってきた。
この世界の森羅万象はすべて出現し消滅してゆく現象である……人の無意識の中にはそういう認識がある。
銀河系宇宙だって、「ビッグバン」とともに出現し、いつかは消滅してゆく。
われわれだって、母親の胎内からこの世界に出現し、やがては消えてゆく。いや、われわれの命のはたらきそれ自体が、そういう「出現」と「消滅」の絶えざる繰り返しの「リズム」の上に成り立っている。息を吸って吐く、というリズム。心臓の鼓動しかり、命のはたらきは、まわり続けるモーターのようにして動いているのではない。歩くことは、右足と左足を交互に動かしたり止めたりすることの上に成り立っている。右足を動かし続けるだけでは歩けない。
会話をすることは話すことと話すのをやめて聞くことの反復だし、そのあいだの沈黙もアクセントになったりしている。やまない雨はないし、いつまでも晴れているとはかぎらない。昼のあとに必ず夜が来る。夜はやがて朝になる。太陽は、あの山の向こうから現れて、反対側の山の向こうに消えてゆく。生きものも、一日が終われば、活動をやめて眠る。
何ごとにおいても、「止まる=消える」というはたらきがなければこの生は成り立たない。生き延びることなんかできないということが、生きることになっている。だから現代人は生き延びることが約束された予定調和の世界にまどろもうともするし、生き延びることなんかできないという「嘆き」を持っているからこそ豊かにときめいてゆきもする。
われわれは、「出現」と「消滅」のリズムで生きている。森羅万象もまた、そうやって成り立っている。
われわれはもう、本能的に「出現」と「消滅」を意識している。すなわち、すでに心の中に「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」がはたらいているということ。この生に「消えてゆく」というはたらきが挿入されていることは、なんとも絶妙ではないかと思える。


原始人は、この世界の森羅万象は「出現」と「消滅」のリズムの上に成り立っている、と認識していた。
まあ、人が死ぬことは「消えてゆく」という現象に違いない。ネアンデルタール人は、おそらくその認識=感慨とともに「埋葬」という習俗をはじめていった。
死んでも骨が残るではないか、というが、「命のはたらき」は消えるのだ。死者はもう、二度と目を覚まさないし、動くということもしない。そのことに対する「別れのかなしみ」がきわまって、人類は「埋葬」ということをはじめた。
人の一生は、「命のはたらき」がこの世界に出現してやがて消えてゆくこと。人類は、そういう「命のはたらき」という現象を見出してゆくことによって、猿から分かたれていった。そしてそれは、「死」という現象に気づいてゆくことでもあった。
猿の母親は、死んだ赤ん坊をしばらくのあいだ抱えながら行動していることがある。それは、赤ん坊に対する愛情はあったとしても、「命のはたらきが消えた」という認識はないからだ。それに対してネアンデルタール人は、その「命のはたらきが消えた」という認識とともに、普段の生活の場である洞窟の土の下に埋めるということをはじめた。一緒にいたくても、「命のはたらき」はすでに消えてしまった。あとはもう、肉が腐ってゆくだけ。それを眺めるのは忍びないが、それでも「一緒にいたい」という気持ちはそうかんたんに吹っ切ることはできない。だから、洞窟の土の下に埋め、そのどうにもならない事実を受け入れてゆくための猶予期間にしていった。その、耐えがたいほどの「かなしみ」がきわまって「埋葬」という行為をはじめたのだ。そしてそれはきっと、母親だけでなく、集団のものたち全員の気持ちだったのだろう。
現在のネアンデルタール人の遺跡現場に置かれてある埋葬の様子を表現した絵やジオラマのほとんどは、そこに両親や家族だけを配置して描かれているが、そうじゃない。それが集団全員の生活の場である洞窟の土の下に埋めたということは、集団全員でかなしみ弔っていったということを意味する。乱婚(フリーセックス)の習俗であるネアンデルタール人の社会に、「両親」とか「家族」という単位はなかった。
葬式は、本質的には今でも「集団」の儀式として成り立っている。それが人類史の伝統であり、「命のはたらき」の「出現」と「消滅」、その認識にこそ人類普遍の世界観や死生観がある。


日本人にとって「神=かみ」という概念はどのように生まれどのように認識している対象であるかということは、日本人の世界観や死生観の根源のかたちを問う上でも、古代文学研究においても大問題であり、多くの歴史家がさまざまに語っているが、いまひとつピンとこない説明ばかりだ。
まあ大問題なのだからここでかんたんに言い切ってしまうこともできないのだが、ひとまず覚え書きとしてアウトラインだけでも書いておくことにしよう。
小林秀雄は『本居宣長』の中で「かみ」という言葉は「かむ」の体言として生まれてきたといっており、それはまあそうだろうとうなずけるのだが、では原初の「かむ」という言葉どのようなニュアンスの言葉だったのかという問題がある。
とにかく「神」をイメージしたから「かみ」という言葉が生まれてきたのではないことは確からしく、古事記は神の物語であるはずなのに「神」とは表記せず、「迦薇」などという万葉仮名ふうの妙な当て字を使っている。
つまりその時点で日本人はまだ「神」というものを知らなかったのだ。古事記は、仏教伝来とともに入ってきた「神」という概念をどのように咀嚼し受け入れてゆくかという試みのいとなみだった。そのとき人々は、その「神=じん」なるものはわれわれが「かみ」と呼びならわしてきたようなものであろうと解釈した。
では、それ以前の弥生時代縄文時代の日本人は、どのようなものを「かみ」といっていたのか。
もし「かみ=神」であったのなら、ものを食うときの「噛む」という体験にそんな言葉を使うことは畏れ多くてとてもできる話ではない。最初から「かみ=神」であったのなら、「神」以外のものを「かみ」とはいわない。
「かみ=神」という言葉よりも先に「噛む」という言葉があった。
それは「噛む」という行為のカタルシス(浄化作用)をあらわす言葉だった。
やまとことばの「かむ」は、食い物を噛み砕く行為をあらわす言葉として生まれてきたのではない。それによって食い物の味に気づいてゆくことを「かむ=噛む」といったのだ。すなわち、食い物の味の「出現に気づくこと」を「噛む」といった。だから、ものごとがスムーズに運ぶ状態が出現することを「かみ合う」という。
「かむ」とは、「出現するものに気づいてゆくことのカタルシス(浄化作用)」をあらわす言葉だった。その体験の最上のというかもっともめでたい対象のことを「神」というのだろう、と人々は解釈した。だからそれに、漢語そのまままの「じん」ではなく「かむ=かみ」という音声を当てた。そのころの日本人にとってそれは、「かむ=かみ」といわないとしっくりこなかった。
この世界の森羅万象は「出現」と「消滅」のリズムの上に成り立っている。その森羅万象のリズムを体現しているものを「かみ」と呼んだ。だから古事記における最初の神々は、この世界をつくったのではなく、すべてこの世界の混沌の中から「出現して消えて(隠れて)いった」と記されている。まず「出現」し「消滅」してゆく現象が起きてきた、ということ。そのころの日本人は、そこから外来の概念である「神」を考えはじめていった。そうしてその物語は、やがてその混沌の中から海や大地やこの世界の森羅万象のもとになる神々があらわれてきた、という展開になってゆく。


「出現」と「消滅」、すなわち「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が人の心通奏低音としてはたらいている。日本人は、そこから「神」という概念を考えていった。「神」などというものは知らなかったから、そうやって考えてゆくしかなかった。
「神」を知らない日本人がその概念を受け入れてゆくためにどれほど長くややこしい歴史のいきさつがあったかということ、そしてわれわれはいまだにその概念を自分の思考の中に納めきれていない。日本人にとっての「神」という概念がいかにいいかげんかということは、たとえば今どきの伊勢白山道などという俗物がいかに熱く語ろうと、どうしてもあるではないか。
日本列島の古代以前に原始宗教(アニミズム)はなかった。神道などというものは古事記をもとにしてつくられていったのであって、それは土着の宗教でもなんでもなかった。じつは、仏教伝来よりも発生が遅いのだ。まあ、古事記を契機に仏教に対するカウンターカルチャーとして生まれてきたにすぎない。
つまり、原始宗教(アニミズム)などなくても、日本人にはそれなりに固有の世界観や死生観があった。いくら仏教が国家宗教になっても、それだけではすまない世界観や死生観があったから、古事記が生まれ神道が生まれてきた。
世界観や死生観は、宗教だけの問題ではない。原始時代に宗教などなかったが、それでもその生きにくい生を支えている世界観や死生観はあった。それは、人としての知性や感性の問題であり、人として世界や他者の輝きにときめいてゆくところから生まれてくる。ときめいていれば生きられるし、ときめいていないと生きられない。ようするにそれだけのことであり、そのときめく心ともに森羅万象の「出現」と「消滅」が実感されていった。
ときめく心はそのときその場で「出現」するのであって、人の意識のはたらきの中にあらかじめ用意されてあるのではない。そういう態度をあらかじめ用意しながら心暖かい人間のつもりになっている今どきの大人たちの自意識のなんと胡散臭いことかと思うのだけれど、その心理は、この世界や人の心には「神」や「霊魂」があらかじめ用意されているという宗教の世界観や死生観とどこかで通底している。それは文明社会の制度的思考であって、原始人のものではない。原始人は、あの山の向こうには何もない、と思っていた。あの山の向うの何もない青い空に対する「遠い憧れ」とともに生きてときめいていた。「何もない」という感慨を持っているからこそ、その「出現」に対する豊かな驚きやときめきを体験してゆくことができる、それに対して文明社会が発祥してからは、あの山の向こうにはもうひとつの世界があり、野蛮で奇怪な姿をした人間がいるとかなんとか、そんな思考になっていった。そうやって「あらかじめ存在するもの」を措定してゆくところに文明人の思考があり、そうやって胸のうちからときめきが出現する心映えを失っている。文明発祥以降の人類は、ときめきは霊魂によってあらかじめ用意されている、と考えるようになっっていった。霊魂=自意識、と言い換えてもよい。
平和で豊かな社会の現代の文明人は、生き延びることがあらかじめ約束されたところで世界観や死生観を紡いでいるが、原始人は、この先は「何もない」と思い定めて出たとこ勝負で生きていたからこそ、その「出現」におおいにときめき「消滅」に深くかなしんでいった。
ネアンデルタール人は、死者に対してその命のはたらきが消えてしまったと実感するほどに深くかなしんでいたし、生き難い環境をあえぎあえぎ生きていたからその消えてゆくことのめでたさを大いに祝福もした。そうやって「埋葬」をはじめたのだ。
人が死んでゆくことは、それなりにめでたいことでもある。それはもう、現代人だってどこかにそのような気持ちを抱えながら葬式をしているではないか。
日本列島は、氷河期明けの1万3千年前に大陸から切り離されて孤立していった。そうして大陸では、国家文明が生まれ、「神」や「霊魂」という概念が見い出されていった。そして孤立した島国になった日本列島では、孤立したまま原始的な世界観や生命観をそのまま洗練発展させてきた。
日本人が大陸で生まれた「神」や「霊魂」という概念と出会ったのは、大和朝廷ができたおよそ1500年前以降のことにすぎない。日本人は、いまだに「神」や「霊魂」という概念をみずからの血や肉にできていない。
原始的な心性とは、出たとこ勝負の「即興性」で「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」とともに生きることであり、神や霊魂によってあらかじめ用意された予定調和の世界や生を生きることではない。今どきの世の中では原始的な心性で生きていたら落ちこぼれてしまうほかないのだが、それでもじつは誰の中にもそうした原始的な心性の痕跡は残っているし、そこでこそ人と人はときめき合っている。