寄り添うということ・ネアンデルタール人と日本人・51


介護・看護とは、世話をするということ以前に、体や心の弱っている人と一緒にいてやる、ということに本質があるのだろう。
人間は、死んでゆく人をほおっておけない。そこから「埋葬」という習俗が生まれてきた。知能が発達したからとか、霊魂という概念とともに死後の世界を見い出していったからとか、そういう問題ではない。
人間存在の根源には「別れのかなしみ」が息づいている。
だから、死んでゆく人にとってはもう、一緒にいてくれるだけで涙がこぼれるほどうれしくありがたいことにちがいない。
縄文時代にろくな医療技術などなかったはずである。それでも、そばにいて見守っていてやるということはけんめいにした。
縄文時代の特徴のひとつとして、土器作りがとてもさかんだったということがある。そしてそれらはすべて女が作っている。暇にあかせていろんなものを作った。火焔土器をはじめとして鍋や甕はあれこれ過剰な装飾を施しているし、土偶などの人形や玩具や楽器や何か意味のよくわからないものもたくさんある。そして、女のオナニーの道具らしき棒のようなものもある。
よほど暇だったんだな、という感じである。まあ、こういう作業は室内でなされる。暇だから、どんどんよけいなことがしたくなるし、よけいなことを思いついてしまう。それが、縄文土器である。ただ必要なものだけをつくったというのではない。
つまり、病人のそばで夜なべ仕事をするということをしょっちゅうしていたのだ。集落の仲間や、子供や、旅に疲れた男や、とくに子供はすぐに病気をするし、そのまま死んでしまうことも珍しくなかったにちがいない。その土器作りは、病人のそばについていることの不安といたたまれなさをなだめる役割も果たしていたのかもしれない。火焔土器などはつまり、そういうくるおしい気持から生まれてきたのだろう。
縄文土器の多様さは、介護の習慣の証しである。
ターミナルケアとは、死んでゆくもののそばに寄り添っていてやることである。死んでゆくものと一緒の時間を過ごすこと。死んでゆくもののかなしみを受け止めてやること。
彼らにもし「神に祈る」という気持ちがあれば、土器作りなどしていない。ひたすら神棚に向かって祈り続けていただろう。しかし彼らは、土器をつくりながら、その不安でいたたまれない気持ちをけんめいになだめていた。火焔土器などはもう、装飾過剰という以上に、何かが迫ってくるような芸術表現になっている。
火焔土器は、縄文人アニミズム(宗教・呪術)を持っていなかった証拠なのだ。その燃え上がる炎のような装飾模様には、介護をする女たちの不安でいたたまれない気持ちがこめられているのであって、呪術でもなんでもない。
そして神に祈れば病気が治るというような信仰がなかった社会の死んでゆくものたちは、死と和解しつつ、別れのかなしみで胸の中をいっぱいにさせていた。そこでは、死んでゆくものも介護するものも、ひたすら相手のことを思った。ただそれだけのことだが、これこそもっとも高度で純粋なターミナルケアの関係なのだ。
日本列島の女の夜なべ仕事は、縄文以来の伝統である。そしてそれは、介護のさなかで行われる切なく狂おしい仕事だった。縄文土器の装飾模様は、呪術でもなんでもない。いわば、狂おしい女の情念の表現だった。
彼らのターミナルケアの現場は、けっして神や霊魂や死後の世界を当てにした呪術の場ではなく、ひたすらかなしみやいたたまれなさの心模様が豊かに交錯している場だった。
べつに呪術を持てば彼らの死亡率が少しでも低くなるわけでもなく、人類史において原始人がどうしても呪術を持たねばならない理由も必然性もないのだ。
そばに一緒にいてほしいし、一緒にいてやりたかった。それが、ネアンデルタール人縄文人ターミナルケアだった。
縄文土器の奇跡的な芸術性は、神や霊魂や死後の世界など知らないくるおしさやかなしみの上に成り立っている。
神に何かしてくれと祈るのではなく、どんな事態になろうとも、その「なりゆき」に従い受け入れようとする思いがあった。「今ここ」を抱きすくめ「今ここ」に溶けてゆこうとする、そのくるおしさとかなしみが、彼らの行動をうながしていた。基本的に日本列島はそういうメンタリティの伝統なのだ。彼らは、そうやって介護をし、そうやって死んでいった。
まあ原始社会は、神や霊魂や死後の世界などあてにして生きていられるような恵まれた環境ではなかった。
彼らは、またこの世に生まれてきたいなどとは思わなかった。この世は、そんな居心地のいいところではなかった。それでも「今ここ」をけんめいに生きた。「今ここ」をけんめいに生きることが、「今ここ」に溶けて死んでゆくことだった。



たとえば……原始社会では、死産や奇形児や未熟児の間引きというようなことがとても多かったのだが、縄文人はそういう子供の遺体を家の出入口に土の下に埋めていた。そしてこれを縄文学者は、「そうやっていつもまたいでいることによってその子の霊魂が自分の股の中に入ってきて生まれ変わって出てくると信じていた」などと説明してくれる。
よくもまあこんなマンガみたいな解釈ができるものだ。よほど縄文人をなめているか、その学者の頭が悪くて幼稚かのどちらかだろう。
縄文人は、赤ん坊の霊魂が股ぐらのあいだに入ってくるから妊娠するのだと思っていたんだってさ。人類がセックスをして妊娠するという歴史を何百万年も繰り返してきて、縄文人はまだその因果関係がわからなかったんだってさ。
生きてあることの嘆きと死に対する親密さがあった縄文人は、妊娠したくて妊娠していたのではない。まあそれが縄文文化になっていたわけで、妊娠したかったら男と女が一緒に暮らす大きな集落をつくり、一挙に人口爆発が起きていたことだろう。しかし縄文時代は、ほとんど人口の増減がなかった。それは、女たちが妊娠する確率の低い男と女の関係の社会になっていたからであり、女たちが妊娠したくて妊娠していたわけではないことを意味する。しかしそれでも妊娠してしまえば、それが人間であることの与件だと受け入れていった。そういう「嘆き」とともに生きてあるのが人間だと思い定めていた。
股ぐらから霊魂が入って妊娠すると思っていたら縄文女たちだってパンティを穿くようになっていただろうし、家の出入口に間引きした赤ん坊の死体を埋めることはけっしてしなかったにちがいない。
ほんとにこの縄文学者は何をくだらないことをいっているのだろう。
縄文人に霊魂だの生まれ変わりだのという迷信はなかった。そういう「再生」だの「豊饒」だのということに対する信仰があったら、縄文集落はもっと大きなものになっているし、とっくに人口爆発が起きて、集団農業だってはじまっている。縄文人はそんな欲望を持つことには控えめで、彼らはもうちょっとつつましく知的な人たちだった。
日本列島の家の出入口は、縄文の竪穴住居以来ずっと屈んだ姿勢で出入りするようにつくられてきた。その姿勢になれば、視線は自然に地面に向く。そしてその瞬間、死んでいった子供を思い出す。まあ、そういうことだったのかもしれない。
そしてそこは、出るにせよ入るにせよ、つねに心が改まる場所である。その変化の瞬間のはざまから思い出がよみがえってくる。出たり入ったりするときにふと思い出す、という経験があって、そこからそういう習俗になっていっただけだろう。とにかく忘れるためではあるまい。だったら思い出すためだったはずだ。
彼らは、新しく生まれてくる子を、間引きした子の生まれ変わりだなどと思うような趣味はなかった。そんなことを思ったら、また生きられるはずがない虚弱児・奇形児かと妊娠中からハラハラドキドキしていないといけない。純粋に「新しいもの」にときめいてゆくのがこの国の伝統なのだ。それは、「生まれ変わり」などというものを信じていない民族の感性である。
自分の命も含めて、すべては一回きりのものだと思っていた。「はつもの」といって、そういう「新しさ」にときめいてゆくのがこの国の伝統だ。
「生まれ変わり」などという発想は、後世の共同体の制度性から生まれてきた観念の作為にすぎない。
縄文人は、間引きすることにあまり大きな罪悪感はなかった。それは、人がかんたんに死んでゆく社会だったからであり、歳とって死んでゆくことと生まれてすぐに死んでゆくことの格差など意識しなかった。どうせすぐ死んでゆくにちがいない子や、生きることにひといちばいしんどい思いをしないといけない子は、早いうちに死なせてやった方がいいと思った。それほどに誰もがこの生を嘆きながら生きていたし、嘆きながら生きていたから豊かな「出会いのときめき」や「別れのかなしみ」や華やかな火焔土器がうまれてくる心模様を汲み上げてゆくことができた。
嘆きながら生きていたということは、この世界この生の「なりゆき」を受け入れて生きていたということであり、「生まれ変わり」を信じるような神も霊魂も死後の世界も知らなかった、ということだ。
歴史家は、原始人は幼稚な作為性で生きていた、というような発想をするのだが、そうではなく、時代をさかのぼればさかのぼるほど「作為性」は希薄だったと考えるべきだ。ましてや日本列島は、「なりゆき」にまかせるメンタリティの伝統がある。
縄文人は、妙な呪術も作為性も持っていなかった。
「生まれ変わり」は、この生に執着した人間が自分たちの都合のいいようにこの生を構想していっただけの、きわめて作為的な思考にほかならない。
縄文人は、死んでゆく人が生まれ変わってこの世にあらわれてくることなどいっさい思わなかった。だからこそ、病人には、夜なべ仕事をしてずっとそばに寄り添っていた。この生は一回きりのものだという、そんな一期一会の意識があった。



縄文社会の死んでゆくものは、そばに寄り添ってもらう以上のことは願わなかったし、介護するものももとよりそばに寄り添ってやること以上の能力はなかった。
そばに寄り添っていてもらうことがどれほどうれしいことかということを、縄文人は身にしみてわかっていた。それは、彼らが、「別れのかなしみ」とともに死んでゆく人たちだったからだ。
この国では古代人でさえ「死んだら何もない黄泉の国に行く」といっていたくらいなのだから、縄文人ならなおさら生まれ変わることへの期待など一切なかったはずである。
「黄泉の国」は、日本人の死生観を考える上でとても大切なキーワードのひとつだ。
この国の死生観の古層をアニミズムで語るべきではないし、現在の死んでゆく人だってすでに宗教とは無縁の存在になって「別れのかなしみ」に浸されている。
しかし今どきは、「死んでゆく」存在であるという自覚を失って、生き延びるために何をしてもらえるかということばかり考えている被介護老人がいるらしい。
「生まれ変わり」とか「死後の世界」など信じてしまったら、純粋な「死んでゆく」という自覚はもう持ちようがない。そういうスピリチュアルがブームの世の中なら、そういう厚かましい被介護老人が増えるのも当然だろう。
しかしそれでも、人が死んでゆくときに起きている根源的な心模様は「別れのかなしみ」であって、「生まれ変わり」や「死後の世界」への期待ではない。死を前にしたら、誰だってそういう原始的で直截な心になるしかないのではないだろうか。



神や霊魂や死後の世界をイメージすることが人間の原始性だなんて、今どきの歴史家はどうしてそんな通俗的なことばかりいうのだろう。それは、現代社会の観念にまみれたあなたの俗物根性を投影しているだけの思考であって、原始人の心模様ではない。あなたたちは、そうやって自分の俗物根性を正当化しようとしているだけじゃないか。自分なんか振り捨てて、もう一度人間とは何かと問いなおしてみようではないか。
僕は、神だの霊魂だの死後の世界だの生まれ変わりだのという観念にまみれたあなたたちのその俗物根性を責めるつもりはない。人間なんか、みんなしょうもない生き物さ。だからこそ、自分を振り捨ててひとまず頭の中を白紙にするということをしなければ、原始人という他者の心模様には推参できない。
人が死んでゆくということは、自分が自分ではいられなくなる、ということだ。自分が自分ではなくなったときにどんな心模様が起きるのか。それが、死んでゆくときの心模様だ。死んでゆくときの心模様に原始人も現代人もない。だからこそ、自分なんか振り捨てないと、そこのところは見えてこない。
僕のようなのうてんきな人間には死んでゆくときの人の気持ちを語る資格も能力もないのかもしれないが、のうてんきだろうと複雑だろうと頭よかろうと悪かろうと、そういう自分をぜんぶ振り払ったところに死んでゆく人や原始人の心模様があるのではないだろうか。
現代人は、誰もが自分に執着し、それを許し合って社会をつくっている。そうして自分をみせびらかし合い、競争をしてゆく。ひとまずそんな構造になっていて、誰もが自分は注目されている存在であるという前提で何かを考え、それを語っている。人間がこんなにもたくさんいる世の中だから当然そうなってゆくのだろうが、自分は注目されている存在であるという前提を捨てれば、自分なんか語れない。誰にでも当てはまるだろうというところを考え、語ってゆくしかない。
僕が知識や教養の足りないのうてんきな人間だからといって、原始人や死んでゆく人の心模様を思ったり考えたりしたらいけないという法律もないし、知識や教養が豊かで複雑な人間だけにその資格や能力があるというわけでもなかろう。あなたの頭脳や人格のその優秀さが、自分を捨てて思考できないというアキレス腱にもなっている。
というわけで、今どきの縄文学者なんか、縄文人の心模様がなんにもわかっていない。すべての現代人に当てはまることでも、それがそのまま縄文人にも当てはまるとはかぎらないし、縄文人の心が現代人の中にもないとはいえない。そこのところの見極めがやっかいだといえばやっかいだし、自分を振り捨てて考えればかんたんなことじゃないかともいえる。
ともあれ優秀な頭脳と人格の持ち主である彼ら縄文学者たちの人間に対する思考は、さしあたって「自分とは何か」というレベルでしかはたらけないらしい。
現代人の頭の中は、神や霊魂や死後の世界や生まれ変わりという概念にまみれてしまっている。死んでゆく人や縄文人の心模様、そして日本文化の伝統については、そこのところをいったん頭の中から振り払って考えた方がいい。



死んでゆくときには、誰もが生まれたばかりの子供のような白紙の心になる。あるいは、追い詰められて神や霊魂や死後の世界や生まれ変わりというような概念にすがってゆく。
目の前の現実世界に反応できなくなった心は、目の前にはない世界との関係を生きようとする。そこから神や霊魂や死後の世界や生まれ変わりといった概念が紡ぎだされてくるのだろうか。
内田樹先生の書いたものを読んでいると、そうした人間の心の病理がよくわかる。この人ほど共同体の制度性に冒された自分の心をだらしなくさらけ出してしまっている人も、そうはいない。よほど目の前の現実世界に対する恨みがあるのだろう。だから、たえず「未来」という現実世界の外に意識が向いている。そうやって、「未来」という死後の世界や生まれ変わりの概念をいじくりまわしてばかりいる。もう、それが根っからの習性になってしまっていて、死ぬまで治らないのだろう。まあそういう思考しかできないことを責めてもしょうがないのだが、それはたしかに現代社会の病理のひとつである。
死んでゆく人に「未来」なんかない。目の前の現実以外のものを思い描くことができなくなっている。
さあそこで、あなたならどうする?
われわれは、死んでゆく人の尊厳ということを考える。その尊厳にひざまずいて考えようとするなら、神だの霊魂だの死後の世界だの生まれ変わりだのという言葉であっさりと解決してしまうわけにはゆかない。
もう一度、縄文人のことを見直してみようではないか。
彼らがほんとに幼稚な霊魂信仰で生きていたといえるだろうか。
彼らは、生きてあることの「嘆き」を携え、死に対する親密さとともに暮らしていた。そういう心で彼らは、粛々と生まれた子供の間引きをしていった。間引きをする心の尊厳というのはある。それは、現代人の空々しいヒューマニズムなんかよりずっと清らかで純粋だ。
アメリカ人は、先天性の障害児を手術で改造して長く生きさせようとする。たとえば、生まれてすぐに女の子の卵巣を摘出してしまえば、生理がなくてあとあと楽だろうと思う。しかし、世の女たちは、生理という体験を抱えていることの嘆きも人間であることの与件だと思っている。それが人間らしく生きることだと思っている。そうして、介護する人間の都合でそういうことをしてしまっていいのか、と抗議をする。
女は、死んでゆく人間に寄り添って生きようとする歴史の無意識を持っている。それは、嘆きを抱えながら生きてかなしみながら死んでゆく人間のかたちに寄り添ってゆこうとする無意識であり、嘆きを持たないで生きることはもはや人間ではないのと一緒だと思う。
だったら、嘆きを抱えながら生きることのできない赤ん坊を改造して長生きさせることと、その赤ん坊を「人生」がはじまる前に間引きしてやることと、どちらが人間的な行為だといえるのか。
これは、優秀な遺伝子を残してゆこうとする思想とは、また別の問題である。
女は、嘆きかなしむのが人間だ、という歴史の無意識を持っている。



人間が人間であることは、生きることにあるのではなく、人間であることを自覚することだ。まあ縄文人は、そういう死生観で歴史を歩んでいた。
彼らの頭の中には、神も霊魂も死後の世界も生まれ変わりもなかった。ひたすら嘆きかなしんで生きて死んでいった。その生のくるおしさから、あの火焔土器が生まれてきた。なのに今どきの縄文学者たちは、あの模様にどのような作為的呪術的な意味があったのかという議論ばかりしている。
その前に、そこにどのような女の情念と芸術表現の衝動があらわれているかと考えてみることも歴史家の役割にちがいない。
神も霊魂も死後の世界も生まれ変わりもどうでもいい、人は死んでゆくときには「別れのかなしみ」に浸される、ということ。人間は、この世に生れ出たときにそういう心の萌芽を持ち、そういう心とともに生き、そういう心に浸されて死んでゆく。おそらくネアンデルタール人縄文人の習俗は、そういう原始的な心の動きの上に成り立っていた。
神や霊魂や死後の世界や生まれ変わりといったイメージは、原始的な心性から生まれてくるのではないし、この世の死んでゆく人たちはそういうことを忘れてひたすら「別れのかなしみ」に浸されている。縄文社会は、そういう心の動きが豊かに起きている社会だったから、死んでゆく人に寄り添いながらの土器作りという夜なべ仕事が生まれ、あの火焔土器が生まれてきた。
「夜なべ仕事」の「なべ」は、「おしなべて」の「なべ」、夜中じゅうずっと続けるから「夜なべ」という。しかし、こんなことがわからない語源学者もいるというのだから、この国の歴史家の頭の中はいったいどうなっているのだろう。
ともあれ、人が人のそばに寄り添っているという関係の切実さが胸にしみてくるのが、死んでゆく人と介護する人のあいだに浮かんでいる心模様なのだ。そして、これが縄文社会を成り立たせている人々の心模様であり死生観だった。彼らの純粋で原始的な心模様と死生観に、神も霊魂も死後の世界も生まれ変わりもなかった。
ただもうこの世界を思い、他者を思うということ、それが人間を生かし、死との和解を成り立たせている。原始人は、現代人のように自分の人生や未来をあれこれ思いを巡らしていたわけではない。縄文人はそんなレベルでターミナルケアをしていたわけではないし、現代人はそんなレベルでターミナルケアを考えながらいつまでたってもブレイクスルーの方向を見つけられないでいる。
まあ今どきのように、介護する人間は恩に着せるし、介護される老人は何をしてもらえるかということばかり要求する関係になっているのであれば、ターミナルケアなど考えるのもばかばかしい話で、神や霊魂や死後の世界や生まれ変わりという概念でさっさと解決してしまう方がりこうというものだ。
そういう世の中だから、「縄文人は霊魂が股ぐらから入ってきて妊娠すると思っていた」などというどうしようもなく下品で薄っぺらな思考が横行する。
縄文人の心模様や死生観は、そういう作為性を削ぎ落としたところで生成していた。
神だの霊魂だの死後の世界だの生まれ変わりだのと合唱している自意識過剰な連中には、縄文人がかみしめていた人が人に寄り添っていることに対する切実な思いや「別れのかなしみ」など死んでもわからないことだろう。
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