葬送儀礼は宗教か?・神道と天皇(67)

世の歴史家は、なぜあんなにもかんたんに「原始時代には原始宗教(アニミズム)があった」と決めつけてしまうのだろう。
ひとつは、原始時代から死者を葬る(埋葬)ことをしていたということがあるからだろうか。まあ普通に考えればそれは宗教的な行為だといえるのだろうが、「死後の世界」とか「生まれ変わり」というようなことを考えるようになったのは文明社会の制度が生まれてきてからのことで、原始人はただ、身近な他者の死がかなしくて忘れがたかったから身近な場所に埋めておこうとしただけではないだろうか。その「かなしみ」こそ埋葬の起源のもっとも大きな契機だったのであって、人類は、そうかんたんに「死後の世界」や「生まれ変わり」を発想するほどこの生に執着していたわけではない。
また、それは先祖を敬う祖霊信仰だったというようなこともいわれるが、人類が最初に埋葬したのが「先祖」としての老人だったとはかぎらない。ネアンデルタール人が最初に埋葬したのはおそらく乳幼児であり、乳幼児に先立たれることほどかなしいこともない。それに、そのころの死者は、老人よりも乳幼児のほうが圧倒的に多かったのであり、乳幼児は祖先でもなんでもないだろう。
ネアンデルタール人はそれを、自分たちが暮らす洞窟の土の下に埋めた。縄文人だって、生まれたばかりの子供は家の戸口に埋めていた。そういうことが起源になって、やがて墓地をつくるようになっていった……と考えるのが自然な歴史解釈だろう。
祖霊信仰として埋葬が生まれてきたということもありえない。
そうして、宗教の定義として「宗教は共同体を支える中心規範として生まれてきた」というとき、「家族」の延長としての「氏族」とか「部族」というような幻想の集団が想定されているわけだが、ネアンデルタール人にも縄文人にも母子関係はあっても、家族という意識はなかった。彼らは基本的にフリーセックスの社会だったのであり、子供は父親を知らなかった。彼らの社会には、集団に対する帰属意識の基礎となる家族という単位がなく、乳離れした子供は集落の全員で育てていた。つまり、「氏族」とか「部族」などという集団意識が生まれてくる基礎を持っていなかった。
そうかんたんに、原始社会にはアニミズムがあった、などといってもらっては困る。
埋葬の習俗の本質は、アニミズムではない。「死者との別れのかなしみ」にある。それはもう、あれこれの宗教的な意味がまとわりついた現代の葬送儀礼においても変わりはない。

人は死を考える存在だが、死とは何かということは永遠にわからない。原始人は、親しい他者の死を前にして、どう受け止めていいのかわからずにおおいに混乱した。それで、その死体をとりあえず身近な場所に埋めて納得しようとしていった。
埋葬という習俗は死者の身体をどう扱うかという問題として生まれてきた。どんなにかなしく愛おしくても、それは必ず腐乱し腐臭を放ってくる。いやでも「もう生き返ることはない」と納得するしかない。納得するしかないのに、ときどき夢にあらわれてくるし、もしかしたらどこかで生きているのではないかという気がしてきたりする。
この世に死んだことがあるものなどどこにもいないのだから、人は死のことがわからない。だから親しい他者の死があきらめきれないし、あきらめるため、そして死後も一緒にいるために埋葬ということをはじめた。
それはもう、昔も今も同じなのだ。火葬にしたら極楽浄土に行けるとか、そんなこと以前に、そこまでしないとあきらめきれない、という問題がある。
生き残ったものたちは、もしかしたら生き返ってくるのではないかとか、どうしてもぐずぐず考えてしまう。とくに日本列島のように天国や極楽浄土に対する信仰があいまいなところでは、死者がどこにも行けないでそのへんにさまよっているのではないか、という不安も強い。
死は永遠にわからないものでしかない。人は死を意識する存在なのに、死のことはどうしてもわからない。そういう非宗教的な認識が埋葬という習俗を生み出したのであって、死とは何かということを説明する「宗教(アニミズム)」として生まれてきたのではない。
人類の葬送儀礼は、本質的には宗教ではない。葬送儀礼の本質は、死がわからないことだということの上に成り立っている。それに対して宗教の本質は、死を説明することにある。前者はあくまで「死体」と対話し、後者は「霊魂」と対話する。
宗教においては、基本的に葬送儀礼など必要ないのだ。たとえばキリスト教では死んだら霊魂が抜けて天国に行くのだから、葬式なんかしてもしなくてもいい。死体なんかほったらかしにしておいてもかまわないからこそ、偉人の死体を保存しておこうとしたりする。
この国の古代から中世の仏教でも、「補陀落(ふだらく)渡海」などといって死期を悟った僧侶が食料を持たないまま小舟で太平洋に漕ぎ出すという死に方が流行ったりした。
人類の葬送儀礼は、あくまで生き残ったものたちの心に決着をつけるためになされている。
だから西洋でも、教会で死者との別れの儀式をし、魂の抜け殻でしかない死体をあえて棺に納めて埋葬する。それは、本質的には宗教ではない。
人は、死のことがわからないから、葬送儀礼をするのだ。わからなくても「死んだ」と納得するしかない。そのくるおしさやなやましさとともに埋葬がはじまったのであり、原始時代には宗教などなかったからはじまったのだ。
原始時代だろうと現代だろうと、生き残ったものたちが泣いて泣いて泣ききることがメーンイベントなのだ。

墓石は霊魂が出てこないように押さえつけておくためだ、などといわれたりするが、宗教的には、霊魂はすでに天国や極楽浄土に行っているのだから、その下にはいない。墓石の下に霊魂が眠っていると思うこと自体、宗教を信じていない証拠なのだ。それは、生き残ったものたちの別れの決意の形代にほかならない。
墓石だけで、その下はからっぽだという例はいくらでもある。
関西の一部の地域では、死体を埋める場所と墓を別々にしている習俗もある。これは、死体が骨だけになってからもう一度掘り出して改めて埋葬する、という古代の「もがり」の儀礼の名残りなのだろうが、やがて埋めたままで掘り出さない習慣になっていった。だから、どの家の墓も、ぜんぶからっぽらしい。
日本列島の住民は、死者の霊魂のことは、あまり深く考えていない。葬送儀礼においては死体をどう始末するかという問題があるだけだし、自宅の庭に埋めることにもそう抵抗感がない伝統がある。それは、死に対する親密さの表れでもある。死者の霊魂と一緒に暮らすというよりも、自分も死んだらここに埋めてもらえるという安堵がある。死んだら霊魂はあの世や極楽浄土に行くというのはいまいち実感がなく、自宅の庭に眠っているということにしてひとまず安堵する。
とはいえ、死ぬことも霊魂のこともよくわからない。「ひとまずそういうことにしておこう」と思っているだけである。
日本人は、たいていのことを「ひとまずそういうことにしておこう」という思考で生きている。
だから、仏教伝来もあっさり受け入れた。そのとき神道=宗教というかたちで確かな信仰を持っていたら、そうかんたんには受け入れられない。数千年前の縄文時代から宗教=アニミズムがあったのなら、とっくに確かな宗教になっている。
日本人は、なんでも受け入れてしまう。自我が薄くあいまいな民族。宗教意識そのものがあいまいであり、そういう歴史を歩んできた民族なのだ。
今どきの歴史家のように、大陸の歴史の常識を当てはめ、かんたんに縄文・弥生時代アニミズムで語られても困る。
四方を荒海に囲まれたこの島国において、少なくとも縄文人は、大陸の宗教の洗礼を受けていないはずだ。

ポリネシア諸島だって、宗教を持ったのはつい最近だったといわれている。原始人はみなアニミズムで生きていたと決めつけることはできない。彼らの宗教がプリミティブであるのは、宗教の歴史も文明制度の歴史も浅いからであり、何千年も前のアニミズムを今なお引き継いでいるのではない。彼らだって、あるとき文明社会から伝播してきた宗教的な観念の洗礼を受けたことによって、「精霊」だの「生まれ変わり」だのというようになってきたのだ。
国家あるいは部族あるいは氏族等の「共同体」が存在しないかぎり、宗教が生まれてくることはない。ポリネシアの島々が集まってひとつの「部族」を形成するようになって、はじめてアニミズムに目覚めていった。
原始人が、呪術によって自然や人の心や命を支配できると思っていたら、生きてなんかいられない。どんな民族であれ、自然も人の心も命もすべてそのまま受け入れながら人と人が他愛なくときめき合っている時代があったに違いない。
部族共同体は、たとえば共通の祖先の英雄とか架空の救世主とかを祀り上げながら成り立っているわけだが、それは、文明社会から伝播してきた「神」という概念をアレンジしながら生まれてきたのかもしれない。
未開社会では、「神」という絶対的な存在をうまくイメージできないし、する必要もない。だからそのスケールを小さくしてアレンジされたり、多数の神へと細分化されていったりする。
また「霊魂」とか「精霊」といっても、社会に支配と被支配の関係がなければ、そういう発想も生まれてこない。木の精霊といえば、木の命を支配しているもののことだろう。人と人が他愛なくときめき合っていた原始人が、そんな支配と被支配の関係を考えていたはずがない。
世界に秩序をもたらす装置として宗教が発生してきたのであれば、宗教がない原始社会は、良くも悪くもなりゆきまかせで混沌としていた。
原始人は、死ぬことなんか怖くなかったし、死ぬことが不幸なことだとも思っていなかった。そんな彼らが、「天国」や「生まれ変わり」のことなど発想するはずがない。
「天国」や「生まれ変わり」はようするに死にたくないからそういう発想をするだけのことで、この生に対しても死に対しても率直な感慨をすでに失っているということであり、いわば文明の病なのだ。

他愛なさ、そして「何も思わない」ということ、そこにこそ人間性の自然としてのこの生や死に対する率直さがある。
人は「死」を永遠に知ることができない。「死」のことを思っても、「死とは何か」ということについては「何も思わない」のが人間性の自然なのだ。つまり、「死」に対する親密な感慨はあっても「死とは何か」ということについての解答は求めない。
これは、宗教ではない。宗教は、「天国」や「生まれ変わり」などの概念とともに死を生の延長として語ることによって、本質的には死を思うことをやめてしまっている。
「何も思わない」ことはつまり「無を思う」ことであり、「わからない」と深く納得してゆくことでもある。「何も思わない」ことは子供でもできるが、もっとも高度な思考でもある。原始人の思考は、そういうレベルにあった。
宗教は死とかかわっているから大事だ
といっても、人は誰もが死を思い、死とかかわっていない人間なんかいない。原始人が葬送儀礼や祭りをしていたことは、宗教(アニミズム)を持っていたことを意味するのではない。原始人が宗教を持っていたら葬送儀礼は生まれてこなかった、ともいえる。
原始人の葬送儀礼は、宗教のように、死をこの生の延長にしてしまうための呪術ではなかった。死のわからなさに身もだえしながら死者を埋葬していった。それは、死がわかっていたからでも死をわかろうとしたのでもなく、わからないままけんめいに深く腑に落ちて納得しようとする行為だった。それは、とても他愛ない思考であると同時に、とても高度な思考でもあった。
その他愛なさ……日本列島の住民の伝統的な思考のあいまいさやいい加減さはいわば普遍的な原始人の思考でもあり、「とりあえずそういうことにしておこう」と思いつつ、それを深く納得してゆく。何も信じていないのに、すべてを信じている。古事記においては、そうやって神(かみ)を信じていった。それは、死を納得してゆくことだった。死はもう、そういうかたちで納得してゆくしかない。「とりあえずそういうことにしておこう」と思いつつ深く納得してゆく。だから日本人の葬送儀礼は、伝統的にとても多様でとてもいいかげんなのだ。つまり、宗教としての一貫性がない。
靖国神社に戦死者の霊魂が祀られているといっても、地元にもそれぞれの墓がちゃんとある。あるといっても、墓石の下はからっぽ。靖国神社だって、字が刻まれてあるだけのこと。どちらがほんとうの墓だということもない。どちらもほんとうであり、ひとりの墓が複数あってもぜんぜんかまわない。とりあえずそういうことにしてあるなら、それを信じる。
原始人は宗教を知らなかったと同時に、宗教を超えていた。

ヨハネ福音書がどうとか般若心経がどうとかと、宗教に対するうんちくを語ってみせることが今どきの文科系知識人のひとつのステータスのようになっていたりするが、「宗教なんか知らない」ということのほうがもっと深い思考であったりする。
無知な民衆だろうと一流のインテリだろうと、他愛なく驚きときめいてゆく、その無防備な心の動きこそ侮れない。
「知っている」ということは、驚きときめいてゆく心の動きを持っていないということだ。
われわれにとって宗教は、問い直し再評価すべきものなのか?そうしてこの生やこの世界の構造がわかれば救われるのか?
神だの霊魂だの天国だの生まれ変わりだのと、この世に宗教があるならひとまず信じてもみるが、それでも人が人であるかぎり誰の中にも「宗教なんか知らない」という心もどこかしらに息づいているのであり、その「他愛なさ」にこそ人間性の自然やより高度な思考が隠されていたりする。
折口信夫とか梅原猛とか吉本隆明とか中沢新一とか内田樹とか……なんだかねえ、インテリぶって人格者ぶって真理の探究者ぶって宗教に対するうんちくをあれこれ語られても、かえって「うさんくさいなあ」と思ってしまうというか、その知性=思考の底の浅さが透けて見えてしまったりするわけですよ。