歌や踊りの起源・天皇と神道(66)

人類史における歌や踊りは、いつからはじまったのだろうか。
それは、言葉の起源と同じくらいよくわからない問題にちがいない。
では、言葉の起源と歌や踊りの起源とどちらが先だろうか。どちらも人が人であることの固有の生態のように思えるが、これも、かんたんには決められない。
どちらも大きく広げて考えるなら、原初の人類が二本の足で立ち上がったときにすでにその萌芽はあったともいえる。
人類は二本の足で立ち上がったときからすでに、猿よりも多彩なニュアンスの音声を発する存在になっていたはずだし、それは猿よりも心の動きが豊かになっていたということで、その勢いとともに歌や踊りの原型が生まれてきたという可能性もある。
ともあれ、言葉の起源にしろ歌や踊りの起源にしろ、人類は二本の足で立ち上がったことによって心が大きく動く存在になったということが契機になっているに違いない。
猿そのものであった原初の人類が二本の足で立つ姿勢は、前後に倒れやすくとても不安定である上に、胸・腹・性器等の急所を外にさらしてとても危険でもあった。つまりそのときから人類は猿よりも弱い猿になったわけで、それは「いつ死んでもかまない」という覚悟なしに成り立たない姿勢だった。しかしその覚悟の中に飛び込むことは、驚いたりときめいたりする心の動きがゆたになることであり、その勢いで生殖行動がどんどん活発になっていった。
原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって、生き延びる能力を獲得したのではない。一年中発情して圧倒的な繁殖力を獲得していったのであり、それによって生き残ってきた。
一般的には、人類の進化の歴史を食うことや生き延びることの追求という問題設定で考えられているわけだが、それは違う。そんな問題設定で考えているかぎり、論理の矛盾はいくらでも出てくる。
原初の人類が二本の足で立ちがることは猿よりも弱い猿になって生き延びる能力も戦う能力も喪失することだったのであり、その命題の上に彼らを立たせて見せることができなければ、人類進化の謎に迫ってゆくことはできない。人類は「食うため・生き延びるため」という命題(目的)で進化してきたのではない。
「いつ死んでもかまわない」という覚悟とともに進化してきたのであり、豊かな心の動きを持つようになってきたのだ。
繁殖が活発になって群れが密集してくれば、そこからはじき出されたり飛び出していったりするものがたくさん出てくる。そのようにして「いつ死んでもかまわない」という勢いで群れの外にさまよい出てゆき、その新しい土地で出会った見知らぬ他者と驚きめき合いながら、「いつ死んでもかまない」という勢いでそこに住み着いてゆく。これが人類拡散のかたちであり、新しい土地に住み着いてゆくに際しては、それなりに人と人が出会ってときめき合う「祭りの賑わい」が起きていた。そこはとうぜん住み慣れたもとの土地より住みにくいのであり、そういう賑わいがなければ住み着けるはずがない。
住みにくくてもかまわない。より豊かで他愛ないときめき合いが起きているなら、ひとまず飛び込んでゆこうと思う。

言葉の起源と歌や踊りの起源とどちらが先かという問題に戻ってみよう。
この場合でも「生き延びるため」とか「コミュニケーションのため」のツールとして生まれてきたというような問題設定で考えるべきではない。まあ「生命賛歌」が全盛の現代社会においてはそういう問題設定で語るのがもっとも説得力を持ってしまうのだが、それでは起源までさかのぼることはできない。そういうことは言葉や歌や踊りが生まれてきたことの「結果」であって「契機=原因」ではない。
人類は、生き延びることが目的で歴史を歩んできたのではない。
たとえば、食料資源の限度を超えて密集した集団において生き延びるためには、他者は蹴落とし追放してしまうのがもっとも有効な方策に違いない。みんなで平等に分け合っていたら、みんな死んでしまうかもしれない。「死んでもかまない」という覚悟がなければ、そんなことはできない。そして人は根源においてというか人間性の自然として、「死んでもかまわない」という覚悟=勢いで他者と関係を結んでゆく存在であり、それによって原始人はほかの猿にはない圧倒的な繁殖力を獲得していったのだ。
どんどん死んでいっても、どんどん生まれてくれば帳尻は合う。それが、原始時代の歴史の流儀だったし、現在の世界の飢餓地帯だって、そういう生態になっている。
また、東日本大震災のときにみんなで助け合ったといっても、「生き延びるため」にがんばったというよりは、そのとき人間性の自然としての「死んでもかまわない」という覚悟がはたらき共有されていったことによるのだろう。まあ、食う(=生き延びる)ことを我慢してもみんなと仲良くしたかった。
人類は、余剰の食料を確保しながら人口を増やしてきたのではない。「死んでもかまわない」という覚悟=勢いでセックスしまくってきた結果であり、古代や中世だって民衆の社会においては飢えの歴史だったともいえる。
今どきの歴史家は、文明制度の発生以前の歴史でもかんたんに「階級が生まれてきた」などと発想してしまうのだが、もともと人は階級が生まれてくるような余剰の生産物など持たない流儀で歴史を歩んできたのであり、それは縄文・弥生時代においても例外ではない。階級秩序などないまま、みんなでワイワイガヤガヤしながら暮らしていたのだ。
世界中どこでも都市集落の歴史の初期段階においては歌い踊る祭りが中心の社会だったのであり、階級秩序が生まれてくるのは、集落が限界を超えて膨張し、祭りの賑わいだけでは集落の運営が成り立たなくなってきてからのことだ。そうなってはじめて人類社会に、集落の秩序とかこの世界の秩序とかこの生の秩序というような発想をする権力志向の人間があらわれてくる。
つまりこの生を安全なものたらしめて生き延びるための「秩序志向」は人間性の自然とはいえないわけで、人はどこまで「混沌」を生きることができるかという問題が、原初の人類が二本の足で立ち上がったときから現代までずっと続いてきているのだ。
どこまで「死んでもかまわない」という覚悟とともに生きることができるか。われわれはつねにそこのところを試されているのであり、この生の官能性というダイナミズムは、そこにこそある。
セックスをしようとするまいと、人であるかぎり、この生は官能的であるほかないのだ。
べつに難しいことじゃない。人間社会の基本は、人と人が他愛なくときめき合うことの賑わい(=混沌)の上に成り立っており、だから無際限に膨張してゆくことができた。
心理学者の岸田秀は「人間は観念でセックスをする存在であり、本能が壊れた存在である」などといって一時期の知識人たちの賛同を大いに得ていたわけだが、観念でちんちんが勃起するはずなんかないのであり、人間性の自然においては、人間ほど本能的に他愛なく勃起してしまう存在もないのだ。猿よりもずっと他愛ないのだ。
観念で勃起するのなら、大人や老人はみな精力絶倫だ。観念では勃起できないから、インポテンツという現代病が増えてきている。
人類史における歌や踊りの起源だって人と人が他愛なくときめき合う関係性の賑わいから生まれてきたのであり、おそらく言葉の起源もまた、その問題設定で考えてゆくしかないはずだ。

日本列島では、和歌のことを「歌」という。そしてこの場合の「うたう」ということは、言葉を表現することにある。言葉の上に歌が成り立っている。言葉を装飾する行為として「うたう」ということをする。
はじめに言葉があったのだろうか?
原初、言葉は歌であった、ともいえる。
赤ん坊が言葉を覚えてゆくことは、言葉という発声された音声を「歌」としてとらえてゆくことであり、「歌」として興味を覚えてゆくのだろうか。
お経だって、ひとつの「歌」だろう。素人が「ハンニャーハーラーミーター……」と唱えても、意味なんか意識していない。「ナムアミダブツ」だって、歌うことのカタルシスとして習慣化されているのであって、そのとき意味なんかほとんど忘れている。
赤ん坊が言葉を発するとき、「意味」を表現・伝達しているのではない。「意味」はすでに共有されている、という前提で言葉を発している。彼らはさかんにひとり言をいう。そのとき「意味」を表現・伝達しようとする意図はない。彼らは、言葉を「歌」として発している。
もしかしたら人類史においては、言葉が本格化することによって、祭りの賑わいとしての歌や踊りの文化が花開いてきたのかもしれない。
いずれにせよ、人と人が寄り他愛なく豊かにときめき合う、その集団としての賑わいが契機となって言葉が本格化してきたのだろう。だから言葉は、地域集団ごとに違う。集団としての賑わい、すなわち人と人の他愛なくときめき合う関係が、言葉を生み出した。「やあ」とか「おい」とか、最初はまあそのような言葉だったのだろうが、何かを「伝達」するためだったのではない。あくまで他愛なくときめき他愛なく無意識のままに音声がこぼれ出てきただけであり、「意味」はあとから気づいていっただけだ。
歌や踊りだって、その賑わいとともに思わず歌い出し踊り出していただけだろう。何かを表現し伝達するとか、そんな意図があったわけではない。ただもう他愛なくときめいてゆくという、その賑わいから生まれてきたのだし、その賑わいとしての歌や踊りは、他愛ないほどダイナミックに盛り上がり表現される。
そしてその他愛なくときめくという体験は、まわりの環境や人に対する「反応」として無意識的に起きているだけで、あらかじめ意図して歌おうとしたり踊ろうとしたりしているのではない。
原初、言葉は歌であったし、言葉を飾り上げるというか祀り上げる体験として歌や踊りが発展してきた。
いずれにせよ心が浮き立ったから言葉や歌や踊りが生まれ育ってきたのであって、それらを「計画」したのではない。
人類の歴史の進化発展は、目的意識によってではなく、他愛ないときめきをともなった無意識から生まれてきたのだ。食うため生き延びるためではなく、「死んでもかまわない」という無意識の勢いとともにいつの間にか生まれてきたにすぎない。
生き延びようとする呪術志向の観念が意図的に生み出したのではない。
呪術などというものは文明社会の制度から生まれてきたにすぎないのであり、いいかえれば、文明社会が存在するるかぎり呪術=宗教もなくならない。また文明社会が存在しても、人間性の自然としての非宗教的な心の動きがなくなることもない。
世界中のどの民族も、人類史700万年の伝統を持っている。たとえ宗教がこの社会から切り離せないものだとしても、この生は宗教だけではすまない。「絶対」とか「永遠」とか「秩序」といったこの生やこの世界を説明する観念から解き放たれた、人としての他愛ない驚きやときめきは、誰の中にも息づいている。

多くの歴史家は「未来に対する計画性が人類の歴史に進化発展をもたらした」などと平気で合唱しているのだが、そういう安直な発想しかできないのは、「自我(主体性)の確立」とかいう近代合理主義的思考にすっかり冒されてしまっているからだろうか。
人類は、言葉や歌や踊り生み出そうと計画したのではない。心がより他愛なく豊かにときめいてゆく体験とともに、知らぬ間に歌や踊りが生まれてきただけのこと。
文明社会の制度は生き延びようとする欲望や計画の上に成り立っているわけだが、日本列島でそれが本格化したのは仏教伝来以降のことにすぎない。したがってそれまでの歴史を宗教=呪術のそれとして考えるべきではない。縄文・弥生時代に呪術=宗教が生まれてくる必然性などどこにもないのだ。
縄文・弥生人は、呪術として祭り(=歌や踊り)をしていたのではないし、弥生時代には祭りの拠点としての神社のような施設はできてきたとしても、おそらく祝詞も祭神もなかった。そのとき人々を動かしていたのは、「死んでもかまわない」という勢いで他愛なくときめき合ってゆくエネルギーから生まれてくる賑わいだけであり、生き延びるためのどんな計画(=呪術)があったのではない。呪術など介在しない一期一会の賑わいだったからこそ、より豊かに盛り上がっていったのだ。
まあ、人類に「死んでもかまわない」という無意識がはたらいていなければ、処女(思春期の少女)に漂っている「他界性」に感動することはない。
人と人が他愛なくときめき合う文化、これが人類史の伝統であり、縄文以来の日本列島の伝統でもある。
処女(思春期の少女)が天皇になっていったのだ。
人類は、「死んでもかまわない」という勢いで歴史を歩んできたのであり、それが日本列島の文化の伝統でもある。