祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」

古代人は、ことばのことを「ことのは」といった。
「こと」は、「出現」の語義。「コトン」「コトリ」と「こぼれ出る」こと。「こぼれ出て現われる」こと。
「こ」は「、「漉(こ)す」「凝(こ)る」の「こ」。「紙を漉す」とか「肩が凝る」というようなことを考えたらわかるように、かたまりが「現われ出る」こと、あるいは、「かたまり」そのもののこと。
「と」は、「止(と)まる」「留(と)める」の「と」。
「こと」は、現われ出たものを留めること。すなわち、現われ出たものに気づくこと。事実、事件、ことば等々。
「は」は、「空間」の語義。
「ことば=ことのは」は、口からこぼれ出て、語り合う者たちのあいだの空間に現れ出る。
万葉学の権威である中西進氏は、「<ことのは>の<は>は<かけら>というような意味である」といっておられる。
「は」は「端」だから「かけら」であり、切れ端のことを「端物(はもの)」という。
しかし、われわれはそのようには解釈しない。
「は」は、息にもっとも近い音声である。「はかなし」の「は」、「空虚」「空間」の語義。
「はあ」とため息をつく。「はあ?」とうつろに問う。「ははあ」と自分を消してひれ伏す。
自分の存在感が消えてゆく心地からこぼれ出る音韻。そこから、「空間」「空虚」の語義が生まれてくる。
「山の端(は)」というときの「は」は、山という存在の「端(はし)」であると同時に、山に接している空間の「端(はし)」でもある。それは、山という存在の「端(はし)」ではない。山という存在が空間になってしまっている「端(はし)」なのだ。
われわれが山の輪郭線を眺めているとき、山と接している空間を眺めている。接している部分の空間は、そこだけ全体の空よりも白っぽくなっている。ことに空気が湿潤なこの国の風土では、霧や靄がかかっているときは、ことさらに輪郭線部分の空気のグラデーションが印象的である。その輪郭線は、山であって山ではない。その部分を、「山の端(は)」という。接する空間を見ていなければ、輪郭線と認識することはできない。その空間によって輪郭線が成り立っている。
山だけではなく、日本列島においては、ものの端(はし)は、ものであってものではないのである。
だから、「は」という。
「切れ端」は、すでに「空間」になってしまったものだから、「端物(はもの)」という。
ことば=音声は、体から切り離されて「空間」に出現したものだから「ことのは」という。
ことばは、身体=自己から引きはがされた意識である。そういう認識で古代人は「ことのは」といった。
「こと」の語原は、「ことば」ではない、「出現」の語義にある。ことばは他者と私のあいだの「空間=隙間」に出現し、そこで生成している。つまり、そこでことばの意味が発生する。「は=空間」において出現し生成しているから「ことのは」という。
古代人は「出現」のことを「こと」といっていたのであって、「ことば」だけに限定して使っていたのではない。
日本列島の古代人は、ことばをひとつの意味に限定して使うというようなことはしなかった。だからやまとことばは、同音異義がやたら多い。
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「言霊(ことだま)」の「こと」の語原は、「ことば」のことをいったのか。
「事魂」と書かれることもあったのだから、語源的には、あくまで「もの」と「こと」の「こと」だったのであり、「ことば」だって「こと」から生まれてきたのだ。
当時の中国人の「霊魂」のイメージと日本人のそれと同じではなかったにちがいない。おそらく「れい」と「たま」くらい違っていた。
「ことだま」とは、「ことばの霊」のことではない。「ことばの<たま>」なのだ。研究者たちはその違いを考えようとしないで、安直に「霊」というたんなる当て字にもたれかかって解釈してしまっている。
ことばには霊力がやどっているとかなんとか、やめてくれよという話で、そんな解釈は後の時代のものだ。
古代人は、ことばを「たま」と思っていたのであって、「霊(れい)」と思っていたのではない。
「たま」とは、ゆったりと充足している心地、というくらいの意味。
「た」は「充足」「達成」の語義」。「ま」は「まったり」「まあまあ」「まずまず」の「ま」、「安定」「穏やか」の語義。
「ことだま」とは、ことばを交わしあうことのよろこび。それ以上でも以下でもない。そのことに古代人のどんな思いのたけが込められているか、と問われなければならない。
薄っぺらな「霊魂」などという概念につまずいているわけにはいかない。霊魂とか、森羅万象とか、人間は自然の一部だとか、そんな安っぽい観念論などどうでもいいのだ。そんなことは関係ない。あくまで人と人が語り合うことに対する古代人の思い入れの深さに錘を垂らしてゆかねばならない。
やまとことばの根源においては、観念的な概念を表出しているのではない。
「こと」は、「出現」を意味しているだけのこと。語り合ってよろこびが出現するから「ことだま」といっただけのこと。そしてことばは、口からこぼれ出て空間に出現するものだから、「ことのは」という。
よろこびが出現することを「事(こと)」といい、ことばが出現することを「言(こと)」という。だから、「ことだま」の「こと」は、「事」でも「言」でもどちらでもいいのだ。
やまとことばで語り合うことは、心と心が響きあうことだ、と古代人は考えていた。「ことだまのさきはふくに」とは、そういうこと。
中国語が入ってきて、われわれのやまとことばは、あんな意味を伝えるためだけの道具ではない、と万葉びとは意識していった。そういう思いで「ことだまのさきはふくに」といった。
わざわざ「くに」といったのは、中国大陸=漢語を意識している、ということだ。
「たま」とは、生きてあることのうっとうしさやいたたまれなさから解放されるカタルシス(浄化作用)のこと。中国大陸の観念的な「霊魂」という概念など関係ない。
漢語が「観念的」だとすれば、やまとことばは「実存的」なことばなのだ。
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「こと」と「もの」は、日本語のもっとも基礎的なことばになっていて、ともに無数のニュアンスで使われている。それでもわれわれは、このふたつの使い分けを誤まることはめったにない。それは、その音声がこぼれ出るときの基本になる感慨のかたちを体で知っているからだろう。
このふたつは、われわれが生きてあることの基本的なかたちをあらわすことばである。
生きるとは、心が「出現」することだ。われわれは、そこから生きはじめる。
そしてわれわれは、何もないところかろから赤ん坊としてこの世界に「出現」した存在でもある。われわれは、どこかしらで「自分はこの世界に出現した存在である」と思っている。
何かが「出現」することに対するときめきがわれわれを生かしている。
生きるとは、「出現」することであり、「出現」することに驚きときめくことだ。そのようにして心が動きはじめる。
心が動きはじめた(出現した)ところから「こと」という音声がこぼれ出た。
「気づく」という心の動きから「こと」という音声がこぼれ出る。そういうニュアンスを、われわれは体で知っている。
「ことさら」とは、いくつもの中からひとつだけ突出(=出現)していること。
「さら」とは、いくつもに分かれていること。「さ」は「裂(さ)く」の「さ」、「分裂」の語義。「ら」は「われら」の「ら」、「集合」の語義。
「さらに」といえば、「分かれてゆくこと」をあらわす。
「ことごとしい」とは、「大げさな出現」のさま。
「まあ、きれいだこと」というときの「こと」は、「きれい」が「出現」して輝いているように感じられることの表現。
「こと」と「もの」に関しては、どの言語学者も、この生やこの世界の根源のかたちをあらわすことばとして問いつめようとしている。
それは確かにそうだ。
しかしそのことを説明するために彼らは、「労働」とか「規範」とか「自然の摂理」とか、あれこれもったいぶった概念を付与しようとしているのだが、人間を生かしている意識は、そんな観念的なところにあるのではない。古代人は、そんなものをよりどころとして生きていたのではない。
人間を生かしているのは、心が「出現」することであり、世界の「出現」に心が動くことだ。
じつはそういうことのほうがずっと根源的な「生きられる意識」のかたちだということを、彼らは何もわかっていない。
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そして「出現」に対する意識と対をなす意識といえば、出現以前の「すでに存在するもの」に対する意識であり、動いてゆく心に対する「停滞する心」だ。それを「もの」という。
出現することに驚きときめくこころとともに、「停滞する心(生きてあることのうっとうしさやいたたまれなさ)」もまた生きてあることに不可避的にそなわっている意識だ。この二つの意識がセットになって人間が生きてあることのかたちになっている。
「も」は、「藻」「森」の「も」。重苦しい感慨の表出。
たくさんの藻がかたまってゆらめいている眺めは、重苦しくうっとうしい。
林が風が吹き抜けるところだとしたら、森(もり)は、風も入ってこない鬱蒼とした茂みのこと。
「の」は「乗る」「飲む」「伸す」の「の」。「接続」「接着」の語義。
「もの」とは、「重苦しい接着」、すなわち「まとわりつく」こと。
われわれの身体には、暑いとか寒いとか痛いとか息苦しいとか疲れとか空腹だとか、さまざまな生きてあることのうっとうしさがまとわりついている。
それだけではない。何もないところから生まれてきてやがて死んでゆかねばならないこの身体は、すでに存在することそれ自体のいたたまれなさがまとわりついている。
われわれは、この生に幽閉されている。
そういう生きてあることのもろもろのうっとうしさやいたたまれなさから、「もの」という音声がこぼれ出てきた。
「もの」とは、まとわりつかれていることのうっとうしさの表出。
「だってあたし女ですもの」というときの「もの」は、良くも悪くも「私は女であることにまとわりつかれている」という感慨がこめられている。
「もの悲しい景色」というときの「もの」は、「景色に悲しさがまとわりついている」ということ。
「ものすごい」の「もの」は、「すごい」にまとわりついてそれを強調している。
「品物(しなもの)」というときの「もの」は、本来的には「物」を意味しているのではない。「しな=特別の愛らしさ・貴重」を強調しているのだ。だから、「忘れもの」というときの「もの」は、何も物体でなくても、「思い出」のようなかたちのないものでもかまわない。
「怠けもの」というときの「もの」も、人間という「物体」のことではなく、「怠け」がまとわりついた「人格」をさしている。
では、なぜ「物体」のことを「もの」というのかといえば、人間とって「存在」することはうっとうしさやいたたまれなさにまとわりつかれた事態だからだ。
日本列島の住民は、この世界の存在そのものに、ある重苦しさを感じている。だから、物体のことを「もの」という。
この生は、身体存在のうっとうしさの上に成り立っている。そこから「もの」ということばが生まれてきた。
「もの」ということばの語源的な意味と感慨は、「まとわりつかれることのうっとうしさ」にある。もちろんそこから派生して、たとえば「大切なもの」とか「愛すべきもの」というようにポジティブなニュアンスでも使われているが、根源的には身体のうっとうしさや生きてあることのいたたまれなさ・重苦しさから生まれてきたことばに違いない。
そして「こと=出現」が、ネガティブなニュアンスで使われている場合も、もちろんたくさんある。
いずれにせよ、「もの」と「こと」は、日本列島の住民の生きてあることの根源的なかたちに通底していることばなのだ。
それは、彼らが、生きてあることや世界や他者との出会いをどのように感じていたかという問題である。
そこのところで中西進先生、あなたたちは、自分がひとまず古代人になって考えてみる、ということがまるでできていない。
「こと」と「もの」の根源=語原のかたちは、「現われ出る」と「まとわりつく」、それだけのことさ。しかしそれだけのことこそが、われわれの生きてあることの根源のかたちなのだ。
まとわりつくものにうっとうしがる体験と、現われ出たものに驚きときめく体験、われわれの生は、この二つの体験のバイブレーションとして成り立っている。
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「ことだま」は、ことばの「霊力」のことではない。そんな迷信深さは江戸時代以降のものであり、江戸時代の学者の解釈に過ぎない。
柿本人麻呂は、日本列島はむやみに「言挙げ(ことあげ)」しない国だ、といっている。
「言挙げ」とは、神に願い事をすること。それはつまり、当時の日本列島の住民は中国から入ってきた「霊力」という概念なんか信じていなかった、ということを意味する。そして人麻呂は、それでも遠くに旅立った友の無事の帰還を「言挙げ」せずにいられないと歌うのだが、それは人麻呂の「願い」の切実さや深さを表現しているのであって、「霊力」を信じていることではない。そこのところを、中西先生、あなたは何もわかっていない(「ひらがなでよめばわかる日本語」P・164)。
先生、ことばの霊力のことを「ことだま」という、だなんて、そんな低俗な解釈などちゃんちゃらおかしいのですよ。
古代人は、生きることにも、世界や他者との出会いに対しても、もっとひたむきで率直だった。
彼らは、語り合うことのよろこびそのものを「ことだま」といったのであり、語り合うことのよろこびを生む機能として、すなわちことばのニュアンスをより豊かにする機能として「もの」と「こと」ということばが生まれてきたのだ。
それだけのことさ。
それだけのことをよりどころにして人間は生きてきたのであり、古代人は自然と一体化して生きていたとか、ことばの霊力を信じていたとか、そんなことの中に語原のかたちがあるのではないし、そんなことが古代人の心の動きだったのでもない。