祝福論(やまとことばの語源)・「かわいい」20・くはし2

日本列島の「どうせ」ということばのニュアンスは、外国人にはきっとわかりにくいだろう。
それは、皮肉でも絶望でも怒りでもない。
この世界を希望のないかたちで受け入れつつ、つまり「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いを共有しつつ、その嘆きをカタルシスに変えてゆく心の動きからこぼれ出てくる言葉……とでもいえばいいのだろうか。
希望をもたないことが希望である心のかたち。
「人間なんてどうせそんなものさ」といいつつ、人間を肯定し、祝福してゆく。
 おれは河原の枯れススキ
 同じおまえも枯れススキ
 「どうせ」ふたりはこの世では
 花の咲かない枯れススキ
そんな歌謡曲があったが、嘆きがそのままカタルシスになってゆくかたちをうまくあらわしていて、昭和のはじめころの人たちの愛唱歌になっていた。
そんな時代がよかったのかどうかわからないが、自分のことを「枯れススキ」といえないで「幸せです」といわなければ格好がつかない強迫観念に追い立てられている現在がいい時代だともいえないだろう。 
近ごろ一部の若者が「俺たち頭わるいから」といったりするのは、「枯れススキ=どうせ」のタッチがよみがえっているのかもしれない。
彼らは、そのようにして「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いを共有して生きている。
いまどきの大人たちは、彼らのことを、まるで頭が悪いことに居直っているふてぶてしい人間のようにいうのだが、そうじゃない。彼らは、「どうせ」と嘆きつつ、そこから生きてあることのカタルシスを汲み上げてゆこうとしている。そしてそれは、この国で古代以来ずっと地下水脈として流れつづけきた世界認識のタッチであり、美意識なのだ。
IQの高さと知識ばかりをひけらかしてそうした若者たちを批判しながらまともな人間づらしているやつらのほうが、よほどたちが悪い。この連中の頭の中身がいかに薄っぺらかは、僕も、このごろよくわかるようになってきた。薄っぺらの頭で、社会をリードしているつもりになって、デリダがどうのソシュールがどうのと低俗な議論ばかりしてやがる。
いまどき、自分の頭のよさや人格の正しさをひけらかすなんて流行らないのだ。そういう人間が、いざとなったらどんなに無神経でサディスティックな態度を見せるかということを、われわれは知っている。彼らは、自我意識が強いから、アイデンティティの危機に陥ると、なりふりかまわずそれを守り抜こうとしてくる。
おまえらのそういう資質が、知らず知らずのうちに子供や若者を追いつめているのだ。
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頭のいい人間は、言葉をもてあそぶ。
頭の悪いものたちは、嘆きつつ、ことばを模索している。
ことばをもてあそぶことができるのは、文字が生まれてきたからだろう。彼らにとってことばは、すでに存在している。彼らにとってことばは、文字を記すための道具に過ぎない。彼らはことばを豊富に所有しているが、ことばの起源に遡行できない。
ことばが生まれてくる契機としての「嘆き」にとどまる体験をしているものだけが、ことばの起源に遡行できる。
頭の中にことばが豊かにあふれているということは、ことばが文字を記すためのたんなる道具になってしまっているからだ。
ことばのためのことばを紡いでいるだけのこと。現代人は、ことばの表現は豊かだが、ことばが生まれてくる「契機」を持っていない。現代人にとってことばは、すでに存在している。
文字を持つ前の時代のやまとことばの語彙はとても少なかったといわれている。ことばが生まれてくる契機としての心の動きをともなっていないことばなど存在することができなかったからだ。語彙は少なかったが、そのぶんひとひとつのことばのニュアンスや意味が、現在よりはるかに豊かだった。
われわれは、文字を持ったことによってことばを豊富にしたが、ことばが生まれてくる契機としての心の動きが貧しくなった。
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現在のギャルことばは、語彙が貧しくてもことばが生まれてくる豊富な契機を生きている頭の悪いギャルたちのあいだから生まれてきている。
学問としてのことば、芸術表現としてのことば、どちらだって同じだ。いまどきの知的エリートたちのことばの量は豊富だが、豊富であるがゆえに、ひとつひとつのことばのニュアンスは、ギャルことばよりもはるかに貧しい。彼らはもはや、ことばの起源に遡行することはできない。
この社会は、頭がよくてことばの数が豊富な人たちのものかもしれないが、彼らによってことばの起源が解き明かされるのではない。ことばの数が豊富でことばをもてあそんで生きているということは、ことばが生まれてくる心の動きを喪失しているということだ。
「おれたち頭悪いから」という「嘆き」を持っているものにしか、ことばの起源は体験できない。
だから、おえらい万葉学者が、あんな底の浅い語源論しか語れないのだ。
たくさんのことばと戯れて幸せに生きる方法なんかいらない。「おれたち頭悪いから」とか「私、ブスだから」とか、「人間関係へただから」とか「貧乏だから」とか「仕事ないから」とか「病気だから」とか、そういう「嘆き」を生きる体験としてことばの起源が明らかになっていくのであり、そこにこそことばが生まれる契機がある。そこでこそ、ことばの命が生成している
知識だけでは、ことばの起源に遡行できない。
原初、ことばが生まれてくるとき、心の動きとしての「嘆き」があった。それは「自分はここにいてはいけないのではないか」と問うている若者たちのもとにある。
今なぜ「語源論」かといえば、そういうことだ。われわれの中では、ことばと戯れる時代は、すでに終わっている。
いずれにせよ、ひとまず「文盲」にならないと、ことばの起源に推参することはできない。
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「かぐはし」、という。
「かぐ」は「嗅ぐ・匂う」だから、「匂い立つような」という意味かといえば、たぶんそうではない。
「かぐ・はし」ではなく、「か・くはし」なのだ。
「か」は、「離れる」「変化」「出現」の語義。「くはし」は、消えてなくなること。「かぐはし」は、離れてさっぱりすること。つまり、「心が洗われるような」とか「目が覚めるような」というニュアンス。
また、「かぐや姫」というときの「かぐや」は、「きらきら輝いて出現する」という意味。
この場合は、「かぐ・や」ではなく、「か・ぐ・や」。
これも、「かわいい」をあらわすことばだ。
「か」は、「離れる=出現」。かぐや姫は、月の世界から離れて地球上に出現した。
「ぐ=く」は、「組(く)む」の「く」、「複雑」「交錯」の語義、きらきらすること。
「や」は、「矢」の「や」、「遠くにたどり着く」とか「あたり一面」というニュアンス。
かぐや姫は、竹の中できらきら輝いて当たり一面を照らしながら出現した。そして、その輝く美貌は、世界中の男をとりこにした。
そして「くはし」の「く」にも、「交錯する=きらきらする」というニュアンスがある。
「は」は、「空気」「雰囲気」「気配」の語義。
「かぐや」の「く・や」が実際に輝いて当たり一面を照らしていることだとすれば、「くはし」の「くは」は、輝いているような「雰囲気」「気配」を表している。
人は、きらきら輝いているものが好きだ。それは、その「出現」の気配が、「自分はここにいてはいけないのではないか」という息苦しい思いを癒してくれているからだ。
息苦しい思いが癒されることを、「くはし」という。
「くはし」が「かはゆし」の語源になったのかどうかはわからない。しかし、まあ同じ系統のことばだろう。さらには「かなし」や「はかなし」や「かぐや」や「かぐはし」など、古代人は、そういう「出現」の気配にときめいてゆく言葉をたくさん持っていた。そうしてそのときめきの底には、つねに「自分はここにいてはいけないのではないか」という問いが疼いていた。
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「くはし」は、語源的には、生きてあることの息苦しさ(=「く」)が解消されてゆく安堵感(=「は」)をあらわすことばだった。これが、「くはし」の「ことだま」である。
われわれは、この生に閉じ込められてある。その閉塞感から、古代人の「くはし」という美意識が生まれてきた。
縄文時代以来、古代の日本列島の住民の暮らしは、山とともにあった。
山を眺めることの閉塞感と安堵、そこから「くはし」ということばが生まれてきた。
「くはし」という美意識は、おそらく古代人の山に対する感慨が基礎になっている。
山を眺めればたしかに立ちはだかる壁であるが、その稜線やいただきは、その向こうの何もない空間をあざやかに感じさせてくれる。
その何もな空間の、たとえば夕焼け空や薄桃色の雲は、まさに「くはし」であり、なだらかな稜線を描きながらいただきに向かってその「量感=物性」を薄くしている山の姿そのものこそ「くはし」の原型だった。
山は、何よりも重苦しい「存在感=物性」を持ってせまってくる存在であると同時に、天に向かってあざやかにその「存在感=物性」を消してゆく姿をしている。
その末広がりの立ち姿こそ「くはし」であり、たとえば富士山は、その姿をもっとも鮮やかに見せている。
この国の「末広がり」の文化は、「くはし」の感慨が水源になっている。
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頭の悪いものは、考えないのではない。誰だって考えているさ。ただ、考えれば考えるほど、わからなくなってゆく。すべての答えが、無意味になってゆく。
考えることの向こうがわには、「何もない」。信じられるものはもう、「今ここ」にしかない。
遠ければ遠いほどわからなくなってゆく。遠い人のことは、忘れてしまう。目の前の「あなた」しか信じられない。「今ここ」が世界のすべてであり、「あなた」が人間のすべてだ。
海の向こうは、「何もない」。
この国の歴史は、そうやってはじまった。
「どうせ」そんなものさ……考えは、けっきょくそういうところに行き着いてしまう。そうして、目の前の「あなた」を抱きしめる。それだけが、生きてあることの証しである。
神は、「あなた」の中に宿っている。
古代の日本列島の住民が地上の森羅万象の中に神を見出していったのは、けっきょくその歴史が、「海の向こうは何もない」という感慨を抱いたところからはじまっているからかもしれない。「何もない」と思えばこそ、海に囲まれたこの島が世界のすべてだという感慨も深くなる。
それは、「今ここ」がこの生のすべてだという実感でもある。
水平線の向こうは「何もない」という感慨。すなわち、「ない」の発見。すなわち、カタストロフィー(消失点)の発見。
たぶんこの体験から、末広がりで先が細くなっているものをめでたいとする美意識が生まれてきた。
「消えてゆく=カタストロフィー」、これが、日本列島の美意識の原型なのだ。
消えてゆくかたち、そこに古代人は、「くはし」ということばがこぼれ出る感慨を覚えた。
遠いものはしだいにぼんやりしていって、やがて何もわからなくなる。これが、古代人が海の水平線を眺めながら抱いた感慨であり、そのなやましさくるおしさから逃れるようにして空を仰ぎ、たしかなものは「今ここ」にだけあるという感慨を深くしていった。
そうやって「よこ」のパースペクティブ(時空)を断念し、「たて」の世界(時空)を仰いだ。
その契機として、末広がりで先端が細くなっているかたちの「山」があり、その先に何もない「空」があった。そして最後に、ああここが世界のすべてだ、と納得した。この体験は、海を眺めてなやましさくるおしさにひたされ気持ちが停滞する「けがれ」に対する、ひとつの浄化作用(カタルシス)になった。
まず気持ちが停滞する「嘆き=けがれ」の自覚があり、そこから山を眺めたとき、何か心が洗われるような感慨があった。そういう浄化作用(カタルシス)として、「くはし」ということばがこぼれで出てきた。