祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」3

(承前)
「もの」と「こと」は、語り合うことのニュアンス(あや)を豊かにするための機能として生まれ育ってきたのであって、荒木博之氏がいう「恒常不変の原理」とかいうような何か観念的な「意味」をイメージして生まれてきたのではない。
そして、昔の人と同じようにわれわれ現代人もまた依然として「もの」と「こと」といっているのだから、それは、「育ってきた」というより、さまざまなニュアンスに「繁殖してきた」というべきだろうか。
ある人が「よく脱臼して、そして無知のまわりを回れるだけ回れ」といっておられたが、「もの」と「こと」の語原を問うとは、まさにそのような思考かもしれない。
先日、僕の語原解釈にいちゃもんをつけてきたあげくに「<もの>とは自然の森羅万象で、<こと>は労働とか科学といった人間のいとなみのことだ」というようなことをえらそうにいってきた人がいるが、あほじゃないか、と思った。
おそらく中西進先生の説なども借りてきているのだろうが、そういう思わせぶりの観念的な解釈などぜんぶアウトだ、と僕は思っている。
「無知のまわりを回れるだけ回れ」なければならない。
古代人は、みんなでおしゃべりする座を盛り上げたかっただけのことさ。
しかしそれだけのことでも、「もの」と「こと」ということばの原初的なかたちを問うてゆけば、そこから古代人の生きてあることの悲しみやいたたまれなさが伝わってくるのが感じられる。
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和辻哲郎は、「もの」は「性格」をあらわし「こと」は「関係性」をあらわしている、というようなことをいっている。したがって「こと」は、日本列島の住民の社会性・共同性をあらわすことばとして機能している、と。
この説は、荒木先生や中西先生などよりはずっといいところをついていると思う。
「もの」と「こと」は、みんなで語り合う社会性・共同性から生まれてきたことばだ。
ことばが社会性・共同性をつくったのではない。社会性・共同性の中からことばが生まれてきた。
はじめに社会的・共同的な心の動きがあった。ことばによって、社会的・共同的な心の動きが生まれてきたのではない。
たとえば、最初に二人の人間の会話があって、そこから三人四人の語らいに広がっていったかというと、そうではない。少なくともやまとことばは、みんなで語り合うところから生まれてきたことばなのだ。
日本列島の住民は、みんなでわいわいがやがや話をすることは好きでも、夫婦や親子のあいだではあまり話しをしない。やまとことばは、もともと一対一の関係から生まれてきたことばではないから、夫婦や親子の会話には適していないのだろう。
たしかに「もの」と「こと」は、日本列島の住民の社会性・共同性から生まれてきたのだろう。
ただ、「もの=性格」「こと=関係性」という色付けで分類してしまっていいのか、という問題は残る。
たとえば「ことごとく」とといえば「個別の性格」を語っているし、「ものものしい行列」というときは,「性格」と同時に「社会性・共同性」もあらわしている。
「おくりもの」というときの「もの」は、「関係性の性格」をあらわしていて、いったいどちらなのだ、ということになる。
「ひとりごと」とか「うわごと」とか「心に浮かぶよしなしごと」とかというときの「こと」が「関係性」をあらわしているとも思えない。「性格」をあらわすニュアンスは感じるが。
「よしなし」とは、ようするに「関係がない」ということだろう。
「こと」と「もの」は、みんなで語り合う場の空気を盛り上げるために生まれてきたことばであるが、われわれはそれらをそんなニュアンスで使い分けているとも思えない。
やっぱり「もの=まとわりつく」・「こと=こぼれ出る(出現)」というようなニュアンスのタッチで使い分けているのではないだろうか。
なんといっても「身体的」といわれる「やまとことば」なのだから、あまり頭でっかちの概念的な分類はしないほうがいいように思える。
やまとことばの真髄は、「無知のまわり」にある。