死んでゆく人は美しい・ネアンデルタール人論216

人の心は、死んでゆく人から癒され、死んでゆく人にときめいてゆくことができる。文明の未発達な原始人の身では生きられるはずもないような氷河期の極北の地を生きたネアンデルタール人は、この心模様を極限まで体験した人々だった。彼らにとって死はひとつの解放だった。だから男たちは、大型草食獣との死をも厭わないような肉弾戦の狩りに熱中していったし、女たちは、現代人よりも長い妊娠期間の危険極まりないお産をすることができた。生まれてくる子供たちだって、半数以上は大人になるまで成長することなく死んでいった。そうやって、多くの人が人生の途上で死んでゆく社会だった。年老いて死にそうになってもまだ生きていられるような現代社会とは、まるで状況が違っていた。だから現代人の多くは「死にたくない」と悪あがきするのだが、ネアンデルタール人の社会ではもう、死に対する親密さなしに生きてあることなどできない条件のもとに置かれていた。人類史において、彼らほど死んでゆく人との関係を深く豊かに切実に体験していた時代はない。人類の文化は、この「死んでゆく人から癒され、死んでゆく人にときめいてゆく」という体験を基礎にして、それ以後爆発的に進化発展してきたのだ。人は、そうやって思考を異次元の世界というか知らない世界に向かって「飛躍」させてゆくことができる。その能力が、文化のイノベーションや人と人の関係の豊かさを生み出してきた。
現在の人類は、文化的にも遺伝子的にも、ネアンデルタール人から受け継いだものなしにはあり得ない。ひとまず世界中の人類が「ホモ・サピエンス」だというくくりになっているが、誰もがもともとはアフリカ中央部に暮らしていた人類だったというのではない。その人たちだけが爆発的に人口を増やして世界中を覆い尽くしてしまった、などというバカげたことがあるはずないではないか。
アフリカのホモ・サピエンスが肌の色の白さを広めたとか、現在の都市文化の基礎をつくったとか、そんなことはありえないのだ。
アフリカ中央部は、世界でいち早く都市文化を築き上げたのか?そうではあるまい、いまだに都市文化が未成熟な土地柄ではないか。
アフリカは、世界でもっとも「介護」の文化が発達しているのか?もっとも遅れている土地柄だろう。つまり熱帯のアフリカ中央部のホモ・サピエンスの社会では、極寒の環境下のネアンデルタール人の社会以上に人がたくさん死んでいったのか?地球全体の気温が下がる氷河期になれば、気候的にはアフリカ以上に住みよい土地などなかったかもしれないのだ。
現生人類の文化の基礎は、ネアンデルタール人が引き受けた「受難」によってつくられた。われわれの文化の歴史は、ネアンデルタール人からの連続性を考えないとつじつまが合わないのだ。

人類の血なんか、いずれは世界中で混じり合ってしまう。それが、「ヒト」という種の本質的な生態なのだ。
現在の世界中のほとんどの人にはネアンデルタール人の血が混じっているが、アフリカの中南部には、ネアンデルタール人の血が混じっていない「純粋ホモ・サピエンス」がいる。このことが何を意味するのか。
「純粋ホモ・サピエンス」はけっして拡散していかない生態の人々であり、アフリカでは、さまざまな種族が長いあいだ没交渉になっていった結果として、高身長とか低身長とか尻が大きいとかチョコレートブラックの肌の色とか、さまざまな形質に分かれている。
ホモ・サピエンス」の血はたしかにアフリカ中央部で生まれたのだろうが、その血が世界中に広まっていったのは、ネアンデルタール人が起点になっているのだ。氷河期には、ネアンデルタール人の血はアフリカ北部まで伝播していたのであり、そこでホモ・サピエンスの血を拾い、その混血の血が集落から集落へと手渡されながら世界中に伝播していったのだ。
現在の人類の形質の多様性はアフリカ人の形質の多様性が基礎になっている、という研究者もいるのだが、だったら、ピグミーもホッテントットもマサイ族も、みんなしてアフリカを出ていったのか、ということになる。しかし彼らは、隣りの部族や種族とすら血の交換をしない生態だったから、そうやって狭い地域ごとに形質が分化していったのだ。彼らは、拡散してゆかない生態の人々だったし、現在でもその生態ゆえに、いくつかの部族を統合してひとつの国家共同体になってゆくということが、なかなかうまくいっていない。
集団的置換説では、4〜3万年前のヨーロッパにはネアンデルタール人の人口を上回る数のアフリカ人がヨーロッパに移住していったというのだから、ピグミーもホッテントットもマサイ族もいたのだろう。そしたら、クロマニヨン人だって、さまざまな形質でさまざまな生態文化だったことにならないとつじつまが合わない。
だからまあ、十数万年前のある一つの小集団が爆発的に人口を増やして世界中を覆い尽くしていったと彼らはいうのだが、そんな旅をする集団が爆発的に人口を増やすはずがないし、それなら世界中が同じ形質でなければつじつまが合わない。まあ、原始人が旅ばかりしていたら、女子供はどんどん死んでいって、いずれその集団は滅びてしまう。その滅亡寸前の状況の新しい地で新しい集団が生まれていったのが、人類拡散なのだ。
人類は、定住することによって爆発的に人口を増やしていったのであって、旅をしながら人口を増やしてゆくことなんか、論理的にありえない。
世界中が百万年二百万年かけてそれぞれの環境に合わせて形質を変えてゆき、その歴史の中で、たがいに血の交換をしながら同じような遺伝子のキャリアになっていったのだろう。
人類の血は、いずれ地球全体で混じり合ってしまう。人間性の自然・本質として、そうなってしまう生態を持っている。人は旅をするし、旅人を受け入れもてなす。世界中どこでも、定住民の女は、旅人の男とセックスしたがるというか、わりとかんたんに誘惑されてしまう。
ただ、アフリカ中南部だけは血が混じり合わない歴史を歩んできた。そんな生態の人々が、どうして世界中に拡散してことごとく先住民を吸収してしまうという歴史を歩んでくることができたのか?できるはずがないじゃないか。彼らは近代に入って奴隷として世界中に拡散させられたが、もともとは世界でもっとも拡散したがらない人々だったのだ。
アフリカでは、今でも「部族が違うから」という理由だけで相手を殺してしまうという事件が日常的に起きている。それは、女が、かんたんに異部族の男に抱かれてしまう生態を持っているからということもあるかもしれない。自分たちのテリトリー(生活圏)に異部族の男がいることを許さない。彼らは、そこまでして部族の純血を守ってきた。そうやって今でもアフリカ中南部だけには、「純粋ホモ・サピエンス」がいる。

まあアフリカでは、部族・種族の純血を守る余裕のある歴史を歩んできた、ともいえる。それに対してネアンデルタール人は、純血なんかどうでもよかったし、だからフリーセックスの社会になっていたわけで、それは、どんなに死にそうな命でもなんとか生かそうとせずにいられないせっぱつまった状況に置かれていたからだ。
現在のヨーロッパにおける「移民を受け入れる」というテーマは、ネアンデルタール人以来の伝統なのだ。受け入れていたらどんどん混血してゆくに決まっているのに、彼らは、「そんなことはかまわない」という歴史の無意識を持っている。
ヨーロッパは今、イスラム教徒の大量移民によって、「移民を受け入れる」というみずからの伝統が危機にさらされている。彼らがスムーズにヨーロッパ社会に溶け込んでくれるのならまだいいが、彼らはけっしてイスラム教を手放さないし、彼らだけのコミュニティをつくって結束したがる生態が強い。それは、受け入れる側の脅威になる。このままコミュニティがふくらんでゆけば独立すると言い出すかもしれないし、ヨーロッパ中をイスラム化させようとしてくるかもしれない。それほどにヨーロッパの伝統文化とイスラム文化とのあいだには相容れない異質性が横たわっている。
ヨーロッパ人の集団性はそれぞれが孤立した存在になりながら「連携」してゆくことにあるし、イスラムの集団性はひたすら同質化して「結束」してゆくことにある。イスラム教徒には、イスラム教徒にあらずば人にあらずというような、信念というか強迫観念がある。だから、イスラム教を手放せないし、ヨーロッパ中をイスラム教にしてしまおうとするような思考や行動にしらずしらずなってゆく。
ヨーロッパ人がイスラム教徒というか中東人の移民に脅威を覚えるのは、グローバル経済がどうのというような今にはじまったことではなく、2000年前のユダヤ人の流入以来の、それなりに長い歴史的な軋轢のいきさつがある。
基本的には無宗教であるというか宗教なんかただの生活の手段だという流儀で歴史を歩んできた日本人からしたら、「移民として受け入れてもらいたかったら宗教なんか捨てる覚悟で相手の胸に飛び込んでゆけ。そういう<生きられないこの世のもっとも弱いもの>になって飛び込んでゆくのが人としてのたしなみというもの。そしたら相手だって拒みはしない。ヨーロッパ人は拒まない文化を歴史の無意識=伝統として持っているし、そのときこそ宗教がこの生を支える根本的なものではないことがわかるだろう」といいたくなってしまうような側面がある。
まあヨーロッパ人だって宗教を持っているから「宗教を捨てろ」とはいえないだろうが、すくなくとも「ブルカ」や「ブルキニ」で公共の場をのし歩くみたいな厚かましいことはしてくれるな、といったって、たとえばこの国の知識人のような第三者から何を批判されることがあろうか。それは、ヨーロッパ人の民族主義というよりも、人と人が親密な関係を築くための最低限のたしなみにかかわることだ。
日本人なら誰だって、知らない人が道を尋ねてきたら、親切に教えてやるだろう。そのとき相手は「生きられない弱いもの」としてこちらの胸に飛び込んできているのであり、こちらの心はその「生きられなさを生きる」態度にときめき癒されている。人間性の自然において死はひとつの解放であり、われわれの心はしらずしらずそういう「生きられなさを生きる」存在にときめき癒されてゆく。それはきっと、生きられない弱いものをけんめいに生かそうとしながら氷河期の北ヨーロッパを生き残ってきたネアンデルタール人以来の伝統なのだ。べつに、日本人のオリジナルでもなんでもないし、あなたがやさしい人間だからでもない。たとえあなたがどんなにくだらない俗物であったとしても、人類はもともとそういう歴史の無意識としての本能のようなものを持っているというだけのことさ。
死んでゆく人は美しく荘厳だ。インドや東南アジアには釈迦の涅槃像がたくさんあるが、それは釈迦が美しく荘厳だということではなく、人が「死んでゆく」というそのことに対する人類普遍の感慨がこめられているのだ。