孤独と集団性・ネアンデルタール人論238

「氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人は体力だけでその苛酷な寒さに耐えていた」だなんて、集団的置換説の学者たちはどうしてそんな愚劣なことをいいたがるのだろう。イギリスのストリンガーをはじめ、世界的な権威といわれる学者たちがそういっているのだもの、いやになる。
体がずんぐりしていようと、屈強だろうと、人間がそんなことだけで氷河期の苛烈な寒さに耐えられるはずがない。それでも耐えてくることができたのは、衣装や生活の仕方などにおいて、それなりに文化的な工夫していたからだ。
数万年前のネアンデルタール人はすでに体毛はほとんどなかったが、体力だけで耐えてゆく流儀で歴史を歩んできたのなら、そんなことにはならなかったはずだ。彼らに猿のような体毛がなかったということは、体力ではなく「文化」で耐えていたということを意味する。そしてそれは、アフリカ人がいきなりやってきて持てるようなものではなかった。
ネアンデルタール人が持っていた寒さを潜り抜けるための文化は、単純な衣食住だけのことではない。何十万年もかけて、体毛が抜け落ちてゆくのと引き換えに育ててきた、人と人の関係をはじめとする集団性の「生態」やメンタリティの文化があったのだ。
ネアンデルタール人の洞窟集団での男と女は家族を持たないフリーセックスの関係だったといわれているが、それは、集団内の結束が強く他の集団と没交渉だったことを意味するのではない。フリーセックスであるのなら、いきなりやってきた他の集団のものだって受け入れるし、他の集団に向かって旅立ってゆくものも少なくなかったということを意味する。そうやって彼らの集団はつねに離合集散を繰り返していたし、だから、ヨーロッパ中が同じような石器を使い、同じような狩りの仕方をしていた。彼らの人と人の関係は、けっしてなれなれしく密着したものではなく、いつでも離れることができる淡いものだった。だからこそフリーセックスの関係になることができたわけで、犬や猿のように野蛮で知能が遅れていたからではない。
現在のヨーロッパ人が持っている「孤独」とか「自立心」というようなメンタリティの原点は、おそらくネアンデルタール人にある。
それに対してアフリカでは、けっして他の部族のものとは交わらないという生態で歴史を歩んでいたのであり、だから今では地域ごとに身体形質も言葉もさまざまに分岐してしまっているし、複数の部族をひとつの国家という枠に押し込めてしまった結果として、部族間の内戦が頻発している。彼らは部族内の結束が強く、ヨーロッパに比べると、旅をする文化も旅人を歓迎する文化の伝統もない。
ネアンデルタール人は、ヨーロッパ中で同じような身体形質になっており、たとえば南欧の血が北欧まで運ばれていたという遺伝子分析の結果もある。彼らは、ひとりひとりが孤立していたからこそ、誰とでも交わることができる文化生態を持っていた。
氷河期の苛烈な寒さがやってくれば、乳幼児だけでなく大人の死亡率だってどんどん高くなってゆくわけで、集団の人口はどうしても目減りしてゆく。寒ければ寒いほど、たくさん人が寄り集まっていないと暮らせない。そういう情況に置かれていればもう、相手を選んでいる余裕なんかない。いきなりやってきた旅人だって歓迎するし、さびしい集団になってしまえば、より大きくにぎやかな集団を訪ねてみたいという気にもなってくる。そして、そういう動きの生態が可能になる人と人の関係の文化が育ってゆく。そこでは、誰もがこの生のいたたまれなさを抱えて孤立し、誰もがときめき合っていた。
明日も生きてあるかどうかわからない環境に置かれれば、他者との「一体感」など持ちようがない。死んでゆくことは、何はともあれこの世界とさよならすることであり、彼らの「孤独」は、「別れる」という関係を前提にして存在するほかない状況によってもたらされていた。つまり、たんなる唯我独尊のミーイズムの孤独ではなく、「別れのかなしみ」の上に成り立っている孤独だった。孤独それ自体が、他者との関係(=集団性)だった。そこから、フリーセックスの生態が生まれてきた。それはもうクロマニヨン人だってそうだったし、現在のヨーロッパ人のメンタリティや生態にもつながっている。
まあ、原初の人類が二本の足で立ち上がることそれ自体がすでにそういう孤独と集団性に目覚める体験だったのであり、その「出会い」と「別れ」を繰り返して生きるメンタリティティと生態によって地球の隅々まで拡散していったのだ。であれば、そうやって氷河期の北ヨーロッパにたどり着いたネアンデルタール人は、最初からそうしたメンタリティと生態を持っていたからそこに住み着いてゆくことができたともいえる。
何はともあれそこは、拡散の歴史を持たないアフリカ人がいきなりやってきて暮らせるような場所ではなかったのだ。

ネアンデルタール人の集団は、たえず離合集散を繰り返していた。そこでは、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が豊かに生成していた。
ヨーロッパ人は、わりとかんたんに離婚してしまう。それはもう、おそらくネアンデルタール人以来の伝統で、そのかわり、いくつになっても男女の出会いの機会が用意されている社会でもある。彼らは、個人として自立したメンタリティを持っているから、別れに耐えることができるし、出会いのときの会話の作法も文化として確立している。
彼らは、人との出会いにあたりまえのようにときめくし、その別れをあたりまえのように受け入れる。そうやって「個人」として自立している。それが彼らの「孤独」で、だからこそ人にときめくし、別れを受け入れることができる。
人類の二本の足で立つ姿勢は、生きものとしてとても危険で不安定な姿勢でもある。それは、個体としての「身体の孤立性(自立性)」を危うくする姿勢であるわけだが、それを、たがいに向き合う関係になることによって補っている。その関係になれば、たがいに相手の身体が心理的な壁となって安定する。その関係性の上に人間社会の文化が成り立っている。
人類は、地球の隅々まで拡散してゆく歴史の果てに、その関係性の文化を確立していったというか、豊かにしていった。そうやって、氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人が登場してきた。彼らのフリーセックスの社会は、そういう人と人が向き合う関係の文化として成り立っていた。
人と人は、たがいに向き合い、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」を確保し合ってゆくことによって、たがいの二本の足で立つ姿勢を安定させている。言葉はこの「空間=すきま」で生成しているわけで、言葉は「出会いのときめき」として生まれてきた。そして、だからこそその「空間=すきま」を無化して抱きしめ合うことに豊かな快楽が生まれるし、「別れのかなしみ」を受け入れる心模様にもなる。
人と人は、たがいに「身体の孤立性」を確保し合いながら向き合っている。向き合ってたがいの身体と身体のあいだに「空間=すきま」をつくり合わないと確保できない。

ネアンデルタール人の集団は、「結束」していたのではない。たがいにときめき合い「連携」していただけなのだ。そしてそこにこそ、地球の隅々まで拡散していった人間性の自然がある。
「結束」してしまったら、拡散なんか起きない。いいかえれば、拡散してゆくことをやめたものたちが「結束」していったのだ。そうやって拡散の通り道である西アジアでは「結束」の文化が育ち、拡散の果てに氷河期の北ヨーロッパにたどり着いたネアンデルタール人の集団性は、すでに誰もが孤立した個人として、あくまで「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」を基調にした「連携」の文化の上に成り立っていた。
ヨーロッパ人が日本にくれば、日本人と「連携」しようとする。日本人と結婚している例も少なくない。しかしヨーロッパに移住したアラブの移民は、アラブ人どうしで「結束」したコミュニティをつくってゆく。そういうメンタリティや生態が、ヨーロッパ人を苛立たせる。それはもう、現在の移民問題だけではなく、2000年前にユダヤ人がヨーロッパに移住して以来の歴史的な関係でもある。
アラブ人は、ヨーロッパ人のように「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が豊かに交錯する流動的な社会はつくれない。その代わり、人類最初の国家という共同体をつくった。国家という共同体は、人と人を「結束」させることの上に成り立っている。
人類はもう国家という共同体と持ってしまったのだから、「結束」してゆく人と人の関係もいくぶんかは受け入れるしかないのだが、そればかりが特化すると住みにくい世の中になってしまう。アラブ人ならそれでよいのだろうが、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が生成している拡散の果ての地のヨーロッパや日本列島では、それだけでは息苦しくなってしまう。だから、不倫の関係も生まれてくる。イスラム社会のように、不倫をした女房は殺してしまってもいい、というわけにはいかない。ヨーロッパでも日本列島でも、不倫なんか大昔からいくらでもあったのだし、国家制度が確立していない古代以前は今よりももっと多かった。
まあ、日本列島では、「見て見ぬふりをする」という文化がある。結束至上主義の社会では、そういう文化は成り立たない。ヨーロッパでも日本列島でも、そういう態度をとれない人間は魅力的じゃないし、嫌われることも多い。正義を振りかざすだけが能じゃない。なれなれしくすればいいというものでもない。そういう人間は、人と人のあいだに横たわるほどよい「空間=すきま」をつくることができない。「出会いのときめき」も「別れのかなしみ」も知らない。
人をほめたがる人間ほど、人を糾弾したがる。まあ、自分がほめられてうれしいからほめたがるのだろうが、人にほめられたときは用心した方がいい。相手とのほどよい「空間=すきま」が危うくなりかけている。むやみに相手をほめないというのも、人としてのたしなみの内なのだ。そんなことをしないでも相手を楽しませてやる芸のひとつくらいは持っていたほうがよい。まあ、相手にときめいて上手に問うてゆくことができれば、相手だってそう悪い気もしないだろう。
むやみに相手をほめるのは、ときめいていることではない。くっつきたがっているか、なんらかの「返礼」を欲しがっているだけのことが多い。彼らは、くっつき合って結束している関係を生きようとする。
ときめいていることの証しは、ほめることではなく、「問い」の中にある。相手のことを問わずにいられないときめきがあるかどうか、それがなければ楽しいおしゃべりにはならない。ヨーロッパ人は、そういう機知に富んだ問いと答えの応酬の芸を持っている。それは、たがいの身体のあいだの「空間=すきま」で生成している。くっついてゆこうとも離れようともしない。
人と人の関係は、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」のバイブレーションの上に成り立っている。人間とは、そういう生きものではないだろうか。