私の前にはあなただけがいる・ネアンデルタール人論227

生きてあることなんかうんざりなのに、それでも人は生きてしまう。
ろくでもない世の中だけど、それでも人と出会えばときめいてしまう。
何より自分自身がろくでもない存在で、だからこそ他者の存在が輝いて立ちあらわれる。
人の心は、「出会いのときめき」とともに「自分」からはぐれていってしまう。「自分」なんか忘れて他愛なくときめいてゆく。そのようにして他者も含めた「この世界」が「自分」の前に立ちあらわれる。
「自分」なんかかんたんに忘れてしまうような愚かで他愛ない「自分」でありたいと思う。
「自分をしっかり持ちなさい」といわれてもねえ。そうやって心が「自分」に閉じ込められてしまうのは、しんどいことだ。そういう世の中の合意に追いつめられ、「自分」を忘れられなくなってしまう。自分は正しく美しい存在だとか、自分はかけがえのない存在だとか、そうやって「自分」に執着した「自尊感情」によって、「自分」の外の「世界の輝き」にときめく心を失ってゆく。
誰もが正しく美しい自分を手に入れられるとはかぎらないし、正しく美しい自分を手に入れれば気持ちいいだろうが、そうやって正しく美しい自分に執着耽溺しながら自分の外の世界に対するときめきを失ってゆく。
「自分」に執着するなんて、どんな恨みがあるのか知らないが、余裕がなさすぎるのだ。
「自分」になんか執着しないほうがいい。「自分」なんかいつでも忘れてしまえるくらいの余裕を持っていたほうがいい。「自分」なんか愚かでしょうもない存在だと思っているくらいでちょうどいい。この生はいたたまれないものだ。しかしそのいたたまれなさの中に、この生の妖しいなやましさもある。
心は、いつの間にか「自分」からはぐれてこの世界の輝きにときめいてしまっている。
私の前にはあなただけがいる……と。