都市の起源(その十八)・ネアンデルタール人論169

その十八・サバイバル

古代ローマも最初はギリシャのような多神教だったが、ローマ帝国の衰退期になってから、一神教であるキリスト教を国教にしていった。そのころはすでにほとんどの民衆がキリスト教徒になっていたし、共同体の「規範=法」はキリスト教の「規範=戒律」と矛盾しなかった。共同体の支配は、「規範=戒律」の上に成り立っている一神教の方が都合よかった。もともと宗教は、都市国家における「規範=戒律」をそなえた一神教として生まれてきたのだ。
都市には、さまざまなところからさまざまな人が集まってくる。都市を実際に動かしているのは、もとから都市住民よりも、むしろそういう新参の「さまざまな人々」だともいえる。おそらくそういう「落ち着かない」人々が「神」という概念が生まれてくる状況をつくっていった。
都市生活に慣れていない人々が、トラブルを起こしたりドロップアウトしていったりする。そんな人たちを都市生活になじませるために、都市の「規範=法」が生まれ、「宗教」が生まれていった。そしてそういう人たちのリーダーが、都市国家の支配階級に加えられていった。
この国の歴代の総理大臣のほとんどは地方出身者だし、まあ古事記に描かれた大和朝廷の最初の天皇は九州の高千穂からやってきたことになっているし、そのあとも地方出身の天皇が数多く登場してくる。
都市は地方出身者の集まりだし、地方出身者のほうが都市の生活になじんでゆこうとして、都市の政治や経済の活動に熱心になる。そうやって都市の上層部に浮かび上がってゆくものと最下層にあえぐものとの格差が生まれる。まあそれも都市の「混沌」のひとつであり、彼らは、精神的にも経済的にも都市生活の基盤を持っていない。


都市生活のサバイバル。現在の都市は、よりいっそうそんな様相を色濃くしていっているのだろうか。歴史的に見ても、そんな状況が生まれてきて、たんなる「祭りの賑わい」の上に成り立っていたプリミティブな都市集落が、「規範=法」をそなえた都市国家へと変質していった。
古代メソポタミアは、サバイバルの論理で文明を築き上げ、またそれによって停滞。衰弱していった。
戦後の東京だって、そうやって「祭りの賑わい」としてはじまり、やがて高度経済成長を遂げながら、同時にさまざまな社会病理が生まれてきた。
経済だけのことではない。自我意識だけは肥大化して自分は正しく魅力的な人間であるつもりでいるのに、それでも思うように人に好かれないとか、恋人との別れに耐えられなくてストーカーになるとか、DVとか、セクハラとか、そういうことだってつまりは都市でのサバイバルに失敗している現象だろう。
そういう人と人の関係のサバイバルに失敗しないためには、ネットワークに潜り込んでゆくこともひとつの方法に違いない。世間の人付き合いにおいてはほとんど無能に近い「オタク」と呼ばれる人たちだって、仲間どうしのネットワークに入れば活き活きとしてくる。
しかしそうやって予定調和のネットワークにそれぞれ寄り集まり固まっていけば、都市ほんらいの「出会いのときめき」のダイナミズムはどんどん痩せ細ってゆく。
たとえば、ろくにあいさつできないとか、してもわざとらしいとか、かたちだけで少しも心がこもっていないとか、その表情にニュアンスが感じられないとか、そういうことは「出会いのときめき」を体験して生きてこなかったからだ。自分の世界やネットワークだけに閉じこもっていれば、とうぜんそうなる。自分は全方位的に行動して生きている、などといっても、付き合いのマニュアルが達者なだけだったりする。外の世界に対する警戒心と緊張感で生きていれば、達者にもなる。その人には無防備な「ときめき」はない。人としての品性の問題だろうか。マニュアルだけで生きていることの卑しさは、ちゃんと顔つきにあらわれている。どんなに自分は正しく魅力的な人間のはずだと自意識を膨らませても、思うほど人は好きになってくれない。


起源としての宗教もまた、都市生活のサバイバルのマニュアルとして生まれてきた。その「規範=戒律」が、都市生活に沈んでいったものを救い上げ、都市生活で浮かび上がってゆくためのマニュアルにもなっていった。
しかし、宗教の「規範=戒律」が強く機能している社会は、安定しながら痩せ細ってゆく。
そうやってメソポタミアの文明社会は、やがてヨーロッパに追い越され、しだいに停滞してゆき、ついには近代史から取り残されるほかなかった。
ユダヤ民族がメソポタミアから追放されたのも「規範=戒律」がもっとも強く機能している社会だったからかもしれないし、そこからディアスポラ(離散)してゆきながらそれぞれの共同体にに入り込んで浮上していったのも、その「規範=戒律」が武器になっていたからだろう。そして彼らがそこでどんなに迫害されても決してユダヤ教を手放さなかったのもまた、その厳しい「規範=戒律」ゆえのことに違いない。
そしてユダヤ教から派生したキリスト教は「砂漠から生まれてきた宗教」などといわれているのだが、その「規範=戒律」は砂漠でのサバイバルの論理の上に成り立っており、それが斜陽化したローマでの都市生活のサバイバルに示唆を与えたのだろうが、しかしローマは、それを国教にすることによってさらに集団としての活力を失っていった。
宗教というか一神教の「規範=戒律」は都市生活のサバイバルに有効だが、それによって個人の心も集団の活力も衰弱してゆく。
人間集団の活力は、「もう死んでもいい」という勢いの「祭りの賑わい」によって盛り上がってゆく。ネアンデルタール人はそういう社会をつくっていたし、明治以降のこの国が戦争に強かったのも、「もう死んでもいい」という勢いの「祭りの賑わい」とともに「規範=戒律」をどんどん無効にしてしまう多神教の社会だったこともあるのだろう。
仏教の戒律は、日本列島に入ってきて、どんどん無効になっていった。そういう風土から、親鸞のような宗教者があらわれてきた。
自分の中に神の「規範=戒律」を持てば、それによって他者を平気で裁くことができるが、同時に自分自身もそれに縛られてしまう。共同体であれ個人であれ、そうやって停滞・衰弱してゆく。
人びとが神の「規範=戒律」を共有している社会は停滞・衰弱してゆく。イスラム社会がいいお手本かもしれない。他人ごとではない。今どきのこの国の大人たちだって、既成の意味や価値でこの世界や他者を吟味し裁いてゆくことばかりし、それで賢くなったつもりだろうが、じつはそれこそが人間的な知性や感性の後退なのだ。彼らは、この世界や他者に「干渉する」ことばかりして、「反応する」という心の動きを失っている。
人間であることの深みは、他愛なくときめき他愛なくかなしむことができるその「愚かさ」にこそ宿っている。そうやってこの世界や他者の輝きに豊かに反応してゆくしなやかな心模様こそ、もっとも困難でもっとも高度な知性や感性のはたらきでもあるのだ。。