祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」14

古代の日本列島の住民は、海に閉じ込められたこの地に立って、自分たちのまわりの見える景色がこの世界のすべてと思い定めて暮らしていた。
水平線の向こうにもうひとつの世界など何もないし、この生の向こうに天国や極楽浄土も何もない、すべてはこの生この世界において生起し消えてゆく……そう思い定めたところから「もの」と「こと」ということばが生まれてきた。
すでに存在するものを「もの」といい、生起し消えてゆく現象を「こと」という。そしてこのような世界観から、「やおよろずの神」が生まれてきた。
日本列島の住民の根源的な世界観においては、海の向こうの「異質な他者」との関係も、この生の向こうの天国や極楽浄土という「他界」との関係もない。われわれにとってみずからの身体存在はまとわりつく「もの」であり、他者が目の前にあらわれれば、それは「こと」である。そのとき他者が異質かどうかなど、何も問うていない。他者の存在そのものに、目の前にあらわれたいうことそれ自体にときめいている。
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「異質な他者=異民族」に対する対抗心がなければ、多神教になる。「異質な他者=異民族」に対する対抗心を生きるためには、「自我の確立」と「一神教」が必要になる。
人類が本格的に「異質な他者=異民族」との出会いを体験したのは氷河期明け以降のことであり、そこから一神教が生まれてきた。
異民族といっても同じ人間なのだから、それだけではとくべつな体験にはならない。戦争や交易などによって、蹂躙し蹂躙され説得し説得される関係が起きてきて、はじめて自分たちのアイデンティティを確かにしようとする衝動が生まれてくる。
絶頂期のローマ帝国は、みんな同じ人間だという前提で野放図な拡大を続けていった。そのとき、げんみつな意味での「異質な他者=異民族」との出会いはない。
ユダヤ人のように、まず蹂躙され、そこから蹂躙されるまいとし蹂躙し返そうとする衝動が起きてきて、はじめて神との一対一の関係を結んでみずからのアイデンティティを確かにしてゆくという観念の手続きが生まれてくる。
戦前の日本が朝鮮を併合していったように、蹂躙するがわには、「異質な他者」という意識はない。蹂躙された朝鮮のがわに、それが強く意識されていた。そのとき日本人には、蹂躙したという意識そのものがなかった。
異民族に蹂躙されるという歴史を歩んでこなかった日本列島の住民は、「異質な他者」という意識は薄い。だから、ことばも、説得するという意味性が希薄である。
言いかえれば意味性の濃い英語や中国語は、他者を説得し蹂躙するためのことばである。
大陸の人々は、他者を蹂躙し説得しようとする衝動が強い。それは、蹂躙され説得された体験を持っているからだ。そしてその衝動において、ユダヤ人は抜きん出ている。彼らは、みずからのアイデンティティを確立するために、ときに蹂躙される「受難」そのものが目的化される。彼らは、それくらいみずからのアイデンティティを確立しようとするスケベ根性が強い。そうやって彼らは、神との一対一の関係を結んでゆく。
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世界史の古代において、ヨーロッパ都市国家群は、武力において西アジアより優位に立っていた。これは、氷河期のネアンデルタール=クロマニヨンが大勢のチームワークでマンモスなど大型草食獣の狩をしてきた伝統であろう。
ヨーロッパ人は、伝統的にチームプレイが得意で、戦争の巧者である。今でもヨーロッパとイスラム社会との力関係は変わらない。第一次第二次の世界大戦で、イスラム社会は、いいようにヨーロッパに蹂躙された。
しかし、なんといっても人類史で最初に文明を生み出したのは、西アジアである。ヨーロッパは、国家の作り方も経済の動かし方も一神教も、西アジアから学んでいった。とくに経済と一神教は、ユダヤ人から学んだ。ヨーロッパの古代がギリシャからはじまっているのは、そこが西アジアとと接している地域だったからだろう。欧米人のユダヤ人に対するコンプレックスは、そのまま西アジアイスラム社会に対するコンプレックスでもある。
ヨーロッパが本格的に西アジアを「異質な他者」として意識し始めたのは、ローマ帝国が衰退に向かい始めたころからだろう。それまでは単純に同じ人間だと思いながら、野放図に蹂躙していっただけだ。しかし、自分たちの領土が欠けてきて衰退に向かうころになると、西アジアの脅威を感じはじめ、そこでようやく自分たちのアイデンティティ西アジアとの差異を意識するようになっていった。
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そのころヨーロッパともっとも深い関係を持っていた西アジアの人間は、ユダヤ人である。
彼らは、寄生虫のようにローマ帝国のあちこちに住みつき、その経済を食い荒らしていった。
疲弊したローマ帝国において、ユダヤ人だけが元気で、さかんにキリスト教ユダヤ教の抗争を続けていた。で、ローマは、新興のキリスト教に味方した。そうやって、西アジアユダヤ人から一神教を学んでいった。
一神教こそ、自我(アイデンティティ)の確立にもっとも有効な宗教だった。
そうして西アジアの地域でも、ユダヤ人に続いてローマに反攻していこうとしているときに、イスラム教という一神教が生まれてきた。
イスラム教は、ローマ帝国およびヨーロッパに蹂躙され続けてきた西アジアの人々にアイデンティティを与えた。
また、皮肉なことにキリスト教は、ローマ帝国から抑圧され続けてきたゲルマン民族アイデンティティを与え、ローマ帝国の崩壊に拍車をかけた。
けっきょく、一神教が、野放図な拡大を続けてきたローマ帝国を滅ぼした、という側面もある。
現在においても、一神教による自我の確立というテーマが、民族紛争の火種のひとつになっている。
だからといって多神教が平和な宗教だというつもりもさらさらないのだが、彼らのような自我を確立して他者を説得してゆくということが人間関係の普遍的な本質だとは思えない。
そういうことの例外としてやまとことばがあるわけで、それはつまり、そういうことが普遍的な本質ではないことを意味している。
日本列島の住民は、この生やこの世界の不可解さをそのまま受け入れて、「もの」と「こと」ということばを持った。
それに対して、その不可解さに回答を与えているのが一神教である。
「もの」と「こと」ということばは、日本列島の住民の自我の薄さを反映している。