祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」21

人は、根源的に「けがれ」を負って存在している。
そういうかたちを共有してゆくことによって、原初の直立二足歩行が実現していった。
そのとき原初の人類にそういう自覚はなかっただろうが、無意識のところでそうした二本の足で立っていることの居心地の悪さ(=けがれ)を共有していったのだ。
そしてそれによって、どんなすぐれた猿になったのでもでもない。人類が直立二足歩行をはじめて700万年経っているとすれば、そのうちの最初の400万年は、普通の猿だったのである。この空白の400万年を、人類学者はきちんと説明していない。道具を使うようになっただの、そこで人類が何かアドバンテージを得たのなら、この400万年の空白などあるはずがない。
そのとき人類は、むしろ生き延びるためのそのアドバンテージを失ったのだ。そうして、みんなして二本の足で立っていることの「けがれ」を共有していった。そういうかたちでしか、群れの密集状態を維持することはできなかった。
樹上の三次元の空間なら一本の木にたくさんの個体が集まって暮らすことができるが、それらの個体がみんなで地上の平面の空間に降りてくれば、もう密集してひしめき合ってしまうしかない。その密集状態から押されるようにして、みんなして立ち上がっていったのであり、それは、不安定で、しかも胸・腹・性器等の急所をさらしあうきわめて居心地の悪い姿勢だった。それでも、その「けがれ」を共有していかなければ、群れは成り立たなかった。
彼らはまず、そのようにして「けがれ」を共有した猿として、最初の400万年を生きた。
それは、密集した群れを維持できるという以外に、なんのメリットもない姿勢だったのだ。
またそれは、その瞬間から限度を超えて密集した大きな群れつくる存在になることを宿命づけられていた、ということでもある。
彼らは、動きが鈍くなるとかストレスがたまるとか、みずからが背負ってしまったさまざまなデメリットを克服しながら、400万年かけて、より大きな群れを形成していった。
この四百万年のあいだに獲得したアドバンテージは、大きな群れをつくることができるということと、遠くまで歩いていける能力にあった。
森の中では、長い距離を歩き続ける機会はあまりない。しかし、二本の足で立ったままでいる姿勢が定着し、その居心地の悪さがきわまってくれば、そこからの解放として「歩く」という行為のカタルシスも深くなってくる。
人類は、400万年かけて、歩こうとする意欲の旺盛な猿になっていったのだ。
その結果として、広いサバンナに出て行った。その契機となったのは、おそらく、地球気候の変化で森が縮小していったことと、さらに群れが密集してきたことがあいまって、一部のものたちが追い出されるようにして出ていったのだろう。そうして、その歩き続けることのできる意欲と能力によって、そこでの暮らしを獲得していった。
まあ最初は、ときどきサバンナに出て行って、寝るときは森に帰ってくるという暮らしがあったのだろう。もしかしたらそれは、直立二足歩行をはじめてから間もない、かなり早い時期からそんな習性を持っていたのかもしれない。
あまり自由に歩きまわれない森の中で暮らしていると、二本の足で立っていることの「けがれ」がだんだん自覚的になってくる。その自覚を契機として、サバンナに出ていったのかもしれない。
べつに、ほかの猿に対するアドバンテージを持っていたのではない。もしかしたら、森が狭くなって、チンパンジーやゴリラなどのほかの大型の猿に追い出されたということもあるのかもしれない。
最初は木の上と地上との二重生活をしていて、やがて地上ばかりで暮らすようになり、やがてサバンナと森との二重生活を覚え、それから本格的にサバンナに出ていった、それが、最初の400万年だったのではないだろうか。もしかしたら、「けがれ」を負った弱い猿として、追われ追われてサバンナに出て行った、ということかもしれない。そして、人間的な文化や文明の歴史は、そこからはじまった。
「けがれ」という喪失感、それが、人間性の基礎になっているのではないだろうか。
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人間は、追われ追われた歴史を持っているから、遠来の旅人を迎え入れもてなそうとする。
また、追われ追われた歴史を持っているからこそ、追い出されるまいともする。
遠来の旅人に追い出そうとする意志を感じたのは、ことばが通じなかったからだろう。相手は、通じないことばで、なんとか通じさせようとしてくる。その態度に、追い出そう(蹂躙しよう)とする意志を感じたのかもしれない。
何しろ自分たちは、ことばを通じさせようとする意志など持っていない。はじめから通じるに決まっているのが、自分たちのあいだで流通していることばだ。
もともと原始人は、誰も相手を説得しようとする意志など持っていなかった。それが、ことばの通じない「異質な他者=異民族」と出会ったことによって、おたがい説得しようとする意志を持った。
殺意とは、説得しようとする意志のことだ。そのとき彼らは、自分の中にも相手の態度にも「殺意」を感じた。そうして、戦争が生まれてきた。
あるとき旅人の集団がその村を訪れた。そこで、何人かが殺され、残りのものたちは故郷の村に逃げ帰った。そうやって、戦争の歴史がはじまったのだろうか。
原初の戦争は、戦闘員も非戦闘員もなかった。村ごと皆殺しにされたりした。それは、ことばが通じないということそれ自体が敵であり殺意であったからかもしれない。
何はともあれ人と人は、嘆きや不安を共有しているところで仲良くなってゆく。そうやって原初の人類は立ち上がったのであり、そういう機能としてことばが生まれてきたのだ。
人間は、胸・腹・性器等をさらした「殺されるかもしれない」という姿勢で存在している。その嘆きや不安を共有しながら、限度を超えて密集した群れをつくっている。
ことばが通じないということは、「殺されるかもしれない」という嘆きや不安を共有していないということである。そういう嘆きや不安を共有できない相手はもう、殺してしまうしかない。
人が、幸せな人間をねたんだり、若者と大人が対立したりするのは、そういう嘆きや不安を共有していないと感じるからである。
幸せな人間がみずからの幸せぶりを自慢げに吹聴することに対する弱いものの反感は、人間としてけっしてゆえなきことではない。そんなことちっともうらやましいとも思わないが、なんとグロテスクな態度かとうんざりしてしまう。
人間は、幸せを「共有する」ことはできない。
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人間が「共有する」ことができるのは、二本の足で立っていることの「けがれ」である。
日本列島の住民が外国人から「日本人のここがだめだ」と指摘されてよろこんでしまうのは、われわれが「けがれ」の嘆きを共有している民族だからであって、自分たちのことをよく知らないからでも、外国が正当だと思っているからでもない。
「日本辺境論」の内田樹先生は、外国が正当だと思っているからだ、といっておられるが、そうではないのだ。
外国が正当だと思っているのは、少なくとも江戸時代までは支配者や知識人だけだったのであって、庶民の頭には「外国」などなかった。頭に「外国」などない国民性だったから、260年の「鎖国」をむさぼることができたのだ。われわれ庶民は、外国のほうが優秀だとも自分たちが劣っているとも思っていなかった。ただもう、「外国」など頭になかったのだ。
たぶん司馬遼太郎のエッセイだったと思うが……幕末の長州藩のある親子が山に登り、頂上からの眺めをさして父親が息子に向かってこういった。「見よ、日本はこんなに広いのだぞ」と。
それくらい、「外国」など頭になかったのだ。それくらいだから、水平線の向こうなど何もないという無意識がつねにはたらいていたのだ。話に聞いて知識として了解していても、実感としては、そういう意識だったのだ。
これが、海に囲まれた日本列島の住民の無意識であり、実感だったのだ。
たぶん、そういう実感を、われわれは今なお共有している。だから、どんな小さなものも、それ自体として完結させて見てしまう。そういう意識から「かわいい」というときめきが生まれてくる。そして、「かわいい」というときめきが生まれてくるほどに、「けがれ」の自覚を共有している。
われわれは、自分たちは外国より劣っているとかすぐれているとかというような「自我」を持ち合わせていない。日本列島の歴史は、「異質な他者=異民族」との出会いがない条件の中からはじまっており、その体験がなければ「自我」はたしかになってこない。日本列島の住民は、明治以降になって、はじめて「自我」の目覚めを体験した。つまり「外国=異民族」を意識するようになった。支配者や知識人はそれ以前から意識していたかもしれないが、庶民にそんな意識はなかった。
われわれは、みずからの命の尊厳を自覚する「自我」が薄く、みずからの命に対する「けがれ」の意識を共有しながら海に閉じ込められた島国の歴史を歩んできた。
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海に閉じ込められた島国だから、「異質な他者=異民族」に対する「自我」が希薄で、「けがれ」の自覚がいつもまとわりついている。
われわれは「けがれ」の自覚を共有しているのであって、「異質な他者=異民族」に対峙するための「自我=自己愛」を共有しているのではない。たとえ現代人の多くがそんな肥大化した自我意識になっているとしても、歴史的にはそんな民族ではない。
そして海に囲まれた島国だから、どうしても「共有」の仕方がタイトになってしまう。
しかし、われわれが共有しているこの「けがれ」の意識は、直立二足歩行をはじめた原初の人類から引き継いできたものである。
人間は、何らかの自覚的な意識を「共有」してゆくことによって、大きな群れを形成している。
何を共有するのか。
物を共有するのではない。そこが、共産主義思想のアキレス腱だ。人間にはもともと「所有」という意識がないのだから、そういう意味での「共有」もない。
「神」を共有するということも、根源的とはいえない。原初の人類に、「神」という意識はなかった。また一神教の場合は、一人一人が神との一対一の関係を結んでそこで完結しているのだから、共有しているとはいえない。西洋人の孤独は、そこにある。
「共有」に対する「私有」、西洋人は、一神教の「神」とともに、「私有=自我」に目覚めた。つまり、そうやって人類は「パンドラの箱」を開けてしまった。
彼らの公共性に対する意識の高さは、彼らの所有欲のアリバイ(免罪符)として機能している。彼らは、公共心を持たなければ集団をつくることができない。公共心を持たなければ、誰もが「私有」に閉じこもってしまう。
日本列島の住民の公共心の低さは、そのまま自我の薄さであり所有欲の低さでもある。われわれにとって集団は、「つくる」ものではなく、「すでに存在している」ものだ。だから、公共性などというものは、「お上」に任せてきた。
しかしわれわれは、集団をつくるための根源的な意識を共有している。その「けがれ」の意識は、人間性の根源としての、二本の足で立っていることの居心地の悪さとつながっている。