祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」20

西洋の都市は、中央に広場があって、そこに寺院などが建てられ、祝祭の空間になっている。人間の意識は、「空間」に向かう。町の中央に広場=空間があるということは、人々の意識をそこに集めて町として自己完結してゆこうとしているからだ。
自己完結しようとしているということは、外部=異民族を意識している、ということを意味する。自己完結して自我を確立していかなければ、「異質な他者=異民族」と対峙してゆけない。
これに対して日本列島の村落は、集落の外れにお寺や神社などの祭りの広場がある。それは、まわりの集落や旅人などの外部からの客を迎え入れようとする意識による。ここでは自己完結しようとする意識がない。自己完結できないことが、村落のあり方になっていた。
かつての日本列島では、異民族に蹂躙された体験がなかったから、自己完結しようとする「自我」が希薄だった。自己完結してしまったら、村は停滞して「けがれ」がたまってしまう。だから、自己完結しないで「客」を迎え入れることによって村の「みそぎ」を果たしてゆこうとしていた。
奈良時代平城京は、唐の長安の都を模してつくられたが、長安のように城砦を構えることはしなかった。それはきわめて無防備な都だったのだが、そうやって外部からの「客」を迎え入れようとしていたからだ。
これが、縄文以来の日本列島の伝統だった。縄文時代の集落は女子供だけが住人だったから、とうぜん自己完結できない。男たちは、山野をさすらいながら、この女たちの集落を訪ね歩いていた。
旅館の「女将・仲居の文化」、江戸時代の「飯盛り女の文化」、日本列島における女が旅人をもてなす文化は、縄文時代からはじまっている。そしてそれは、自分を消してサービスしてゆく文化である。
自分を消してサービスしてゆくことの基本は、セックスさせてやることにある。
だからこの国の男たちは、基本的には、セックスはさせてもらうものだと思っているし、そういう意識の上に、現在における「性感エステ」などのこの国独特のフーゾク産業のシステムが成り立っている。
それもまた、「訪問客=まれびと」の文化なのだ。みんなで「けがれの自覚」を共有していなければ、この文化は成り立たない。
日本列島には、自我の文化がない。日本列島の住民にとっての「自分」は、確立されるのではなく、「けがれ」を負って消去するべき対象だった。
自己完結しない文化。誰もが「けがれの自覚」を共有しながら連携してゆく文化であり、「けがれ」を負った自分を消去して、外部からの「客」にときめきもてなそうとする文化だった。
だからわれわれは、外国の文化に対して、なんでもかんでも他愛なくときめいて受け入れてしまう。
しかしこの傾向は、けっして特異なものではない。原初の人類もまた、自己完結することを放棄して二本の足で立ち上がっていったのであり、日本列島の文化は、じつはそういう普遍的な原初のかたちを引き継いでいる。
根源的には、人間は自己完結できない生きものなのだ。
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「けがれ」とは、二本の足で立っていることの居心地の悪さのことである。人間は「けがれ」を負って存在している。生きていると、「けがれ」がたまってくる。この生には、「けがれ」がまとわりついている。それを「もの」という。
なぜ二本の足で立っているかといえば、他者の身体とのあいだに空間(すきま)をつくるためである。その空間(すきま)を「こと」という。
まとわりつくものを「もの」といい、生起する現象を「こと」という。
原初の人類は、たがいの身体のあいだの空間にこぼれ出た音声にときめき、それを「共有」してゆくというかたちで「ことば」を生み出していった。それは、みずからの身体を厭う気持ちがあったからだ。そういう存在だからこそ、その状態からの解放として「空間=ことば」に憑依していったわけで、「ことば」は、そういう心の動きを共有してゆく機能として生まれてきた。
人間は、「ことば」に憑依する。
その人がどんな意図でそのことばを発しようと、われわれは、ことばそのものに深く傷ついたりときめいたりしている。
人間は、それほどに他者の身体とのあいだの空間に深く憑依してしまう。それは、それほどにみずからの身体を厭う気持ちを深く抱えているからだ。この「けがれ」の自覚こそが、ことばが生まれてくる契機になったのであり、人間性の基礎になっている。
「けがれの自覚」は、日本列島の住民の特異な感情ではなく、じつは原始人なら世界中の誰もが抱いていた感情であり、直立二足歩行もことばも、そこから生まれてきたのだ。
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人間の歴史は、「けがれ」の自覚とともにはじまっている。
二本の足で立っていることの居心地の悪さ、これが「けがれ」である。
「けがれ」の「け」は、「分裂」の語義。
「が=か」は、「離(か)る=離れる」の「か」。
「れ」は、「だれ」「それ」「これ」の「れ」、「方向」の語義。
「けがれ」とは、分裂して離れてゆくこと。つまり、身体がこの世界にフィットしている状態から逸脱してしまうこと。
このときの「が」は、逸脱してしてあることを強調し嘆いている。
関西の一部の地域では、次のような言い方をすることがある。
「おまえら、そうやって勝手なことばかりほざいてけつかれ」
このときの「けつかれ」は、関東の「いやがれ」と同じ意味だ。この「けつかれ」もまた、分裂して離れてゆく方向を意味している。つまり、そういって突き放しているのだ。ただしこの場合は、「嘆き」というよりももっと明快な感情を表出している。だから、「か」が濁らない。
「けがれ」とは、身体が世界から逸脱してしまっていることの嘆き。
原初の人類は、そのようにして四足歩行から直立二足歩行に逸脱していったのだが、この中間の過程に「二本の足で立ったままでいる」という姿勢がある。「けがれ」は、ここで発生している。
二本の足で立って歩くこと自体は、「けがれ」ではない。むしろ、そこからの解放をもたらす行為であるし、歩くことくらい猿でもしている。
人間だけが、じっと立ったままでいられる。しかしその姿勢は、けっして自然ではない。われわれは、鳥や恐竜のようにそうするのがいちばん自然な骨格を持っているのではない。さまざまな不自然や居心地の悪さに耐えて、その姿勢を後天的に獲得しているだけである。
だから、歳をとるとその不自然さに耐えかねて腰が曲がってくる。
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人は、根源的に「けがれ」を負って存在している。
人間は、限度を超えて密集した群れの中に置かれてある。山の中で一人暮らしをしていようと、文化的であればそれ自体密集した群れの中に置かれてあることを意味する。
限度を超えて密集した群れの中に置かれてあるからわれわれは二本の足で立っているのであり、それ自体が、すでに文化的である状態なのだ。
手に棒を持って外敵と戦うために立ち上がったとか、メスに食料を運ぶためだったとか、ぜんぶ嘘だ。そんな必要がない女子供だって立ち上がったし、そんな必要がないときでも、そんな必要がない時代になっても、やっぱりみんなが二本の足で立ち上がっている。
そのとき、戦うものも戦わないものも、みんなして立ち上がっていった。直立二足歩行の起源を考えるとき、この「みんな一緒に」ということは重要である。この命題に答えられないどんな仮説も無効だ。
人間は、存在そのものにおいて、二本の足で立ち上がるべき契機と理由を持っている。そしてそれは、とてもうっとうしくしんどい姿勢である。それでも、みんなして立ち上がっていったのだ。
つまり、みんなしてこの「うっとうしさ=けがれ」を共有していった。そうやって「共有」していることが、人間であることのかたちであった。
人間の群れの限度を超えた密集状態と直立二足歩行は、みずからの身体に対する「けがれ=もの」の自覚と、他者の身体とのあいだの空間に対するときめき(こと)を共有してゆくことによって成り立っている。
「共有」することが、人間性の基礎である。
二本の足で立っていることの「けがれの自覚」こそが原始人の意識であり、この自覚を共有するところから「ことば」も生まれてきたのだが、あるときを境にして人類は、この自覚を振り捨てて「自我=私有」に目覚めてゆき、それとともにことばも人と人の関係も変質してきた。
そしてそれは、氷河期明けの「異民族=異質な他者」との出会いが契機になっている。
現在における人間の根源を語る言説のほとんどが、人間は「自我=私有」の意識の上に成り立っているという認識に立っている。ウィトゲンシュタインだろうとこの国のあまたの言語学者だろうと、けっきょく彼らは、ことばを「伝達する道具」というパラダイムの上でしか考えていない。しかしことばはそんなふうにして生まれてきたのではないし、そんな意識が、人間の「根源」でも「人間性の基礎」であるわけでもない。
ことばを「伝達する」ことと、ことばそれ自体を「共有する」こと、この違いこそ、「私有(所有)」と「共有」の違いであり、現代人と原始人の意識の違いなのだ。
僕は今、堂々巡りのようなことばかりいっているのかもしれないが、みんな、現代人のものさしでしか語れていないではないか。
あなたたちのいうことなんか、人間の根源でもなんでもない。