祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」17

たとえば、先行の文献を引用して自分の論を補強してゆく、あるいは先行の文献を検証しながらその上に自分の論を立ててゆく、これが、論文を書くときのセオリーなんだってさ。
こういう書き方は、ヨーロッパの伝統なのだろう。つまり、自分は先行研究に「蹂躙=説得」されたというアリバイをひとまず示してから、読者を「蹂躙=説得」しにかかる。それはまさしく、キリストの受難と復活の軌跡をなぞってゆく手続きではないか。
「説得する」という制度性。いまや、世界中の凡庸な知識人ががこの制度性に冒されている。
みんなが、というわけでもなかろうが、凡庸な知識人のひとつの類型である。
現在のネット社会でも、プロの学者であれアマチュアであれ、知識人ぶる人種のこんな書き方ばかり氾濫している。
自分の書いたものに説得力を持たせるためには、こんな書き方をするのがいちばんで、それはたしかにそうなのだ。「説得する」という制度性に浸された人種は、ひたすらそういう書き方に熱中してゆく。
彼らは、考えてなんかいない。説得したいだけであり、そんな能力など、たんなる制度的な勤勉さであって、思考力とはいわない。先行研究を引用することなんか、考えることでもなんでもないだろう。人をたらしこむためのただの手続きじゃないか。
「キリストの受難と復活」という制度性は、いまや、世界中にはびこっている。
僕は、先行研究を参考にしてこのブログを書いているのではない。あえていうなら、先行研究を屠り去るために拙いながら素手で掘り進んでいる。そうでなければ、書く甲斐も理由もない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人気があるのかないのかよく知らないが「まふことは」というブログがあって、そこでは、「説得する」というかたちがおそらく意図的に避けられており、ときにはよくわからない高度な暗喩のことばがめまいさせられるようにあふれていたりする。
たとえば、
  「Rである二つの眼宇宙の端に吊るされた銀の正三角形観る」
こんな言い方をされても表現が高級すぎてよくわからないのだが、しかし、いつのまにかそれらのことばのひとつひとつにときめき憑依してしまっていることがある。そうして、どこかしらで作者と「ことばを共有している」という心地になっている。
「Rである二つの眼」というなんのことやらよくわからないそのことばに、僕はときめいた。その表現から、見ることの不可能性を思った。不可能性という可能性。つまり、なにやら死に浸されているようななやましい心持になった、ということだ。そういう「二つの眼」でなければ「宇宙の端に吊るされた銀の正三角形」を「観る」ことはできないだろう、と思った。それは、「真理」のことか、それともキリストを磔にした十字架のことか。
作者がここでいおうとしていることなんか僕にはわからない。しかし、僕は僕で、勝手にこれらのことばにときめき、イメージが膨らんでいった。僕の脳みそでは、意味を作者と共有することはできないが、そのときたしかに、これらの「ことばそのもの」を作者と共有していた。そしてそうやって、「意味」ではなく「ことばそのもの」を共有してゆくのが、やまとことばのタッチなのだ。
やまとことばの基本的な姿は、暗喩のかたちをしている。暗喩とは、「説得する」表現ではなく、ことばそのものを「共有する」表現である。ことばの意味はすでに共有されている、という前提に立って、語るものも聞くものもことばの姿そのものにときめき憑依してゆく機能としてやまとことばが生まれ育ってきた。
原初、ことばは暗喩であった。
「ことだまのさきはふ」とはそういうことであり、「ことだま」とは、人の心をことばにときめき憑依させる「ことばの力」のことをいう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は、ことばに憑依する。ことばには、憑依させる力がある。
そのようにして、人と人は、ことばそのものを共有してゆく。
それが、やまとことばの「かたらふ」という行為である。
「かた」とは、ことばの最終的なかたちのこと。意味ではなく、「ことば=音声そのもの」のこと。そして「らふ」は、「共有する」という意味。「ことば=音声そのもの」とは、「感慨」のこと。すなわち「かたらふ」とは、「感慨を共有する」こと、これが、語原のかたちだ。
やまとことばは、大陸のことばのように「伝達=説得する」機能として生まれ育ってきたのではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人はなぜ、ことばに憑依するのか。
「ことのは」とは、「こぼれ出る空間」というような意味。「こと」は「こぼれ出る」こと。「は」は、かたちのないもの、すなわち空間。
ことばは、音声であり、存在物ではない。色もかたちもない、ひとつの空間である。言い換えれば、空間に色やかたちを与えているのがことばという音声である。
ことばとは、感慨が生成するひとつの空間である……そういう認識から、「ことのは」ということばが生まれてきた。
それは、人と人のあいだの空間(すきま)で生成している。
ことばに憑依することは、この空間(すきま)に憑依することだ。
人は、他者とのあいだの空間(すきま)に憑依する。それは、原初の人類が直立二足歩行をはじめたとき以来の心の動きであり、この意識がなければ、人は二本の足で立っていられない。
人間は、直立するべき骨格を持っているのではない。二本の足で立っているより、座ったり這いつくばったりしたほうがらくちんな骨格なのである。そこのところが、恐竜や鳥の二足歩行とは決定的に違うところだ。人間の体は、二本の足で立っているように「進化」しているのではない。われわれはその姿勢を、後天的に獲得してゆく。
原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって、他者とのあいだの空間(すきま)を発見し、それに憑依していった。その憑依する意識が、人間を二本の足で立たせている。
そして、この空間(すきま)を共有する装置としてことばが機能している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
直立二足歩行をはじめた人類は、まず他者とのあいだの空間(すきま)に憑依していった。
樹上生活から地上に降りてきた人類にとって、そこは樹上のように三次元の空間がないから、平面上にひしめき合っていなければならなかった。
樹上生活での群れの個体数を、平面の地上に移ってそのまま維持するのは、けっしてかんたんなことではない。通常では、ほとんど不可能だろう。
それでもそれを可能にしたのは、みんなが二本の足で立ち上がっていったからだ。
樹上のそれぞれの枝に分散していた群れが地上に降りてくれば、ひしめき合って体と体がぶつかってしまう。
かといって広がってゆけば、集団の行動が取れないから、どうしてもかたまり合ってしまうしかない。
そういう密集状態から押されるようにして人類は、二本の足で立ち上がっていった。
みんなが二本の足で立ち上がれば、そのぶんスペースに余裕ができる。たがいの身体のあいだに「空間(すきま)」が生まれる。
彼らは、この「空間(すきま)」に憑依した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二本の足でじっと立っていれば、不安定で、しかも胸・腹。性器等の急所をさらしているのだから、きわめて居心地が悪い。それでも、ひしめき合って体をぶつけ合っているのよりはましだ。ぶつけ合ってばかりいると、ヒステリーを起こしてしまう。
みずからの身体の輪郭を確保しようとするのは、生き物の根源的な衝動であり、体をぶつけ合うことは身体の輪郭を喪失することだ。で、ヒステリーが起きてしまう。ヒステリーが起きてしまうのは、人間でも猿でもねずみでも、みな同じだ。
身体の輪郭が確保されるということは、生きてあることが許される、ということである。たがいの身体のあいだに「空間(すきま)」が生まれることは、それくらいほっとすることだった。そのようにして原初の人類は、その「空間(すきま)」に憑依していった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また、そのとき人類は、いきなり歩き始めたのではない。厳密にいえば、いきなり遠くまで歩いてゆける能力を獲得したのではない、ということ。歩くくらいはどんな猿だってできるが、遠くまで歩いてゆくことができるのは、人間だけだ。
おそらく原初の人類だって、最初は二本の足で歩くことに飽きてすぐ四本足になってしまったのだろう。本格的に歩き続けることができるようになったのは、二本の足でじっと立っている「姿勢」を獲得してからのことだ。彼らは、二本の足でじっと立っているほかない状況に置かれ続けたことによって、その「姿勢」を獲得した。その「姿勢」を獲得して、はじめて歩き続けられるようになる。
猿は、そういう状況を体験していないから、この「姿勢」をつくることができない。逆にいえば、日光猿軍団の猿の例でもわかるように、この「姿勢」さえ獲得すれば、猿でも歩き続けられるようになる。
原初の人類だって、直立二足歩行をはじめて最初の数百万年間は、人間的などんな文明や文化も持たないただの猿だったのである。
ただ、二本の足で立って歩くほかない密集した群れの中に置かれていただけである。言い換えれば、そうした密集した群れをつくっているということが、唯一の人間的な文化であり文明であった、ということだ。
手に棒を持つとか、人間的な「道具」が生まれてきたのは、数百万年後のことである。
直立二足歩行の契機として、手が自由になるとか「道具」がどうのといっているかぎり、この数百万年の空白は説明がつかない。
原初の人類は、手を自由に使うために立ちあがったのではないし、立ち上がって手を自由に使えるようになったのでもない。言い換えれば、手を自由に使うことくらい、猿でもできる。最初の数百万年間は、そのていどの手の使い方をしていただけである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
すべては、じっと立ったままでいる「姿勢」を獲得したところからはじまっている。彼らは、それくらいうっとうしい密集状態に置かれていたし、何らかの理由でそれ以外にその密集状態を克服するすべはなかったのだ。
人間は、とくべつな猿だったのではない。とくべつな状況に置かれただけなのだ。前記の「数百万年の空白」は、そういうことを意味している。
とくべつなことは、二本の足で立っていることの苦痛が骨身にしみていると同時に、その苦痛のぶんだけ他者とのあいだの空間(すきま)に対するときめきも豊かだった、ということだけだ。ときめいたから、二本の足で立っていることの苦痛に耐えることができた。
二本の足で立ったらたちまちほかの猿を知能において抜き去ってしまった、というわけではない。
二本の足で立っていることの苦痛は、現在のわれわれだって逃れられないでいる。だから、電車やバスには、座席がある。小学生は、朝礼で長いあいだ立たされていると、ばたばた倒れてゆく。
われわれはいまだに、二本の足で立っていることの苦痛と、他者の身体とのあいだの「空間(すきま)」にときめいてゆく生きものである。
われわれはけっして、二本の足で立つべき「骨格」を持っているのではない。そういう「姿勢」を持っているだけなのだ。
そういう受苦性を持っているからこそ、その苦痛からの解放として、「空間(すきま)」にときめき憑依してゆく心の動きも持っている。そしてこの心の動きを持っていたから、やがてことばを生み出し、知能の発達した生きものへと進化していったのだ。
直立二足歩行によってもたらされた直接的根源的なものは、他者の身体とのあいだの「空間(すきま)」にときめき憑依してゆく心の動きであり、知能がどうの道具がどうのということは、数百万年後にこの心の動きから生まれてきたにすぎない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間とって二本の足で立っていることは、ひとつの「けがれ」である。そうやって身体存在に対するけがれの意識(もの)を持っているからこそ、ことばという空間が生起することに対するときめき(こと)も起きてくるのだ。
人間は、他者の身体とのあいだの「空間(すきま)」にときめき憑依してゆく存在である。
子供のメンコやお手玉、大人のトランプや将棋、さらには人と人のあいだに「貨幣」を置いて取引することにしても、すべて、他者の身体とのあいだの「空間(すきま)」にときめき憑依してゆくいとなみにほかならない。
すなわち、他者との関係性の根源は、たがいの身体のあいだの「空間(すきま)」に対するときめきを共有してゆくことにある。
この「空間(すきま)」は、どちらのものでもない。この「空間(すきま)」に線が引かれてあるのではない。線がひかれたら、それはもう、体をぶつけ合っているのと同じになってしまう。それは、どちらのものでもあると同時に、どちらのものでもない。
人間にとって二本の足で立つことは、決して自己完結できる姿勢ではない。このどちらのものでもない「空間(すきま)」にときめき憑依してゆくことによって、はじめて成り立たせることができる。
ことばもまた、「どちらのものでもない」対象なのだ。語るものも聞くものも、どちらもその音声を聞くものとして、その「空間(すきま)」と「ことばそのもの」を共有している。
内田樹先生は、ことばの本質を「贈与」ということばで説明しているが、そういう「伝達する」という関係性は、根源的なものではない。ことばは、「どちらのものでもない」ものとして「共有」されるのだ。
そういうかたちで「共有」してゆくところに、関係性の根源がある。
「教える=学ぶ」でも「贈与=返礼」でもない。そういう関係性は、他者を蹂躙し説得しようとしているものたちの制度的な幻想に過ぎない。
われわれは、何も与えない、何も受け取らない、ただ「共有する」だけである。
僕は、その人がどんな意味でどんな気持ちでそんなことをいっているのか、さっぱりわからない。でも、そのことばを「共有する」ことはできる。僕もまた僕なりの感慨でそのことばに憑依することはできる。