祝福論(やまとことばの語源)・「辻(つじ)」と「市(いち)」

出会いのときめきは、家の外で起きる。
家と会社や学校との間の「空間=すきま」で生まれる。
だから、通勤・通学電車の中で恋が芽生えたり、痴漢に会ったりもする。
繁華街は、家と会社や学校との間の「空間=すきま」につくられる。
家も、つまるところは共同体なのだ。共同体と共同体の間の「空間=すきま」において、人の心は解き放たれ昂揚する。
人と人の出会いのときめきは、人と人の間の「空間=すきま」をはさんで起きている。近すぎても遠すぎても起きない。
ときめきとは、その「空間=すきま」を祝福する心の動きのこと。
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古代における道と道が交差する「辻(つじ」や峠は、共同体(集落)と共同体(集落)のあいだのそういう「空間=すきま」にあり、そこにおいて「市(いち)」がつくられていった。
古代人は、「市」において歌謡の歌垣を催し、神話を語り合い、物と物の交換をしていた。
そしてそこは、猥雑な祝祭の場でもあった。人妻までも参加するフリーセックスの場が生まれることもあれば、盗品や略奪してきたものが公然と売りさばかれたり、盲人をはじめとする多くの身体障害者や下賎の者たちのあやしげな芸能や見世物が開陳される場でもあった。
古代の奈良盆地は、そういう「市」の賑わいが、どの地域よりも発達していた。
三輪山のふもとに今も残っている「海石榴市(つばきいち)」という地名は、弥生時代から続く最古の「市」の痕跡だともいわれている。そこは、古代から多くの道が交差する場所であったらしい。
「つばき市(いち」は、もともと「つば市(いち)」といわれていたらしい。
「つ」は、「付く・着く」の「つ」。「ば=は」は、「はかない」の「は」、「空間」の語義。
「つば」とは、あるものとあるものを「つなげる空間」のこと。
情報が伝わってゆく脳の細胞と細胞のあいだは、くっついているのではなく、それぞれのあいだに微妙な「空間=すきま」があり、この「空間=すきま」が伝わり方の妙を生んで、人それぞれの感覚や考えることの違いを生んでいる。「つば」とは、このような「空間=すきま」のことだ。
「唾(つば)」は、口の中の器官ではなく、喉や舌や歯などの器官のあいだの「空間=すきま」に湧き出てそれぞれの器官を連絡している。だから、「つば」という。
「椿(つばき)」の花は、まるで枝との間に「空間=すきま」があったかのように、花ごとぽとんと落ちる。
そして「いち」の「い」は「いの一番」の「い」で、あとの「ち」を強調する音韻。
「ち」は、「血」の「ち」、ほとばしり出るもの。「ち」という音声は、歯と歯のあいだにかすかなにすきまをつくりながら、唇を引っ張る反動でぴゅっと息をほとばしり出させるようにして発声する。
「乳(ちち)」も、ほとばしり出るもの。
女系家族で通い婚だった古代の「父(ちち)」は、いつもふらりと家を出てゆく人だった。
「市(いち)」の「ち」は、どこからともなく人がたくさん集まって(ほとばしり出て)くることをあらわしている。共同体と共同体のあいだのそういう場所のことを「市」といった。
中西進氏は、「ち」は「生命力」をあらわしている、といっておられる。何いってるんだか。そういう妙な思い入れで語源を語られては困る。語源としてのことばは、古代人の「暗黙知」というか、仏教でいう「無分別知」というか、そういう無意識的で自然な心の動きから生まれてきたのだ。
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縄文時代弥生時代古墳時代の歴史は、民衆によってつくられていった。この時代に、古代王権の支配や戦争がどうのという政治の話を持ち込むのは、やめていただきたい。そういう薄っぺらで通俗的な話題は、飛鳥時代以降のことして語ってくれ。
たとえば「魏志倭人伝」など、大陸の人々が大陸の人々の先入観で勝手な憶測を膨らませて書いたものだろう。たとえば、擦り切れたジーンズによれよれのシャツを着ている人を見て、あいつはただの貧乏人だろうと憶測するようなもの。その人がどんな暮らしをしてどんな人生を生きてきたかは、そんな先入観では測れない。その人と語り合い、その人の心に推参しようとする試みをして、初めて分かってくることがある。あなたたちは、歴史をそのような目で眺め考えるということをしている自信が本当にあるのか。そういう視線や思考を放棄(喪失)しているから、あんな中国大陸のわけのわからない資料を、なんだか水戸黄門の印籠のように振りかざして平気でいられるのだ。
奈良盆地の、あの巨大古墳は、民衆みずからが湿地帯の干拓のためにつくっていたのだ。
それは、権力によって構想されたのではなく、民衆自身が、集落と集落のあいだの「市(いち)」の場で語り合われたところから生まれてきたアイデアなのだ。そうやって民衆自身が信仰の対象としていったから、そのころの天皇陵墓が誰のものがわからなくなってしまっているのだ。
実在したはずもないヤマトタケル前方後円墳が三つも四つもあるのはなぜか。それが、民衆自身の信仰の対象であったからであって、権力を誇示するためのものではなかったからだ。権力を誇示するためのものものであったのなら、そんなふうにあいまいになったりはしない。奈良盆地の巨大前方後円墳は、実在したかどうかわからない人物のものが、いくつもあるし、あの仁徳天皇陵だって、ほんとに仁徳天皇が葬られているかどうかわからない。明治時代の宮内庁がそこを調査した際、仁徳天皇以外の人物の石棺がたくさん埋められていることを確認しただけで、肝心の仁徳天皇のそれは見つからなかったらしい。
また、仁徳天皇を見捨てて里帰りしていった皇后のイワノヒメの陵墓が巨大古墳として堂々と存在しているのも変だ。権力は、そんなものをつくらせないだろう。
とりあえず死んだ皇族の人たちにそこに入ってもらって、そこを神聖な場所として民衆が信仰していったのであり、それを誰の墓とするかは、それを眺めながら語り合ってゆく話の成りゆきしだいだったのだろう。文字を持たない神話は、どんどん変容してゆく。
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市は、共同体から独立した治外法権の場だったといわれている。これを、「アジール」というのだとそうだが、犯罪を犯したものや、亭主を捨てた女や、乞食や旅芸人や旅の僧などの、共同体の秩序からはぐれてしまったあらゆる者たちが集まってきた。
したがって、そこで生まれてきた神話が、権力者のものであったはずがない。
権力の支配が「市」に介入していったのは、中世以降のことである。
そこは、権力の支配(共同体の秩序)から解放された祝祭の場であると同時に、民衆自身による共同体間の連携が生まれる場でもあった。
神話のわけのわからなさ(超越性や祝祭性)は、そういうところからしか生まれてこない。神話は、共同体の内部で語り伝えられていたものではないし、もともとは権力の正統性を語るためのものでもなかった。
古代における「市」の起源は、そのまま「神話」の起源でもあった。
それらは、共同体の発生とともに、人々が共同体で生きてゆくための機能として生まれてきた。したがってそれは、「共同体の起源」を語るものでは、論理的にありえない。「共同体の起源」のさなかにある人々が、それを語ろうとするはずがないし、語る必要もない。
人間は、根源的に他者にまとわりつきまとわりつかれて存在している。
そうした人間尊存在が、さらにまとわりつきまとわりつかれながら暮らしをいとなんでゆくのが「共同体」という空間である。
であれば、そんな暮らしと和解してゆくためには、どうしてもそこからの解放の場が必要であるし、その解放されるカタルシスのためにあえてひとまずそうしたうっとうしさの中に身を置こうとするのも人間の性(さが)である。
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起源としての神話は、共同体の起源を語るものでも、その正統性の根拠を語るものでもない。そこからの解放として語られていったのだ。
つまり、起源としての「神話=物語」は、村上春樹氏の小説のように、共同体(システム)に異をとなえるためでも、自分を確認して自足してゆくためのものでもなかった、ということである。
その超越性や祝祭性は、自閉してしまった共同体(システム)や、その中で他者にまとわりつきまとわりつかれている自分にけりをつけて、他の共同体と連帯し他者にときめいてゆくための装置だった。
共同体(システム)に異をとなえて、よりよい共同体(システム)を見つけてゆくためのものではなく、共同体(システム)それ自体から解放される装置だった。
自分をあれこれ吟味して、自分を確認してゆくためではなく、そういう堂々巡りの閉塞感から解放されて他者にときめいてゆくための装置だった。
現代の若者たちの自殺や自傷行為に走りたがる傾向は、自己確認の牢獄に閉じ込められた病であろう。だから、「君の命はかけがいのないものだよ」といってやっても、何の解決にもならない。その「かけがいのない」ということばがくせものなのだ。
有効な「システム」や有効な「自分」を見つけ出すことではなく、「システム」や「自分」から解放されることだ。少なくとも起源としての「神話」は、そういう装置として機能していたし、現代人もまた、いま、そういう「神話」を必要としているのではないだろうか。
自分を確認することが主題の世の中だが、自分を確認することが解決になっていない。そんなことをしても、自傷行為はやめられない。ドラッグ中毒からも抜け出せない。大人たちはそれによって他人を安く見積もる癖を増長させ、若者たちは、それによって自分で自分を追いつめている。それによってオウム真理教に入信して平気で人殺しをするようなところまで自分を追いつめてしまった若者もいれば、秋葉原の路上で凄惨に散っていった若者もいる。
「自分を愛する」とか「かけがえのない命」とか、そんなことばがわれわれを追いつめている。
そして、起源としての「神話」は、そんなことばの数々を蹂躙して生まれてきた。そこに、起源としての「神話」の超越性があった。われわれは、それを、肯定して受け入れることができるだろうか。その世界に飛び込んでゆくことができるだろうか。
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自分は人を愛しているとか、自分は救われているとか、そう思えるならけっこうだ。しかし、人間の歴史は、救われていないところからカタルシスをくみ上げてゆくこととともに動いてきた、という側面はたしかにあるわけで、この世から救われていない人間がいなくなることなんかないだろう。だって、それが人間であるのだし、救われていない人間のほうが神のそばいにいる、ともわれわれは思う。
というか、救われていない人間のほうがより人間のかたちをしている、とも思う。
だから生きることは厄介なのだし、たまらないとも思う。
自分が救われている人は、この世のすべての人が救われると思っている。いや、自分の正当性を証明するために、そう思いたがっている、ということだろうか。とにかく、救えるものなら救ってみろ。
少なくとも今のところは、救われている人たちの存在が救われていない人たちを追いつめている、という構図が存在している。
救われている、と思う人がいるかぎり、この社会は、いつまでたってもそういう構造で続いてゆくのだろう。