祝福論(やまとことばの語源)「神話の起源」34

「語り合う」ということそれ自体に、神話が生まれてくる契機をはらんでいる。
原初の文学は、「語り合う」あるいは「歌を交わす」という現場から生まれてきたのであって、才能ある文学者の個人的なイマジネーションから生まれてきたのではない。
イマジネーションがことばを生み出すのではない。
ことばを契機としてイマジネーションが生まれてくるのだ。
イマジネーションは、ことばを交し合う現場から生まれてくる。そしてそれが「文学」になる。
語り合わねば「イマジネーション=神話」は生まれてこなかった。
文字があれば、みずからの書いた文字との対話からイマジネーションが生まれてくるということもあろうが、文字のない時代の神話は、語り合うという現場なしには生まれてきようがなかった。
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神に対する感慨を語ることと、神を語ることとは違う。
それが、万葉集古事記の違いだ。万葉集には、柿本人麻呂をはじめとして、神に対する感慨を語っている歌はいくつかあるが、神がやどったかのような古事記の語り口と同じものはない。
古事記は、神のありがたさを語っているのではない。そこで語り合っている人々の神がやどる体験を表現しているだけだ。
神がやどった者は、神自身になっているのだから、神のありがたさなど思わない。そしてそれは、べつに異常な心的体験でもなんでもない。みんなで酒を飲んだりして語り合っていれば昂揚して自然にそういう気分になる、というだけのこと。
神のありがたさを語ることは、自己や共同体を支えようとする心の動きとともにある。そうやって、神にすがっている。
しかし、神話を語り合った人々は、すでに自己意識から解放されて、神になっている。
自己意識を捨てて連携していったのだ。
そこでは、語り合い連携してゆく体験が語られていたのであって、自己の感慨が語られていたのではない。
万葉集の和歌が自己の感慨を語ることだとすれば、古事記の神話は、自己から解放されて、神がやどる体験を語り合うことだった。
「あなた」へのときめきを語ることも「神」のありがたさを語るのも、自己の感慨を語るという「自己表現」であることには変わりない。万葉集の歌がそうやって他者と連携を願っているとすれば、神話を語り合うことは、すでに連携してあることの昂揚感のさなかにある。
連携しようとする飢餓感から恋が生まれ、すでに連携しているという昂揚感から共同体が生まれてくる。
古事記は、そういう高揚感の中から生まれてきたから、あんなにも荒唐無稽な話になっているのだろう。
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弥生時代から古墳時代にかけての日本列島において、「すでに連携してある」ことの昂揚感は、奈良盆地においてもっともダイナミックに体験されていた。
しかし共同体が成熟してその制度が人々の意識や暮らしを圧迫してくると、昂揚感が衰退し、神話を語り合う場がなくなってくる。
そういうところで、民衆にもう一度神話による連携を確認させようとして、権力者は古事記を編纂した。
古墳時代は、民衆が力を合わせて奈良盆地干拓しながら耕作地や集落をつくっていった時代だった。
そんな昂揚した時代が終わって律令制の支配が定着し、権力のがわの者たちと民衆とのあいだに貧富の差が広がって、民衆の離脱散逸どんどん起きてきた時代だった。そのために、民衆が語り継いできた神話をあらためて提出ことによって民衆の心をひとつにまとめ、定住しようとする意欲や税を納めようとする意識を復活させる必要があった。
古事記は、民衆が語り継いだ話の上に、権力の都合が味付けされている。
つまり、共同体のアイデンティティを確立しつつ、民衆の心を鼓舞するためにつくられたのだ。
また、共同体の規模が大きくなったために、もともとひとつに共有されていた神話が、地域ごとに独自の色合いを加味してゆくようになってきた、という状況もある。大きくなりすぎた共同体は、どうしても細分化されてしまう。だから、あらためてひとつにまとまった神話を文字として定着させる必要があった。
そういう意味で古事記は、かつての昂揚した時代のあとのひとつの形骸でしかなかった。
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神話は、人と人が語り合うことのダイナミズムから生まれてきた。
それは、語り合い連携してゆくことの昂揚(=混沌)から生まれてきた。
しかしその動きによって大きな共同体がつくられ、人を縛る制度が定着してくれば、そうしたダイナミズムは失われ、その神話も「自己確認」の物語へと変質してゆく。
神話の歴史は、人と人が語り合うところからはじまっており、それはそのままことばの歴史でもあった。
ことばは、「語り合う」行為として生まれてきたのだ。
「意味の伝達」のためでも「自己表現」のためでもなかった。
「ここに餌があるぞ」とか「敵がいるぞ」とか、そうした意味の伝達くらい、猿やカラスでもしている。そしてそれは、遠く離れたところにいる仲間に知らせるためだから、ことばというより、たんなるサインでよい。ことばよりも、叫び声のほうがよく伝わる。
ことばなんか、遠く離れてしまえば、よくわからない。
また、われわれは、ことばによって「自己」に気づくのであって、自己意識がことばを生み出したのではない。ことばが、自己意識を生み出すのだ。
したがって、「自己表現」がことばの起源になることもありえない。
人間が根源的に抱えている意識のかたちは、「意味の伝達」の衝動でも「自己表現」の衝動でもない。「意味」もまた、ことばのあとから生まれてくるにすぎない。
直立二足歩行は、胸・腹・性器等の急所を晒し、しかもきわめて不安定な姿勢であるため、攻撃されたらひとたまりもない。そういう不安や恐れを共有しながら原初の人類は、いっせいに立ち上がった。
だから、他者とのあいだに、身の安全を保障する「空間=すきま」をつくろうする。そしてその「空間=すきま」に、ひとしおの愛着を抱く。その「空間=すきま」にものすごく敏感であるのが、人間なのだ。
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われわれは、相手と向き合って黙りこくっていると、どうしようもなく気まずい思いがわいてくる。それは、相手とのあいだの「空間=すきま」が感覚的にあいまいになっているような不安に浸されるからだ。
その「空間=すきま」は、「ことば」によって保障されている。
その「空間=すきま」によって、自分の体が動けるスペースと、他者に攻撃される心配がないことが保障される。
ことばは、その「空間=すきま」に投げ入れられる。
原初の「音声としてのことば」は、至近距離で交わされていた。
遠くから情報(意味)を伝える機能としてことばが生まれてきたのではない。その機能は、太鼓の音になり、のろしになったりしながら、やがて文字へと発展していっただけのことだ。
原初の「音声としてのことば」は、あくまで至近距離の「語り合う」空間で、なんの意味もなく発せられ、交わしあっていただけだ。
そこにもし意味があるとすれば、ことばそれ自体にではなく、それが音声であること、たがいのあいだの「空間=すきま」に投げ入れられたそれによってその「空間=すきま」を共有してゆくことができること、そこにこそ意味があった。
最初は、「あー」とか「うー」とかうなりあっていただけである。そんなうなり声に意味など詮索してもしょうがないことだし、意味がなくてもそのうなり声によってたがいの関係が落ち着く効果があったわけで、意味がなくてもそれはすでにもう「ことば」だったのだ。
直立二足歩行を常態としていない猿にはそんなうなり声など必要ないし、そんなうなり声ではじめて落ち着くようなややこしい関係にはなっていない。
いや、猿でも、向き合ってうなり声を交し合うときは、そうやって関係を落ち着かせようとしているのかもしれない。
原初の人類は、ことばに意味をこめていったのではない。意味は、ことばのあとに生まれてきた。ことばから意味を汲み上げていったのだ。
ただ音声を交し合うこと、その音声をたがいのあいだの「空間=すきま」に投げ入れあうこと、そこに意味と意義があった。
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「意味」など、猿でも気づいているのだ。
「自分」など、猿でも持っているのだ。
そんなことの表現としてことばが生まれてきたのではない。
りんごが赤いこと、食べればおいしいこと、そんなことくらい猿でも知っている。そういう「意味」を伝えるためにことばが生まれてきたのではない。そんなことくらいみんな知っているのだのだもの、いまさら伝える必要など何もない。
りんごの意味を伝えようとして「りんご」ということばが生まれてきたのではない。
「りんご」という音声を発することのよろこびがあったからであり、そのことによって他者との関係の安定やときめきが生まれてきたからだ。
音声であるというそのことが、よろこびやときめきをもたらしたからだ。
彼らは、群れの中で盛んに音声を交し合った。
彼らは、とてもかしましい猿だった。
それが、「ことばの発生」である。
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人間は、かしましく語り合う生きものである。
そしてことばは、「意味」を伝えるために生まれてきたのでも、「自己」を表現するために生まれてきたのでもない。
語り合うことのよろこびやときめきをうながす機能として生まれてきたのだ。
胸・腹・性器等の急所を外にさらしながら不安定な姿勢で立っている人間は、根源的な不安を抱えて存在している。
その不安は、他者とのあいだに、ただ物理的な「空間=すきま」を確保すれば解消されるというものではない。確保しても、依然として姿勢は不安定だし、急所をさらしてしまっているという居心地の悪さは解消されない。
解消するためには、ただ確保するだけでなく、その「空間=すきま」を止揚し祝福してゆかねばならない。
そうすることによってはじめて落ち着くのであり、落ち着くためにはつまり、身体のことなど忘れてしまうほどのよろこびやときめきを必要としている、ということだ。
人のいないところ少ないところに行って確保しても、解決にはならない。
人とその「空間=すきま」を祝福し合うことによって、初めてその不安を乗り越えることができる。
むしろ、物理的にはそれが確保できない場に立って、観念的・超越的にそれをイメージしながら祝福してゆくことによって、はじめて乗り越えることができる。
最初から確保されているなら、感激はない。確保されていないところで観念的・超越的にイメージしてゆくことができたときに、はじめてよろこびやときめきが生まれてくる。
すなわち、「空間=すきま」がないところで超越的な「空間=すきま」を見つけてゆくことにこそ、そうした根源的な不安からの解放がある。
直立二足歩行の不安は、人と関係しながら超越的な「空間=すきま」を見つけ祝福してゆくことによって解消される。
だから人間はかしましい生き物になったのであり、「ことば」は、そうした超越的な「空間=すきま」の存在証明(かたしろ)として生まれてきた。
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物理的な「空間=すきま」よりも、ことばという超越的な「空間=隙間」のほうが、人の心を落ち着かせる。
黙っていると気まずく、語り合えば落ち着くというのは、そういうことを意味している。
語り合い連携してゆかなければ、人間は落ち着くことができない。
ことばは、他者とのあいだの超越的な「空間=すきま」である。
その「空間=すきま」は、この世界のものであると同時に、この世界のものではない。
人の心は、そのような「超越性」にときめく。
語り合うことのよろこびは、「意味」を伝えることにあるのでも「自分」を表現することにあるのでもなく、ことばの超越性がそこで生起することにある。
たとえば「ばか」ということばが本来の意味を超え出て、どうしようもない親密さをともなって表出されたとき、それが「語り合う」ことのときめきになる。まあ、そんなようなことだ。
そういうことを考えれば、古事記のあの荒唐無稽な物語の向こうに、昂揚感があふれた語り合いの場を想像することは、それほど困難なことではない。
人間の歴史は、そのような場から神話を生み出してきたのであって、共同体の権力の自己確認の物語から始まっているのではない。