祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」11(いなづま)

人と人のまとわりつきまとわりつかれる関係のことを、やまとことばでは「つま」という。
それは、とてもうっとうしい関係であると同時に、まったりと充足してゆく関係でもある。いいか悪いかはともかく、そういう関係を止揚してゆくことによって共同体が成り立っている。
言い換えれば、共同体の住民は、そういう関係のうっとうしさと充足をやりくりしてゆかねばならない。
古代の東国の人々は、「つま」ということばが好きだった。それは、冬のあいだを雪に閉じ込められて暮らすために、そういうまったりとした関係が生まれやすい土地柄だったのかもしれない。好むと好まざるとにかかわらず、そういうそういうまったりとした関係を止揚していかなければ暮らしが成り立たなかった。
だから彼らは、「つま」ということばにこだわった。
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「つま」ということばは、その語源においては、ただ「妻」をさすだけのものではなかった。もちろん古代においては「夫」のことも「つま」といっていたということくらい、誰でも知っている。
そういうことではない。
やまとことばは、「意味」を説明することばとして生まれてきたのではない。
それは、「感慨の表出」として生まれてきた。それが、やまとことばの語源のかたちなのだ。語源を語ろうとするなら、そこまで遡行しなければならない。
「つま」の「つ」は、「付く」「着く」「突く」「就く」「憑く」「点く」「就く」の「つ」、「釣る」「吊る」の「つ」、「摘む」「積む」「詰む」の「つ」。すなわち、「くっつく」の「つ」。すべて、「くっつく」ことを表している。
そして、なぜ「くっつく」かといえば、「愛着」があるからだ。もともとは、「愛着」の感慨からこぼれ出てきた音声だった。古代人は、「つ」という音声に「愛着」の感慨がこもっていることを、無意識のうちにとらえていた。その感慨で「つ」という音声を発していたから、上記のような事柄がすべて「つ」という音声で表現されることになってしまった。「意味の伝達」よりも、「感慨の表出」という機能によってことばになっていった。
「意味の伝達」が無視されていたのではない。それで意味が通じてしまう社会だった、ということだ。
言い換えれば、古代人は、ことばにおける「感慨の表出」という機能を大切にしていた、ということであり、そこのところに推参しなければ語源には届かない。
「ま」は、「まったり」の「ま」、「充足」の感慨の表出。
「つま」とは、まったりと愛着して充足してゆく感慨の表出。それが、語源だ。その感慨から「つま」ということばが生まれてきたわけで、そこから「関係」とか「絆」という意味が生まれてきて、さらには「夫」や「妻」のことをさすようにもなっていった。しかしもともとは「夫」や「妻」だけを指すことばではなかったから、刺身の「つま」とか、着物の「つま」という言い方に当てられても、何の違和感もなかった。
このことばは、もちろん列島中で使われていたのだろうが、東国の人々はことに愛着があり、都や九州に舎人や防人として徴用されてきた人々は、懐かしい自分たちの故郷のことを「あづま」と呼んだ。この場合の「あ」は、「つま」を強調している。これが、「あづま(東)」の語源である。
「つまらないものですが」といって贈り物を差し出すのは、おもに関東のことば遣いである。関西の人は、「そまつなものですが」とか「しょうもないものですが」という言い方をすることのほうが多い。
東国のほうが、集団の連帯感は強い。良くも悪くも人々は、村の掟に強く縛られている。このことは、民俗学者がいくらでも例を挙げてくれるだろう。つまり、それほどに彼らは、まったりと愛着して充足してゆく感慨を表す「つま」ということばにこだわっていた、ということだ。
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「いなづま」ということばが文献にあらわれてくるのは、平安時代以降のことであるらしい。それまでは、「いなつるび」といっていた。「つるび」とは、関係すること。セックスすること、一緒にいることも「つるんでいる」という。
おそらく、奈良盆地を中心とする関西地方では関係することを「つるび」といい、東国では「つま」といった。もともとは、東国からやってきた舎人や防人や采女たちが「いなづま」といっていて、それが畿内にも広がってゆき、平安時代の文献にもあらわれてくるようになったのだろう。
「つるぶ」といえば、何か吊り下げられたものがぶらぶら揺れている感じがある。それに対して「つま」という関係は、固定されている。畿内と東国では、それくらい、人と人の関係に対する意識が違っていた。
ことに奈良盆地や京都などの「都市」では、たえず人が流れ込んできて人と人の関係も流動的だったし、大きな集団である「都市」ではそういう流動性を持っていないと人間関係がうまくいかないという社会構造にもなっていた。
しかし、「関係」という意味をたしかに表すなら、東国の「つま」ということばのほうがしっくりくる。
だから、「つま」ということばが採用されていった。
しかし、採用されたということは、そのときの「関係」という意味にそれを止揚しているニュアンスはなかった、ということを意味する。止揚するなら、都びとにとっては「つるび」という言葉のほうがしっくりくるのだ。
否定しているから、都びとも「つま」といったのだろう。より強く否定するためには、より強い関係を表す「つま」ということばを当てたほうがしっくりくる。
「つま」というまったりした関係を否定することを「いなづま」といった。
「いなづま」の「いな」は、「否」の「いな」。
雷の強いいなびかりは、天の神が地との関係を激しく拒否している現象ではないのか。誰だって、雷は怖い。その怖さは、そういう怖さではないのか。古代人は、そのように感じたのではないだろうか。われわれだって、そのように感じる。
おまえとなんか仲良くしてやるものか、という怒り……「いなづま」がそのあらわれであるのなら、「つるび」というより「つま」といったほうがしっくりする。
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人間は、何もかも擬人化したがる生きものである。
「いなづま」ということばの語源は、「稲の夫(つま)」ということにある、と中西進氏をはじめ、ほとんどの研究者がいっている。
このことばが生まれたころの古代人は、雷が落ちると、「稲の夫」がやってきた、と喜んだんだってさ。雷が稲に射精している、と思ったんだってさ。中西先生が、とくとくとそう語っておられる。
あほらしい。
「いなづま」の放電現象は、空気中の窒素の量を増やし、地上の作物の生育を助ける。だから、稲作農耕が発達してそういう考え方も生まれてきただろうが、雷が落ちたら、誰だって恐れおののくだろう。それが、原初的な体験だろう。そういうところからこのことばが生まれてきたと、どうして考えられないのか。中西先生、あなたたちの脳みそは腐っているのか。
だいたい日本列島の「いなづま=いなびかり」は、山の上か山の向こうで光るものだ。地平線のないこの島国で、直接田んぼに放電している瞬間なんか、ほとんど誰も見ることはできない。まったくない、とはいわないが。
それに、「いなづま=いなびかり」は、「現象=こと」であって、「雷」という「もの」ではない。
「こと」は「こと」として表現する、「もの」は「もの」として表現する、それが、やまとことばの原則だ。「稲の夫」は、「雷」という「もの」のことであって、「いなづま」が光るという「こと」をあらわしているのではない。そのへんのごく当たり前の原則を、お偉い学者先生がどうして混同してしまうのか。それは、やまとことばに対する冒とくだろう。われわれ素人の稚拙な間違いなら許されもしようが、あなたたちは、専門家のくせにことばに対する思考が粗雑なのだ。
まったく、「店先をとっちらかしている」ではないか。
原初の人々の「いなづま」に対する直截な感慨に推参しようとする想像力が、あなたたちにはまるでない。そんな態度で語源を語ってもらっては困る。
雷が落ちると作物がよく実る、なんて、ただの損得勘定じゃないか。そんな意識が起きてくるのは、農耕技術が発達し、人も増え、身分制度もできて毎年の年貢というプレッシャーを背負わされるようになってきてからの話だ。
それが、古代人の素朴で純粋な心の動きなのか。あなたたちの考えることは腐っている。
その擬人化した俗っぽい視線が、「いなづま」ということばを生み出した古代人の心の動きだなんて、とてもじゃないが思えない。
古代人には、「いなづま」に遭遇することの戦慄はなかったのか。
「稲の夫(つま)」なんて、漢字を覚えた時代にそういう字を当てただけのことさ。語源とは関係ない。
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われわれの子供のころは、男の子はみんな「いなづま」ということばが好きだった。
そのことばの語感そのものに、何かおののきときめくものを感じていた。
たとえば、「稲妻の剛速球」とか、よくそんな言い方がされていた。
漫画の世界では、「稲妻落し」などという柔道の技が登場したり、悪と戦う主人公の乗るオートバイが「稲妻号」だったりしたものだ。
それは、古代人の「いなづま」に対する戦慄からうまれてきたことばであり、その体験の遺伝子が、脈々とわれわれのところまで引き継がれているのだろう。
「いなづま」の「いな」は、「稲」ではない。「否」と否定する「いな」なのだ。
「いな」ということばの本来の意味は、「一番大切なもの」ということにあり、そういう愛着をあらわすことばである。
「い」は、「いの一番」の「い」。「な」は、「なじむ」「なれる」の「な」、「愛着」の語義。
しかし、「一番大切なものがある」ということは、「ほかのものは全部だめだ」ということでもある。だから、そういうかたちで否定の意味にも使われる。
子供におもちゃを買ってやるとき、いくつかの中の一番安いものをとって「これにしなさい」というとき、子供は「いやだ」と拒否する。それは、すでに「一番欲しいもの」が見つかっているからだろう。まあ、そんなようなこと。
「いなづま」とは、親しい関係を拒否すること。天の神が激しく地に呪いを投げつけること。
意識とは、違和感である。自然に感動すること(=いな)だって、自然に対する違和感(=いな)なのだ。そしてこの「違和感」が、まとわりつきまとわりつかれる関係をうっとうしがる。
子供は、親にまとわりつき(依存し)まとわりつかれている関係から逃れる能力を持っていない。子供ほどこの世界に対する違和感の強い存在もないのに、子供ほど違和感の表現を禁じられている存在もない。だから、「いなづま」ということばが持っている、関係に対する激しい「拒否=違和感」の響きに対する憧れやときめきもひとしおのものになる。
あのころのわれわれにとっての「いなづま」ということばは、何か超越的で神話的な響きを持っていた。
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人間が猿と分かたれて直立二足歩行をはじめた契機は、密集しすぎた群れの中で、まとわりつきまとわりつかれている他者に対する違和感をどう処理してゆくかということにあった。
その違和感を「嘆き」として共有してゆくことによって、彼らは二本の足で立ち上がっていった。なぜ共有してゆくことができたかといえば、何かの弾みで、余分な個体を群れから追い出してしまうことのできない状況が奇跡的に存在していたからだろう。
そうして、不安定な姿勢で立っているという「嘆き」を共有し、その「嘆きを共有している」ということにカタルシスを見出していった。
「嘆き」を共有してゆくことによって、人間は、猿から分かたれていった。
人と会って黙っていれば、息苦しくなってくる。それは、観念的にまとわりつきまとわりつかれている関係になってしまっているからだ。その「嘆き」を共有し、そんな息苦しい関係から解き放たれる行為として、われわれは「語り合う」という体験をする。
それは、たがいのあいだの「空間=すきま}に言葉を投げ入れ、その「空間=すきま」を共有してゆくことによって、まとわりつきまとわりつかれている息苦しさから解放される、という体験である。
語り合えば、音声を共有している。話すがわだって、自分の音声を聞いているのだ。
その「共有している」という喜びによって、共同体が生まれ、成熟していった。
そしてその共有している喜びをもっともダイナミックにもたらすのが、「神話」を共有している、という体験だった。
原初の神話は、歴史の偶然で一か所に寄り集まってきた人々が、なんとかみんなして仲良くやってゆこうとして生まれてきた物語である。
人間は、共同体をつくりたかったのではない。しかし「出会いのときめき」を体験してゆけば、避けがたく共同体になるほかなかったのだ。それが生きものとしてどんなに困難ないとなみであったとしても、そこで生きるほかなかったし、そこで生きることのカタルシスもあった。そういうところから「神話」が生まれてきた。
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定住して共同体をいとなめば、人と人の関係だけでなく、この世界との関係も、まとわりつきまとわりつかれる関係になってしまうほかない。そんなとき、この世界の出来事に「神」を見出してゆくことは、この世界の「外部」に気づいてゆくことだった。
この世界の「もの」は、すでに「外部」ではない。共同体の中で定住しているものたちは、すでにものを「擬人化」して、まとわりつきまとわりつかれる関係を結んでしまっている。
「雲が走る」といえば、雲を擬人化している見方だろう。そうやって雲という「もの」を、人間の範疇に入れてしまっている。
しかし、雲のように空を走る「こと」は、人間にはできない。それはもう、人間の外部であり、この世界の外部である。
そういうこの世界の外部としての「こと」が語り合われ、それが「神話」になっていった。
人に対しても世界に対してもまとわりつきまとわりつかれる関係を持ってしまったものたちは、この世界の外部の超越的なイメージを共有してゆくことによって、はじめてそういう関係と和解してゆくことができた。
共同体の中で暮らしてゆくことは、この身が穢れてゆくことである。神話を語り合うことは、そういう「嘆き」を共有してゆくことでもあった。そういう嘆きを共有しているから、神話を語り合うことがカタルシスになっていったのだ。
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雲が走ることはよくあることでも、雷が落ちることは、その珍しさにおいても恐ろしさにおいても、大事件だろう。
雷という「もの」ではない。雷の「いなづま」が光り大音響を発する「出来事=こと」が、はじめは伝説として語り合われ、やがてさまざまに脚色されながら「神話」になっていった。
人類の歴史で一番早く神話になったのは雷である、ともいわれている。
最初は、「今年の雷はすごかったなあ」と語り合われ、その「かみなり」という「もの」が擬人化されながら、「いなずま」という「こと」の話がどんどん人間を超越していって「神話」になる。
「いなづま」という「こと」が「稲の夫(つま)」などという「もの」であっては、「神話」にならない。それはあくまで、人間を超越した「こと」であらねばならない。
天の神が地との関係を激しく拒否して光の矢を放つ、この「出来事=こと」が「神話」になってゆく。
古事記にも、天の神が放った矢に刺し貫かれて死んでしまう、という話がある。これなどは、「いなづま」からイメージされていったのかもしれない。