祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」12(大原麗子)

大原麗子は、どうしようもなくわがままだった。
難病に冒されて動けなくなっているとき、いつも友達を呼び出しては、むやみやたらと自分の「嘆き」を訴えまくってやむことがなかった。
だから、慰め励ましてやっていた友達も、しまいにはうんざりして持て余すようになってきた。それは、大原麗子のわがままに対するものであると同時に、慰め励ましてやることのできない自分自身に対する無力感でもあったのだが、とにかくそんな状況の中で彼女は一人ぼっちで死んでいった。
大原麗子がなぜ「嘆き」を訴え続けることをやめなかったかといえば、慰め励まして欲しかったのではなかったからだ。そこのところを、本人もまわりも気づいていなかった。
彼女はただ、一緒に泣いて欲しかっただけだ。その「嘆き」のいくらかでも共有して欲しかったからだ。
センチな言い方をすれば、友達の美しい涙の一滴を見たかっただけだ。
そのとき友達は、ただ一緒になって泣いてやればいいだけだったのに、慰め励まそうとした。
そんなことをされても、彼女の病気が治るわけでも、「嘆き」が消えるわけでもない。
だから彼女はもう、果てしなく訴え続けるしかなかった。相手が泣き出すまで訴え続けるしかなかった。
彼女は、自分の「嘆き」が死ぬまで消えないことを知っていた。嘆くことが生きることだった。嘆きが消えてしまうことは、体だけでなく心まで動かなくなってしまうことだった。
彼女は、慰め励ましてくれるやさしさよりも、美しい涙の一滴が見たかった。
最初は一緒に泣いてくれた友達が、そのうち慰め励ますだけの態度に変ってきた。それで、彼女の嘆きの訴えは、ブレーキがきかなくなってしまった。
人間の「嘆き」を消してしまうことなんか、誰にもできない。
慰め励まそうなんて、欺瞞だ。傲慢だ。
彼女の絶望を自分の絶望として一緒に泣いてやることができるか。ほんとうは、それが、勝負だった。友人たちは、そこにおいて、天からというか、人間存在の本質から試されていたのだ。そして、最初は誰もがそうしてやっていたのに、いつのまにか誰もが慰め励ますばかりになってきた。
慰め励ますことは、彼女の「嘆き」を否定することだった。
そのことに、おそらく彼女自身も友達も気づかなかった。
慰め励ますことが本当の友情だと思っている世の中なのだからそれは仕方のないことだが、しかしそこにこそ、彼女の孤独があった。
人間が「嘆き」から解放されることができると考えるなんて、欺瞞なのだ。
「嘆き」それ自体をカタルシスとして生きることができるか、という問題があるだけさ。
逆にいえば、「嘆き」から解放されることくらいかんたんなことで、ボケ老人になっちまえばいいだけのことだ。鈍感な人間は、解放されている。
彼女の心は、誰よりも覚めていた。覚めているしか、みずからの病魔と対抗するすべはなかった。そして、覚めている人間は、わがままでエキセントリックな表現をしがちなものだ。
彼女の友人であった浅丘ルリ子や森光子や石井ふく子らは、最初は、一緒に泣いてやることができた。それが、なぜできなくなっていったのか。それが、問題だ。
「嘆き」から解放されることが救済だなんて、そんな倒錯した思想をこの世にはびこらせているのは、いったい誰なのか。
体が動かなくなっていっている彼女にとって、「嘆き」を手放すことは、心まで動かなくなってしまうことだった。
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五万年前の氷河期、地球上でもっとも大きな群れを形成していたのは、極寒の北ヨーロッパで、もっとも深く「嘆き」を共有している人々だった。
「嘆き」こそ、もっとも深くたしかに人と人を結びつける。
大原麗子が死んで、残された友人たちは、彼女の死を悼み彼女を懐かしみながら、今それをかみ締めている。
死が人と人を深くたしかに結びつけるのは、そこで「嘆き」を体験するからだ。
原初の人々が最初に共同体をつくってゆくのになぜ「神話」を必要としたのかということだって、そういう問題だろうと僕は思っている。