祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」20

この世に救われていない人間が一人でもいるかぎり、自分は救われている、などといわないのが人間としてのたしなみだと思う。
僕はそう思っているし、救われていることがすばらしいとも思わない。
自分は救われているとか幸せだとか、そういう「物語=神話」がこの社会で紡がれているということが、救われていない人や不幸な人を追いつめている。
この世にそういう「ことば」が存在し、その「ことば」が人を追いつめている。
人は自分を愛するように他人を愛するのだという。だったら、自分を愛せない人は他人を愛していない、といいたいのだろうか。そういう傲慢さが、自分を愛せない人を追いつめている。もしかしたら、自足できないぶん、彼らのほうがずっとせつない人恋しさを抱えて生きているのかもしれないというのに。彼らが人との関係をつくるのが下手だからといって、それは、愛していないことの証しではない。
救われている人や幸せな人は、救われていない人や不幸な人を追いつめる権利があるのだろうか。人間は、救われたり幸せであったりすればそれですむようにできているのだろうか。人間は、ひたすらそんなものを求めて生きるようにできているのだろうか。
そういう救済の「物語=神話」が、現代社会の主流になっている。
しかしもう一方で、秋葉原通り魔事件が一部の若者たちのあいだで語り合われながら「神話」になってゆく、という現象も起きている。それは、救済されないことの「嘆き」を共有してゆく神話である。
もしかしたら、そこに神話の起源を解く鍵が秘められているのかもしれないし、それに対して前者の「救済の神話=物語」は、長い共同体の歴史を経て変質してきた、いわば「近代」の手垢にまみれた「神話=物語」の手法(構造)にすぎないのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神話=物語」は、歴史のはじめからそのような構造をしていたわけではない。
それをはじめからそうだったかのように決め付けてしまったら、村上春樹宮崎駿の牙城は揺るがない。それらがなぜもてはやされるかといえば、「神話」の普遍性を体現しているからではなく、どれよりも「現代的な神話」の構造を持っているからだ。
グリム童話は、最初からあんな心温まるメルヘンだったわけではない。もともとは、もっと残酷なストーリだったといわれている。その残酷さが、人々の魂を揺さぶっていた時代がある。
古事記の「ヤマトタケル」だって、実の兄の体を引きちぎって殺してしまうのもいとわないくらい傍若無人で残忍非道なキャラクターとして描かれている。それでも、古代人には、美しい悲劇のヒーローとして信仰されていった。まるで、あの秋葉原事件の若者が「神」として語られていったいったように。
「神話=物語」は、時代とともにその構造が変質してゆく。
「神話」は、人々の「語らひ」の中から生み出されてゆくものであって、正確に原型を引き継いでゆこうとする本能を持っているのではない。
それは、「語らひ」の中から生起するのであり、文字に記されることによって、初めて原型のまま引き継いでゆくことができる。
一説によると、現存する古事記の原本は中世のもので、そのころにつくられた話も多く混じっている、ともいわれている。
後半部分の天皇についての語り伝えは、きっとそうだろう。
人間が「神話」とともに生きていることは普遍的であるとしても、現在支持されているような物語の構造が普遍的であるとはいえない。
起源としての神話が、現代のそれのような、救済や幸せを求める物語であったとはかぎらない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
秋葉原通り魔事件を語り合う若者たちのあいだで、誰かが「加藤は神になった」といった。そして、みんなが深くうなずいていった。
神話は、自足できない「嘆き」を共有しようとするものたちの語らいの場から生まれてくる。それが、秋葉原事件の神話から教えられることだ。古代の人々や集落間の連帯・連携も、そのように自足できない「嘆き」を共有しながら生まれてきた。
それに対して現代の神話は、救われて幸せになり、自分を確認して自足してゆく話の構造になっている。自足できるのなら、連帯・連携は必要ない。
神話は、いつのころからか共同体の起源を語るようになってきた。そのようにして、時代を経るにしたがって、「自足」してゆくための物語に変ってきた。
もともと共同体は、この生に対する自己完結できない「嘆き」を共有してゆくかたちで人が集まってきてできていったのであり、そういう「嘆き」を共有する装置として神話も生まれてきたのだが、やがて共同体のいとなみも神話も、自己完結(=幸せ)を得てそれを共有してゆくための装置に変ってきた。
自己完結してしまえば連携はできないが、自己完結しようとする衝動を共有していけば、それが連携になる。
現代社会は、自己完結(=幸せや救済)によって連携しているのではない。そんなものを得てしまったら、もう連携できない。それを得ようとする衝動を共有してゆくことによって連携している。だから、つねにそういう衝動を生産し続けながらついにそれが得られない、という皮肉に陥っている。
自己完結しようとする願いを持っているということは、自己完結していないということであり、だから連携できるという皮肉。
しかしそんなことを繰り返しているうちに、われわれは自己完結しているつもりになってゆく。そうして、他者や他の共同体を排除してゆくのであり、そうやって人殺しや戦争が生まれてきた。
自己完結しようとする願いで連携している共同体は、戦争をする。
幸せがどうの自己確認や自己完結がどうのと合唱しながら、戦争反対だなんて、ちゃんちゃらおかしいのだ。
正義面した大人たちのそうした無知で無神経な合唱が、不幸な人や自己確認できない若者たちを追いつめている。
幸せや自己完結で連携してゆくことなんかできない。不幸や自己完結できない「嘆き」を共有してゆくことによってはじめて連携が生まれるのであり、原初の共同体や神話は、現代人のようにその不幸(嘆き)を否定することによってではなく、そのまま止揚してゆくところから生まれてきた。
少なくとも秋葉原通り魔事件の「神話」はそのようにして若者たちのあいだから生まれてきたのであり、それと、村上春樹宮崎駿が紡ぎ出す自己確認の物語としての「神話」と、いったいどちらが「神話」として普遍的本質的であるかということをわれわれは問いたいのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人類の共同体の歴史は、まず、自己完結できない「嘆き」を共有してゆく場として発生し、そこから、自己完結しようとする「願い(欲望)」を共有してゆく場に変ってきた。
そういう古代から近代に至る歴史過程がある。
そのメルクマールとして中世を考えるなら、貨幣経済の定着、ということが思い浮かぶ。
「貨幣」こそ、人の心に自己完結の幻想をうながす原動力であるのかもしれない。
貨幣の出現・定着によって、この社会が、自己完結の欲望におおわれた幻想空間に変っていった。
貨幣は、自己完結の全能感をもたらす。
お金があれば、なんでも変える。
お金でものを買うことは、物々交換とは違う。
百万円には百万円の全能感があり、一万円には一万円の全能感がある。
お金があれば、日本中のどこに行っても物が買える。
貨幣が、国家を完結させていった。
青森の人が鹿児島にいって人と話せば、ちんぷんかんぷんだろう。昔なら、なおそうだったに違いない。しかし青森の一万円は、鹿児島の一万円と少しも変りはない。
貨幣は、世界を完結させ、自己を完結させる。
この社会に貨幣が生まれ流通してきたことによって、共同体にとっても個人にとっても、自己完結を目指すことが主題になっていった。
もともと人間は、自己完結を目指して共同体をつくっていったのではない。自己完結できない「嘆き」を共有しながら寄り集まっていっただけだ。
そこから、自己完結してゆくことによって、戦争がはじまり、貨幣が生まれてきた。いや、戦争が始まり貨幣が生まれてきたことによって、共同体が、自己完結を目指す幻想空間になってきた、というべきだろうか。
古代から近代に至る歴史は、人や共同体が、自己完結してゆく心の動きを覚えてゆく過程でもあった。
問題は、そのことにある。自分はお金に執着していない、などといってもだめだ。現代に生きるわれわれは、誰もがどこかしらに、自己完結してゆくことにたいする執着を抱えてしまっている。現代社会は、そういう幻想空間になってしまっている。
そして村上春樹宮崎駿の「神話=物語」は、まことによくそうした幻想空間にフィットしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何はともあれここで確認しておきたいことは、起源としての共同体は、そこに現れた支配者によってつくられていったのではなく、住みにくい土地に住み着いた人々がその「嘆き」を共有してゆくところから自然発生的に生まれてきた、ということだ。
支配者が共同体をつくったのではなく、共同体の発展とともに支配者が生まれてきた、ということだ。
そして、もっとも住みやすい土地にもっとも大きな共同体=国家が現れたのではなく、もっとも住みにくい土地に住み着く「嘆き」によって人々のあいだや集落間に連携が生まれ、もっとも大きな共同体=国家になっていった、というパラドックスがあるということ。
氷河期が明ける直前の一万五千年前の地球上で、もっとも大きな共同体をつくりもっとも高度な文化を花開かせていたのは、地球上でもっとも住みにくい土地である極寒の北ヨーロッパに住み着いていたクロマニヨンという人々だった。
また縄文時代のもっとも大きな集落遺跡は今のところ青森の三内丸山遺跡ということになっていて、司馬遼太郎氏はそれを、その地こそ当時の日本列島でもっとも住み心地のいい「まほろば(理想郷)」だったのだ、といっておられるのだが、そうじゃない。その当時でも冬場は雪に閉じ込められて、どうしようもなく「嘆き」の深い土地だったのであり、だからこそ今でも続くあの東北特有のまったりとした人間関係が生まれ、そういう心を寄せ合って大きな集落をつくっていっただけだ。気候がよかったとか、美味いものがたくさんとれたとか、そんなことではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
起源としての「共同体=国家」は、地球上のもっとも住みやすい土地から生まれてきたのではない。なぜなら、そんなところでは、人々の「連携」は育ってこないからだ。
共同体は、支配者の支配欲によってではなく、人々の「連携」から生まれてきた。
起源としての共同体は、ひとつの集落がそのまま大きくなって生まれてきたのではない。集落間の「連携」が大きな集団になっていった結果にほかならない。
センチな言い方をすれば、住みにくい土地に住み着いた人々がその住みにくさを嘆きながら身を寄せ合い必死に住み着いていったところから最初の「共同体=国家」が生まれてきたのであり、それが人間の歴史なのだ。
日本列島における弥生時代から古墳時代にかけては、そういう時代だったとわれわれは思っている。
当時の日本列島におけるもっとも大きな共同体があった奈良盆地は、けっしてもっとも住みやすい土地だったのではないし、もっとも稲作農耕に適した土地だったのでもない。
ただ、もっとも人々の「連携」が生まれやすく、もっとも心踊る「神話」が生まれやすい地理的条件が整っていただけなのだ。
人間は、猿とは違う。食い物の幸せや自己確認のことなんぞで歴史をつくってきたのではない。
ひとまずそのことだけは、念を押しておきたい。
古代王権がどうのと語る歴史観など、くだらない。起源としての共同体(国家)は、民衆自身の、食い物も自己確認もままならない「嘆き」と「連携」から生まれてきたのだ。彼らにとっての「嘆き」と「連携」は、食い物や自己確認よりももっと大切なものだった。
人間は、他者にときめくことができれば、どんなにつらくてもそこに住み着いてゆこうとする生きものなのである。
自己確認や自己完結なんかどうでもいい。そんなふうにして最初の「神話」が生まれてきたのではない。
子供は、クラスの仲間に会える楽しみさえあれば、たとえ成績がビリでも、クラスでいちばんチビでデブでブスでも、喜んで学校に行くのだ。そういうことに対するせつない思いが少しでもあるのなら、歴史家の先生方も、もうちょっとましな人間の歴史を考えてくれてもいいじゃないか。