祝福論(やまとことばの語源)「神話の起源」30

信濃大門さんから、「バイブルパワー」というブログのことを教えてもらった。
そこでは、主にキリスト教のことを語っているのだが、やまとことばや日本の宗教にも関心があるらしく、ときどきそんな記事も載せている。
で、信濃大門さんに教えてもらったのは、古事記の「天地のはじめ」についての記述に対する感想が書かれているページだった。
キリスト教では絶対的な造物主である神によって天地がつくられたことになっているが、古事記の神は「天地のはじめ」から出現したことになっている。この出現したという意味の「成る」ということばが日本人は好きらしく、聖書の古い日本語訳でも多用されている。だからそのために、なんだか神の主体性・絶対性があいまいな表現になってしまっている箇所がある……と管理人氏はいう。
これはまさに、前回のこのページで問題にしていたことと同じである。
この管理人氏は、「成る」を、主体があいまいな表現としてやや批判的に語っておられる(クリスチャンとしては当然だ)。
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しかし日本列島の古代人は、この、主体があいまいであるというところを受け入れ、生の問題を解決してゆこうとしていた。
僕は、そこのところを考えたいのだ。
やまとことばの「にひ(=新しいもの)」の語源は、「出現する」という意味にあった。それはまさに、ここで語られている「成る」のことでもある。
物事は、「終わる」ことによってはじまる。「終わり」がともなっていない「はじまり」などない、というのが、日本列島的な世界観である。したがって、キリスト教でいう絶対的な「造物主」は、論理的に存在し得ない。
春の終わりは夏のはじまりである。そういう終わりでもはじまりでもある時期を季節と季節のあいだに見出し、彼らはそれを「旬(しゅん)」とも「はつ」とも「にひ」とも形容した。
正月のことを「初春(はつはる)」というのは、冬の終わりであり春のはじまりでもあるからだ。それは、冬でも春でもなく、冬でも春でもある。古代人は、この「間(ま)」、すなわち「空間=すきま」においてときめいた。
日本列島の伝統的な世界観には「新しいもの」が「出現する=成る」ことの「ときめき」があり、絶対的な造物主をいだくキリスト教の世界観には、この「ときめき」はない。
なんといおうと、それはそうなのだ。日本列島では、神は存在しない。存在しないことが神の存在証明なのだ。だから、日本列島の神は「隠れる」。
「造物主」などいない。すべてのものは「出現する=成る」のだ。
この「ない」に対する視線が日本列島にはあって、西洋のキリスト教にはない。
西洋では、世界も人間の思考も「ある」からはじまり、日本列島では、世界も人間の思考も「ない」からはじまる。
「ない」すなわち「空(くう)」。
すべてのものには「終わり」があるという世界観のことを「無常観」という。「無常観」とは、「空(くう)」に対する視線のことだ。
したがって、そういう視線を持っているものたちにとっての「神」は、先験的に存在するものではなく、「出現する=成る」ものであらねばならない。
「終わり」が「はじまり」をつくるのであって、絶対的な造物主がつくるのではない。つまり、「終わり」が「絶対的な造物主」になることは、論理的に成り立たない、ということだ。それは、言語矛盾である。
「成る=出現する」という現象は、誰がつくるのでもない。神でさえつくれない。神でさえ「成る=出現する」のだ。
「終わり」ということと深く和解していった日本列島の古代人の玄妙な心の動きは、彼らにはわからない。
われわれは、彼らにいいたい。あなたたちは、まあそうやってご立派な宗教で救われ天国にお行きになればけっこうだが、われわれは、「終わり」ということと深く和解している人にひざまずき、そういう心の動きを共有したいと願っている、と。
それが正しい世界観であるのかどうかはわからない。ただ、古代の日本列島の住民は、そうやって世界に気づき、この世界やこの生や死といったさまざまな問題と和解していった、ということだ。
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西洋のキリスト教は、「わかる」という心の動きを与えて人を救済しようとしている。神も天国も「わかる」ためには存在しなければならない。
それにたいして、古代の日本列島では、神は先験的に存在するものではなく、「出現する=成る」ものであり、隠れて見えない対象であった。そして死後の世界である「黄泉の国」も、ただもうわけのわからない闇でしかなかった。
日本列島では、世界も人間の思考も「ない」からはじまり「ない」に帰ってゆく。古代人は、そういう世界観から、「わからない」ことのくるおしさやなやましさをカタルシスへと昇華していった。
仏教の世界観がなんであれ、それが入ってくる以前の日本列島の住民は、幸せや安心を救済としていたのではなく、ただもうこの生や他者や世界にときめいてゆくことだけをよりどころにして生き、死んでいった、ということだ。
おそらく、世界中の原始人がそうやって生き、死んでいっていたのだろう。
しかし西洋の歴史では、早々と「パンドラの箱」を開けて世界観や生命感を変更していった。おそらくそれが1万年くらい前のことで、一夫一婦制の家族制度を持ったことからはじまっている。人類の歴史にとって、一夫一婦制の家族制度を持つことは、パンドラの箱を開ける体験だったのだ。聖書における「アダムとイヴ」の話も、「父殺し」から人間の歴史がはじまったという話も、みごとにそのことと一致している。
人間は、先験的に一夫一婦制の家族をいとなんでいたのではない。ただ「母子関係」があっただけであり、そこに「父」を挿入していったのが一夫一婦制のはじまりなのだ。だからその歴史は、「父殺し」という桎梏からはじめるしかなかった。
それに対して日本列島で一夫一婦制の家族制度が本格化したのは千年かそこらのことであり、それまでの長い歴史を、ひたすら原始的な世界観・生命感を洗練させてきた。
日本列島の古代人の世界観・生命感は、原始的なそれを高度に洗練化させたものであったのであり、西洋のように「一夫一婦制」という「パンドラの箱」を開けて発展させたものではなかった。
原初の日本列島の「神話」は、そういう世界観・生命感の上に成り立ったものとして考えるべきだろう、と僕は思っている。