祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」27

戦争の起源についての蛇足を書いておきます。
人間は、連携する生きものである。
原初の、戦争という共同体間の「対立」は、ひとつの「連携」でもあった。
そのとき彼らは、「死の覚悟」を共有して戦っていた。
共同体の発生とともに、死が、解決不能の問題として浮かび上がってきた。
それを一挙に解決する方法として、「生死をかけて戦う」という行為が生まれてきた。それが、戦争の起源だ。
男たちは、戦うために戦った。
少なくともその起源においては、「土地を奪う」とか「奴隷を調達する」とか、そんな目的があったわけではないし、原始人だから死を怖がっていなかったというわけでもない。
共同体の発生、すなわち人間の群れが限度を超えて大きくなってきたとき、もともとこの生とともに身近にあった死が、超越的な世界に遠ざけられた。
死が解決できない問題になってきて、死に対しておそれを抱くようになってきた。
戦争という、人と人が生死をかけて戦う行為は、この問題を一挙に解決する行為として生まれてきた。
男たちは、戦いに臨むに際して、死を覚悟した。死を覚悟していることの証しとして、戦った。
男たちは、戦いたかった。戦って、死の「超越性」を克服したかった。
死の「超越性」こそ、彼らが生きてあることの最大の問題だったからだ。
われわれは、歴史の運命として、「超越性」という問題をすでに持ってしまった。
それによって人類は、文明や文化を発達させ、そして何よりも「もう死んでもいい」という感慨がいかに深いカタルシスををもたらすかということも体験した。
原初の人類にとって、二本の足で立って歩くことは、ひとつの「超越性の発見」だった。その「超越性」を深く意識していったこと、これが、戦争の起源だ。
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人類は、群れの規模を限度を超えて大きくしてきたことによって、それなりに快適な暮らしを実現していった。つまり、文化や文明を発展させてきた。
しかしそれは、群れの中に閉じ込められてあるという閉塞感を引き受けることでもあった。その閉塞感を嘆くことの上に、文化や文明が生まれ育ってきた。
また、そうやって閉塞感が起きるほどに群れの輪郭(共同体)をたしかなものとしてイメージしてゆけば、その反動として、この生の外の世界を超越的な「他界」としてイメージしてゆく心の動きも生まれ、そこから「神」が見出されていった。
「かみ」とは、「超越性」に気づく体験のこと。その体験を「かみしめる」こと。語源としての「かみ」は、「かみしめる」の「かみ」である。
そして「神」とは、超越的な対象のこと。
原初の人類が二本の足で立って歩きながら見慣れぬ景色と出会っていったということはひとつの「超越性の発見」だったのであり、その時点で人類の観念は、「死後の世界」という超越的なもうひとつの世界を見出してゆくことを宿命づけられていたのかもしれない。
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では、いつごろ「死後の世界」が見つけ出されたのだろう。
人類で最初に埋葬をはじめたネアンデルタールによって発見されたのだろうか。彼らは、三十万年くらい前から、すでに洞窟の中に死体を埋葬するということをしていた。
しかしそれはたぶん、「死後の世界の発見」ということとは違う。
ただ、死体をそばに置いておきたかっただけだろう。それほどの悲しかった、というだけだろう。それはむしろ、死者を「死後の世界」に行かせないで、この世界にとどめておく行為だ。
「死後の世界」に旅立たせるためなら、洞窟の外に埋めるにちがいない。
彼らはまだ、群れのうっとうしさを感じていなかった。寒さに耐えるために懸命に身を寄せ合い、群れの密集こそが生命線であり、心のよりどころだった。だから、洞窟の中に埋めた。彼らは、死者と一緒にいたかった。
ただ、人類は、歴史のどこかの時点で、掘り返した死体が骨だけを残して肉が消えてしまっているのを見て、「どこかに旅立っていった」と思った。
西洋人は、魂と肉体は別のものだというイメージがある。肉体をこの世界に残して、魂だけが天国に行く……という物語は、そういうところから発想されていったのかもしれない。
ともあれそういう物語が生まれてくるのは、おそらくずっとあとの時代になってからのことだ。それは、共同体が生まれて、群れの中に置かれてあることの閉塞感=充足感が本格化してきてからの話だろう。そのとき意識の底ではすでに「死後の世界」をイメージしていたから、「どこかに旅立っていった」という発想ができる。まあ、そのようなかたちで人類は、天国とか極楽浄土といった超越的な世界を見出していったのかもしれない。
死ぬのが怖かったから、天国や極楽浄土を見出していったのではない。人間の心は、もともと超越的な世界をイメージしてしまうようにできているからだ。
死ぬのが怖くなってきたのは、天国や極楽浄土にいくことができないように思えてきたからであり、この世界に永遠にとどまっていたいという欲望がかぎりなく肥大化してきたからだ。
意識がこの世界で自己完結してゆくと、超越的なもうひとつの世界に対する意識もふくらんでくる。しかし死は、自己完結することの不可能性を迫ってくる。戦争をはじめた原初の人類は、そのとき、生死をかけて戦うことによって、もうひとつの超越的な世界に跳躍しようとした。
戦わなければ、その問題は解決しなかった。
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人間が戦争をすることには、善悪だけでは決められない深くやっかいな意味がある。
人間に戦うことをやめさせるのは困難である。それ自体ひとつの「連携」であるのだから。また、世界に共同体(国家)が存在するかぎり、戦争がなくなることは当てにできないし、戦争をしている国や国民を、そうかんたんに非難することもできない。
それは、人間であることの「運命」なのだ。彼らは、そういう運命にさらされている。
たとえば、太平洋戦争の特攻隊の兵士が天皇陛下万歳といって喜び勇んで玉砕していったとしても、それを否定する権利はわれわれにはない。けっきょくは、その命令の理不尽さに深く嘆きながら死んでいった若い兵士も、喜び勇んで死んでいった兵士も、参謀本部でそれを命令していたものたちも、そのとき誰もが同じように「歴史という運命」にさらされ、同じように何かから追い詰められているという、生きてあることの不安や嘆きや閉塞感を共有しながら、その「問題」を一挙に解決するすべを模索していたにちがいないのだ。