「不在」の存在・「天皇の起源」42


戦後の日本列島の住民が「人間宣言」をした天皇をそれでもまだ祀り上げてきたということはおおいに興味深いことだ。
神でなくなっても、天皇はまだ天皇だった。
天皇は、神でなくてもよかった。
しかし、天皇天皇であらねばない。われわれは、天皇ではない天皇を祀り上げることはしない。だから、一部では「天皇に寄生する」ということが起きてしまう。
ともあれ、天皇天皇であるゆえんは、神であることではなかった。
天皇は人間であっても、それでも人間ではない存在でもある。
天皇は、「不在」の存在である。
そしてそれは人間存在の根源のかたちであり、誰の中にも自分は人間であると同時に人間ではない存在でもあるという思いが潜んでいる。そういうかたちを生きるための形見として、われわれは天皇を祀り上げている。
他人から見たら、誰だって人間である。しかし、自分が自分に問うて、はたして自分は人間の一員であると言い切れるか。そういう世界に対する「疎外感」を誰もが「個」としての存在そのものにおいて負っている。
われわれは、自分で直接自分の姿を見ることができない。他人の姿はまるごと見ることができるのに。
自分の姿(=存在)を確かに認識することができる人間なんかいない。
自分が他人からどのように見られているかということなどよくわからない。
自分のいいところも悪いところも、よくわからない。わかったつもりになると、たいてい間違う。
よくいわれるような「自分はどこから来てどこへ行こうとしているのか?」という命題などどうでもいいが、自分の「姿」をうまくとらえられないということのもどかしさと不安は、どうしてもついてまわる。
自分は人間の一部でありこの世界の現実の一部だとはっきり認識しているつもりの人は多いが、それでも誰もが、どこかしらにこのもどかしさと不安を抱えている。
自分がこの世界の「他界」に置かれているのではないかという不安、自分ははたして人間の一部だろうかという不安。自分が人間であることなど当然のことなのに、それでもどこかしらで、人間の一部になり得ていないような不安が疼いている。
この国の天皇は、そういう不安に慰藉(=癒し)を与える存在として機能している。
もともと日本列島の住民は「神」という概念をよく知らないのだから、天皇が神であってもなくてもどちらでもいいのだ。
しかしこの国に天皇が存在することは、神が存在するかどうかということよりももっと根源的な問題が潜んでいる。



意識にとって世界(他者)を認識することは、自分を忘れる体験である。
根源的には、意識にとって自分を確かめることは、痛いとか苦しいとか空腹だとか暑いとか寒いとかのひとつの「苦痛」の体験であり、生き物は自分を忘れよう(消えよう)とする衝動を本能的にそなえている。そういう自分を忘れる(消える)体験のダイナミズムとして、人は、ときめいたり恨んだり喜んだり悲しんだりしている。
生き物は、消えようとする衝動(本能)を持っている。
他人を確かめることと自分を確かめることは、体験の種類が違う。そして、二つの体験を同時にすることはできない。他人を確かめる(認識する)とき、自分のことは忘れている(=自分は消えている)。そして自分を確かめるとき、他人のことは忘れている(=他人は消えている)。意識は、ひとつのものしか意識することができない。意識はつねに何かについての意識である。
苦痛を感じることは、自分を確かめている体験である。苦痛を忘れることは、自分を忘れることである。この生は、自分を忘れることの上に成り立っているし、自分を忘れるためには世界を確かめていなければならない。
この生は、自分を忘れて世界を認識してゆくことの上に成り立っている。
人間は、自分を忘れるという体験をしながら生きている。人間は、自分を忘れたがっている存在である。
生き物とは、消えたがっている存在である。
人間は、この自分を消すことのダイナミズムを持っている。
痛みや痒みや暑さ寒さを忘れることだけではない、たとえば主婦が上手にネギを刻むことだって、上手であればあるほど自分の手のことを忘れて刻んでいる。ピアニストの指の動きだって同じだ。そのときピアニストは、自分の指ではなく、楽譜や音という「世界」だけをイメージしている。
われわれは自分を忘れて(=自分を消して)人にときめいてゆく。
目の前のリンゴがリンゴであると認識することは、自分に向いている意識を消してリンゴに向けることであり、自分に向いている意識を確かに消せば消すほど感動は深くなる。
自分を忘れてしまうことは生き物としての危機的状態だが、その危機的状態になることがこの生を成り立たせている。
自分を忘れるとは、自分がこの世界に対する「他界」になっている、ということだ。
そして意識が自分に向いているとき、世界が「他界」になっている。
意識(超越論的主観性)において、この世界は「現実」であると同時に「他界」でもある。
無意識というか先験的な意識において、自分は、この世界の現実の一部として存在しているのではなく、この世界の「他界」として存在している。
この世界に深く豊かにときめいている人は自分の「空虚=他界性」を持っているわけで、人間のそういう存在の仕方の形見として天皇が機能している。



弥生時代奈良盆地は誰もがこの世界に深く豊かにときめいている社会だったのであり、そこから天皇が生まれてきた。はじめに、そういう祀り上げる心のダイナミズムがあった。この国天皇制が二千年も続いてきたことは、人間の祀り上げる心によってであって、べつに天皇がうまく立ち回ってきたからではない。
内田樹という人は、「日本辺境論」の中で、日本が中国の支配を受けないですんだのはうまく立ち回ってきたからだ」といっているのだが、そういうことではない。
「うまく立ち回ってきた」だなんて、どうしてそんな卑しいいい方や発想をするのだろう。日本列島の住民は外国に対してうまく立ち回る能力なんかない。ただもう無邪気に世界を祀り上げてゆく美意識を洗練させてきただけであり、その能力によって明治以後のアジアではいち早く欧米の文化に追いついていった。うまく立ち回ったのではない。ただもう無邪気に欧米文化を祀り上げていっただけだ。
自分を消して世界を祀り上げてゆく、その衝動のダイナミズムで欧米文化を吸収していった。
自分を消すこと、消えようとするのは生き物の本能であり、そのことの担保というか形見として天皇が存在している。
天皇制を、ただの社会制度だと思うべきではない。われわれの生き物としての根源とかかわるかたちで天皇が祀り上げられている部分があるのだ。つまり天皇制は、そういう生き物としての身体感覚というか実存感覚とかかわっている問題でもある。
天皇ほど上手に自分を消している存在もない。それは、生き物としての身体感覚・実存感覚の問題であって、ただの道徳の問題ではない。こんなことは、自分を見せびらかすばかりのあの男にはわかるまい。
それは、「神」などという問題よりももっと根源的なのだ。
「うまく立ち回った」などという言説と同時に、天皇制の問題を「神の文化」の問題として語った折口信夫の言説だってほんとにくだらないと僕は思っている。



この世界に深く豊かにときめいてゆく体験は、未来を思わないで「いまここ」に体ごと反応してゆくことによって実現する。それが、この国の「無常観」の伝統である。
「無常観」とは「他界」を知っている意識である。極楽浄土や神などという「いまここの外の他界」をわざわざ設定しなくても、「いまここ」においてすでに「他界」を見ている意識である。
「いまここ」に体ごと反応してゆけば、「未来」も「自分」もすでに「他界」になっている。
無常観は、「いまここ」の身体感覚であり実存感覚であり、そのようにして「他界」を思う意識である。
現実そのものの中に「現実」と「他界」がある。「リアル」と「空虚」、というか。
「他界」は、「いまここ」の中にある。
つまり、縄文人弥生人は、「神」や「極楽浄土」や「死後の世界」をイメージする前に、すでに「いまここ」において「他界」をイメージしていた。彼らは海の向こうは「何もない」と思っていた。この世界観が、無常観の伝統になっていった。
「いまここ」の現実そのものの中に「他界」がある。
日本列島の伝統においては、「他界」とは「何もない」ところであって、「神や仏のいる世界」のことではない。だから「死んだら何もない黄泉の国に行く」といった。ここのところを、折口信夫は何もわかっていない。
そういう「他界性=何もない」に対する視線から「あはれ」や「はかなし」の美意識が生まれてきた。すなわち生き物の本能としての「消える」ということ。
日本列島の住民にとっては、「いまここ」の現実そのものが、すでに「他界性=何もない」という気配を帯びて存在している。
僕は、折口信夫に対してこういいたいのだ、おまえなんぞに「もののあはれ」の何がわかるものか、と。
「海の向こうに神の国がある」と発想する俗物に何がわかるものか、と。



人間は、「他界」に対する視線を持っている。
原初の人類は二本の足で立ち上がることによって広い「視界」を獲得し、それが生きることのアドバンテージになった……などとよくいわれる。
しかしそれがアドバンテージになるなら、チンパンジーでもそうしている。
そのとき広い視界を獲得することは、そのぶん見られている存在になることでもある。弱い猿のすることではない。見られていることを忘れなければ見ていることはできない。
二本の足で立っている人間は、見られていることを忘れながら広い世界を見ている。つまりそのとき原初の人類は、「自分を消しながら広い世界を見る」という作法を身につけていったのだ。
「見られていること忘れる」とは「自分が消えている」状態であり、それはつまり、自分は「他界」から広い世界を見ている、ということだ。あるいは、自分にとってこの世界は「他界」である、ということだ。
人間は、消えようとする衝動を持っている。その衝動の上に二本の足で立つという姿勢が成り立っている。つまりそのとき、それほどに自分を忘れて深く豊かに世界に対する感慨を抱く存在になった、ということだ。
意識が深く豊かに世界に向いていればいるほど、自分を忘れている。自分を忘れていなければ、二本の足で立って広い世界を眺めていることなんかできない。
「他界」の発見……人間が二本の足で立って世界を見るということは、「他界」から世界を見るということなのだ。
この世の中にはいろんな人がいて、自分がこの世の中という舞台の上の俳優のつもりの人もいれば、自分はただの観客にすぎないという感慨の人もいる。そういう問題でもある。原初の人類は二本の足で立ち上がることによって、この世界の「観客」になったのであって「俳優」になったのではない。
いまどきは「俳優」のつもりの人がたくさんいて、それもこの社会の病理のひとつになっている。内田樹とか上野千鶴子とかの団塊世代は、おおむねこの人種だよね。



原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって「他界」を発見した。何はともあれそういうことであり、べつに生き延びるためのアドバンテージを獲得したのではない。
深く豊かに世界にときめいてゆく能力を獲得したとはいえるが、むしろ生き延びる能力を大きく後退させた。
一部の人類学者は、生き延びる能力を後退させたから必死に生き延びようとするようになりそれが知能の発達につながった、といっているが、それも違う。
消えようとするということは、自分を忘れてしまうことであり、生き延びようとすることも忘れてしまうことだ。
二本の足で立ち上がることは、生き延びることなんか忘れて世界に深く豊かにときめいてゆくことである。
生き延びようと頑張ったから知能が発達したのではない、世界に対してより深く豊かな感慨を抱く存在になっていったから知能が発達したのだ。
人間の知能とか知性は、生き延びるためにあるのではない。生き延びることなど忘れて世界により深く豊かに反応してゆくための機能なのだ。
原初の人類は二本の足で立ち上がることによって、生き延びることなど忘れて世界により深く豊かにときめいてゆく存在になった。
頭の悪い人間や考えることが低俗な人間が、知能や知性を生き延びるための機能だと決めつけて平然としている。それで人間のことがわかったつもりでいる。生き延びるために「うまく立ち回る」ことが日本の知性なんだってさ、くだらない。



日本列島の無常観が生き延びようとする衝動をたぎらせる世界観ではないことは誰でも知っているだろう。中世には、その世界観が一世を風靡したし、じつはそれが日本列島1万年の歴史の伝統だった。
それは、人間の本性に矛盾する世界観か。そうじゃない。その生き延びることを忘れて世界に深く豊かに反応してゆく心の動きこそが、原初の人類が二本の足で立ち上がることによって獲得したもっとも根源的な人間性のかたちなのだ。
人間は、生き延びることを忘れることによって「他界」に対する視線を獲得した。
人間の知性とか美意識は、ようするに「他界」に対する視線なのだ。
人間は「わからない」という「他界」に対する好奇心を持っている。猿はわかっていることだけで生きていてその好奇心がないから、人間がどんなにしつこく言葉を教え込もうとしてもなかなか覚えてくれない。
人間の「わからない」という「他界」に対する好奇心は、二本の足で立つ姿勢によって担保されている。
しかし、だから「死」という「他界」も知ってしまった。そしてそれを知ったことによって、根源的な人間性においては、死ぬまいとしたのではなく、死に対する親密さを持ったということだ。
良くも悪くも、人間の戦争は、死に対する親密さが基礎になっている。
人の心は、「わからない」という「他界」に引き寄せられる。それこそが知能の発達の契機になったのであって、生き延びようと頑張ったからではない。
生き延びようと頑張る人間ほど頭がいいのか?
そんなことはあるまい。
まあ、死に対する親密さこそが生き物の自然=本能であり、その自然¬=本能の過剰さが、人間の知能を発達させた。



中世の無常感は、「死=他界」に対する親密さの上に成り立っていた。
中世の人々が好んだ「あはれ」とか「はかなし」とか「幽玄」という言葉には、「死=他界」の気配が付着している。
それは、そのころになってもまだ基本的には「海の向こうは何もない=死んだら何もない黄泉の国に行く」という世界観を残していたということであり、そういう「消えてゆく(カタストロフ)」体験の向こうに「他界」がイメージされていた。
海の向こうには大陸があると知識でわかっていても、それでも感覚的にはその向こうは「何もない」というイメージだった。ましてや、「神(仏)の国」など思いようがなかった。
ただ、宗教者だけはそれを信じていて、民衆はその言説に引きずられてもいた。
「他界」とは何か?という問題は、中世の大きなテーマだった。
未来などない、海の向こうは何もない、と思っても、それでも「他界」という問題は残った。その「何もない」ということ自体が「他界」だった。
「不在」という感覚。彼らにとって「不在」は、神秘でもなんでもなかった。この世界の現実そのものの中に「不在」があった。
死後の世界は、ひとまず生きている自分が「不在」の国である。そういう国が「ない」といえる根拠はなかった。極楽浄土などないと思っても、死後の世界がないとは思えなかった。
もしかしたらこの世界そのものが自分が「不在」の世界かもしれない。自分はこの世界における「不在」の存在である、というような孤立感(疎外感)は誰の中にもある。
自分が死後の世界の住人であるかのような感覚、それが「あはれ」であり「はかなし」である。彼らにとって猿楽能の「死後の世界と交信する」という物語は、自分が生きてあるという実存感覚に訴えてくる説得力があった。自分もまた死後の世界の住人としてこの世界の住人と交信し合っている存在かもしれない、という実存感覚があった。
それを「近代的な自我の芽生え」といってしまうとなんだか語るに落ちる話になってしまうのだが、じつは大昔の猿が二本の足で立ち上がったときの原初的な記憶のような感覚なのではないだろうか。
この生の他界性。この世界の他界性。中世とは、そういう人間存在の根源に立ち返ろうとする時代だったわけだが、日本列島にもともと神という存在がいなかったから、そういうムーブメントが起きてきたのだ。



中世は、「死後の世界」や「極楽浄土」のイメージが変質してきた時代だった。人々はもう、かんたんには極楽浄土など願わなくなってきていた。ひとまず極楽浄土など当てにするな、と説いたのが親鸞浄土真宗禅宗などの新興仏教だった。そしてそれに呼応するように猿楽能では、死後の世界を極楽浄土として祀り上げるよりも、この世に思いを残して死後の世界に旅立っていった人々との交信の物語を描いていった。彼らは、死後の世界をひとまず信じても、死んだら極楽浄土に行くという物語にリアリティを感じなくなっていた。
つまり、極楽浄土は信じなくても、「他界」という意識はより切実になってきた。
人間の「他界」という意識は、神や仏や天国や極楽浄土という以前の、原初的・根源的な身体性・実存性の意識である。そういう人間回帰のルネサンスが起きてきたのが中世だった。
中世の知識人であった道元や一遍や親鸞鴨長明が「無常」を語るとなぜあんなにも思い入れたっぷりの詠嘆調・美文調になってしまうのかといえば、それだけ前時代の浄土信仰や呪術信仰と格闘して否定しようとする意気込みが強かったからであり、原初の人間性を追憶するというやるせなさというかなやましさのようなものがあったのだろう。
人間ほど群れがたる猿もいないが、それはほかの猿以上に身体の孤立性の上に立った存在だから群れたがるのであり、二本の足で立ち上がったときにそういう孤立性=他界性を身にまとってしまったのだ。
中世の人々があたためていたそうした「無常」や「他界」という概念について考えるなら、いまどきの知識人が語る「共生」だの「身体共鳴」だのという思考は、ほんとに程度が低く下品だと思わせられる。そんなものは人間性の普遍でもなんでもない。
日本列島の中世の人々は、身体存在の孤立性という実存の問題にすでに気づいていた。それは、人間性の普遍に対する視線であり、もともとそういう孤立性=他界性を生きるための形見として天皇が祀り上げられてきたのだ。
天皇が「不在」の存在であるとは、そういうことではないだろうか。


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まあ中世は、南北朝だの何だのと天皇が政治の表舞台にしゃしゃり出ようとして、天皇のほんらいの姿を失っていた時代だった。だからこそ、天皇制の基礎となったコンセプトが天皇とは別のところで模索されていたのかもしれない。
猿楽能の「翁」などは、ほんらい天皇が担うべき役割である。しかしそのとき天皇が祀り上げることができない存在になっていたから、もうひとつの天皇として「翁」が祀り上げられていったのかもしれない。そういう「不在」の存在として。
日本列島の住民は、天皇天皇でなくなっても、まだ天皇のような存在を別に仕立てて祀り上げようとする。
天皇は日本列島の住民を支配する存在ではなく、日本列島の住民が一方的に祀り上げてゆく存在である。天皇はそういう存在であってくれなくては困るし、天皇がそういう存在でないというのなら、べつの天皇を祀り上げるまでだ。
つまり、天皇の存在の仕方は日本列島の住民の美意識が規定してきたのであって、天皇が日本列島の住民の美意識をつくってきたのではない。
天皇天皇でないというのなら別の天皇を祀り上げてゆくまでであり、天皇なんか今の天皇でなくてもべつにかまわないが、天皇がいないというのもちょっと困る。言い換えれば、今の天皇は、日本列島の天皇の歴史を体現して存在している。つまり、日本列島の住民が天皇をそういう存在にしてしまったのであって、それを受けて今日の天皇家の伝統が成り立っている。


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人間は「他界」との折り合いがついていないと気が狂ってしまう存在である。だから、日本列島の住民は天皇を祀り上げていったし、西洋人は「神」という概念をつくりだした。神に縛られて生きるのか、一方的に天皇を祀り上げて生きるのか。われわれはべつに天皇に縛られているわけではない、天皇は、すべてを赦してくれる存在である。
西洋人だって、すべてを赦している存在に対するあこがれはあるにちがいない。そういう存在がこの世界ではどれほど貴重でめでたいかは、むしろ彼らの方が感じているのかもしれない。
人々がただもう無邪気に祀り上げてゆくことができる存在でなければ二千年も無事でいられるはずがないし、ただもう無条件に赦されたいという思いは西洋人の方がずっと切実であるのだろう。
ひとまず、二千年のあいだこの社会の権力者の誰も打ち倒そうとしなかった(あるいは打ち倒すことができなかった)皇帝とはどんな存在だろうかという興味が彼らにはある。
すべてを赦すということ、もしかしたら西洋人の方がもっと、人間の祀り上げようとする衝動を肯定したいという思いがある。
戦後の日本列島の住民は、自分を忘れて世界を祀り上げる美意識がどんどん衰退して、「俺さま」になりたがる人種がずいぶん増えてしまった。どんなに謙虚ぶっても、腹の中は「俺さま」になりたい欲望が騒々しくうごめいている。そうやって自分語りばかりしている。
すべてを赦し祀り上げてゆくことのできる美意識、そこから天皇が生まれてきたのであり、その気配に対してもしかしたら西洋人は興味津々かもしれないというのに、いまどきの知識人や大人たちは西洋人の後追いばかりして人間の普遍がわかったつもりでいる。
日本列島には「ゴッド」がない。そのことによって日本列島の住民がどんな世界観や生命観を紡いできたかということ、われわれが知りたいのはそのことだ。
日本には日本の神がいるとか、そういうことじゃない。日本には神なんかいないのだ。この国の住民が天皇という「不在」の存在を祀り上げて歴史を歩んできたということは、この国には神なんかいないということを意味する。
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